一刀両断ミニコラム
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《2010.03.09》
単細胞の自称善人者
 東京都議会は民主党が多数派となった関係で、築地強制移転など疑問政策に次々とブレーキがかかりつつあるが、そうした中、東京都が成立させようとしているのが「東京都青少年の健全な育成に関する条例改正案」である。この改正案、名前からして思いっきりクサいが、中身もそれと同じくらいに腐敗臭がぷんぷんである。
 問題点についてはネットでは既に盛んに非難されているが、オンラインのITMediaがまとめた記事をアップしている。まあ中身は推して知るべしであって、有害情報を徹底的に取り締まろうという代物である。有害の定義が曖昧なのは言うまでもなく、誰がどういう基準で判断するかも明記されないのは何時ものとおり。こういう時に引きあいに出されるのが、アニメやコミックスの表現であるのは時流に過ぎない。それを口実にして威張り散らそうという魂胆こそが、その本質である。東京都と言えば、かつて国家国旗法案に基づいて教育現場に国家斉唱を強制し(当時、政府は強制するものではないと公式に答弁していた)、それを園遊会で誇らしげに語った米長教育長が陛下から「そういう事は強制するものではありません」とたしなめられたという話があったが、そうした陛下の御心は全く理解出来ていないようだ。
 ここで戦前の言論統制について触れておきたい。言うまでもなく、政府によって検閲された新聞や雑誌の紙面が、至るところで黒く塗り潰されたり白く抜けたりしていた事などであるが、それでは如何ようにしてそうした統制が可能となったのだろうか。ただ単に「統制する」と政府が言っただけでは抜け駆けは幾らでも出てくるであろう。実は統制を始める時点で、既にチェック機構がマスメディアの隅々にまで出来上がっていたというのがその理由である。だから、そこに新たな項目を追加すれば即座に言論統制が可能となったのだ。
 それでは、そうしたチェック機構はどうして既に整えられていたのか。それこそがまさに、「健全な青少年を育成する為」という名目で次第に整備されていたのである。戦前だから萌えアニメなどは存在しないが、恋愛小説の表現などという名目で青少年の「健全な」育成に良くない物は規制すべきだ、という論調が何度も出ているのは今と全く同一なのである。
 何か犯罪が起きるとそれを口実にそれを唱える手合が現れ、主婦とか教育関係者の中の単純なのがここぞとばかりにしゃしゃり出てくるというパターンは、これまでも洋の東西を問わずに繰り返されてきた(良い例は禁酒法)。大体、大きな声で「健全」だの「有害」だのと唱える奴にロクなのはいない。良くて目立ちたがるアホか、それを足がかりにして己の権益拡大を狙う輩かのどちらかである。まあ要するに自分がそうでない事を無意識のうちに自覚しているから、行動にもリキが入る訳である。前者の場合、更に厄介なのは自分が良い事をしていると信じて疑わない点で、この意味でシーシェパードと同類と言える。
 さて、この条例案、何だか議会を通過しそうな情勢だという。極めて恣意的な適用が可能な内容である上に、どこかの地方都市と違って出版社などの集中する東京での統制は日本全体の統制と等しい。アニメ産業やコミックス産業は今や日本の外貨産業となりつつあるが、その足をせっせと引っ張ろうという訳だ。こいつらが国の将来など考えている手合では無い事が、これだけでも明白ではないか。

《2010.03.08》
バンクーバーの日系人
 今月3日の深夜、フジ系で放送されたNONFIX「伝説のバンクーバー朝日軍」は大変良く出来たドキュメンタリーだった。内容は戦前、バンクーバーに移住した日系移民たちの作った野球チームの物語である。事実をたんねんに積み上げ、ナレーションも淡々と語りかける構成はまさにドキュメンタリーの原点であった。
 五輪で盛り上がったバンクーバーだが、そこに日系移民が大勢行っていた事や、彼らが野球チームを作っていた事など殆ど知られていないだろう。辛口子も例外ではない。移民と言えばハワイやブラジルは思い当たるが、バンクーバーは「言われてみれば」という程度の認識だった。以下、ドキュメンタリーの概要を説明しよう。

