一刀両断ミニコラム
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《2008.07.23》
名ばかり管理職のいろいろ
 マクドナルドやファミレス、コンビニなどの業界が有名になったが、大阪の市民団体によると、大企業などでもいわゆる「名ばかり管理職」が横行しているという。一般に管理職というと、課長あたりから上が該当すると言われる。法的に決められているのではなく、慣習としてそうなっている。調査によると部長以上とか役員以上という所もあったらしいが、殆どが課長以上である。
 厚生労働省の通達では、管理職とは「労務管理などで経営者と一体的な立場にある者」との事なので、殆どの企業の管理職はこれに該当しない事になってしまう。逆にこの通達に忠実に従うとなると、殆どの社員は非管理職になるだろう。管理職というのは組合員ではないということでもあるので、組合運動が盛んだった頃に何とかして組合の勢力を削ごうとしてこうした慣習が出来たのかもしれない。
 ところで、これは民間会社の話である。先日読んだ「独身手当(東洋経済新報社)」という本には役所の管理職の話が出てくる。それによると、役所では民間とは別の意味でこうした「名ばかり管理職」があるらしい。特に分かりやすいのは「○○補佐」という役職であろう。例えば課長補佐というのは課長の権限はない。給料だけは課長なのである。公務員は基本的に極めて厳格な年功序列である。そこで同期の一部だけが出世して給料が上がると、人間関係が悪くなりかねないので、余程の問題でもない限り(具体的には上に睨まれない限り)こうした形で給料面では自動昇進させるのだという(これは公式な見解だ)。
 民間と公務員ではこのように名ばかり管理職の目的が180度違う。前者は残業代を削る目的が大きいと言われるが、後者は明らかにそうではない。これは「金を稼ぐのが目的の組織」と「金を使うのが目的の組織」との違いであろう。政府が従業員1000人以上の民間企業を調査した所、係長以上は全従業員の15%程度だったそうだが、国家公務員では38%、地方公務員では何と60%以上が課長クラス以上なのだそうである。地方公務員では特に小さな町などで人員構成が少数な事もあり、こうして管理職が増える事となるのだそうだ。しかも地方公務員では部長クラスになると個室がもらえるらしい。かくして、部下の様子など分からずに個室でテレビ鑑賞や雑談をする部長クラスの下、部下は部下で雑談と私用に明け暮れるという構図となるとのこと。本によると、日本人一人あたり、年間60万円ほどをこうした公務員の給料として負担している計算になるそうである。

