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3分の1 山を崩し、森を切り開いて何が環境万博だ、と批判を浴びながら、開催にこぎつけた愛知万博。発表によると、入場者数は予定の1/3程度だそうだ。関係者は「まだ始まったばかりであり、喜ぶ必要も悲しむ必要もない」との事だが、このパターン、最近どこかで見たような気がしないだろうか。さよう、衛星デジタル放送の普及度合いである。1000日で1000万台と大風呂敷を広げたものの、結果としてその1/3くらいに推移したアレだ。今でも1000万世帯になど普及していない事は言うまでもない。ただ今、これは地上波デジタル放送と名前を変えて、せっせと同じ事をやっている。どちらの場合も、ほぼ1/3というのが共通するが、これは逆に言うとこういう関係者は数字を3倍くらいに膨らませて提案するものとも言えそうだ。本州四国連絡橋や東京湾横断道路も似たようなものなのであろう。さて、愛知万博。目玉になる筈だったマンモスは模型である。実物は頭だけで、それも欠落が多い。ちなみに、これまで全身が発見されているのは子供の象だけである。何やら行列が出来ているらしいが、例によって大手メディアは「マンモスを見に行こう」などと煽っているのだろうか。大体、万博などという発想が既に時代錯誤なのではなかろうか。 |
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擬似常任理事国 本欄を読んでいる方々で、まさか日本の国連常任理事国入りを諸手を上げて喜んでいる向きは無いと思うが、何故か多くのメディア、特に認知症(ボケの事)の疑い濃厚な地上波メディアは歓迎するコメントが目立つ。実態は言うまでもない。名前だけ常任理事国。拒否権なし。拒否権は今の5カ国がそのまま持つのだ。日本が常任理事国入りをしたら、恐らく間違いなく変わる点は「もっと金を出してくれ」だけである。アナン事務総長は早くも「途上国の経済援助用に日本のGNPの0.7%(3兆5000億円)を」などと言っている。パックイン・ジャーナルでも言っていたが、この金は結局当面はイラクの復興経費に当てられるのではないかと言われている。これを会社で言うなら、議決権の無い取締役みたいなものである。肩書きだけは取締役だが、経営には参画出来ない上に、正規の取締役のしでかした不始末の尻拭い用に莫大な会費を払えという訳だ。これを喜んで受け入れるなど、日本は二流国の立場を甘んじる(言い換えればバカ丸出し)のと同じである。無論、実際にその通り、という冷めた見方も可能ではあるが。ちなみに現在日本が拠出している国連費用は年間600億円程度。これは米国とほぼ同等の割当だが、米国はこれすら払い渋っている。日本が求められた金額の大きさが分かるのではなかろうか。 ところで、地上波のボケ傾向はますますひどくなっているようだ。先日もちょっと回したチャンネルで(どこだったか覚えてもいないが)、今度の日本映画「ローレライ」を絶賛していた。第二次大戦の潜水艦が艦内ピカピカというスチル写真も呆れる他ないが、軍人の行動が子供じみているなどシナリオも途方も無くいい加減らしい。先日、インターネットで予告編を見たが、ひどいものだった。黒を白と言いくるめるという言い方があるが、これは黒か白かすら考えようとせず、言われるままにウソ八百を並べているのだ。良識もプライドも知性もないこの地上波メディアというものが、事ある度に連中の口にする報道だの啓蒙だのと言える代物でない事だけは明確だが、国全体がそうならば当然なのかもしれない。 |
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官僚の伝統 「役人たちは恐らく永遠に法治、すなわち法の厳格な執行に抵抗するでしょう。自由裁量の幅が狭くなって威勢が振るえなく、賄賂が取りにくくて収賄すれば身に危険が及ぶからです。しかも彼らはそれを犯罪などとは考えず、権利ないしは読み書きを覚えた当然の報酬だと心得ております。その権利を侵害する相手を決して赦しません」 これは、昨今の行政改革委員会かどこかで出た発言ではない。今から2000年以上も前、かの秦の始皇帝に向かい、側近の蒙殻が述べた言葉である。(と言っても、こういう発言記録が残っている訳ではない。様々な記録から推測されたものであり、文春文庫「始皇帝」安能務著に出ている記述である) が、このコンセプト、現代でも全く変わらずに受け継がれている事は、誰もが納得するのではなかろうか。