 その移民たちは苦しい生活を強いられたという。昔の事だから、日系移民は厳しい差別に直面した。市民権ももらえない。低賃金できつい仕事しか無かった。そうした中、日系人の中から野球チームを作ってはどうかという話が持ち上がる。1914年、宮崎松次郎が監督となってチームが作られた。体格的に劣る日系人たちは、小技を駆使して大きな現地人チームに対して勝利を重ね、やがて白人たちの彼らを見る目も変わっていった。市民権も得られ、このチームは来日して親善試合を行ってもいる。
 そんな彼らの運命が激変したのは、太平洋戦争の勃発だった。敵国人として財産は剥奪され、へんぴな強制収容所への移動を強制された。持っていく事を許されたのはトランク二個だけだった。しかし、彼らはその荷物の中に野球道具を入れるのを忘れなかった。何もない生活の中、彼らは空き地を開墾、整備してグラウンドを作り野球を始めた。その収容所の監視をしていたカナダ人の中に野球好きなジャック・ダウリングがいた。彼は日本人が敵だからと言って日系人を敵視する事に疑問を持つ人間だった。やがて彼と日系人たちの交流が始まった。近所の街のチームとの試合も実現するようになり、厳しい中でも日系人たちの生活に潤いが出た。
 だが、戦争が終わっても彼らの生活は復活しなかった。カナダ政府は財産の返還に応じなかったばかりか、日本に戻るか、市民権無しでカナダの東部へ移住するかの二者択一を迫った。結局、チームはばらばらとなった。二度と野球チームが出来る事はなかった。現在、子孫が日本で生活している人もいる。長い月日が流れ、2002年、カナダで行われたメジャーリーグ大会で忘れられていた彼らにスポットが当たる。元チーム朝日の選手たちが始球式に招かれたのだ。現在、彼らの名誉回復はなされている。バンクーバーにはチーム朝日の記念品などが大切に保管されているし、野球博物館にはユニフォームが展示されている。
 最後に本ドキュメンタリーとは関係ないが、移民たちの中には名誉回復を獲得する為に、連合軍側の兵士として太平洋戦争に参戦した人たちもいるそうだ。彼らは最前線に送られ、激戦の中、多くの戦死者を出したと言う。日系アメリカ人と同じ話がここにもあった。


《2010.03.07》
派遣法改正は福音となるか?
 どうやらNOらしい。5日に放送されていたニュースの深層によると、そもそも経済成長が大幅に鈍化した結果、労働市場が変化した事が雇用問題の原因であって、単純に派遣労働を禁止しても正社員需要が増える訳ではないという。そう主張するのは、国際基督教大学教養学部の八代尚宏教授である。氏によれば派遣対象業種が小泉政権下で大幅に拡大される前から、実質的な非正規雇用者は少なからずいたのであって、あの法改正によって非正規雇用者、特に派遣労働者が格段に増えた訳ではないのだそうだ。その根拠は次の統計である。

 見ると確かに派遣社員の占める%は増加しているが、それでもいわゆる非正規雇用の1/4程度であって増減数を見れば解るようにパートや契約社員なども負けず劣らず大幅に増加している。従って、単純に派遣を制限しても非正規雇用問題が解決するとは考えにくい。
 このように格別派遣社員が増えている訳ではないとすれば、では何故、非正規雇用がこんなに問題となっているのか。それは正社員の年功序列賃金体系に根源があるという。そもそも企業とは利益を上げるのが至上命題であって、何も今になって社員の給料を急に削り始めた訳ではなく、かつては経済が成長していたから社員の給料を払えていたに過ぎない。ところが経済成長が大幅に落ち込んで来ると社員の給料を抑えなくてはならなくなった。しかしながら正社員は安易に解雇は出来ず、給料をすぐに減らす事も出来ないので(早期退職や採用数削減ではカバー出来なくなって)非正規雇用者と若年層(新入社員)にその皺寄せが全部行っているのが現実である。その根拠がこの図である。