《2008.07.20》
iPhoneは電話か?
 相変わらず供給不足というか、殆ど供給されていないiPhoneである。11日に出荷された台数は、どうやら全国で25000台程度だったそうだ。ソフトバンクショップが全国に2700店あるそうだから(量販店はこれとは別)、1店舗あたり10台も出回らなかった事になる。19日に第二陣が出たようだが、これは11日より更に台数が少なかったようで、少なくとも辛口子の所には朗報は届かなかった。田舎(というか地方)では逆に入手出来たという声があるようだ。
 さて、供給不足とは逆に、あちこちのメディアではこのiPhone記事が賑やかである。使用レポート、分解写真から混乱を招いたソフトバンクの目立ちたがり商法に対する批判もあり(至極もっともである)、そうした中で紙媒体で大体共通する視点はこのiPhoneが日本の携帯市場にどういうインパクトを与えるか、であろう。その記述傾向は驚くほど一定している。どれも革新的な仕掛けは多いが、オサイフやワンセグ等に慣れた日本の携帯ユーザにはあまり受け入れられないだろう、という内容だ。
 辛口子としては、こうした論評に敢えて異論は唱えないが、そもそもサイフ機能だのワンセグだのは最初っから全く評価などしてなどいない。サイフ機能に使われているFelicaはセキュリティが極めて危ういと言われているし、ワンセグに至っては地デジ絡みで急に浮上したやっつけ規格に過ぎないからだ。実際に使った事はないが、例えばワンセグなどビルの影や屋内、電車の中などでの安定した受信は、技術的見地から見ても望めまい。日本のユーザに受け入れられているのではなく、あらゆる機種に搭載されているから買う時に事実上選択の余地が殆どないだけの話である。これをもって普及しているなどと論評する段階で、記事の信憑性は大幅にマイナスというべきだろう。
 もともと、冷静に考えてみればこのサイフ機能やワンセグなど、電話機能とは何も関係ない。例えばスタンドアロンのワンセグ受信機にサイフ機能が付いていたって何の不思議もない。電話と一体でなくてはならない理由など何もないのであって、常に本欄の指摘するまさに「蛇足」技術に他ならないのだ。
 ところが、こうした記事を書くライターがそういう視点で携帯電話というものを見ないので、iPhoneは電話に各種アプリを搭載したものでは「ない」事に気がつかない。だから蛇足技術と比較して普及するかどうかなどと判断してしまうのである。ここが根本的に間違っている。
 一言でいうならiPhoneはネットに繋がった情報端末なのである。携帯電話網を利用するので、そこに電話機能が付いているに過ぎない。順序が逆なのだ。PALMという情報機器がある。PDAと言われた製品の代表だ。これは基本機能としては最小限の物しか搭載せず、あとは各種アプリを民間が開発して、ユーザはそれらから好みの物を選んで搭載、自分の用途に最も適合した機械とするようなコンセプトで作られている。最初っからお仕着せの蛇足技術満載の代物を押しつけるビジネスモデルとは180度違うのだ。iPhoneもこのPDAの流れを汲むと見る事が出来る。
 ここでPDAでは基本的に必要なデータは本体に搭載していないといけないのだが、iPhoneでは必要なデータはネットから持ってくる事が出来るという点で大きく異なる。PDAもWiFiは搭載していたから、無線アクセスポイントを使えばiPhoneと似た事は可能に思えるが、アップルはMobileMeという仕掛けを用意、自前のMac環境と情報のリンクをほぼ自動的に行えるような環境も整えた。これがアップルのアップルたるところだろう。こうした一つのシステムの端末として機能するのが、まさにiPhoneなのである。PDAなど使いこなした訳ではなく、単にガラパゴスと言われる日本独自に進化した(ごちゃごちゃと不要な機能ばかりが増えた)携帯を基準だと思っているライターには、こうした物の見方など浮かぶ筈もない。
 従って、iPhoneは移動しながら常にネット或いは自分のマシンとの間でデータ参照を行うようなライフスタイルを持っているユーザには、圧倒的に支持されるだろう。着メロだの絵文字メールだのという幼稚な仕掛けで満足しているユーザには、最初っから猫に小判のシステムなのである。すなわち、iPhoneと日本の携帯電話とは、そもそもユーザの層が異なるのだ。今まで、iPhone的な物を求めていたユーザにとっては、既存の携帯電話で我慢するか、小型ノートPCにPHSでも繋ぐしか無かったのであり、そこに現れたのがiPhoneなのである。従って、そうしたユーザは携帯電話を見放してiPhoneに移るであろうし、着メロを有り難がり、猫の額のような狭い画面で喜んで小説を読むようなユーザ層には、猿に電卓が無意味であるのと同じ理屈でiPhoneは受け入れられないであろう。
 そんな事はアップルは百も承知でこの製品を作っているのであり、システムを用意しているのである。だから、将来的にiPhoneがシェアを何割取るかなど大した問題ではない。この製品でないと我慢出来ないユーザを着実にキャッチ出来ればそれで充分なのである。それを単純にシェアがどうなるとか、販売台数がどれだけになるとか、ソフトバンクがどれだけ儲けるかとか、そういう視点でしか物を考えられないのが日本のメディアであるというだけのことなのだ。
 また、かような仕掛けであるので本来、iPhoneが携帯電話キャリアにこだわる必然性はない。たまたま広い範囲で電波を飛ばしているとなると、今は携帯キャリアしか無いというのが理由である。キャリアに頼る以上、携帯電話機能は搭載しないと携帯キャリア側も承知はしないから電話が付いているのだ。3G規格を使ったのも、世界に広く展開する以上、どこの国でも普及しているという条件を優先したからであろう。仮に、無線によるインターネットサービスを行う事業者が各国に増えたならば、iPhoneは間違いなく次世代機種でそちらにシフトするに相違ない。電話機能などSkypeを搭載すれば済む。
 今、欧米ではスマートフォンというシステムが増えつつある。携帯電話の方からPDAに近づきつつあるような製品だ。独自の進化を遂げた日本の携帯電話は、そうした環境の変化に追従出来るだろうか。i-modeをせっせと持ち上げてきたメディアは、今、全く静かになった。ヨーロッパやオーストラリアで採用されたとかいうニュースのその後はどうなったのであろうか。自分の頭で考えないという日本のメディアの特性だけは、しっかりと保たれているようだが。

《2008.07.19》
5000円の謎
 NECがテレビに付ける地デジ用アダプタを5000円で発売するメドを立てたと報じられている。B−CASカードに3000円も必要では不可能じゃないか、という辛口子の見解は今でも同じである。もしかすると2000円で全回路とケースなどを実現出来るメドが立ったのかもしれないが、テレビゲームか何かのように関連グッズで元を取る仕組みは考えられない以上、これだとすると赤字覚悟で政府に恩を売る作戦ということも有り得ない訳ではない。
 しかし、もっともありそうなのは、B-CASカード廃止を睨んだB-CASレスのチューナではないかということであろう。B-CASカードが3000円というのは再発行の価格なので、一次使用の値段はもっと安いという事で、事情を考慮した「破格の値引き」が実現したのかもしれないが、だとしてもそれならそれで、今まで一般消費者が払わされていた金額は何なんだ、ということになる。
 日本のメディアがおよそ消費者向けの顔を持っていないのは、通り一遍の主催者側発表をコピーするだけで、このように事情を裏まできちっと掘り下げた記事にしないことでも良く分かる。今月号のFACTA誌に、新聞発行部数が大幅に減少しているという記事が掲載されている。経済に詳しい日経を別にすれば、朝日も読売も特に毎日も部数低下が著しいのだそうだ。さもありなんであろう。FACTAには出ていないが、同じ理屈はテレビ放送にも言えるのではあるまいか。