敢えて言うならば、読み書きの部分を公務員試験と置き換えればそのまま通用するであろう。始皇帝と言えば、これまでは残虐な暴君というイメージが一般的だった。だが、それは織田信長が冷徹非情と伝えられたのと同じで、後世に作られたものだと言って良い。始皇帝は初めて中国全土を統一した人物だが、それまでの封建的な政治体系から、法治国家という近代体制への移行を確立した人物でもある。当然ながら、根本的に社会を作り変えるのだから、独裁者でなくては出来る話ではない。独裁者というと、現代ではマイナスイメージばかりが強調されるが、例えば国家の創建期にはこうした人物がその権力で諸政策を実行しないと、混乱が続くだけで絶対に国家はまとまらないのだ。それはアフガニスタン、ソマリア、そしてイラクの現実を見れば明らかであろう。民主主義が効力を発揮するのは、国家が国家としての体を成してからである事を忘れてはならない。 さて、始皇帝の残虐さを述べる時に取り上げられる話が、万里の長城を始めとするいわゆる公共事業に何十万もの人を強制的に動員したというものである。だが、実際に動員されたのは、汚職や違法行為で摘発された役人が殆どであった事はあまり語られない。一般庶民が駆り出される事は殆ど無かった。何よりも農業は国の基本であり、農民を徴用などしたら長期的には国家が傾く事を始皇帝は良く理解していたのである。従って、官僚ら役人の始皇帝に対する恨みは深く、始皇帝の死後にお抱えの儒教学者らと結託して始皇帝のイメージダウンをせっせと計ったというのが実態だ。それにしても、役人の不正行為を摘発しさえすれば、罪人の数に不足は出なかったらしい。 ここで、現代の話にしよう。先に総務省が行ったアンケートによると、役人を信頼するという回答は僅か12%に過ぎなかったそうだ。アンケートの対象をどう選んだのか分からないが、仮にランダムに選んだとするなら、その中には役人の家族もいたに違いない。という事は、12%という数字を考えるに、役人以外は役人を信用していない、という見方も出来よう。先に日本の国家としての借金は、累積で700兆円を越えたという発表があったが、役人のお手盛りは一向に収まる気配はない。独身手当やら眼鏡補助だの、大阪府の各種手当にしたところで、明るみに出たから嫌々止めたのであって、実際には名前を変えて存続していると見ても何も不思議はない。天下りは減る訳もなく、渡り鳥の退職金も削減されたという話はない。言うまでもなく、それは役人にとっては当然の権利であり、自分の金ではないのだから幾ら無駄使いしても懐は痛まないのである。ここまでは役人と書いて来たが、妙なエリート意識に固まっている業種でもこれは共通している。民間より遥かに高い給料をもらいながら、それを当然の権利であると主張する放送界も同様だろう。始皇帝はその生涯に渡って官僚組織の支配に尽力したが、結局はかなわなかった。現代ではますます難しい命題と言えそうであるが、問題解決の第一歩は、このエリート意識を無くす事ではないだろうか。 |
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降番表明 ライブドアが経営権を握ったら、私はラジオ番組を降ります、と何人もの有名人が発言したという。メディアはこれを、「そうしたらライブドアが買収してもラジオの商品価値が下がる」という方向で報じている。そうか? 例えば、元プロ野球選手の江本孟紀氏は「プロ野球を辞めたときにニッポン放送さんが解説者として拾ってくれた。その恩がある」と語っている。つまり、今までは義理で出ていたという事である。ラジオなんて本来面白くなく、出たく無かったがこれを良い機会に降りるという主旨が裏に隠れているとしても、何も違和感の無い発言だ。他の有名人も、要するにテレビ出演との兼ね合いで出ていたという事だろう。本当にラジオが好きであり、ラジオに出たいのであれば、経営者が誰であろうと構わない筈だし、例え経営者とソリが合わなくても、それを決めるのは実際に経営者が代わってからでいい筈だ。この有名人降番ネタはニッポン放送が流したらしいが、いみじくも今のラジオに全く魅力が無い事を自ら暴露する結果となった。どこに脳みそをつけておるのであろうか。 ところで、ライブドアの放送界への乗り出しについては、色々と評論がされている。毎日新聞が掲載した「放送局が狙われる」という記事では、放送局側にも株式の時価総額を高めて来なかったなどの気のゆるみを指摘する他、放送の公共性という観点から、その為の免許制度であり、監督官庁が何も言わないのはおかしいとも述べていて、これらは辛口子もおおむね頷けるものだったが、ライブドアの堀江社長が「今のアナログ放送にインターネットがあれば、デジタル放送の必要性はない」と述べた事に対する反論が面白い。