一刀両断ミニコラム
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《2003.10.31》
消えた神通力
 圧倒的な強みで市場をリードしてきた、プレステの勢いに急ブレーキがかかってきたらしい。27日付の日経朝刊によると、昨年比で営業利益91%減。先に発表されたソニーの決算によると、ゲーム部門の不振が大きいという事から、ハードだけでなくソフトも不振という事でもある。任天堂のCUBEは以前から不振であったが、阪神優勝モデルの効果も無かったようで、売上げは一向に上向かないどころか、マイナスが増加している。マイクロソフトのX-Boxは、伸び率こそ過去1年で45%ほどに達したものの、販売開始間もない頃という要因を考えると(分母が小さい)、驚くほど小さい値となっているし、しかもこれは世界市場の話で日本国内は惨敗らしい。そもそも、ゲーム市場の頭打ち感は、秋葉原などの街並み、ゲームソフト店の人の動きを見ていれば、昨年から明らかであった。そうした中、何故PS2が伸びたのかだが、恐らくそれはDVDプレーヤとしての機能が、下支えしたのではないであろうか。だが、1万円でプレーヤが手に入る時代、そのメリットは無くなった。 ソニーは今度、次世代機種PSXを発売するが、今年の年末に各社から家電新製品が出る中、ソニーブランドとHDレコーダ機能だけでどこまで行けるかは疑問である。もう一つ、こうした統計で明らかになった事があり、それは、ネット対戦ゲームの不振である。一部のマニアを別にすれば、FFも登録者数は全く伸びていないと伝えられるが、そんな事は最初っから当欄が指摘していた事で、好きな時に出来るからこその卓上ゲームが、そのメリットを失うネットゲームでは、すぐにユーザが堪え切れなくなるだろうからで、事実その通りになっている。結局のところ、何が起きているかといえば、ゲームそのものが出尽くしたという事になろう。既に新しい概念のゲームが出現しなくなって10年近くが経つ。その間、画面の精細度や手の込んだ仕掛けだけで生き長らえて来たゲームだが、市場としては飽和を通り越して縮小へと向かいつつある。最近では肉体運動型のゲームが辛うじて新規性を見せているが、汗をかくようなゲームが長続きしないのは、ぶら下がり健康器の顛末を見れば分かる。かつての石炭や鉄のように、ゲーム市場も斜陽産業と言われる日はそこまで来ているのかもしれない。
《2003.10.28》
蔓延する厚顔無恥
 日経サイエンス(月刊誌)に、科学世評というコラムがあり、最新号では官僚組織の体質について、問題指摘がされている。簡単に紹介すると、例の「ゆとり教育プログラム」については、これまで反対論を押し切って進めて来た新学習指導要領を、2年もたたぬ間に大改訂したが、それを自らの大英断であるが如く吹聴している問題を指摘、続いて狂牛病(BSE)については、国内で発見された7頭については、ほぼ同じ頃に生まれ、子牛の頃に同じ代用乳を与えられているという共通点があるにもかかわらず、農水省の発表は「イタリアから輸入された肉骨粉があやしい」というものだったと批判している。いずれにも共通するのは、保身の為にはあらゆる批判に耳を塞ぎ、理路整然とした指摘や明白な証拠を無視して強引にコトを進め、その間違いが明白になっても、知らん顔をするか、自らの英断で修正したと言い張る役人根性である。太平洋戦争に突き進んだパターンと全く同じだが、下に述べた視聴率問題やJR東日本問題の、会社側対応のパターンも、全く同一である事は言うまでもない。そして、これは役所だけではない。小泉総理と阿倍官房副長官(当時)は、アルカイダが9.11テロを企てたという明確な証拠を「見た」と公言したが、その後、証拠が明らかになった事もなければ、大量破壊兵器も見つからないのに、知らん顔で今度はイラクに自衛隊を派遣しようとしている。阿倍幹事長(現在)は、北朝鮮拉致問題の先鋒に立っているような顔をしているが、小泉訪朝の時には国内にいて同行していないし、一時帰国家族が一旦北朝鮮に戻る時になって、支援する会あたりが大反対した時に、それに付和雷同したに過ぎない。もっとも、これは更に日本だけの話ではなく、米国は勝手なインネンを付けてイラクの治安をめちゃくちゃにしておきながら、自らの手に負えなくなると、国連軍の派遣や、各国からの復興資金の提供を求めているが、国連軍については指揮権はあくまで米国と言い張るし、復興資金については「米国以外の国にも、イラク復興に参加する機会を与える」という表現を使っているのだから、どれもこれもいいタマである。それにしても不思議なのは、こうした問題をメディアがまっとうに取り上げない事だ。学習指導要領やBSEの二枚舌など、審議会の議事録と比べたって分かる事だし、それ以外の事など新聞の切り抜きがあれば、すぐに見抜ける話であろう。
《2003.10.26》
体面だけ
