一刀両断ミニコラム
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《2008.06.26》
自信なき地震予知
 山の一角が綺麗に抜け落ちるように動いた光景が鮮烈だった宮城・岩手内陸地震。被害状況は色々と報道されているが、殆ど伝えられていない重要な点がある。それは、この地域が「今後100年に渡って大地震が起きる確率はゼロである」と政府が太鼓判を押していた場所であることだ。
 そもそも、日本の地震予知が地震を当てた試しもゼロである。神戸大地震や北海道南西沖地震、柏崎原発が故障した新潟県中越地震など、いずれも予知など全くされていなかったどころか、危険地域としての指定すらない空白地帯であった。日本の地震予知連絡会が発足しておよそ40年、殆ど既得権益化し、毎年予算を消化するだけで、地震が起きるとその度に「予期せぬ事態」「観測網の一層の整備」と「観測体制の強化」を言い出すこの連絡会も、今回ばかりは流石に静かなようだ。
 日経サイエンス誌最新号(2008.8)の「いまどき科学世評」がこの問題を取上げ、これらの問題点の他にも、警報システムが何の役にも立たなかった点を強調している。大地震警報は、いわゆる地震波の「横波」が「縦波」より遅く伝わる事を利用し、強い縦波が来たら警報を出す事で横波の揺れが来るのに備えるという理屈なのだが、今回の宮城・岩手内陸地震では震源の深さが僅かに7kmだったので、事実上この両波が一緒に到達したのだ。元々、この仕掛けでは震源が近ければ何も役に立たない事など小学生にでも分かる理屈であって、それを如何にも素晴らしいもののように報じてきたメディアや政府の責任も考えなくてはなるまい。
 今回の地震報道を見ていると、神戸地震や新潟地震の時には盛んに解説された「断層の説明」が殆ど無い事に気づく。実は政府の地震研究推進本部(神戸地震の後、“予知”が“研究”と密かに変えられた)は、こうした活断層について調べる事で地震の予知が出来るのではないかという方針を立て、その調査に力を入れてきたのだそうだが、断層の説明をすると今回の地域について安全宣言を出していた事に話が及んでやぶ蛇になる恐れがあるからなのである。しかし、そうした安全宣言をまるであざ笑うかの如く、今回の宮城・岩手内陸地震が起きたのは誠に皮肉という他はない。つまり、大地震を予知出来る方策はこれまで莫大な人的資源と予算を注ぎ込んで来たにも関わらず、全くメドが立っていないのだと、今回の地震が完璧に証明したということである。これは政府の失態というより、地震予知がそれだけ難しいという事であるのだが、それをあたかも予知が可能になりつつあるかの如き説明を繰り返して来た姿勢は問題とすべきであろう。冗談抜きでナマズを飼うとか、ネズミがいなくなったら気をつけるというようなレガシーな手段の方が確実なのではないかと思う。
 ところで、何時も気になるのがテレビに現れる地震速報である。たかが震度2や3の速報を何故全国規模で流さないといけないのだろうか。画面に被ってうっとおしいと誰もが感じているだろう。地デジではデータチャンネルがあると高らかに宣伝しておきながら、結局のところ大地震の時にはテレビ画面が地震情報に占拠される点に変わりはなく、まったく消費者を馬鹿にしている。そのデータチャンネルも反応が遅い上にそもそも扱える情報量に上限があり、早い話がいざという時にどれだけ役立つかなど不明な代物であることは、ちょっと操作してみれば誰でも分かることだろう。IT国家を宣言したのは良いが、その実際がこれである。

《2008.06.24》
唖然3題
 最近のニュースから、相変わらず頭痛を誘発する題目を3つほど。
  • 心神喪失なら相変わらず無罪
     新聞を読んだ方ならご存じのとおり、2004年に乗用車を暴走させ2人を殺害、他負傷者多数を出した男に、第一審に続き第二審でも「心神喪失により無罪」との判決が出た。被害者にとってはやりきれない思いだろう。この話については以前も触れたが、刑法によると「刑法39条 心神喪失者の行為はそれを罰しない」という条文があり、それが根拠になっている。こうした条文は忠実に解釈されるが、公務員汚職などについては曖昧に解釈される。最近流行の終身刑についても、設けるかどうかを議論するのなら、この条文についての再考も必要であろう。
     心神喪失が罰せないとあっても、責任が無いとは書いてない。刑法学者は加害者の人権については饒舌となるが、無実の被害者については人権のジの字も語った試しがない。こういう学者の言うとおりであるなら身内が殺され、その犯人が無罪となって目の前を歩いていても当然だという事なのであろう。動物が人間に危害を加えたら間違いなく安楽死となる。心神喪失で罪の意識が無かったというなら、それは倫理観という意味で動物と同じだ。以前、あるスポーツ新聞に書かれていたが「罪が問えないというなら、即刻この世から抹殺しろ」という意見に、辛口子も同感である。殺さないまでも、少なくとも世に放つべきではない。大体、人を殺す時に平常な精神でなどある筈が無いというのが常識ではないのか。刑法学者の常識というものはまことに理解しがたい。
     ところで終身刑については賛否両論があると思う。最近、死刑が頻繁に執行されている事に対する批判もある。だが、日本の死刑制度について、その実態はあまり知られていない。死刑が確定した囚人は死刑囚用の特別な刑務所に入れられる。何時執行されるかは直前まで分からない。毎日、廊下を見回る看守の足音が響き、それが自分の部屋の前で止まったら執行である。その音に怯えながら何十年も過ごしているのだ。この精神的重圧はハンパではない。毎日が精神的拷問なのである。