放送局側では、BSデジタルの経験から双方向サービスをメリットとしてアピールする事は難しいと学習している、と述べている点だ。はて、地上波デジタルのPRには、必ずこの双方向は出て来るのではないだろうか? パンフには必ず大型テレビを囲む家族の姿と、リモコンで双方向を行う子供の姿が無かっただろうか。何時の間に話が変わったのだ。そして、この文では地上波デジタルのメリットとして、ハイビジョン放送と携帯電話とリンクするワンセグ放送だ、とも述べているのである。本欄で何度も指摘してきた事だが、ハイビジョン放送は大画面で見るから意味がある。高画質の画面が視野を覆うからこそ、臨場感が生まれるのであって、そうでないならただ単に綺麗な画面に過ぎない。だから、高々50インチくらいの画面で見るハイビジョンなど、女優の皺の数を数えるとか、甲子園に落ちている砂利の数を確認する程度の意味しかない。そして、携帯通信に至っては、地上波デジタルが始まった頃には影も形も無かったものだ。余りにアピール出来るものが無いから苦肉の策で出て来た概念に過ぎない。ハイビジョン画面は高精細だから、字幕などは小さく出されている。携帯では画面が小さいので、字幕の出し方一つにしても、根本的にシステムを変えなくてはならないのだ。携帯に送るにしても、単に電波を送っただけではテレビと同じであるから、どうしたって携帯電話としての電波、即ち携帯ムービーとして送らなくてはアピール出来ない。劇的に通信費が下がらなかったら、全ユーザがパケ死である。また、携帯程度の画面を見るのだったら、今のインターネットで御の字である。要するに、堀江社長の論の方が、遥かに一理あるのだ。 こうした論評を聞いていて感じる事は、技術音痴が余りにも知ったような事を述べる傾向である。理科離れと言われる実態が、若者ではなく大人に於いて大問題なのだという事を疑いもなく示しているようだ。辛口子は別に堀江社長の支持者ではないが、少なくとも彼のエンジニアリング面での主張は正しい。というか、普通程度の技術知識で分かる事であって、周囲が余りに無知すぎるのである。 |
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改めてプロレス擁護論 K−1もいよいよ下火なようだ。ソウル大会はひどいものだった。ランプを幾ら並べて誤摩化したって、客席はガラガラだった。公式発表の入場者数は15918人となっているが、とても信じられない。試合内容も曙対角田戦に至っては茶番もいいところで、とっくに現役を引退したロートルにようやく判定勝ちをした曙に、「光が見えた」と解説するに至っては、開いた口が塞がらないのが実際だろう。曙は米国のプロレスに参戦すると伝えられているが、元々、大衆にアピールできる「華」の無いキャラだから、そのうちどこかに消えて行くのが目に見えている。カルホーンの時代ならともかく、現代では体が大きいというだけではプロレス界では通じない。さて、そのプロレスに話を移すと、プロレス危機説はメディアが勝手に流しているデマである。単に下手クソな試合中継をして視聴率が上がらないという、自分の不手際を棚に上げて、テレビが勝手にそう決めつけているだけだ。3月の5日に武道館で開催された、プロレスノアなどは会場を埋め尽くしたファンの熱気にまさに揺れた。イメージギャルがいる訳でもなく、自称格闘技ファンのアイドルが番組に出る訳でもなく、思いっきり舌を丸めて字幕が無ければ何言ってるんだか分かりもしないリングアナがマイクを持つ事もない。観客は純粋にリングの上で行われる格闘ショーに陶酔したのだ。そこにはメディアの演出による作られた拍手ではなく、鍛え上げられた肉体の見せる世界に純粋に熱狂する観客の姿があった。プロレス衰退論の一つの根拠が、テレビの視聴率だ。だが、それは中継が下手クソだからだという事は最初に指摘した。特にTV朝日のがひどい。一方でプロレスの何たるかを分かって作っているTV東京系のプロレスラブは、しっかり固定層を掴んでいるに違いない。観客動員数にも疑問がある。確かにK−1は全盛期に6万と言われた。だがK−1の興行など年に数回に過ぎない。プロレスは試合当たりの観客数が数千人程度だとしても、殆ど毎日興行しているのだから、年間当たりの観客動員数で見るならば、K−1など問題にならない。日本には少なくともきちっと定期的に興行しているプロレス団体が、50以上あると言われる。それだけの団体がやっていけるという事が、即ちそれだけの観客が見に来ている事を示している。