 例の視聴率操作の贈賄問題、パックイン・ジャーナルなぞ見ていたら、あれはFLASHがスッパ抜いて、発売前に慌てて日テレが発表した物だそうである。つまり、日テレは、さも自分らが内部で見つけたような顔をして会見したが、何の事はない、言われて調べて見たら事実であって、急いで体面を整えたというのが真相であった。日テレは、一にも二にも視聴率という会社で、今年の野球中継であっても、巨人戦の視聴率が上がらない、と、何度も新聞に出した位に、体質的に神経質(下の記事でも指摘しているように、頭の問題と言ってもいい)なところである。となると、これがこのプロデューサの単独行動かは、非常に怪しくなってくる。そもそも、視聴率調査会社は、いまではビデオリサーチ社の単独市場(ニールセンは2000年に撤退している)になっていて、その会社はメディア界各社の共同出資になっているのだから、数字そのものの信頼性からして怪しいのである。ここで話は変わって、同じパックイン・ジャーナルの「視聴者メール」で、JR東日本の社員が「例の中央線踏切問題では、会社幹部は通り一遍の通達を出すだけで、現場を見にも来ない。小泉総理は実態も知らずに歩道橋を作れなどと言うが、現場は今でも大混乱で、多忙に喘いでいて、大変な迷惑である」と語っていた。どちらにも共通して言えるのは、こうした幹部連中の行動は、まさに体面を整えるだけの為のもので、記者席に頭を下げれば、それで済むというモラルだけで動いている、という事だ。日本の問題は、その根幹に、かように馬鹿ばかりが出世してしまっている点がある、と改めて痛感せざるを得ない。
 整理すると、視聴率問題には、2つの側面がある。まず、数字そのもの信頼性である。これは、技術的には解決法が幾らでもあり、あとは資金の問題である。厄介なのは数字の解釈である。例えば、生花に興味を持つ視聴者が、全視聴者の4%だとする。この場合、生花番組の視聴率が4%を稼いだのなら、大成功な筈なのだ。生花方面に事業を展開するスポンサーなら、納得して当然だろう。ところが、現実には、数字の意味は度外視され、単に大小だけが問題となっているのだ。9.9%だと落第で、10.0%だと出世というような話を聞く事も少なくない。元々、数%の誤差がある統計を元に、こうした風潮がまかり通っている現実が問題なのである。不正行為は確かに論外だが、無能幹部が頭を下げてどうなるようなものでもないのだ。
 ここで、この視聴率贈賄問題については、日テレを中心に、抗議の電話等が殺到したと伝えられている問題にも触れてみたい。その内容は、おおむね「裏切られた」というものだったそうで、上記の視点から見る限り、こうした抗議をした連中の認識も、あやしいものとなる。元々、根拠のはっきりしない数字を、盲信していた事に他ならないからである。日本人は数字が好きと言われるが、同時に数字の意味を考える事が苦手のようだ。内閣支持率を始め、各種アンケートも、そのデータ収集方法や解析手法を加味しないと、正しい分析は出来ない。数字の大小を比べるだけなら、それこそ小学生レベルの話なのだ。ただ、ここで不思議な事もある。通常、番組の視聴率などは、新聞のテレビ欄には出ていないという事だ。視聴率が少しでも高い番組を、敢えて選んでそれを見る視聴者は、いたとしても極く僅かだろう。だとするなら、こうした抗議をした人々は、何故抗議をしたのかが疑問になるのである(常識的に考えれば、スポンサーサイドになるのだが)。視聴率は、ビデオリサーチのWWWにも書かれているが、衛星放送やCATVを計数していない。データ収集方法が古色泰然で、進歩が無いからでもあるが、仮に、地上波に氾濫するバラエティ系に嫌気のさした視聴者が、こうした媒体に流れているとすると、軽薄番組に群がる野次馬的視聴者が地上放送に占める割合は、ますます高くなるだろう。であるなら、今後も、視聴率の高い低いに一喜一憂する風潮は、変わらないだろうから、地上波の番組はますますショー化(それも小学生か幼稚園児がやるような)する傾向が強まるに違いない。莫大な税金の投入と、視聴者への出費を強いる地上波デジタルには、こうした番組がそっくり行く訳である。
《2003.10.25》
選挙運動
 与党も野党も党首が街頭演説をし、テレビにCMも流れているが、選挙の公示は28日なので、実は、今、選挙活動をしてはいけない。従って、よっく聞いていると、「清き一票を」というようなフレーズは、絶対に出て来ないのが分かるだろう。ニュースなどでも、「事実上の」選挙戦、と言っている。候補者の選挙事務所へ行くと、「○○事務所」という看板の上には、布がかけられていて、まだ活動していない事になっている。ただし、布が充分に分厚くなくて、透けて見えるのがミソである。27日を過ぎると、宣伝カーが「どこのなにがし、頑張っております」とがなり立てる日々が来る。そして、実に不思議なのが、これほどまでに「拡大解釈される」選挙活動でありながら、何故かインターネットのウェブサイトでは、何らかの活動っぽい事を書くと、途端に物議をかもすのである。
視聴率
 日本テレビのプロデューサが、視聴率調査世帯に賄賂を送り、自分の番組に回すように依頼していた事が、明らかになった。東京都では、大体600世帯に装置が取りつけられているそうで、このプロデューサは12軒ほどを買収したそうだから、2%ほど数値を上げた事になる。元々、調査世帯の数などは、全世帯数から行けば微々たるものなので、数値そのものに数%の誤差がある事は、統計学の基礎を少しでもかじっていれば、当たり前の事であるが、同時に僅か10軒少々を動かしただけで、コンマ%に一喜一憂している連中を驚かすには、充分という事でもある。問題は、これがこのプロデューサだけの事なのかどうかであるが(そもそも、何故明るみに出たのかも知りたいところだ)、その追求がなされるかどうかはともかく、それでもこの視聴率という数字の、誤差の範囲に目の色を変える風潮は、恐らく変わらないことだろう。