《2008.07.15》
愚メディア
 NHKが今月末より、アナログ放送テレビ画面に「アナログ」の文字をず〜っと出し続けるのだそうだ。間もなく終了ってなテロップも時々流れるのだという。たかが震度2や3の情報が出てくるだけでもうっとおしいのに、今度はこんな代物が視聴を邪魔するのだ。それにつけても思うのは、こうした放送界に鎮座する連中の知能程度である。よっぽど嫌われる事でしかおのれのアイデンティティを示せないらしい。こんな事をしたらますますテレビ離れは加速、視聴料不払い運動が再燃するであろうに。
 人気アニメに「反逆のルルーシュ」というのがあるが、あれも番組冒頭に面白いテロップが出る。何でも、「最近インターネットに不法に流す事態が頻発しております」とかいうような内容である。これも傑作の部類に入るだろう。これを見たら、誰もが「おお、ネットにも流れているのか」と興味を持つ事請け合いだからである。
 少しは危機感が生まれてきているのか、コンテンツをネットに向けて公開する動きが出てきたと思ってたら、ネットというのはそもそもグローバルであるから面白いのに、IPテレビの実用化に向けて県境でパケットを遮断する技術を開発したと誇らしげに発表している。こうなると精神異常とでも言うしかない。MRIで測定したら、恐らく本能を司る部分以外には血液が流れていないのではなかろうか。
 B-CASカードの廃止が真剣に検討され、B-CAS会社のいかがわしさも伝えられ、段々と既得権益の外堀が埋められてくる感覚に、浮き足だった関係者には既にまっとうに物を考える能力すら失われているようだ。第二次大戦末期の日本政府と軍の行動に驚くほど類似する。問題は、これが「進駐軍の上陸」ではないことであろう。このままなし崩し的に強引なデジタル化が推し進められ、貧困者対策に2000億円かその数倍が使われ、プロテクトのお陰で日本市場は世界から取り残され、消費者はバカ高い録画機とテレビを買わなくてはならなくなる上に、放送業界がこけたら後生に残る傑作な歴史が作られる事になる。
 デジタル化投資のお陰でテレビ局は制作費にその皺を寄せている。どんなに無能でも40歳で年収2000万という自分らの給料は絶対に手をつけないのだ。だからここ数年の番組を見ていると、とにかく制作費のかからない物ばかりが目立つようになった。安く上がるバカ芸人を使い、その後にはテレビに出られるなら何でもいいという素人を並べる馬鹿騒ぎのバラエティが番組表を賑わせる。このまま、このメディアが崩壊してくれるならそれもいいが、こんな状態で生き残るようであれば、文字通りの日本沈没であろう。gooと言えばネットでかつて脚光を浴びたドメインだが(googleではない)、日本のメディアには「愚」という文字こそふさわしい。

《2008.07.13》
iPhone抱き合わせ販売
 OSXハッキングコラムの283回が、iPhoneの解析記事を掲載している。その中で、購入に当たりショップで【ソフトバンクキャッシュカード】と【Wホワイト】を強制されたと書いている。横浜のショップだそうだ。言うまでもなくソフトバンクは事前に購入プロセスを明確に発表しており、この強制は明らかにそのプロセスから逸脱している。つまり、客の足元を見た「抱き合わせ販売」であり独占禁止法の19条違反である。こういう事をオフィシャルな販売店がやるとは、まことにもって言語道断と言うしかない。
 会社がそのように指示をしたというならともかく(ちなみに関東近辺のソフトバンクショップは、ベルパークという会社が展開している)、ソフトバンクが公式に購入方法を発表している以上、おのれの保身と点数稼ぎの為にその店の責任者あたりが部下に指示したというのが実態ではないかと推測する。
 こういうケースに遭遇した場合には、これが違法である事をきちっと追求しよう。さもないと一方的に不利な契約を押しつけられる事になる。それで売らないなどと言ったら、それこそ言質である。ちなみに、こういう時に有効なフレーズを幾つか紹介しておこう。
 まず担当者に向かって「責任者を出しなさい」で始める。どこか別の場所で、と言われても動く必要はない。そういう事を言ってきたらそれこそ表で堂々と言えない事だと認識している事の証明だ。そして責任者(どうせ店長あたりだ)が出て来たら、次に「直属上司の名前を言え」と迫る。このフレーズ、せっせと上司にゴマをするタイプにはテキメンに効くから覚えておくとよい。そして、それに続いて「内容証明によって御社の総務部宛に抗議する」と宣言する。営業妨害などと言ってきたらしめたものである。「そうか、騒ぎが大きくなっていいのだな」で良い。相手は違法である事を認識しているのだから、揺さぶりようは幾らでもある。最後に公正取引委員会に申し出る事も加えたって良いであろう。
 こんな奴の保身の為に一般消費者が犠牲になる必然性などかけらもない。違法行為は違法行為なのだから、堂々と追求しよう。他の客がいたら、そこにも聞こえるような大きさで声を出す事も重要だ。尚、面白がってやってはいけない。根拠無しとなったら営業妨害(威力業務妨害)となる恐れがあるので注意。

《2008.07.11》
iPhone販売狂想曲
 原宿では1000人並んだとか報じられているが、恐らくは全国どこのソフトバンクショップでも、規模は違えど待ち行列が出来ていたようである。辛口子も地元の販売店他少し足を伸ばして2軒ほどを探ってみたが、どこも開店と同時に、