     袴田事件というのがある。ビートルズが来日した年に起きた殺人事件で犯人だとされ、当人は無罪を訴えながら死刑が確定、今も執行を待っている容疑者の名前である。かれはもう何十年も死刑執行の音に怯え、今では精神状態が普通ではないと伝えられている。死刑と終身刑を考えるに当たり、新聞などに掲載される意見を読んでいると、こうした実態は殆ど知られていないようだ。

  • 地デジのゴリ押し
     今、改めて指摘するまでもあるまい。自力でデジタルテレビを買えない生活保護世帯などに対応する為、政府が2000億円もの税金を使うという話である。あれだけ大騒ぎになった後期高齢者医療制度によって「節約」出来る金額は、僅か800億円かそこらだと言われる。政府は変換チューナを一つ5000円で配るなどと言っているが、天下り会社によるB-CASカードの発行料が3000円だというのを知っているのか。知らない筈がない。つまり、この2000億円のうち、何割かはこの天下り会社に流れるのである。
     あまりに馬鹿げた話であって、この問題はまさに関係者の沽券の為に、全国民が負担を強いられているという構図以外の何物でもない。

  • IPテレビの規格統一
     この問題は規格以前の問題を持つ。基本的に日本ではネットによるコンテンツ配信が行われていない。著作権違反のコンテンツが多数ネットを流れていると声を荒げる放送業界だが、それなら合法的にきちっと流せばいいだろうと誰もが思うだろう。それが出来ないのが日本なのだ。何故かというと、ネットを流れるパケットは県境などおかまいなしに流れ、「地方局の領分を侵攻する」からなのである。これが本当の問題点だ。テレビだけでなくラジオも同じだから、日本にはネットラジオ放送局が事実上皆無である。
     何故こんな構図が出来ているのかというと、話は田中角栄まで遡る。当時、日本では少し地方に行くと、テレビはNHKと民放1本だけ、という所が珍しく無かった。もっと民放に地方へ出て行ってもらいたくても、コストがかかるからどの会社も乗り気ではない。そこで各地方に局を作りやすいように政策をはかり、その代わりその地方の利権は独占させるから将来も安泰だよ、という仕掛けを角栄は作ったのだ。道路を日本隅々まで造る為に特別会計を作ったのも角栄であって、当時はそうした政策は大いに意味があり効果も上げたものの、今になってその弊害が一気に出ているのが現実なのだ。つまり、今でも日本は田中角栄の影から抜け出せないであるのである。
     放送局は表向き著作権を持ち出しているが、そんな話はどこの国にもある。古いコンテンツの権利関係が複雑だというなら、新作コンテンツについては契約書に条文を幾つか加えれば済む話だろう。それが出来ないのは一重に上述のような「縄張りの問題」があるからだ。それを変えようとするには地方局を潰さないと納得させなくてはならない。それが容易な事ではないのは誰にも分かる。このあたりの構図が電波利権に繋がり、その利権がデジタル放送にプロテクトをかけさせ、そこに乗じて官僚が天下り会社によるB-CASカードというシステムを作り、国民だけが波を被っている訳だ。IPテレビの規格などが統一されようと、問題は技術の話ではない以上、見通しなど明るい筈がないのである。

《2008.06.19》
ブルーレイ課金反対の意味
 混迷するダビング10問題。北京五輪が近いということで、関係省庁、即ち文科省と経産省が歩み寄り、「ブルーレイに課金する事でどうか」と結論を出したところ、さっそく著作権団体側が揃って反対声明を出した。団体とは「実演家著作隣作権センター」や「JASRAC」などが並んでいるようだ。
 で、この「実演家著作隣作権センター」って何だろか、と思って調べてみた。オフィシャルサイトを覗いてみると、日本芸能実演家団体協議会や音楽制作者連盟、日本音楽事業者協会、演奏家権利処理合同機構、映像実演権利者合同機構が合体して出来たものらしい。主な業務はいわゆる著作権料の中継ぎのようで著作物二次使用料金、レンタルCDの徴収や、この問題を象徴する私的録音保証金を一括して分配するようなものとある。もっとも、サイトに出ている情報はこれだけで、組織構成や理事などのような話は全く書かれていない。
 これから察するに、前回このダビング10について触れた時(2008.5.22)にも書いた事だが、要するに所謂課徴金収入の減少(この5年間で42億円から28億円にまで減少)に危機感を抱いていて、ブルーレイに課金した位では「目減り分を補えない」と言っているのであろう。全ての録音・録画関係機器にもっと課金しろと言う訳だ。この程度の金額でもかような具合に「既得権益として圧力団体の活力源になる」のを端的に現わしている現象で、別の言い方をすれば道路特定財源のスーパーミニ版ということになる。
 何しろ、この課徴金という金はこの団体にしてみれば、何もしなくても入ってくる金額だ。分かりやすく言えば棚からぼた餅のシステムだが、それが年々目減りしたのでは美味しくない事おびただしいのである。反対声明を見ると「消費者の利便性の確保に最大限配慮する」なんていうフレーズが入っているが、主語が違うんじゃないのか?