《2003.10.23》
CATVが対応します
 朝日新聞22日夕刊の一面トップが、表題の記事であった。何かというと、地上波デジタル放送のことである。国内のCATV業者50社以上が、地上波デジタル放送をケーブルで配信する予定、という話であった。従って、手軽に見れますというキャンペーン(報道かどうか怪しいものだ)記事である。それは事実であろう。現在、衛星放送についても、CSデジタルを配信しているCATVは少なくない。ただし、料金は別であるし、チューナも別。当然、それなりの「投資」は必要だし、更にそうした放送のうちで、例えばハイビジョン放送をちゃんと見る為には、対応した受像機が必要なのは言うまでもない。地上波デジタルも、衛星デジタルとは違う方式をとっているので、それぞれに対応した受信設備が必要だという点で変わりはないのである。つまり、アンテナを立てる必要がない、というだけだ。それでいて放送内容は、今の地上波と同じである。CATVで配信し、家庭で見るのに、地上波デジタル放送のキャッチフレーズにある「移動体の中でも綺麗に見れる」特性など、無意味でもある。そんな事の為に、国も放送事業者も、数千億円に及ぶ金を注ぎ込み、家庭ではビデオもテレビも買い替えを強制される(6年後には今の地上波放送は無くなる)訳だ。地上波デジタルに遅れまいと、CSデジタル放送推進協議会もキャンペーンを展開している。衛星の場合、デジタル化によって、電波や装置の有効利用が図れるので、デジタル化には意味がある。しかし、地上波では意味などない。それに、先日聞いた話では、デジタル中継装置内で遅れが生じる為、日本全国に渡るリアルタイム放送が行えず、最大4秒程度の時差が生じる為に、時報や時計表示が出来なくなるのだそうだ。普及どころか、CATVで見る視聴者が、地上波デジタル化を契機に、地上波を見なくなる可能性こそ、決して小さくはないだろう。
《2003.10.21》
何でも入れればいいのか
 報道によると、経済産業省は、国内メーカ4社と共同で、万能受信TVを開発するらしい。万能って何かというと、地上放送を含むデジタルテレビ放送と、インターネットで配信されるストリーミング映像の両方を、同じ機械で見られるという意味のようだ(ここまで読んで噴き出した方は正常)。何でもパソコンを使わないでも、インターネットの映像を見られるのがウリだそうな。何考えてんであろうか。これを提唱したり、推進したりしている連中は、ネットという物を使った事が無いのであろうか。この手の発想における根本的な欠落事項は、テレビという存在にこだわって、そこから一歩も抜け出せない頭にある。そもそも、今のテレビは、「ながら」で見るからテレビなのである。視聴者はテレビに対してチャンネル切り替えしか行わない。視聴者は情報を受けとる(受け流すとも言う)だけであって、発信などしない。デジタルテレビの「お題目」に必ず出てくる双方向性というのが、ことごとく失敗しているのは、その為だ。一方で、ネットユーザは、情報をやりとりする事を自然に行う。今のテレビに双方向性が必要なのではなく、敢えて言うなら、ネットという世界での映像情報は、テレビという物の有り方とは根本的に違うものなのである。ユーザの受動性という点で切ってみれば、テレビは鉄道に、ネットは自家用車に相当するだろう。鉄道の座席に、ハンドルやクラッチ、速度メータを付ける事の愚かさを考えたら、こうした「新型ネット家電」の荒唐無稽さは、火を見るように明らかである。その象徴とも言うべき、地上波デジタル放送は、今年の12月にも試験放送が始まり、6年後には今のテレビは全部粗大ゴミになる。どこの政党もこれに反対しないのだから、日本の将来など、明るい訳がない。
《2003.10.19》
何故ネット選挙が出来ないのか
 マニフェストなどという一般には聞き慣れない言葉ばかりが走る今回の選挙(外来語の日本語言換えを何度も発表した国立国語研究所は、何故コメントしないのか)、またもネットのWWWサイトで、政党や議員の方針を見る事は出来ない。方針どころかマニフェストも駄目である。今回が駄目なのではない。全く実現の見通しが立っていないのである。表向きのネット人口数千万などと誇らしげに発表する一方で、いざ選挙になると「ネットを読めない人もいる訳だから」という、変な屁理屈がまかり通るのが、永田町だ。全議員が反対している訳ではない。賛成もいれば反対もいる。面白いのは、反対があると実現しない、という慣例の為でもある事。