また、プロレスはヤラセである、という指摘もある。確かにそういう要素はある。だが、だからこそ安心して見ていられるのでもある。第一、ヤラセがいけないというなら、テレビドラマ、映画、演劇、手品、サーカスなど、全てがヤラセではないか。プロレスは鍛え上げた肉体がやる壮大なショーである。一般人が真似などしたら、あっという間に重傷を負うか死ぬだろう。鍛えた肉体がそのギリギリまでの能力を見せるからこそ、観客を無条件に感動させるのである。プロレスの座を脅かすと言われたものは、何もK−1が初めてではない。異種格闘技というものもあったし、熱狂的なブームとなりながらあっという間に消えたローラーボールなどというものもあった。だが、そうした物の中で、プロレスだけはしっかりと生き残って来た。生き残って来たのには、ちゃんと理由があるのだ。視聴率が上がらないというなら、テレビ局はプロレスのプの字も分からん奴に番組を作らせるな。プロレス団体は自分らの誇りに従ってプロレスを興行すればいい。変にK−1などを意識した結果、新日プロレスはガタガタであり、プロレスの王道を行くノアは盤石だ。ジャイアント馬場が創設した日本のプロレス原点である全日プロレスにも、諏訪間幸平という大型新人が現れた。デタラメを並べる地上波メディアなど捨て置いて、スカパーで見るプロレスは元気である。 |
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永久追放問題 プロ野球のオーナー会が、いわゆる永久的に失格となった選手の復権手続きを野球協約に織り込む事で合意し、あの池永選手らの処分解除に向けた道が開けた。この話題になると取り上げられるのは池永選手が有名だが、他にも当該選手はいる訳だし、確か既に他界している選手もいたように思う。いわゆるプロ・アマ交流問題もそうだが、何かの不祥事で「熱ものに懲りて膾(なます)を吹く」決定をしてから、およそ40年、頑迷に見直す事をしなかったプロ野球機構の責任というのはどうなっているのかと思わずにはいられない。「被害」に合った選手らは、人生の数十年を奪われたのだ。とかく野球選手は「聖人」である事を求められる。今どき、タバコを吸う高校生など珍しくもないのに、ダルビッシュ選手を初めとして高校野球界でも喫煙が発覚などしようものなら、まるで麻薬中毒者か犯罪者扱いだ。にも関わらず、それを統括する立場のプロ野球機構は責任とは無縁である。ライブドアがプロ野球界に入ろうとした時に審査した読売代表は、ライブドアのコンテンツに成人向けがあり、野球にふさわしくないと糾弾した。読売グループの出す報知新聞には、もっと過激な風俗欄がある事など棚に上げて、であった。経営内容の健全性を突っついた西武鉄道は、実は証券取引法違反を数十年に渡って行い続けていた事が明るみに出て、この審査会の直後に上場を取り消された。にも関わらず、機構は何一つ揺るがず、責任をとって「永久追放」になったオーナーなどいない(堤オーナーが刑事告訴されたのは、プロ野球機構とは何も関係ない話だ)。高校野球のチームに連帯責任を負わせて簡単に出場停止にさせる高野連は、以前、内部で経理不正が発覚した時に、無論連帯責任などとらなかった。今年、プロ野球のオープン戦を見ていると、ファンとの距離を縮めようと様々に鋭意努力する選手や監督の姿が目立つ。にも関わらず、オーナー会は改革には消極的だ。ドラフト制度の改善一つにしても、議論すら殆ど行われていない有様。この永久追放問題の見直しなど例外中の例外に過ぎず、何だか、自分らが追放された時に、すぐに復権できるようにする為の手を打っているのではないかと疑いたくなる。そもそも、オーナー会という言い方が良くない。オーナーじゃないのだ。このオーナー会というシステムそのものこそ、見直されなくてはならないのではあるまいか。 |
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ライブドアまず一勝 東京地裁は、ライブドアが申請していたニッポン放送の新株予約権発行の差し止め仮処分を認めたが、これは当然と言えば当然である。新株予約権の発行は会社が何か事業をする為に必要で、特別な相手から資金を急遽調達したい場合に使う手法だからだ。今回のニッポン放送は予約権をフジテレビに対してのみ発行した事はともかく、その金額が3000億円を遥かに越え、既存の発行済み株式数も越えるという規模である事、その使用目的として新本社社屋の建築などを上げているが、その為に必要な金額は僅かに数百億円に過ぎない事、ライブドアがニッポン放送を無くすような事を言っていない事などから考えて、明らかに会社を守る為ではなく、今の経営陣が自分らの保身の為にやっている行為である事は見え見えだからだ。