 と、ここまで書いてアップしたら、著作権団体が一転してダビング10を認めたというニュースが飛び込んで来た。ただ、課徴金範囲の拡大は別問題として議論するという方針は変えないそうだ。最初っから別の問題を一緒にした点を突っこまれていたらしいので、流石にまだ面の皮が道路関係よりは厚くなっていないということもあろうが、そもそもこのままゴネ続けては裏目に出かねないと気づいたというあたりが真相に違いあるまい。

《2008.06.18》
モンサント
 表題にある単語は、米国の巨大遺伝子組み換え作物会社の名前である。6月14日にNHKがBSでこの会社に関するフランス製ドキュメンタリーを放送していた。ちなみに再放送は19日と20日の深夜にある。このモンサント社は強大な政治力を利用してアメリカだけではなく、世界各国で遺伝子組み換え作物を栽培させている。させている、のである。
 モンサントの戦略の典型例は大豆に見られる。モンサントの製品に強力な除草剤がある。ラウンドアップという。これを畑に蒔くと雑草が全く生えない。このままでは栽培すべき作物も生えないのだが、モンサントが提供する作物だけが遺伝子操作によって耐性を持つので成長するようになっている。この話を聞いただけで遺伝子組み換え作物の安全性について、誰もが疑問に思うだろう。作物の安全性だけでなく畑に蒔かれた除草剤のその後も不安になる。地下水に紛れたらどうするのか。これに耐性を持つ昆虫がよそに広めたらどうなるのか。
 モンサント社は昨日今日発足したベンチャーではない。創業は1901年というから、既に100年以上の歴史を持つ企業である。化学薬品メーカとしてよりも、有害物質製造メーカとして有名な会社だ。日本にとっても全く無縁ではないどころか、あのカネミ油症事件で大問題となったPCBを開発し大量生産したメーカである。ベトナムで奇形児を大量生産した枯れ葉剤を開発したメーカでもある。
 この会社は特に米国政府に深く食い込んでおり、驚くべきことに米国では遺伝子組み換え作物を使っている事を「商品に書いてはいけない」のだそうだ。しかもFDAにも影響力を持ち、製品の審査は不完全な上に、遺伝子組み換え作物だからと特別な安全審査はされないのだという。異論を唱えた職員は解雇され、実験データに異議を唱えた科学者には圧力が色々とかかったと関係者が証言していた。ある科学者がいきなり高額の小切手が送られて来たとも述べていた。
 モンサントは米国の大豆生産のうち、ほぼ90%以上を押さえている。こうなると影響は甚大で、僅かに残る非使用農家は使用している農家に囲まれる形になり、遺伝子操作をされていない作物を作れなくなっていくのだ。同じ事をモンサントはあちこちの国で広めている。遺伝子組み換えをしたトウモロコシの種を現地の畑に勝手にバラまき、現地で栽培されている原種に花粉を移して遺伝子汚染をさせているという疑いもあるという。どこかの国で反対運動が起きると政府トップに働きかけ、それを潰す。イギリスですら例外ではなかったそうだ。恐らく米国政府には、遺伝子組み換え技術で世界の食物市場を支配しようという意図もあるのだろう。
 この超強力除草剤ラウンドアップは、モンサントの宣伝によると植物以外には無害で、しかも自然分解するので環境に優しい事になっているが、それに対する反証は多数上がっている。そもそもが枯れ葉剤やPCBを開発したメーカである。その企業体質を考えれば、モンサントの主張は極めて疑わしいと見るべきだろう。食の安全については様々な運動があるが、日本では遺伝子組み換え作物について反対が多いものの、その実態については余り知られていないようだ。日本の大豆製品には「遺伝子組み換え大豆は使用していません」と書かれているが、そんな大豆をどこで調達しているのか疑問になる。
 モンサント社は中国でも勢力を伸ばしているが、このドキュメンタリーを見ている限り日本はまだターゲットにされていない。が、それは日本の大豆生産量など微々たるものだからに他なるまい。例えば日常出回っているアオクビ大根は全て米国の会社から種を購入している。これも遺伝子操作によって種が出来ないようになっているからだ。また、物価の優等生とも言われる卵についても、実はそれを生む鶏を殆ど全て米国の会社から買っている。日本人好みの卵を産むように交配された雛であって、その雛同士を掛け合わせると同じ卵を産まなくなるようになっているのである。
 日本の食料自給率をもっと上げろというのは簡単だが、その実現はハンパな覚悟で出来る事ではないとこうした状況を見ると良く分かる。何よりも、今の食料生産について、どこまでが国産なのかも怪しくなっているのである。また、このメカニズムを考えただけで、昨今、特に騒がしい地球温暖化と二酸化炭素単独犯行説がどこから来て誰が広めているのか、似たようなものを感じるのではなかろうか。

《2008.06.12》
秋葉原事件を考える
 メディアを見ていると、秋葉原殺人事件の報道が延々と続いているようである。ワイドショーなどは嬉々としてあちこち飛び回り「犯人の家の前です」などとやっていることであろう(見てないので想像)。最初は動機について、次は被害者の悲惨さをアピール、今は犯人の自供などが報じられているようだ。