 そもそも、選挙運動にWWWを使ってはいけない、という国が少数だ。米国、英国、韓国などでは、積極的に使われている。なにも選挙で投票までWWW化する話ではない。政党や議員が、自己の政治主張を行う事の、どこに問題があるのか。若い世代も関心を持つだろうし、選挙事務所まで行かなくても主張を見れるし、通り一遍の人をバカにしたような選挙公報などは見ないでいいし、うるさい宣伝カーも減るだろう。間違いなく投票率も上がる筈で、いい事ずくめではないか。で、反対する議員の言う事には、共通する点がある。「インターネットを使えない年寄りの支持が多い党や人には著しく不利になる」というものだ。実にふざけた理屈である。裏を返せば、今まで年寄りの支持をいい事に、若い層を無視して来た、と言っているのと同じではないか。それに、これは表向きの方便もいいところで、少し考えてみればもっと「適切」な理由が思いつく。それは、こうして幅広く個人単位での情報が流通し、投票率が上がる事は、組織票で成り立っている連中が困る事である。利権団体や宗教団体をベースにした政党や議員が、こぞって反対しているのはそれが理由だ。なにが年寄りは不利なものか。それだったら、年寄り相手にしっかり選挙運動を「従来のやり方」で行えばいいだけだ。インターネット以外の事をやってはいけない、と言っている訳ではないのだから。馬鹿も休み休み言ってもらいたいものである。
《2003.10.17》
サンプリング
 ニュースステーションが、埼玉県の野菜からダイオキシンが検出されたと報じ、野菜の売れ行きが激減した事から、農家が訴訟を起こしたのは、随分前の事である。一審、二審と農家が敗訴したが、最高裁で逆転し、差し戻しとなったのは報じられたとおり。この最高裁の判断、聞く限りではまことに妥当である。たかが一つのサンプルから得られた結果を、あたかも一般的傾向として受け取られるような報道をされたら、たまったものではない。どこかの街で痴漢が捕まったからと、その街全部が痴漢の巣と判断するようなものではないか。で、思い出すのがO−157のカイワレ疑惑。あれもひどい話であって、潰れた業者は裁判で敗訴している。相手が役所の場合は、一つくらいのサンプルでは無効のようだ。ただし、前例を作るのは例え一つであっても神経質で、道路公団藤井総裁も石原国土交通相もテレビ中継を求めたというのに、聴聞会は官僚の横槍で結局、中継どころか映像記録そのものがボツになった。
《2003.10.16》
考え無しプロジェクト
 マイクロソフトが発表した、Windowsの次バージョンは、その名も「XPメディアセンター2004」。何でもPCに[繋がった]テレビやビデオをリモコン操作でき、映像や画像をテレビに映したりプリントアウト出来るのだそうである。・・・・・・聞いていて、やっぱり連想してしまうのが、最近の携帯電話である。i-modeまではまだ許容出来る部分もあったが、その後、カメラ、動画が搭載され、今度遂にテレビ機能が入ったというのと、全く共通するものがあるからだ。つまり、本業とは関係ない副業にばかり、能書きが並んできているという事である。Windowsについて言えば、問題噴出のセキュリティなど相変わらずどこ吹く風で、思わず吹き出すような、蛇足機能のオンパレードだ。セキュリティと言えば、マイクロソフトは何を血迷ったか、今のパッチ配信システムを見直し、改善内容があろうと無かろうと、常にパッチを出すという訳の分からない方針を明らかにしている。Mac OSXの次バージョン、Pantherも、テレビ電話機能が目玉に入るなど、かなり怪しくなってきているが、それでもFinder等必須機能の改善も含まれていて、まだ軽傷に留まっている。先日、某財界の重要人物が、「携帯電話も音声だけに絞ったもっと安くて使いやすい物はないのか」と、コラムに書いていたようだが、今のデジタル携帯電話は、音声に関して言うと、ますます圧縮率は高くなり、帯域は狭くなって、アルゴリズムの改善で何とか乗り切っているものの、以前のアナログ携帯に比べると、音声品質は現状維持どころか、悪くなっているのだ。実は今、一番音声品質の良いのは、PHSであるが、データ通信で何とか生き残っている状態。突然話は飛ぶが、例の信号機配線のミスから大混乱を引き起こした、JR東日本の中央線工事。工事の結果、車線が増えて、ただでさえ開かなかった踏切が、ラッシュ時には殆ど開かなくなり、痺れを切らした歩行者が、踏切に入って電車を止める事態が起きている。ここでJR広報の言う会見が傑作で、「事前に分かっていた事で、パンフレットなどで理解を求めて来た」であった。つまり、自分らさえ良ければ、踏切を渡る歩行者や車など、どうなってもいいのだ、と堂々と述べているのである。一体誰の為に何をするのか、認識がズレているのではないであろうか。そんな頭だからこそ、配線ミスを起こしたのであろうが、その傾向、上に述べたハイテクにも見られるばかりでなく、そこら中に蔓延し、原因を聞くと呆れるような事故が相次ぐ理由になっているのではないかと思う。更に考えてみると、皮切りは東海村のバケツ原子炉だったように思えてならない。
《2003.10.13》
視野限界