ところで、本欄では何回か、ニッポン放送の社員平均年収が1200万にもなる事を書いて来たが、それではフジテレビはどうなのだろうか、と思って探りを入れてみたところ、どうやら38歳の社員で年収が1500万を越えているらしい。無論、これも書いてきたように、彼らは実際には番組の制作現場にも顔を出さないのである。一体何をしているのであろうか。そして社員が1500万ならトップはどうかと言う事になるが、これはおよそ8000万から1億円くらいの年収のようである。業界最大手と言われる某電機メーカの社長が3000万という話を聞いた事があるので、それと比べても格差は際立っている。昨年、巨人戦の視聴率が低迷した時に、放送の仕方が悪いのだ、などと屁理屈を並べた日本テレビの氏家会長は1億円をもらっているらしい。業界全体としては、視聴率競争で首位を行くフジテレビがやはり給料も良いらしく、ビデオでCMをスキップするのは著作権法違反だ、などと子供以下の発言を平然と行った民放連会長(フジテレビの会長)も、当然1億円程度はもらっているだろう。いわゆる構造改革が必要なのは、天下りだけではない事がここに如実に現れている。業界ばかりか政治畑方面からも、ライブドアの行動を支持する声が結構見られるのはこのためでもある。 |
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量子暗号 最近、雑誌や新聞に良く出て来るもの。究極の暗号とも言われている。量子力学的性質は、観測する事で状態が変わって(或は決定して)しまう。この性質を使う事で、盗聴行為を受け側で100%確実に見抜く方法が、この量子暗号である。例えば、光子の偏光を利用する手法が良く知られている。光を偏光させ、その度合いを変える事で情報を送る場合、途中で偏光の向きを調べようとすると、調べる装置が偏光の向きを決定してしまう。こうなると、例えば情報のパリティを受信側で調べるなどすれば、理屈の上では盗聴行為がバレる訳である。問題は、光子の持つ偏光特性が、どの位まで変わらずに伝えられるかであったが、最近の研究で100kmを越える距離まで保てる事が見いだされ、にわかに注目されてきたという次第だ。確かに、このシステムでは盗聴は不可能である。この事は華々しく紹介されているが、盗聴によって状態が変わってしまうのだから、妨害は容易である事は述べられてはいない。また、暗号システムが破られる時に、ネックとなるのは必ず人間のミスである事も忘れられている。第二次大戦で、ドイツのエニグマの解読が一気に進むきっかけになった出来事とは、敵の潜水艦からエニグマ装置を拿捕できた事ではなかった。エニグマは軍用と民間用の2つのシステムがあり、民間用のは当然ながらガードが緩かったのだがある時、ドイツの連絡係が誤って同じ電文をこの軍用と民間用の両システムで送ってしまい、その事が解読を目指す連合国側にとって、大きな手がかりとなったのだ。また、日本が使っていた紫暗号は第二次大戦開始の頃には殆どが解読されていたが、平文になったとしてもその中で使われる略語については、分からない点が多かった。ある時、アメリカ側は日本軍の大きな作戦を解読した暗号から知る。それを利用して日本軍を叩く作戦が立案されたが、暗号の中では攻撃対象をAFという単語で記述していた。これまでの解読から、それがミッドウェーらしい事は分かっていたのであるが、万が一にも違っていたら逆にまだ劣勢であった米軍が手痛い損失を被りかねない。そこで、米軍はわざと日本軍に傍受されるように、戦闘機と基地との間で「ミッドウェーでは水が不足している」と交信させた。それを傍受した日本の基地が、日本本土に向かって「AFでは水不足の模様」と発信した事で、当該単語がミッドウェーだと確信出来たのである。これがミッドウェー海戦で日本軍の敗北を招き、更には日本軍の進撃を一転して敗退に向かわせる転回点となった事は良く知られているとおり。このように、いかに優れたシステムが出来たとしても、それで情報戦略が決まる訳ではない。使うのは人間だからである。カードの番号と個人情報の漏洩事件は、ネットショップからではなく、殆どはカード会社の社員が小遣い稼ぎに外部に出す事で起きている。だから、量子なんて単語が使われて、何だか良く分からないが凄いものらしい、なんてな具合に安直に納得してはいけないのである。今、量子という言葉が何だか神の啓示のような使われ方をする傾向がある。最近映画にもなった、アイザック・アジモフの「我はロボット」には、陽電子頭脳というのが出て来る。これは科学的には全く意味はなく、陽電子を使ったからと言って、画期的な回路が実現される訳もないのであり、単に「かっこいい」から使われた単語に過ぎない。同じように、現代では量子という単語が一人歩きする傾向がある。何十年経っても人間の反応など進歩していない。だからこそ、究極の安全な暗号システムというのが眉唾なのである。案外、伝書鳩の方が確実なのかもしれないのだ。 |