 それにしても良く分からないのは、無差別殺人事件そのものが稀どころか最近になって頻発しており、北九州の駅に車で突入した事件もまだ記憶に新しいし、事件の凶悪さから言うなら佐世保の散弾銃乱射事件の方が遙かにたちが悪いように思われるのに、秋葉原事件ばかりが異常に取上げられているように見える点である。まあ色々とオタクの街として、先日も下着撮影事件がヤラセではないかなどと物議を醸した街でもあり、知名度という点では抜きんでているのは事実であろう。
 今回の事件、犯人がわざわざ上京して秋葉原で犯行に及んだのも、目立ちたかっただからに違いない。犯人の心理状態や動機については明白である。要するに、面白くないと駄々をこねる小児と同じであって、自分の不平不満をまっとうに表現すら出来ない鬱憤(うっぷん)がこういう形で爆発したに他ならない。ただ、一応は大人になるに当たって得た知識などをベースにするから、これまで類似事件が沢山起きている事も知っている訳で、ただ無差別殺人をしただけでは目立てないという計算をするのである。こういうレベルでは、人間というのは理性を司る部分ではなく、本能に近い部分できちっと計算ができる。例えば、ぐでんぐでんに酔っぱらっていても、酔っぱらいは絡んでも良い相手かどうかをちゃんと見切って絡むといわれる。火事で慌てて手近にあった枕を手にとって飛び出してしまうという良くある話も、こうした本能レベルでの価値観の判断が高い物ではないのを示している。目立つかどうかというのは、非常に原始的な価値観だから本能レベルで判断出来るのだ。
 こうした人間が続出してきている背景には、日本社会のアメリカ化があるのではないかという指摘がある。それに加えて辛口子風に言うなら、子供の権利などと言って勝手気ままにさせたり、差別用語とかでそういう言葉を言わないようになっている事もあるのではないかと思う。人間は生まれながらにして倫理観や善悪の基準を持っている訳ではないことは、オオカミに育てられた子供の話が証明している。生まれて間もなくオオカミに連れて行かれ、オオカミの価値観を身につけて育ち、思春期直前くらいに救出された子供は、結局人間の社会に馴染む事が出来ず、服は嫌がり礼儀作法は理解出来ずにストレスで間もなく死んだと伝えられる。「この馬鹿野郎、何を考えてやがるんだ」とどこかで一喝されていたら、この犯人は犯行に及ばなかったかもしれない。
 ちなみにオオカミというと、イソップ物語の為かあまり良い印象が持たれていないが、オオカミが家畜を殺したという話はあっても実際に人を襲ったという疑いようのない証拠は無いのだそうだ。オオカミは非常に家族を大事にする愛情細やかな動物であって、捨てられていた赤ん坊を育てたというのもその現れである。
 さて、秋葉原事件に話を戻して、相変わらずピントのずれた報道が乱立する現状を嘆いてみたい。まず、犯人が掲示板に犯行予告を書いていたというのは別に驚くべき事ではない。人間心理として、頭の中に「止めろ」という別の声があり、それが誰か俺を止めてくれ、という意思表示となって現れるのだ。掲示板をチェックしろとか、そういう発言を見つけろというのはネットという複雑な構造を考えれば無理な話で、むしろ逆にそうした場を意図的に設ける方が建設的だろうが、今の社会は何があると禁止しろの一点張りになるのも問題である。犯人がサバイバルナイフで犯行に及んだ事から、販売を規制しろという声もある。だが、その秋葉原で折りたたみナイフの販売が禁止になったのはずっと前の話であるのに、今回の犯行抑止力には全くならなかった。サバイバルナイフを禁止したって次の事件は別の刃物で起きるだけだろう。第一、それを言うならその前にトラックこそ禁止すべきではないか。
 また、小学校に男が侵入して児童先生を刺し殺した事件では、犯人に背を向けて逃げては駄目だという鉄則が指摘されていたにも関わらず、今回もそうした教訓は生かされずに刺された被害者が続発した。被害者にとっては悲惨きわまりない話だが、少しでもそういう予備知識を持っていたら何人かは刺されずに済んだかもしれない。海外で銃声がしてもぼーっと突っ立ってキョロキョロしてたら、それは日本人観光客であるという話があるという。このあたり、平和ボケと言われる日本の問題点である。
 犯人をテロリストと言うのは間違いであろう。何でもかんでもテロリストで片付けようという風潮も問題である。これがテロリストなら、世の中で起きている殺人事件は全てテロリストによるものとなってしまう。無差別殺人とテロとは違う。アメリカが自分に都合の悪い事件を全部テロリストのせいにするからこういう価値観が生まれるのだろうが、本来の意味でのテロリストというのは調査と計算の上に「核心点」を突くものだ。今回の件では秋葉原で無差別殺人をしたところで、自分の境遇が変わるという計算があった訳では無いのは明白で、要するにただ一番目立つ短絡的手段をとったに過ぎず、幼稚な知能程度の愚行以外の何物でもない。
 最後に佐世保の散弾銃乱射事件がその後あまり報じられないのは、精神異常者に安易に銃所持の免許を与えた公安委員会に話が及ぶのを恐れた見えざる圧力があるのではないかとも言われている事を付け加えておきたい。犯人は以前から近所では奇行の目立つ人物であったが、どうも警察はそういう事を調べもせずに書類を受理したらしいと、ある民放のドキュメンタリーが伝えていた。刃物は相手の間合いに入らなければ大丈夫だが、銃ではどうしようもない。この意味で辛口子は秋葉原の事件などより、こちらの方が遙かに問題度は大きいのではないかと感じている。

《2008.06.10》
iPhoneは売れない、のか?