 道路公団藤井総裁、辞表提出を拒否したが、今まで何故、国土交通相が同じ事を出来なかったかというと、辞任を求めて藤井総裁が拒否した場合、裁判に持ち込まれたら決定的な辞任理由が無いという判断があったのだそうである。今回、実体はともかくとして、辞任を求めた表向きの理由は、財務諸表がいい加減であった事とか、公団改革の必要性などであるが、とにもかくにもあの財務諸表は法的には公式なものであって、地方に飛ばされた幹部が公表した物の方が非公式である等、法律上の争いになると分が悪いのである。更に、石原新国土交通相との対談で、藤井総裁は不正に絡んだ政治家もおり、その名前が明かされればタダでは済まない、というような、脅しに近い事も言ったと伝えられている。流石は熟練官僚であり、タヌキ山の主であって、そこにはしっかりとした計算があるようだ(恐らく、知恵を付けている弁護士もいるのだろう)。ただ、官僚の視点では思いもよらない要因もある。それは、今の政治では、イケメンかどうかで有罪か無罪かが決まるという、世の流れである。どう見ても、うっとおしい上司にありそうな、典型的な風貌と物腰。理屈はともかく、これが致命傷となる可能性は少なくない事を、藤井総裁は考えもしていないに違いない。
《2003.10.12》
マニフェスト
 何やら急に騒がれるようになったモノだが、英語本来の意味は、要するにそれなりに効力のある公開文書の事である。乗客名簿や積荷目録という意味もあり、幽霊が現れる時にも使われる単語らしい。檄(げき)文もこのマニフェストである。さて、今回の解散総選挙で、自民党と民主党がそれぞれマニフェストを公開している。中身はそれ程違いがある訳ではなく、景気回復目標数値のように政党の力だけでとうにかなる訳ではないものや、テロに反対というような当たり前の事も並んでいて、見る限りではあまり説得力のある内容は並んでいない。ただ、その中で民主党が際だって自民党と対立しているのは、イラクへの自衛隊派遣である。今回の米国のイラク侵攻が、国連決議も経ていない文字通りの侵略である事は明確で、この意味で民主党の主張にこそ正当性がある。問題はそれが票の動きにつながるかどうかだ。自衛隊派遣だけではなく、イラク支援(というよりは、明らかに米国支援)の金も問題にすべきであろう。EU合わせて250億円と言ってる中、日本だけがいきなり1500億円も拠出するらしいからだ。しかもこれは言わば「前金」であって、今後、何年にも渡りのべ数兆円の支出となりかねない。それでなくても年金すら賄えそうもない財政状況で、それだけの金をかき集めるとなると、当然ながら増税となり、無論景気にはマイナスに働く。ところが、そうした政策に賛成かと聞かれて、そうではないと言いながら、小泉政権を支持する人が多いのだから、不思議である。今の内閣をイケメン内閣と言う向きがあるらしいが、恐らくそれは的を射ていて、芸能人人気投票の感覚で政治を見ているのではないだろうか。小泉政権は、特に女性の支持率が高いと言われる。かつて、中曽根内閣の時、中曽根総理(当時)が「女性の方は私の話を聞いていないで、ネクタイの柄ばかり気にしている」と発言して、騒ぎになった事がある。ところが、ニュースステーションが実際に、総理の演説録画を見てもらって、アンケートをとった所、番組が調査した限りにおいて、演説の内容をちゃんと覚えていた女性有権者は皆無、ネクタイの柄は確かに全員が覚えていた、という結果が出たのである。一方で、男性有権者は、全員でないまでも演説内容を聞き取っていた(ネクタイの柄はあまり覚えていなかった)。つまり、小泉総理のファッションセンスと、童顔風な阿倍幹事長の、いわば「入れ物」で支持率が決まっているのではないか、という仮説に信憑性が高いのである。「だから女は・・」などとここで言うつもりはない。それが女性というものだし、だからこそ、女性アーティストが作る作品には、男性には出来ない繊細な物があるのだ。だが、それで国家の命運が左右されては、増税、徴兵制、軍備増強となって、結果として困るのは自分らになる。女性層には是非お願いしたい。人気と支持とを分けて考えて欲しい、と。
改革とは何か
 話題の人、藤井道路公団総裁が、日経新聞社からの質問にファックスで答えて来たらしく、それには「私こそが改革に取り組んでいるのに、いきなり解任とは納得いかない」と書かれていたと報じられている。大辞林によると、改革とは「基盤は維持しつつ、社会制度や機構・組織などをあらため変えること」とあるので、藤井総裁自身の権力基盤を維持しながら、組織を変更するのも改革になるのであろう。だが、そもそもの問題が、その藤井基盤にある事は明確で、赤字垂れ流しの東京湾横断道路を強引に作らせたのも、藤井総裁だそうだから、「臭い匂いは元から断たなきゃ駄目」なのである。藤井式の改革では、その意味で根本的どころか、意味のある対策とはなりえない。改革で不満なら、破壊と再生とでも言えばいいのではないだろうか。それにしても、既得権益にあくまでしがみつく、こうした面々(藤井総裁だけではあるまい)、中坊弁護士とついつい比較してしまう。
《2003.10.11》
コンドーム