 本日の整理券は終了致しました
 次回入荷は未定です
 予約は承っておりません

 という張り紙があったので、開店前から行列が出来ており、慌てて整理券を発行したに相違ない。開店に合わせて店に足を運んだ辛口子は完璧ないい面の皮となった次第である。朝、暗いうちからでかければ何とかなったのだろうか。
 これは店に責任がある訳ではない。ソフトバンクの販売方式に問題がある。つまりソフトバンク本社の責任である。最初っから、iPodTouchのように、オンラインでの予約注文を受け付けていたら、こんな混乱は起きなかったに相違ないからだ。どうせソフトバンクショップに出向いて身分証を提示し、アクティベートを受けなくてはいけないのだから、一人で幾つも注文しても無意味であろう。それこそ、販売に関してはアップルに丸投げをし、ソフトバンクは店で待っている方法もとれた筈で、それにも関わらず何が何でも店頭販売にこだわったというのは、ユーザに列を作らせて一緒にマスコミの写真に収まろうという、孫正義氏の子供じみた願望だったのではないかと陰口を叩かれれても仕方あるまい。
 厄介なのは、店に問い合せても次回入荷予定が未定であるばかりか、予約受付も出来ないと言われる事である。入荷したら連絡をもらえないかと聞いても、それは出来ないという返答であった。つまり、ユーザは手に入るまで毎日のように店に問い合せるか出向いて入荷を確認しなくてはならないという事である。およそ顧客というものをバカにした対応として、これを凌ぐものは考えにくいほどのシステムで、ソフトバンクという会社のイメージ、今回の騒動でかなり落ちたのではないのだろうか。独占販売の弊害という奴である。
 なお、iTunes経由でAppをゲット出来るようになったが、iPod Touchユーザは有料のアップデートが必要である。iPhoneをゲットしていれば、これは無料になるらしい。こんな所でも「時間を守って店に出かけた正直者がバカを見る」のである。


《2008.07.09》
不正行為とゲーム理論
 カラスの鳴かない日は無くても、不正行為が発覚しない日はないと言っても過言ではない位、この手のニュースが日常茶飯事化している。大分の教育委員会に見る、上から下まで腐りきった実態は呆れる他はないが、元々教育委員会などという組織は良識もヘッタクレもないのであって、校長の人事権に口を挟んで綺麗事を並べる以外、目立った業績など殆ど上げていない所であるから、何を今更という気になる。今回の採点不正操作も長年にわたって行われてきていた「慣習」だそうだ。
 この手の小ずるい奴は別に昔からいた訳だが、最近の報道では組織的な不正行動が非常に目につくのが特徴ではないだろうか。このきっかけとなったのは、姉歯事件ではないかという気がする。この事件、姉歯建築設計士に発注をしたヒューザーなどの建築会社も罪を問われたが、きちっと調べてみるとそもそもヒューザーの立場では設計異常を見抜くなど至難の業で、本来なら責任を問われる筋合いは無いのだそうだ。では何故起訴され、会社も存続の憂き目になったかというと、こうしたシステムを構築して押しつけた旧建設省方面に責任が及ぶのを避ける為だったと言われる。
 言わば国の中心が責任逃れと不正行為の隠匿に走っているのだから、日本全体がお上に習えをするのは当然ではないか。官僚不正などよほど運が悪くなければ、通り一遍の訓告や戒告程度で済まされるのが現実である。むしろ、国の方針に異を唱えるような、心ある官僚が罪を被されて放逐されている傾向すら見てとれる。
 ところで、こうした不正行為が一向に減らない理由について、面白い分析が可能である。日経サイエンス最新号(2008.8)に「ドーピングは何故なくならないか」という論文記事が掲載されているのだ。スポーツのドーピングによる損得勘定をゲームの理論を使って明解に解析したものである。ゲームの理論などというと難しそうな印象を受けるが、理屈は簡単で、