 iPhone 3Gが発表され、日本でも何と7月11日に発売となるらしい。これは辛口子にとっても驚天動地であった。てっきり年末だとばかり思っていたからだ。恐らくはライバル会社を油断させる為の戦略で、辛口子もしっかりとハメられたらしい。
 さて、発表されたiPhoneのスペックと価格を見てみると、まさに惚れ惚れするような仕様である。GPSも搭載されたし、ストレージも16GBになった。辛口子が今使っているiPod Touchの使い勝手を見る限り、16GBというのは必要にして十二分な容量である。音楽や映像を充分に入れてもまだ半分近くの空きがあるからだ。
 これに対して、メディアに出てくる「専門家」の言う事は反対である。日本人は機能満載が大好きだ。カメラの解像度が低い。使い方が難しいほど評価される。とまあ、こういったところが最大公約数的であろうか。揃いも揃ってアホ揃いであろう。例えば、簡単携帯と言われる種類が根強い人気を得ている事など評価していない。機能満載が好きだと言うなら、満載ではない物と並べて売れ行きを比較してみなくてはならないだろうが、売り場に行けば、これでもかという位に機能を詰め込んだ製品だけが並んでいる現状で、機能満載が大好きもヘッタクレもあるまい。
 似たような話は幾つもある。例えば、消費者が買わないから曲がったキュウリを店頭に並べないというのは屁理屈である。単に曲がったキュウリは箱に沢山入らないという流通の都合だけに他ならないからだ。iPodが出た当時にも、これが売れる訳がないと酷評した向きは少なくなかった。もっと遡れば、あのSONYのウォークマンが社内では大反対に合ったというのが有名であろう。
 日本の携帯についてなら、機能満載と言う一方で、実際にその機能のうち10%程度しか一般には使われていないとも言われている。地デジ機能など実際に使ってみれば、電車の中ではロクに使えない上に街中でも受信状態などお世辞にも良くないらしい(辛口子は使った事はないので)。オサイフ機能に加えて、これでマンションの鍵にもなります、などと言うに至っては便利というより愚の骨頂であって、仮に携帯を落としたら家の財産を根こそぎ持って行かれかねないのである。頭のてっぺんから足の先までが脳天気に染まっているならともかく、普通のユーザはそんな物をオンにはしないだろう。カメラの解像度についても、普段は写メール機能に使うだけだから、解像度設定など誰もが落として使っている。先日、秋葉原で起きた連続殺人の時も、居合わせた大勢が携帯のカメラを向けたようだが、どれもそうした低い解像度であったようだ。
 では、何故日本の携帯はこうも機能を詰め込もうとするのだろうか。それは貧乏性だからである。別の言い方をするなら、ROMに空き容量が残っていると不安になるからだ。本当に優れた製品というのは、機能を沢山詰め込んだものではない。機能を詰め込むなど、さして技術も知能も要しないのだ。用途を明確に定め、如何にして必要にして最低限な物を絞り込むかこそが、英知というものである。つまり、日本の携帯電話は開発者側単純思考の都合で作られているのであって、iPhoneのコンセプトとは正反対と言えるのである。
 実際にiPhoneが日本でどれだけ売れるかは未知数だが、メディアに出てくる専門家と自称する連中が予想するよりは多く売れるであろう。一度でも使った消費者は間違いなく満足するだろうからだ。では、それで日本の携帯電話は変わるだろうか。こちらの答はネガティブである。日本のメーカは製品ラインというものを重視する。全く新しい製品ラインを投入するというのは、非常に大きなハードルだと考えるからだ。だからどの携帯キャリアの新製品を見ても、基本機能は変わりはない。入れ物が変わったとか、ランプの光が走るとか、ブランド名をかぶせるとか、そういう事しか出来ないのである。Macintoshが売れ行きを拡大しても、どこのメーカも相変わらず余計な「使いやすさ」を満載したWindows機を出し続けているし、そもそもiPodがヒットしても日本のメーカは高価で保護機能満載の手枷足枷だらけの音楽プレーヤを出し続けた。今回に限りその流れが変わるとは信じがたい。

《2008.06.08》
異常気象は本当か?