 日本での市場規模は、年々減少しているそうである。高齢化が進んでいるからかと思っていたら、そればかりではなく、若い世代が使いたがらない、という要因もあるのだそうだ。困った傾向である。コンドームは、現在、もっとも確実な避妊法である。ピルは手軽ではないし、服用の仕方を間違えると効果は半減する。オギノ式(女性の生理周期から逆算して妊娠しない時期を計算する方法)は、理性が100%保たれている場合の話だし、膣外射精は論外である(いわゆる先走りだけで、充分に妊娠は可能)。コンドームには性病を防ぐ機能もあり、最近の欧米のポルノ映画を見ていても、男優がコンドームを装着してピストン運動をしているシーンなど、珍しくない。それだけ病気は恐い訳だが、日本は先進国の中で唯一、エイズ感染率がじわじわと上昇している事は、あまり報道されていない。そして、もしも出来ちゃったら堕せばいい、なんて考えているのなら、まさに鬼畜モノである。堕胎の時に女性がどれだけ屈辱的な思いをするかを考えれば、愛する相手にそんな事が出来る訳もないし、第一、堕胎を繰り返すと、女体には回復不能なダメージが残り、いざ妊娠したくなった時に出来なくなりかねないのだ。うら若き女性の皆さま、もし恋人なり彼氏なりが、コンドームを嫌がって「ナマがいいんだ」などと言ったら、相手はあなたの体が目当てであって、愛している訳ではないのだと思った方がよろしいと思う。長い人生を台無しにしない為にも。
《2003.10.08》
粋と不粋
 巨人は今シーズンの最終戦を、甲子園の対阪神戦で終えた。そこで(ホームグラウンドではない球場で)前代未聞の事ながら、原監督が引退セレモニーを行ったのは、報じられたとおり。阪神ファンも拍手を送り、星野監督が花束を手渡すなど、実に粋な計らいだった。やるな、阪神、と思った野球ファンは少なくないだろう。それと比べて、誠に不粋という言葉がピタリと来るのが、地上波テレビメディア。この「伝統の一戦」を中継したのは、NHKのBSだけ。最終戦どころか、ペナントレースで阪神の優勝が決まると、まるでイジメか差別をするかのように、地上波は野球中継、特に巨人戦中継を全くしなくなったからだ。ペナントは終了しても、今年は2位から5位までが団子レースで、Aクラス入りをかけて、どのチームも必死だったし、巨人ファンなら選手の個人タイトルも気になるところだった。パ・リーグも、最後までし烈な優勝争いがあり、ホームラン王もまだ決まっていない。いちいち書くのもバカらしくなるが、その代わりに当日の地上波は何を放送していたかといえば、「さんま御殿スペシャル」「叶姉妹2世誕生」「会津ローカル線秘湯」そして皇室の特集だった。要するに、地上波メディアは野球という物を、全く理解していないのである。ファンの為などでは決してなく、自分らの為(視聴率という数字のため)に放送をしているのだ。これでコトある度に、良識ある報道などと持ち出すのだから、この面の皮の厚さを棚に上げて藤井総裁を非難など出来まい。地上波デジタル放送は、主催者側の詭弁によると、大変便利になるそうだが、視聴者から電子爆弾でも送れるのだろうか。それなら多少は意義もあるのだろうが。なお、巨人は一軍の全コーチが来年の契約を拒否、堀内監督はまだ一人のコーチも決められていない。予想されたコトだが、ナベツネ氏はオーナーを退く気配も見せず、フロントの責任など皆無だと言い張っている。原監督の引退にも、知らん顔。これは不粋など通り越して、醜悪と言うにふさわしい。
《2003.10.07》
抵抗勢力の手本
 辞表提出をシカトし、道路公団改革の足をせっせと引っ張る藤井総裁は、まさに抵抗勢力の手本である。これで解任手続きに数週間を要する事になる。ちなみに、自ら辞表を出した訳ではない為、退職金2600万が出ないらしい。給料は2300万だそうだから、それから見ると退職金は意外に低いようにも思えるが、当人にとっては、痛くも痒くもないようで、要するにこれまで充分に、稼いで(私腹を肥やして)来ている、という事なのだろう。手続きの中では聴聞会が開かれるが、都合が悪いとか何とか言いながら、引き伸ばしをはかる事も考えられる訳で、誠に往生際が悪い。前日、取り囲む記者に対して「私は悪い事は何もしていない」と開き直っていたが、赤字垂れ流しの東京湾横断道路を強引に作らせた張本人でもある。財務諸表のねつ造(事実上、そう言って良さそうだ)をしておきながら、それを内部告発した職員(地方に飛ばされている)に対して、名誉毀損の訴えも起こしており、スイカ並みに面の皮も厚い。手続きに時間がかかるのは、民主主義の宿命であるが、それを逆手にとって、保身と延命をはかるこういう手合いが出てくるのも、残念ながら世の常である。こうした欠点にも関わらず、それでも民主主義システムが、最もマシな政治システムなのだ。さて、この藤井総裁は、旧運輸省の役人から、道路公団総裁に昇りつめた、まさに道路の生き字引のような人物。高速道路網の整備という点では、大きな貢献をしているが、道路に関連する業務を、親族が経営する会社にせっせと割り振るなど、身内一族で利権を抱えこんで、潤って来たと言われる。当人に言わせれば、道路を整備して便利な世の中にしたし、身内は豊かになったのだから、「何も悪い事などしていない」のだろう。つまり、典型的なムラ意識、即ちお山の大将そのもの意識の持ち主だという事になりそうだ。ま、こういう人間は珍しくない。問題は、今までどうしてこういう人物が、延々と総裁に居座れたのかという事と、今後の公団改革であろう。総裁だけすげ替えても、腹心は組織内にまだまだいるだろうし、前述の関連企業の問題もある。新総裁が下手に報復人事などしたら、一層の混乱を招くだろうし、そもそも改革後にどういう形態にするかという議論も、まだまとまっていない。国土交通省の官僚からは、「結局、道路は作れるさ」という声があるそうだが、税金の無駄使いに対する賠償責任を官僚にでも負わせない限り、こうした問題は永久に変わらないであろう。もっとも、責任と簡単に言うが、責任がどこにあるのか分からなくするのも、官僚の得意技。例の失業保険として集められた金が、どこかの施設に化け、それが1万円等で払い下げられた問題も、1万円という金額を役人が適当に決めたらしいと伝えられる以外、一体どこの誰が決定したのか、まるで分からないのだ。