 図中、赤の矢印で示した所が正社員とそれ以外の最も格差のある部分である。新入社員の給料で見れば派遣も正社員もそんなに変わりはない。しかし中高年になるとその差は歴然とした物となる。明らかに経済成長がゼロに近づいている現在、この正社員の年功システムを何とかしない限り、企業経営は成り立たない事になるのである。
 問題は派遣法の改正でこれが解決するか、である。単に派遣を禁止しても解決しないのは明白である。本質は派遣そのものの禁止ではなく、企業モラルの低下にあるのではないか。安易な派遣切り(派遣期間が残っているのにクビにする)に対しては、契約期間に応じて賠償を義務づけるとか、正規と非正規での待遇に格差を付けてはいけないというような、当たり前の事を名文化し、違反した企業には強い罰則を設けるのがあるべきスジであろう、というのがこの八代教授の主張であった。
 ここで以下、辛口子のコメントを述べる。今、企業は非正規雇用者に色々と皺を寄せるだけでなく、正社員に対しても悪質な処遇を平然と行うようになっている。問題は複雑だが、例えば登録型派遣で問題なのは派遣会社の有り方にその問題の多くがあり、簡単に設立出来て罰則も曖昧という今の法律がそもそもまずいと言える。先日、朝日新聞の読者投書欄を読んでいたら、正社員採用で名目賃金が月18万でありながら、得体の知れない天引き項目が並び、実質手取りが1万数千円という会社の話が書かれていた。派遣会社もデータ登録料という名目で500円ずつピンハネしていた事が社会問題となった事があるが、その考え方が一般企業にも深く広まりつつあるという一面が見える。製造業メーカでは派遣社員の管轄は資材部であるとか、株主優遇を名目に取締役は大幅に給料を増やしているとか、派遣社員は社員食堂の料金が高いとかいう批判もある。しかし、こうした企業が堂々と殆ど違法的行為を行っているのを放置している事こそが最大の問題で、容赦なく摘発こそされてしかるべきではなかろうか。政治家の献金記載を云々言っている場合ではないのではないかと思う。
 一方でこの問題は、これまでは当然の事とされてきた「定期昇給」という考え方の転換も迫る。同一労働、同一賃金という公平性を維持する上に、経済成長が大幅に低下する以上、それは有りえないのである。そもそも、今の正社員という地位がそんなに左ウチワでもない。業務命令で転勤もしないとならないし、慢性的な長時間残業もある。これは、クビにしない事とのセットなのだそうだ。また、働く夫と専業主婦というライフスタイルも前提としたシステムである。共働きであったら転勤は家族崩壊にも繋がるのだが、これを終身雇用を考え直すと同時に、納得出来ない転勤に対しては拒否権を認める一方で、雇用側にはそうした社員を解雇は出来るがきちっと賠償する義務を負わせるような仕組みが求められるのだ。というよりも、本来、同一労働同一賃金とは、まさに能力主義の事であって、能力主義である以上年功賃金は有りえない話なのだ。
 つまり、小泉政権による派遣の大幅自由化は、もう一方のセットでこうした正社員の有り方にもメスを入れなくてはならなかったのである。しかし経団連や連合などの反対で(年功賃金の恩恵を最も受ける中高年正社員が反対するのは当然)、正社員の扱いについては全く同意が得られず、結局は弱者に皺を寄せる形で派遣法の改正だけが行われたのである。
 現在、貧困状態に陥る人たちの様子を見ていると、今まで勤めていた会社がつぶれたとか、何らかの理由で退社したあとに非正規雇用の泥沼に陥った例が多い。つまり一度職を失うともう一度職に就くのが非常に困難なのだ。ここに問題の本質があり、今回の派遣法改正では派遣労働で糊口をしのぐ道もふさぎかねないのである。アメリカでは会社の経営が傾くと社員をクビにするが、そこには明確な保障や順序のルールがあり、しかも次の職場をなるべく斡旋する。欧州では労働時間の短縮を行うが、元々同一労働同一賃金なので公平性が保たれるなど、こちらにも明確なルールが設けられている。日本はそれが極めて曖昧で、正社員の解雇が厳しく制限され、定期昇給が既得権益化している為に、雇用調整がしにくいから結局は非正規雇用(或いは女性)に皺寄せが行き、一旦仕事を失うと再雇用への道が極めて狭くなるのである。つまり、日本の場合は会社対労働者の問題ではなく、正社員とそれ以外の労働者との対立になっているのである。このあたりの解決は根本的なシステムの組み直しが必要となる。JALの退職者が企業年金の削減を受け入れざるを得なかったように、今の正社員も既得権益を抱えていると会社が傾いて共倒れになるという意識の転換が求められるだろう。
 また、これに関連して日本の法人税が高いので海外から企業が進出しないのだ、という単純思考の間違いも明確になるだろう。単純にこうした日本の法体系が、社員の能力主義を持込みにくくしているのだ。ちなみに確かに日本の法人税率はトップクラスだが、例えば欧州企業は法人税以外に社員の福利厚生に金をかける事が義務づけられている等、単純な比較は出来ない。アジアの諸国で非常に低い法人税率を設けているのは、成長段階にある国であって日本のような頭打ちになってきている経済状態では法人税の軽減が企業の活性化には繋がらない。大手企業が儲けて内部留保を増やすのは間違いないから、経団連の世論誘導であろう。そして国の税収を減らすだけで財政赤字を更に拡大する事になる。ちなみに国の経済が破綻したらどうなるか。かつての中南米の国々がそれを証明している。スーパーインフレである。インフレによって貨幣価値は激減するので、国の借金も激減する。それはどこに行くかというと、国民全員が負担するのである。パン一個買うのに数十万円が必要となった時、月12万の年金をもらって何になるのか、考えてみれば解るだろう。そうなった時に慌てても遅いのである。