 何だか、NHKの「地球の危機」報道は狂信的にすら感じられるレベルになってきているが、そもそもCO2単独犯行説のいい加減さの前に、本当に気候は異常になっているのかを考えてみたい。穀倉地の乾燥化、氷河が溶ける、季節外れの洪水などが盛んに指摘されているのはご存じのとおり。100年に8cmの海面上昇で島が沈むとかいう話もあった。これらについては温暖化がヒートアイランドそのものであってCO2は直接関係ないんじゃないの、という指摘を本欄でも以前から繰り返してきたが、その温暖化そのものが怪しいという可能性も少なくないのである。
 世界の気温は低下しているという観測データは実は公開されている。例えば「この頁」はRSS (Remote Sensing Systems of Santa Rosa, CA)というシステムが測定した結果であって、最近になって気温がストンと下がった事を示している。また、BBCはWWWでそれに関連した記事も掲載した。英国政府は温暖化を否定する説など無視すると公言しているそうだが、日本のメディアとの違いが際だつ。ちなみにアメリカでは今年の年頭に中央部あたりから東部にかけて猛吹雪が吹き荒れた。交通はマヒし、ある街では送電線が切れ、電気無しの生活が1週間も続き、人々は暖炉でたきぎを燃やし、ガスコンロで調理をした。こういう報道は日本では殆どされていないのではあるまいか。
 さて、辛口子はここでもっと身近に目を向け、江戸時代から近代にかけて日本でどういう飢饉が起きたかを調べてみた。大きな飢饉として知られる物はそんなに多くはない。個々の細かい話は別として、一体どのあたりの年にそうした異常天候が起きているかを示したのが下図である。飢饉というと干魃(かんばつ)か冷害のどちらかなのだが、青い矢印のところで主に冷害が発生している。ちなみに江戸時代、干魃は殆ど起きていないのだそうだ。

 これを見ると分かるように、天候異変というのは定期的に起きている訳ではなく、かなり集中する時と間があく時があるのが分かる。広い所では50年くらい起きていない時期がある。無論、小規模な豊作と不作は色々とあるだろうが、とにかく国家規模で問題となるような不作はこうした時期なのである。
 となると、誰にでも考えられる事が「20世紀後半というのは異常な位に平穏な気候が続いた時なのではないか」ではなかろうか。異常だ異常だと騒ぐ前に、正常だと思っていた事が実は異常だったのかどうかをまず検証すべきだろうが、そうした話は全く聞いた事がない。まず異常ありきであり、次にそれが温暖化であり、そしてその犯人は全部CO2だというのが今の温暖化騒動である。
 CSで見られる朝日ニュースターに「ニュースにだまされるな」という番組があり、7日放送のそれを見ていたら、何やら温暖化の研究者というのが二人出て来て(リンク先にある出演者の中で所属に環境の文字が入っている二人)、こぞって地球の危機を訴えていたのであるが、こうした「反論」を評して曰く「英語も空気も読めない人が反対意見を言う事で目立とうとしているだけ」と酷評していた。しかし、客観的データを並べて見ればどちらが英語も空気も読めないかは明らかで、空気どころか母国語すら読めない事を証明している。こういう机上の空論でしか物を考えられない学問バカと言われるタイプが、あちこちで危機をせっせと吹聴しているのだ。
 ところで、それでも不思議になるのは、何故こんなに温暖化だの何だのと騒ぐのだということであろう。それはヒステリックに叫ぶしか出来ないアホと、こうした学問バカを別にすれば、一重に「金になる」からである。環境ビジネスは急成長している。当然ながら、ビジネスそのもので儲ける以上に投機マネーが集まっている。環境ビジネスの実態は、良く調べるとユーカリ林にしても、ハイブリッドカーにしても、バイオ燃料にしても、莫大な手間とコストと資源を使ってやっている事ばかりである。つまりグローバルで見ればむしろ環境負荷を増加させかねないものなのだが、それをメディアと学会を使う事で世界の世論を誘導して実態を隠していると考えれば、色々な点で説明がつく。
 更にその裏には言うまでもなくアメリカがいることが容易に想像されよう。世界をこうやって煽る事で金を集め(イラクでは大損した)、世界支配を強めようとするだけでなく、世界が石油を節約すればそれだけアメリカの取り分が増える事も計算に入れているはずだ。学会など議長クラスと主立った学者を押さえておけば、議論の筋道なんてシナリオ通りにするのは造作もないのである。金さえもらえば好きなようにデータを作る科学者など、幾らでもいるのだ。

《2008.06.04》
iPhone上陸
 まだ詳細は明らかになっていないが、遂にiPhoneが日本でも使えるようになるそうである。まあ順調に行って年末頃らしいから慌てても仕方がないが、マスコミの記事などを読んでいると、なかなか笑える内容が書かれているので、それを酒のツマミにしてみるのも一興であろう。