1. 自分以外の全員が不正行為をしている
2. 自分以外の全員が正しい事をしている

 のそれぞれについて、自分も不正行為をした場合とそうでない場合、どれくらいのリスクがあるかを計算するというものだ。結論は極めて当り前なところに落ち着く。「バレ易いか」と「バレた時の損失はどのくらいか」で決まるのである。この記事では最終的に、不正行為の摘発確率を高める事が極めて有効であると結論を出している。
 すぐ分かるように同じ理屈は、最近非常に目立つ企業や組織の不正行為が何故行われるかも説明する。「バレる訳がない」という理由で実行し、バレても記者会見で頭を下げればいいだけだから「損失などたかが知れている」と見るのである。罰金を強化するだけでは不正行為は無くならないという事が良く言われるが、これはこの意味で半分正しくて半分間違っている。不正行為が明るみに出なければ、罰金が課せられる事もないからである。即ち、不正行為がなくならないのは、その罰則が非常に甘いからという当り前の事になり、この甘いルールを変えない限り、不正行為は収まらないというのがゲームの理論による結論となる。
 この論理によるとルールを見直すとしたら、重要な事はとにかく不正行為をとことん明るみに出すのが第一で、罰金についても容赦なく課すのがそれに続く。日本では刑法上、不正所得と罰金額との間に関連がない。米国のように不正所得の3倍というような厳しい罰則を課しても不正行為を行うのが無くなる訳ではないというが、日本の刑罰がこの面では甘いのは間違いのないところであろう。官僚に関しては情報公開を徹底させるしかない。今の情報公開法は実効が乏しく、国会議員が請求してもしらを切る程罰則が無いし、例え書類を出してきても殆ど黒塗りが珍しくないからだ。この意味でも政権交代はさせてみるのが正しい。駄目かもしれないが今のままではこれは絶対に改善されない。
 ところで日本の場合、民間の不正行為にはこうした刑法上の罰則に加えて、何より社会的制裁が効いてきた。企業の存亡に関わるのだ。しかし雪印のように傾く会社が出て来ても、吉兆のような会社は後を絶たないのを見ると、そうした効果は非常に弱くなっているに相違ない。そして更に甘いのが役所かそれに密接に絡む組織である。大分県の教育委員会が上から下まで腐りきっていると報じられているが、最終的にどの位の罰則が与えられる事だろうか。相場は200万であるなどと言って集めた金に対して、その数倍の罰金が課せられる事など絶対にないと思って良い。まあ良い所で逮捕された要領の悪い奴が罪を一身に背負って、リストにチェックを入れたというような悪玉は素知らぬ顔をするあたりで落ち着くのであろう。
 こうした「センセイ方」に相場の金を渡して自分の馬鹿息子を職に就けようとする親がいるのが問題という指摘はあるが、そもそもそれは昔からそういうものである。溺れる者はワラをも掴む。どんな卑劣な手段を使おうと、ゲットしちゃえばオレの勝ちってなのが人間の本質である(でないなら戦争など起きない)。だからこそ、組織の側はそれを受け付けないように厳しく律しなくてはならないのだが、かような具合に国の組織が倫理崩壊を顕著に起こし始めたのは、小泉政権からではないかと思う。口八丁の見栄張り男を首相にした効果は、こうして今、全国津々浦々にまで着実に浸透しつつあるのだ。だとするなら、この傾向、まだまだ続くに相違ない。


《2008.07.04》
地デジ混迷のいきさつ
 何やらダビング10という混乱の上に不可解を重ねるようなシステムが始まったが、これですら何だかんだとスッタモンダの末であった。一体この訳の分からないデジタルテレビなるものが、如何にしてこのように混迷したのかをここのところずっと調べていて、ようやく全貌らしきものが見えてきたのでまとめてみたい。無論、幾つかの書籍やあちこちのWebサイトなどを参考にしているものの、関係者を尋問して裏付けを取った訳ではない。しかし、これらのいきさつを頭に置いて、この混迷ぶりを見ていると殆ど説明がつくように思うので、大筋では間違っていないであろうと確信している。(以下、長いので念のため)

 さて、そもそものきっかけは、米でデジタルテレビを始めるという話が出た事だった。次世代テレビとして提案されたのだ。これで慌てたのが日本である。それまで日本はいわゆるNHK型ハイビジョンを次世代テレビとして世界標準にしようと長年画策してきたからだ。確かに高精細テレビとしては日本の技術は世界唯一と言って良いものであったが、いかんせん高精細である以外には何もメリットの無いものでもあった。MITメディアラボのネグロポンテ所長が語った「ハイビジョンなどただ綺麗なだけのテレビであって、何も革新的なものはない」というフレーズが有名である。
 つまり、欧米の側から見ると、画面が細かい以外に何もない物を世界標準にしてまたも日本に市場を席巻されてはかなわん、という思惑があったところに、丁度デジタル技術や機器が進歩してきた事から、これを使えば新しい、文字通り「次世代」と言うにふさわしいテレビになると考えたとも言えるであろう。
 一方、日本にしてみれば、突然降って湧いたようなデジタルテレビの話に乗り遅れたら、今度は逆に世界から取り残されるという焦りが生まれた。そこで日本でもテレビをデジタル化しようという話になった。ここで衛星放送のデジタル化など色々と枝葉が出てくるのだが、それは省略して地上波だけに話を限定してみると、要するにデジタル化するからには視聴者もそうだが(ここは官僚にとってはどうでもいい話だ)、何よりも放送局の側が設備を殆ど一新する位の投資を必要とする。ところが放送内容は従来と変わらないのだから、特にスポンサー収入が増える訳でもない。そんな話をどこのメディアも納得する筈がなく、その費用をどこから捻出するかというのが重大な問題となった。
 ここで出て来たのが恐らくあのB-CASカードという仕掛けである。あんな代物を1枚3000円にしてしかもあらゆる受信装置(録画機も拡張カードも)に設置を義務化した。これだと1000万台普及すれば300億円の収入が見込める。だが、国が法律で強制するとなると国会で問題となりかねない。そこで一応民間会社としてビーエス・コンディショナルアクセスシステムズという会社を作り、そこに全ての発行手続きを管理させて、官僚側は「民間が勝手に始めた事だから政府は関係ない」と言い逃れる道を作ったのである。

  →ところが、ただの民間会社が自前の装置を国民に強制するなど、法的根拠はどこにあるのかという指摘が出た。しかも予想してた程にはデジタル受信設備は売れず、そうこうしているうちにこの会社は完璧な天下りの巣窟に成りはてた。この事を隠しきれなくなり、ついに最近になってB-CASを廃止するという答申が出るまでになっていて、見事な失敗という結末が目前となっている。しかも生活保護世帯や公共施設などの対策に2000億円(一説には1兆円)を更に注ぎ込むという。
 