《2010.03.05》
大臣たたきの裏
 下記事に書いた原口大臣への非難報道。実は理由が別にあったのだそうだ。あの上杉隆氏がリポートしているが(呆れた言論封殺に、姑息な見出し変更)、三月の1,2の両日、総務省主催の権利保障フォーラムというのが開催されていた。国民の知る権利を検討する場であるのだが、そこで新聞社や放送局の代表が相次いで「記者クラブは検討項目外にすべきだ」と発言したのだ。ちなみに事前に配布されたアジェンダ文書にはしっかり記者クラブ問題が検討項目として書かれていたという。
 さて、フォーラムの後、内容に関して原口総務大臣は例によってTwitterでコメントを発した。直接的な表現は避けながらも、記者クラブ問題については調査結果をそろそろ公表出来るという内容のものであった。これがどうやら既得権益にあぐらをかく連中にとっては面白く無かったらしい。その直後である。津波情報を流しただの(これが2日の掲載)、Twitterをしていて遅刻しただの(これが3日の掲載)という記事が大々的に新聞に出たのだ。ちなみに遅刻については詳しいいきさつは良く解らないが、通達がちゃんと行かなかったと言われている。つまり、穿って見れば官僚が記者クラブ仲間と示し合わせて必要な情報を敢えて送らなかったか、解りにくいように送っていた可能性があるのだ。そもそも委員会がその時に限って、8時50分という半端な時間に始まるというのも不可解と言えば不可解である(幾つか調べてみたが、大抵はキリの良い時刻に始まるようだ)。
 ところで、「遅刻するなど参院軽視だ」と噛みついたのは、あの舛添議員である。しかし、その前に審議拒否で全員「欠席」したのは自民党だし、そもそもこの舛添議員、言いたい事だけ言っておいて委員会を「早退」したのだそうだ。こういう話が大手新聞などに全く出ていない事は言うまでもない。
 なお、この一連の出来事でもう一つはっきりした事がある。放送局が許認可権を持つ省の大臣に対してこういう行為が出来るのは、許認可権を持つのが大臣ではなく官僚であり、その官僚と大手メディアが結託している(その場が記者クラブ)からに他ならないのだ。許認可は大臣名で与えられるが、実態は違うという動かぬ証拠がここにある。

《2010.03.02》
乳飲み子メディア
 チリで起きた大地震による津波が日本に近づきつつあった時、原口総務大臣は各方面にどういう注意を発令したかとか、どの対策チームに何を指示、という情報をリアルタイムにTwitterにアップした。翌日になってそれを新聞が掲載したが、驚くべき事に難癖を付ける風潮がかなり見られている。顕著なのが読売新聞だ。オンライン版では、いきなり記者会見で原口大臣が「軽々しくTwitterに流した事を釈明した」などと書き、大臣が記者会見ではそんな事を言っていないとTwitterにアップするとさりげなく「釈明」が「弁明」に変わった。更に記事本文には別の文章が追加され、災害放送を義務付けられている放送メディアをさておいてTwitterなどを優先させるとは何事か、というような論調となっていたのである。