 ではこれから。「ドコモではなくソフトバンクに決まったのは孫氏の人脈か」という話が出ていたが、それがゼロということは無いにしても、決定打ではあるまい。以前からそれなりの技術知識がある人であれば、iPhoneを繋ぐネットワークとして考えた場合、ドコモのシステムは余りに整合性が悪いと見ていた筈だからだ。アップルがこれまで大手の電話会社と契約してきたと言っても、それはiPhoneが繋がる事が大前提であろう。日本に上陸するのは、発表間近と言われる3GのiPhoneになるのは間違いない。となると、旧態然たるシステムを抱え込んでいるドコモが不利なのは明らかなのである。ちなみにauはもっての他となる。
 また、日本で普及する為には、オサイフ機能や親指テンキー入力が無いと駄目なのではないか、などとピントのずれた記事も結構見られた。親指テンキーなど愚の骨頂である。あんなシステムを使うから、ブロークンで短い文章しか打てず、それが高じて深い思考も出来ない人間ばかり増えるのだ。掲示板に「死ね」と書かれたと記事には出るが、何故そんな短い単語が書かれたのかについては分析がされた試しはない。要するに面倒くさいからであり、長々と罵倒するだけの頭も無いからである。
 またオサイフ機能についても噴飯モノと言うしかない。iPhoneは情報端末である。それを日本型の携帯電話としてしか理解出来ないでいる事が明々白々だからだ。そもそもオサイフ機能に使われているFelicaはセキュリティ面で爆弾を抱えている事など、かなり常識であろう。それを理解出来ないで使っているとなると、要するにスキルが低いという事に他ならない。どうせそんな頭では、iPhoneの何たるかも理解出来ないのだし、そんな層にiPhoneを売らなくてはならない理由など、かけらもないのである。
 そもそも、iPhoneは市場を席巻する為に作られたモノではない。機能を理解出来るユーザの為の道具である。日本ではユーザ・フレンドリと言うとお仕着せの機能を押しつけ、決められた順序で決められたボタンを押せば結果が出る物だという事になるようだ。それは、モンキーフレンドリと言うべきであろう。サルでも使えるという意味である。本来のユーザ・フレンドリというのは、使う人間のスキルを高める道具でなくてはならない。日本の携帯電話はこの点で失格である。親指入力だのi-modeだのを絶賛しているうちに、日本のネット環境は伝送速度以外の面で完全に後進国になってしまった。
 何よりネットに流れるコンテンツにロクなのがない。最近、面白いと思った物にチャンビーという製品がある。これは大きめの目覚まし時計くらいの大きさだが、WiFi機能を有し、目覚まし時計機能は無論、ネットの様々なコンテンツ、ニュースや天気予報、動画、ネットラジオを受信する事が出来、ウィジェットによって様々な機能を増やす事も、ローカルなコミュニティを作る事も出来るものだ。海外ではこれが僅か180ドルで売られている。
 こうした製品が可能なのは、ネットに豊富なコンテンツが流れているからだ。しかもその多くはフリーである。CBSなどの大手メディアは高品質の動画でネットにニュースを流しているし、無数に近いラジオ局もある。翻って日本ではどうか。日本でこうしたネットコンテンツを受信出来る装置はない。あったとしてもパソコンと連動して何かが出来るようなものがせいぜいであろう。そもそも、日本ではメディアがまともな映像ニュースも流さないし(ついでに作ったような代物がせいぜい)、驚くべき事にネットラジオというものが事実上存在しない。着メロだの何だのと、携帯経由で売りつけるせこい代物ばかりがはびこっている。
 不法流通をうるさく言うだけで、大したレベルでもないコンテンツを自前で抱え込み、新たな市場を作る事を考えないのは、一重に業界関係者の知能程度が低いからに他ならない。壷の中に手を入れて豆を掴んだものの、手が抜けないと騒いでいるサルと同じである。一旦、手を放せば壷の中身を全部手にするチャンスがあるのに、それに気がつかないのだ。iPhoneのコンセプトはそんな知能で理解出来るものではない。上述したような、豊かなネットワーク環境を使う事の出来るユーザの為のものだからだ。従って、日本でiPhoneがどれだけ売れるかは、ネット使用料金がリーズナブルかどうかにかかっている。オサイフ機能など論外なのである。

《2008.06.01》
援助の裏を見る
 日本政府はアフリカ支援の為に、年間3000億円程度の援助上乗せをすると発表している。細かい数値は流動的だが、いずれにしろ増加に違いはない。アフリカに対する各国の働きかけが強まっているのは、もっぱらそこにある資源が目的である。人道的側面が無い訳ではないが、どちらかと言うと本音ではない。日本も国家戦略としてそれに乗り遅れては、資源確保が困難になるという戦略と言える。
 こう書くと何だか金の亡者のようだが、国家戦略というのはそういうもので、もっぱら自国が如何にして利益を得るかというシンプルな論理で行われる。ただし、あからさまにそれを示すと突っこまれるネタになるから、様々な形で大義名分を作るのである。かつて冷戦時代、ソ連と南アフリカは表舞台では犬猿の仲であったが、資源相場を念頭に置いた共同戦線はしっかりと結んでいた。これなどは良い例であろう。