 さてB-CASが思い通りに金を集めてくれないとなって、急に降って湧いたのがワンセグである。発端はこの放送局の設備費用やあちこちの放送アンテナなどの工事費用などに、今度は電波利用料を当てようと誰かが思いついたことだ。電波利用料は電波を発信する装置を所有すると誰でも負担する仕掛けで、実は最も金額が大きいのが携帯電話である。なにしろ台数が多い。しかもそれはまだ殆ど使い道が定まっていないという状態であった。そこに官僚が目を付けたのだが、こうなると反対したのが携帯電話のキャリアである。当然であろう、自分らとは何も関係ない所に金をバラまくのなら、こっちに寄越せと言う声が出るのは当り前なのだ。
 そこで官僚側が出したウルトラCがあのワンセグであった。携帯電話で地上波デジタルを見られるという仕掛けを作り、携帯キャリア側にもメリットがあるとこじつけたのである。

 実はデジタル放送を開始した頃には、デジタルとはハイビジョンであると政府側は盛んに宣伝をしていた。視聴者側にとって従来と見た目に変わらない放送を見る為に、テレビを全部買い換えさせるのは幾ら何でも無理だろうと考えた官僚側は、画質が綺麗になるとPRしたのだ。裏を返せばそれ以外にロクなものはないのであるが、それでもデータ放送だの何だのと訳の分からない仕掛けを色々とくっつけ、何とか国民に買わせようと盛んに宣伝をしたのである。効果は言うまでもあるまい。

  →思い起こせば、かつてクリアビジョンというのがあった。EDTVとも言う。従来方式のテレビを送る側が信号を工夫して、画質をかなり向上させたものであるが、全く相手にされずに何時の間にか消えた。実は第二世代EDTVにはハイビジョンが考えられていた。当時、何でもハイビジョンという宣伝に便乗して、フィルムカメラにもハイビジョンサイズなどという訳の分からない物も出た。これらの経緯から見て、そもそも画質が良いというだけで買い換え需要などある訳もない事は明らかであったのだが、官僚の頭にはメンツと沽券しか無かったのであろう。
 
 ハイビジョンなんて誰も魅力を感じなかったのだ。衛星デジタル放送推進協会というところが、1000日で1000万台普及というキャッチフレーズを振りかざしたものの、全国のCATV契約者を全て数えるというような強引な手段を尽くしても普及台数はおよそ目標から遠い所で惨敗したのである。地上波でもその傾向は変わらなかった。
 ここで注意。デジタル放送のハイビジョンとは、古くからNHKが開発してきたハイビジョンとは全く異なるもので、走査線数一つを見てもまるで違う。NHKハイビジョンは走査線数が1125本だが、今の衛星デジタルも地上波デジタルも1080本である。海外ではHDTVと言われている方式なのだが、それを自分らのメンツの為にハイビジョンと言い続けているのだ。ニュースなどで海外のコメンテータがHDTVと言っているのに、吹替えや字幕ではハイビジョンと置き換えているシーンなど珍しくもなく、よく恥ずかしげもなく出来るものである。

 ところでNHK型ハイビジョンについて少し復習をしておきたい。そもそもハイビジョンとはあの東京五輪が終わった頃にNHK技研で開発が始まった。目的は臨場感に溢れるテレビを作るという事であった。試合会場でオリンピックを見る時の感動と迫力を自宅で再現できないか、という訳だ。普通のテレビではどうしても窓を通して見ているという感覚を払拭出来ないのである。色々と試した結果、その為には視野を全部画面で覆ってしまえばいい、という事になった。となると、例えば縦が1メートル半、横が3メートル位の画面を手前1メートル当たりから見ればいい。ところがアナログテレビの放送では解像度が低すぎて、そんなに拡大したらアラばかりが目立って臨場感どころではない。そこでこの解像度をどの位までにしたら、充分な迫力が得られるかという試行錯誤の結果、あの1125本という数値が出たのである。
 これで分かる事は、ハイビジョンというのはそもそも巨大画面を間近で見ないと殆ど意味がないという点だ。しかしながら、テレビをそうして見るシチュエーションなど皆無と言って良い。飲み屋のテレビだって壁一面に映すよりも、部屋の隅に斜めに置かれているのが普通だ。寝室に小さなテレビを置くのなら、ハイビジョンなど全く不要である。例え居間に置くにしても巨大画面に貼り付いて見る人などおるまい。そもそもテレビというのは「ながら」視聴が普通である。本来の意味のハイビジョンはまさにホームシアターであり、その画面に集中する為のものだから本質的に代替するべきものではないのである。実際、被験者を集めてアンケートをとった所、普通にテレビを見ているような画面サイズと距離であれば、従来のテレビを走査線補完するだけでホンモノのハイビジョンと誰も違いを認識しなかった、という結果すら出ていたのである。
 ところが、官僚はとにかく目玉が必要だという事で、デジタル放送はハイビジョンだというゴリ押しを徹底させた。だから、衛星(BS)放送でもわざわざ普通サイズの画面をハイビジョンサイズにアップコンバートして流す(両脇が黒く空く)などという滑稽なシーンが続出した。それでも厚顔無恥で闊歩する官僚はハイビジョンに固執し、パイフレットを見ると巨大なテレビがリビングに鎮座して、それを家族が囲んで見ているというおよそ50年ほど頭がズレているのではないかというような絵がトップを飾っていたものである。
 ところが、それほどまでにデジタルはハイビジョンだとこだわっておきながら、ある日、一転して携帯用にワンセグを放送すると言うのだから、朝令暮改どころか出鱈目政策とでも言うほかはあるまい。そもそもワンセグの解像度など、従来のアナログ地上波よりも更に半分くらいな代物であって、まさに猫の額くらいの所に映す為のものに過ぎなかったのであるが、そこに流す放送は地上波と変えてはいけないなどと決めたものだから、今度は字幕が読めなくなり、ワンセグに合わせるとハイビジョンの方では巨大な字幕が出るという子供にも笑われそうな混乱になってしまったのが、今の状態なのである。