《2003.10.06》
少年犯罪スペシャル
 NHKスペシャルが分析していた。近年の、犯罪低年齢化、それと凶悪化である。流石はNHKであって、非常に深く掘り下げていたが、問題の根幹を掴みきってはいないように思えた。番組中で取り上げていた、少年犯罪の特徴は、「犯罪に関する罪悪感の希薄化」「親が躾をしないのが根本原因」「法律等をちゃんと分析して言い訳をする」「イジメ、万引きなどでグループを作って中で競い合うが、実態はバラバラ」などである。
 まず、根本的に「子供は純真、即ち善である」という大前提をやめるべきである。子供は白紙なのであって、純真無垢というのとは違う。だから子供は一面で残酷であって、面白がって虫を沢山殺すような事は、誰もが小学生ならやっていただろう。従って、現代に何故子供が凶悪犯罪を犯すようになったかではなく、以前は何故それが抑制されていたのかを考えるべきではあるまいか。その答の一つは、今の教育にあると言えよう。つまり、相手の立場になって考える、という事を教えていないのである。殴られたら痛いから、殴るのを止める。ところが、今の教育は、「駄目」と言うだけで実際に経験をさせない。イジメはいけない、と、教えるが、イジメにあったらどう対応するべきか、等は絶対に教えない。つまり、全く未経験の子供を送り出しているのだ。
 面白くない事があれば、ムカつくのは当然だし、気に入らない奴がいれば、「ブッ殺したい」と思うのも当たり前である。まして、思春期は、情緒が不安定であって、そういう傾向は尚更強いと言わなくてはならない。にもかかわらず、子供たちは「そういう事を思ってはいけない」と習って来るのである。抑制が効かなくなるのは、当たり前ではないか。
 また、躾の問題は良く聞かれるが、これは要するに、親が躾の仕方を知らないからであろう。本欄では何度も書いた事だが、三世代に渡って同居するのは、人類だけである。これは何故かというと、恐らく三世代に渡って受け継がなくてはならない知恵があるからに違いない。その知恵の代表が、まさに躾なのではないであろうか。近代社会で三世代同居が無くなったのは、いわゆる核家族になってからである。戦後の高度成長期に、核家族として生まれ育った世代が、今、親になっている。つまり、この世代は、「その前の親」から教わる筈だった、躾の仕方を知らない事になり、計算が合う。これに関連して驚いたのは、学校で先生が生徒を叱ると、大問題になる、という事実である。何故、大問題になるのか。それは親が苦情を言うからである。つまり、躾と暴力の区別が付かない親ばかりになっている、という事を示しているのだ。
 集団暴行化については、大人だってあまり大きな事は言えまい。もともと、大勢が寄ってたかって、誰かを攻撃するというのは、昔から集団リンチと言われている位で、普通にあった事だが、日本は特に国民性からか、その傾向が強い。一旦、熱くなると、考えもせずに騒ぎ立てるのは、森政権末期や拉致家族問題の時を見れば、明らかである。政治家の支持率は、事実上の芸能的人気投票だし、理想の上司に上がるのは、実際に上司になったら厄介な人物が必ずトップになる。勝手に仮想敵国を決めつけ、外務省の役人を個人攻撃して「何が悪い」と開き直る、どっかの知事などを引き合いに出されたら、我々大人は何か言えるのだろうか。
《2003.10.02》
微速前進
 政党のマニフェストがブームになったからか、公職選挙法の一部改正が実現するようである。現行法では、マニフェストを作成しても、配る事すら出来ないからだ。配ると言っても、各家庭のポストに投函していい、という訳ではない。予定では、配布場所を限定、候補者事務所、演説会場などのみで配布されるようだ。言うまでもなく、インターネットで大々的に公開するなどは、出来る訳がない。
 公職選挙法のこうした規定を見ていると、実に不思議なのが、日本での民主主義に対する考え方である。民主主義は選挙があるから、民主主義なのではない。それならば、フセイン政権下のイラクだって、立派な民主国家であった。民主主義は、国民が主権を持ち、判断する事で機能する。その為には、情報が国民に与えられなくては、国民は判断出来ない。今の選挙法では、議員は自分の主張を書いたパンフレットを街で配る事も出来ないし、有権者の所を訪問して説明する事も出来ず、ましてやインターネットで表明する事も出来ないのである。有権者に与えられるのは、「当局」が厳密に書式を定めた通り一編の選挙公報と、街角のポスター、そして選挙カーによる演説だけだ。選挙公報に出ている事など、文字数は少ないし、その中で書かねばならない必須事項も多く、候補者の考えを判断する材料は殆どない。