 無論、記事に訂正が入ったという断りなどかけらもない。最終的に夕刊に掲載されたのは、この最後のバージョンのようだ。このあたり、詳しい経緯を江川紹子氏がブログでまとめている。この記事の中で原口大臣が語っている「もっと適宜適切に」云々の下りは、まさに先月最後の本欄に書いた、のべつまくなしに日本地図を出し続けるような無能極まりないやり方に関しての事ではないかと辛口子は解釈するが、この新聞社はそんな事よりも「俺達より先に情報出すなど勝手だ」とわめいているのである。これは言い換えれば、今まで一番先にお菓子をもらっていた子供が、突然、新しい弟が出来、そちらに先にお菓子が行くようになって駄々をこねているのと同じ理屈である。まさに、こういう手合いの知能程度たるや、このレベルだということだ。
 話は少し動くが、この1日と2日、NHKがBS-1で「アメリカで最も危険な男」という二回連続のドキュメンタリ(米国製)を放送していた。別にテロリストの話ではない。主人公はダニエル・エルスバーグと言い、かつて米国がベトナム戦争に深く踏み込もうとしていた頃、国防総省から機密文書を持ち出した人物である。それが新聞に掲載され、アメリカのインドシナ戦略が国民に対してはウソで固めた説明がされてきていた事が明るみに出、新聞社と政府との攻防、最高裁判所の判決などの紆余曲折を経て、最終的にウォーターゲート事件へと繋がり、ニクソン辞任、ベトナム戦争終結へと至った。そのニクソンや政府関係者の付けたニックネームが「アメリカで最も危険な男」だったという訳だ。何だかイラク戦争も非常に良く似たパターンだが、このエルズバーグ氏は高齢となった今でも平和運動に携わっており、彼の回顧という形でドキュメンタリーは構成されている。
 で、その中、特に印象に残っているのが、番組中でこのエルスバーグ氏の語ったフレーズだ。
人は自分に地位を認めてもらいたい時、或いは地位が認められている集団にとどまろうとする時、どんな事でもするんです
 まさに、例の小沢不起訴に至る検察官僚の暴走や、この読売新聞の「ボクを見捨てないで」記事など、これで説明が出来ると思う。ちなみに、ベトナム戦争当時のアメリカではメディアが政府と対決して反戦運動を繰り広げた。しかし、そのアメリカでもイラク戦争の時には政府の発表に迎合してメディアはフセイン批判を繰り広げた。日本でも小泉政権がせっせとアメリカのご機嫌伺いに精を出し、「自衛隊の行く所が非戦闘地域だ」などという珍解釈を堂々と国会で発言したのはまだ記憶に新しい。当時は言うまでもなく今でも新聞は政府を監視するどころか、全くのご機嫌伺いになってしまっているのが現実であるが、せっせと尻尾と振って来たのにその政府が自分を飛び越えてTwitterで情報を国民に流してしまったのである。恐らくはTwitterの何たるかも良く理解出来ていないのだろう。しかし、そこでの発言をウォッチだけはしており、慌てて記事を書き直してシラを切ろうとしたに違いない。これはアメリカの政権や世界情勢が変わっても、米国神聖論から脱皮出来ない多くの連中と同じメンタリティでもある。
 ちなみに辛口子はこの原口大臣の行為を全面的に支持する。ひたすらテレビ画面を占拠し、ただ点滅するだけの日本地図などより、具体的にどこで何メートルの水位が観測されたとか、どこで避難勧告を出したなどというリアルタイムな情報の方が、被災の可能性がある地域にとってどれだけ有用か計り知れないからだ。テレビどころか新聞では翌日にならないと「最新」情報が掲載されないのだから、災害に関する緊急情報については最初っから新聞など論外だ。その新聞というメディアの特質すら理解せず、今まで抱え込んでいた既得権益が僅かでも揺らいだからと文句垂れているのがこの読売新聞である。無論この裏には、記者クラブという官報癒着カルテルによって、ひたすら情報を与えられ続けた結果、思考停止になっているという事情もあるだろう。それが今、どれだけ国民生活に被害をもたらしているか、新聞自らがその一端を見せてくれたと言えるのである。

補足:先月28日の件について、NHKに苦情メールを出したところ返答が来た。映画劇場については再放送の予定はないが、現場に本意見は回したい、又、災害放送については義務でもあってやむを得ない、というような優等生的回答であった。まあ、局としてはメッセージ送出を命じられれば従うしかないので、それ以上文句を言っても仕方がないだろう。やはり、それを命じる官僚の責任転嫁こそが、根本的な原因であろう。なお、NHKサイトのご意見欄でメールを出す時は、Win環境のIEを使わないとうまく行かない事があるようである。情けないシステムである。


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