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QOS=0 QOSとはQuality Of Serviceの略で、文字通り「サービスの品質」の事である。さて、辛口子はJCOMというCATV会社に加入し、インターネットへの接続もここを経由して行ってきた。ところが、最近、データのアップロードがやけに遅くなった。また、P2Pアプリによるデータ交換も速度が激減し、クライアントとのデータ転送も思うに任せなくなった。最初はどこかのトラブルかと思っていたが、何時までも直らないので問い合わせたら、何と「そのように絞ってます」という回答が平然と返って来たのである。理屈は、大量にバンド幅を使うユーザがいるので、サービスを公平にする為に絞っている、という事であった。思わず、ムカッと来たのは言うまでもない。この論法は、インフラサービスの会社としては論外だからである。まず問題なのは、勝手に回線を絞るという行為である。辛口子が腹を立てたのは、速度を制限したからではない。ユーザ向けに事前のアナウンスが全く無かったからだ。金をもらってサービスを提供している以上、的確な情報を出すのは当然の話。事情があって速度を絞るという事を、事前に聞いていたらユーザ側としても対策がとれるのだが、突然知らぬ間に速度が低下したのではすぐにはどうしようもない。その事が分かっていない。また、この「公平」という言葉も意味を取り違えている。道路公団が、大型車で道を一杯に使う運転手がいるから、渋滞防ぎ道路を公平に使わせるために、料金所で1分に1台しか通過させないようにしたら、どうなるだろうか。水道会社が大量に使うユーザがいるからと、各家庭の蛇口からちょろちょろとしか水を出なくしたら、何を言われるだろうか。JCOMのマネージメント階層には、途方も無い無能者が居座っているようだ。辛口子は無論、光ファイバサービス会社への加入手続きを進めている。 |
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誇りの裏側 話題の中心、ニッポン放送。先に従業員側が「フジ・サンケイグループの一員として誇りをもって活動してきたし、これからもそうして行きたい」と発表したのに続き、経営陣側も殆どこれと同じ発言を行った。ライブドア傘下になるなんて嫌だ、という事だ。以前、本欄でも指摘したが、ニッポン放送の従業員給料は平均で年収1200万円。ライブドアが経営権を握ったらここに真っ先にメスを入れるだろうと言われている。そりゃ反対をするであろう。従業員は給料半減か解雇のどちらかを、経営陣は総退陣に近い事を迫られるのは明確だからだ。経営陣側は、先の発表で「ライブドアが我が社の経営陣を無能であるかの如く言うのはけしからん」というコメントをわざわざ付加している。しなければどうという事はないのに、お陰さまでライブドアの指摘は、よほど正確に的を射ているに違いないとバレてしまう。まさに無能である。言うまでもなく、ニッポン放送やフジ・サンケイグループが日本の大手メディアの中で特別な存在ではない。従って、どこの社でも社員は高給を取り、経営陣は保身にのみ専念していると想像するのは容易である。テレビ番組制作現場の声を聞くと、例えばテレ朝の番組であってもテレ朝の社員は現場に来る事すらないという。要するに下請けに丸投げ、何かあったら下請けに責任を負わせる仕掛けな訳である。では自分ら(テレビ局社員)は高給を取って何をしているのか。実は、テレビ局本体は取引銀行や担当官庁の幹部の子弟を採用し、普段は遊ばせているという話がある。いざ、コトが起きた時に、そうした社員に「お父ちゃん、お願い」と口を聞いてもらえばモトは取れる、という考え方だ。我々はその為にCMを見させられているのである。CMをカットできる録画機を、フジ会長が目の敵にした理由が何となく頷けて来ないだろうか。 |