 さて、問題はこうした膨大な額の援助金がどうなるかである。それをきちっと追跡した話は余り聞かない。大抵はその国の政府上層部あたりが殆どをくすねているという指摘がある。また、そうした金が本来必要とされる人達に届いていたとしても、問題の解決を約束するものではない場合が実は非常に多いという事も余り知られていない。
 日本は既に過去何十年も途上国への援助を行っており、アフリカも無論、そこに含まれる。確かスーダンだったと思うが、内戦が続くこの国の難民達に対して、日本も過去、20年以上に渡って援助を行ってきた。この場合、援助は実質的には食料として送られる。援助の金で食料を買って、それを現地に送るのである。では、その購入や手配は誰がやるのだろうか。実はそういう人達の人件費にもこの援助金は使われる。イラクやアフガンに対して募金を集めたとしても、現地駐在のスタッフの給料などにその半分以上が消えるのが現実だと言われる。NGOではもっと効率が良いらしいが、「必要経費」はそれだけではない。
 援助を必要とする国は、当然ながら平時ではない。内戦状態なのが普通である。つまり、治安が確保されていないし、インフラも破壊されている。では、港や空港に集められた食料をどうやって被災民の所に届けるのか。それはトラックで運ぶ道中を支配している「その地域のボス」に何割かを通行料として払う事で通してもらうのである。従って、実際に最終目的地に到着する援助物資は、全金額の数分の1以下にならざるをえない。一見無駄なようだが、他にもっと良い方法など無いのだ。我々はとかく援助物資を送るというと宅急便のような感覚でとらえがちだが、インフラが崩壊するというのはそういう事なのである。
 更に、そうした援助には別の弊害もある。被災民達が援助に頼ってしまうのである。例えば、ある地域に20年以上にわたって援助を行っているとすると、援助を始めた頃に生まれた世代は既に成人を迎える訳であるが、そうした彼らは働く事を知らない大人になりかねないのである。何故ならば黙っていても定期的に食料が届くからで、贅沢を言わなければそれで生きていけるからだ。これは深刻な問題で、本来、援助とは国が立ち直るまでを支える筈のものが、立ち直る機会を奪うことになってしまうのである。
 似たような話では、僅かの金で買える医薬品があれば多くの子供たちの命が救える、というものがある。確かに現地では子供が病気でばたばたと死んでいるかもしれない。だが、そこに薬を届けてそうした子供たちを救ったとしても、問題はその先にあるのだ。子供たちも生き延びれば食べ物も必要だし、教育も受けさせなくてはならない。生き延びたからと、そのまま放り出す訳にはいかないのである。途上国では元々乳児死亡率が高いもので、それが出産数の多さによる人口爆発を抑えているという一面がある。従って、多産という習慣にもメスを入れる必要があるが、こうした問題の解決は容易ではないばかりか、あまり語られる事もない。
 5月にNHKがBSでアフリカ関係のドキュメンタリーを集中的に放送していて、その中にアフリカ出身のジャーナリストが、ダイヤの密輸や賄賂の横行を実際に体験してレポートしているものがあった。特に賄賂社会についてはアフリカのあちこちに根付いていて、何をするにも(役所への書類申請でも)必須になっているのだが、そういう形で先進国からの援助金が消えていくのだという内容であった。
 結局のところ、アフリカの悲劇は資源が豊富にある事に起因している。資源を狙う大国は、表には出ずに裏からその国の政府に不満を持つ勢力の後押しをし、国に内戦を起こす。現地の国民が幾ら死のうと知った事ではない。そもそも列強が植民地を作り、国境線を引く時から現地民族が団結して反抗しないようにそうした民族を分断し、仲の悪い民族同士を同じ囲いに入れようとする訳で、この段階から紛争の種が蒔かれているのだ。現在でも最終的にはその国の上流階級だけを掌握し、国民は貧しいまま、大国が資源だけを持って行くというパターンの繰り返しである。本欄で以前紹介した本「エコノミック・ヒットマン」にも、そういう活動をした下りが出てくる。
 そうした紛争が起きるとどっちの勢力も自国の資源を海外に密輸して、武器の購入に充てる事を考える。シエラレオネなどを筆頭にした、いわゆる「ブラッド・ダイヤモンド」は、その端的な例である。ダイヤならかさばらずに容易に運べるからだ。その頃、日本では「給料の三ヶ月分が目安です」などという根拠不明のコピーを鵜呑みにして、結婚指輪の為にボーナスを貯める若者が大勢出た訳だが、そうした宣伝は実はこうして密輸された大量のダイヤを捌く為だったと言われている。かくして、紛争難民を救うという話の元をたどっていくと、実は紛争を起こしているのが先進国そのものであるという結論にたどりつく。
 アフリカ支援(一般に途上国支援)というものを考える時には、こうした様々な暗黒面がある事も知るべきであろう。そう考えてくると、大航海時代に日本が植民地化されなかったのは、一重に「黄金の国ジパング」ではなかったからに他ならないのだと気づく。仮に日本の至る所に金があったなら、間違いなくインカ帝国と同じ運命を辿ったに相違ないのである。

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