 ちなみにアメリカでは、この設備費用をどう解消したか。答は周波数オークションであった。そもそも放送をデジタル化すると、最も大きなインパクトになるのは実は周波数の有効利用が可能になるという点にある。電波はどこでも需要が高い。特に携帯情報機器が普及し、そこに使える電波の不足はどこの国でも大問題となっている。ところが、今のテレビ放送をデジタル化すると、必要な周波数帯域はおよそ1/3位になる。となると、余った所を売りに出す事が出来る。今のテレビが使っている周波数は、実は非常に有用なところであって土地で言うなら一等地であるから、そこを使ってビジネスを行おうとする会社があっという間に集まった。結果として政府が予想していた以上の金額で使用権が落札され、その金で放送局の設備や貧困家庭に配るアダプタなどの費用をまかなっても、まだ沢山余ったのである。
 つまり、欧米ではデジタルテレビとはハイビジョンを意味しないのである。通常の解像度を基本としている。無論、HDTVの放送もあるが、それは主に衛星を使ってそれを必要とするユーザに提供している。米国ではCATVが発達しているので、放送がデジタルになっても末端ユーザから見る限り変化はない。衛星放送を見るユーザも変わりはない。HDTVを見たければ、その時にテレビを買い換えれば良いのである。これに対して日本ではCATV会社が地上デジタル放送を流す場合でも、それをアナログテレビの受信周波数に変換して送ってはいけない事に役所はしている。何が何でも買い換えさせようという訳だ。ここの所は家電業界への配慮と思われる。

 では一体何故、日本ではこのオークションが出来なかったのだろうか。流石の官僚もこれに明確な言い訳は出来ないようだ。答は既得権益を侵しかねないからである。実は大きな周波数帯域を確保していながら、殆どそこを使っていない団体や会社が結構あるのだ。携帯電話が全部で使っている帯域よりも大きな電波をがっちりと握っていながら、そこには殆ど電波が飛んでいないという分野が少なくない。ところがそういう所には旧郵政省のOBが多数天下りをしていて、迂闊にオークションというシステムを認めるとそこに飛び火がしかねないのである。役人にとって、天下り先は命の次に大切な所である。そこに万が一にも不測の事態が起きる事は何としても避けなくてはならないのだ。
 かくして全てを一般消費者にしわ寄せする政策が次から次へと行われた。そこにB-CASカードを使ったコピープロテクトの話が加わり、ある日、突然視聴者は自由な録画が出来なくなった。この著作権保護というのも、よっく調べてみると既得権益の縄張り確保にその本質がある。
 一般にはネットに不法に流す奴がいるから、という事になっているだろう。では、放送局が自ら合法的に流したらいいではないか、という声に対しては「権利関係が複雑で」というお定まりの答が返って来る。だが、これは方便と言うべきだ。権利関係に問題の本質があるのなら、古い番組はともかく、新しい番組に関しては契約書を見直せば済む話だからだ。制作費のピンハネには熱心な癖に、何故放送局はこうした契約の見直しには及び腰なのだろうか。
 それは放送局には縄張りがあるからだ。中央キー局はあくまで首都圏に放送を流すもので、地方はあちこちに地方局があって、そこがその地方を縄張りとしてガッチリと握っている。ところが、ネットのパケットは県境などおかまい無しに流れていく。これが特に地方局にとっては認められないのである。何故か。キー局と地方局には系列はあるが、別の放送を行っているからである。例えばある地方局では、中央キー局が放送している番組Aを、一日遅れて放送していたとする。これは良くある事で、ある時間帯はTBS系、ある時間帯にはテレビ東京系の番組が流れているなど、地方では普通にある事だ。ところが、その番組が事前にネットに流れてしまったら、そんな番組にはスポンサーが付かなくなるだろう。まさに経営の危機(それでなくてもデジタル化で負担が重い)であって、そこに問題の本質があるのだ。

  →ちなみにこの仕組みを作ったのは、6.24の本欄にも触れたようにあの田中角栄である。当時、ちょっと東京から離れると、NHK以外の民放が1本か2本くらいしか映らない所はザラであった。民放局にもっと放送局を増やしてくれと言っても、設備投資が大変だからなかなかウンと言ってくれない。そこで角栄式に根回しをして作り上げたのが、地方は地方の局が独占というシステムだったのである。これは当時は優れた政策であったが、今となっては弊害になっている訳で道路特定財源と全く共通する。
 