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だからこいつらには任せられない 自民党が検討している憲法改正案。その部分会である国民の権利及び義務小委員会では、表現の自由を制限し、いわゆる有害図書の出版を禁止出来るようにするという意見が大勢を占めたそうである。あまりの馬鹿らしさに、普通は呆れて声も出ないのではなかろうか。表向きの名目は、青少年の健全な育成に悪影響を与える出版物という事で、いわゆるポルノの類いという事になっているが、当然ながら政府を批判する事も青少年の「健全な」育成には有害だろうし、政府にとって都合の悪い情報を流す事、例えば同盟国の批判なども、言うまでもなく青少年の「健全な」育成には有害という事になろう。だからこそ、長年の経験から表現・出版の自由という概念が確立したのである。そもそも民主主義とは、選挙をするから民主主義なのではない。異なる意見を自由に述べ合い、最終的に判断をするのに大勢で投票するというものが民主主義なのだ。図書が有害かどうかを皆で判断するには、出版されなくては不可能である。有害だというなら、未成年が買えないような仕掛けを作ればいい。ところがこいつらは、どこかで誰かが有害かどうかを判断する事、即ち民主主義そのものの否定を大勢で合唱しているのだ。どうせ判断するための、非公開委員会が出来上がるのだろう。そうした代物が何の役にも立たない事など、らい予防法事件が完全に証明している。この小委員会では、ついでにいわゆる政教分離ももっと垣根を低くする意見がでたそうだ。憲法改正論者が口を揃えて言うセリフに、「現行憲法は占領軍の押しつけだ」というのがある。それでは、と意見を求めるとこうして脳みそが100年くらい進歩していない事を露呈するのだ。どんな顔ぶれがこの小委員会を構成しているのか知らないが、高卒程度の頭がちゃんとあるのかどうか、まずは委員に対して試験をするのが先のようである。 |
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ちびくろサンボ復活を歓迎する 瑞雲舎という出版社から、来月復刊の運びとなったそうである。心から歓迎したい。元々は岩波書店の版だった作品だそうだ。いきさつは単純明快である。狂信的単細胞の群れが「黒人差別書物だ」と糾弾した事だ。1988年というからもう17年にもなる。読んだ事がある人なら誰でも知っているように、黒人の少年が主人公のこの絵本は、この少年が黒人であるという理由で差別される事を描いてなどいない。例えば白人の子供が出て来て、白人である事を鼻にかけるような場面は無い筈だ。つまり、これを差別的だと糾弾した連中は、単に黒人という言葉に反応したのであって、その知能レベルはこの一点だけで推して知るべしだという事が分かる。こうした声を上げた連中こそが差別意識の持ち主であり、それを隠そうとして声だかに見かけ上の正義を主張したに過ぎないのだ。別の言い方をするなら、照れ隠しである。17年という一世代の時間を経て、こうしたおめでたい連中が少しでも学習したのなら、それは喜ぶべき事であろう。だが、全く同じパターンで悲惨な目に合った例には、ダッコちゃんやカルピスのトレードマークなど、他に多くのものがあった事を忘れてはならない。本欄は一貫して、こうした「正義づらをしてでかい声を上げるバカ」を糾弾して来た。これからも続けるつもりである。 |
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1200万円 ライブドアの株式取得で一躍脚光を浴びた(?)ニッポン放送。先日のニッカンスポーツに出ていた記事によると、社員の平均年収は何と1200万円近いのだそうだ。平均年齢が40歳弱という事で高めではあるのだが、それを差し引いても世間常識から見てかなり高額な給料を貰っていると言えるだろう。ラジオ放送ってこんなに儲かるものなのだろうか。常識的に考えてもそうは思えないのだから、これは当然、別の金の流れがあるに違いない。それと同時に、ニッポン放送がラジオ界の異端児ではない事も明白で、メディアの中ではこうした不透明な金が日常化している事が伺えるのだ。ライブドアの堀江社長は無駄金を出さない主義で、会社の実権を握ったらこの高額給料に最初に手をつけるだろうと言われている。ニッポン放送が買収に怯えて大慌てで新株予約券を大量発行した裏には、こうした既得権益を奪われる事に対する恐怖があるに違いない。決してニッポン放送という会社を守る為の行動ではない事に、改めて留意する必要がある。 |
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