ポスターは写真と政党名と候補者名だけであって、これで選べというのでは、人気投票だ。事実、プロレスラー、芸能人、二世議員、地縁血縁で組織票を持つ議員などが、常に当選の上位に顔を出す。マスコミを賑わす腹黒議員は後を断たないが、仮に優れた見識と理想を持つ、気高い人物が立候補をしたとして、もしその人物に知名度が無かったら、今の制度で当選するであろうか。答は考えるまでもあるまい。議員の汚職を糾弾するのなら、何故、そうした議員が選ばれたのかを考えなくてはならない筈だが、コトが起きる度に出てくる、こうした制度面の議論になると、規制を厳しくする方向にばかり行くのが日本である。そこには、恐らく自由に有権者が情報を手にして判断したのでは、困る連中が影響しているのに違いない。組織票で議員を送りこむ連中だ。業界と癒着する族議員の自民党は言うまでもなく、そこと連立して政権を運営している党にも、思い当たるのが無いだろうか。
《2003.10.01》
ハイテク人災
 地上波デジタルテレビ放送に対する、様々な疑問、反対意見が、次第に新聞などに、記事や読者投稿として現れるようになってきた。最初から反対のノロシを上げて来た本欄としては、嬉しい限りだ。地上波デジタルという愚策については、例えば、 http://www.hotwired.co.jp/bitliteracy/guest/000208/ が良くまとまっており、そのピンボケ発想ぶりが良く分かる。今の予定では、今年の末から大都市圏で試験放送が始まり、7年後には今の地上波放送は無くなる事になっているのだ。ちなみに、国家財政危機の中、この為に使われる税金は数千億円。このURL以外にも、問題点は幾らでもあり、
  • 今のテレビどころか、衛星デジタル受信設備も使えず、消費者はアンテナからビデオまで全装置の買い替えを迫られる。
  • 結果として、喜ぶのは家電業界で、早くも2兆円市場と皮算用をし、増産計画に走っている。
  • 地上波デジタル受信装置は、今の衛星デジタル機器を見れば分かるように、どの機器も最低で10万単位である。一式で百万単位に近づくのは必至である。
  • 買い替えという事は、同時に莫大な産業廃棄物の発生を意味する。
  • デジタル対応VTRには、コピープロテクトが組み込まれ、録画出来ない放送や、機器同士でのダビングが出来ない放送が可能になる。これは私的複製を認めている今の著作権法に触れるものである。一説によれば、デジタル受信機にはアナログ出力を付けないという。
  • 放送信号に個人識別情報を加え、当人の家以外では再生出来ないようにする仕掛けも考えられているらしい。これを実現する為には、その機器に誰の物であるかという個人情報を持たせなくてはならない。購入時、或いは中古処分時に、プライバシー侵害を発生させる可能性など、少し考えれば、破綻は明らかである。
  • デジタル地上放送は、中継点を通る度に時間遅れを生じるので、時報や画面への時刻表示が出来ない。(マスコミは圧縮と伸長を繰り返すと書いていたが、画質を落としてそんな事をする訳がなく、正しくは中継に当たって、伝送路特性の違いを吸収する為に、一時蓄積をするからだろう)
  • 別の面で言うなら、現在、テレビの時報を使って時刻合わせをしている全ての機器が、使えなくなる。
  • デジタルである事が、消費者に何もアピールをしていないのは、今の衛星デジタル放送の普及度合を見れば明らかである。高精細画面など、150インチ位の大きなサイズを近くで見ない限り、意味はない。
  • 地上波デジタルは海外では全滅に近い。米国ではクリスマス商戦の話題にもならず、欧州では放送会社が幾つも倒産している。地上波デジタルが世界の傾向などというのは、米国のイラク侵略よりも根拠の無い、出鱈目である。
 まだまだあるが、このあたりにしておく。では、かように見え透いた問題山積の代物を、何故、推進するのだろうか。常識的に考えるなら、地上波デジタルを行うに当たり、今の地上波との併用をし、普及率が逆転してから、現行の地上波放送を順次廃止させるというのが、普通だろう。それを何故か、焦って7年で強制するというのである。この事から、理由として考えられるものとしては、
  • 家電業界への救済策
  • NTT無き後の、旧郵政官僚の天下り先確保
  • 単なる役人の見栄張りとメンツ
  • デジタルと言えば何でも優れているという、単純思考
 というあたりが想像される。このうちで、1番目には疑問がある。これらの需要は一過性で、生産設備が過剰になったら、その反動は致命傷になりかねないからだ。となると、2番目あたりが臭い。即ち、腐れ役人の老後の為に、かような代物を、7年以内に消費者は、自腹で買う事を強制されるという事になる。それでなくても年金、社会保障などで、消費者の負担は増える一方であるのに、かような負担を更に背負わなくてはならないのである。これが予定通りに強行されるなら、まさに役人による役人のための、ハイテク人災以外の何だと言うのだろうか。

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