 大体、ネットに流れるから問題だというなら、何故デジタル信号「全て」にプロテクトがかかっているのか説明が付かない。例えば仮に辛口子が番組のスポンサーだったとしたら、自分のCMがネットに流れるなど大賛成である。タダで宣伝が出来るのだ。それを例外無しにプロテクトするというこの一点を見ても、著作権保護など単なる大義名分に過ぎないのは明白であろう。欧米ではデジタル放送であろうと、一般にプロテクトなどかかっていない。特別な有料コンテンツであるような場合以外、こんな馬鹿な事をしてなどいないのである。
 このお陰で日本の消費者は高い装置を買わなくてはならない。B-CASの負担分どころか、この日本「独自」の仕掛けが非関税障壁となって、海外から安価な製品も入って来ないのだ。一例を挙げると、ブルーレイ再生専用機がある。米アマゾンには安価な製品が並んでいるが、日本市場には皆無と言っていい。それは日本が独自のプロテクトをかけているからだ。映画のブルーレイディスクとは違い、日本の家庭用録画機のブルーレイには独自のコピープロテクトがかけられており、しかも時折、電波などによるプログラムの更新を行ってそのプロテクトを変更しているのである。従って、海外からブルーレイ再生専用機を買って来ると、映画は見られるのに(日米のブルーレイはリージョンコードが同一)放送を録画したディスクが見られない。それに対処する為には、再生専用機が放送受信機能を持たなくてはならない。日本市場の為にそんな物を開発するメーカなどある訳がないから、そうした製品が日本に入って来ないのである。また、消費者も一階で録画したディスクを二階で見ようと思ったら、二階でも録画機能のある「高い装置」を買わなくてはならないのである。
 この一点だけを見ても、先日開始されたダビング10などという茶番が、まさに消費者にとって利便でも何でもない事が分かるであろう。放送の縄張り意識のお陰で、日本ではネットラジオも存在出来ない。iTunesのラジオを開いてみると、色々な放送局が山のように現れ、それぞれが音楽を流しているのを聴けると思う。そこ以外にも様々なサイトが存在する。米アマゾンに行くと、そうしたネット放送を受信出来る安価な機械が沢山ある。ところが、日本ではラジオにも縄張りがあるので、そうした放送が出来ない。受信機も売られていない。その一方で、テレビやラジオは音楽業界と結託して、まるで小学生の真似ごとのような質の低い音楽ばかりを流し、売れないとなると今度はスポーツ中継とタイアップし、放送中に挿入して視聴率の低下を招いているのだから、全く愚かという他はない。

 かくしてこのように辿って来ると、要するに日本では役人は天下り先の為に全てを考え、消費者は最も貧乏くじを引かされ続けているという構図であらゆる政策が説明されるのである。地上波放送局も既に巨額の設備投資をしてしまったから、あとは官僚の言いなりに「法律で決められています」を繰り返す。地上波テレビしか見ない、特に貧しい層などこれから更に色々と搾取されることになるのであろう。洞爺湖サミットでは「どうやって日本では反乱が起きないようにしているのか」と各国が日本に聞いて来る事だろう。先週、あのパックイン・ジャーナルがこの地デジ問題を取上げていたが、これを驚異的な快挙と言わなくてはならないのが現実である。
 先日、「独身手当(若林亜紀著、東洋経済新報社)」という本を読んだ。役人、特に上級官僚が如何にして甘い汁を吸うかの仕組みをこれでもか、という具合にまとめた本である。タイトルの独身手当とは、「妻帯者には色々手当が出るのに比べ不公平感を無くす」為のものなのだそうだ。「管理職になれない手当」なんてのもあるという。中国共産党も帽子を脱ぎそうだが、この本をめくりながらこうした消費者不在の官僚政治がこの地上デジタル放送をハチャメチャにしたいきさつに、改めて納得がいったのだった。

  →翌日に補足:上記のプロテクト問題。実は法的強制力はない。役所が指導した放送業界の内部規則に過ぎないからだ。だからフリーオを取り締まれない。放送信号にプロテクトをかけるビットが立っていると、録画機が信号をスクランブルするのが今の仕掛けである。フリーオは送られてきた信号をそのまま出して来るだけであって、暗号解読もやっていない。同じ理屈で、チューナによっては暗号化をする手前で信号を取り出せるものがあって、TS抜きと言われているがこれもどうしようもない。本来問題とされているのはコンテンツを不法に流す事の筈である。流している人間が何人いるのか知らないが、仮に1000人いたとしてもせいぜい全ユーザの0.1%である(100万台売れていたとして)。この場合も1000人に一人の為に残りの999人の手足を縛って良いという法的根拠など無い。更に放送内容全てが別ルートで有償販売されている訳でもないのだから、実害ですらかなり曖昧なのだ。ダウンロードしている側の心理としては、ただの時間差録画であろう。こう見て来ると、言われるままに偏執病的なプロテクトをかけ続ける日本のメーカは、自分の頭でコトの善悪を判断するだけの知能が無いという事にもなるのではないか。


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