一刀両断ミニコラム
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2004年2003年

《2005.06.28》
ネット情報は止められるのか
 米国からカード利用者情報が大量に漏洩したり、警視庁の捜査情報や原子炉の関連情報がウィルスで洩れたなどのニュースが新聞を賑わせている。個人情報保護法案はあっても、実際に情報が漏洩してしまったら、アンドゥは不可能である。東京湾に落とした角砂糖を回収しろと言うに等しい。最近のニュースを見ていると、とにかくネットの漏洩をなんとかする方策はないのか、という一点に話題が絞られているようだが、実態はそんな議論を越えて進んでいる。少なくとも、住所、氏名、生年月日、電話、ある程度の趣味嗜好あたりの情報は、当人が流したつもりがなくてもどこかにあると思って間違いはない。名簿業者というのがいる。卒業者名簿や企業の社員名簿、何とかの会の会員名簿などの情報を集め、それを整理して売買する業者である。子供が小学校に入る年代になると、何故かランドセルや学習机のダイレクトメールが来るのも、そうした名簿業者が情報をまとめ、DM業者に売っているからだ。そうした業者は個人を特定するのに、生年月日と名前を使うという。同姓同名はいる事があっても、この両者が一致する別の個人というのは、まず有り得ないからだ。つまり、国民総背番号制度の話が出ると何時も反対運動が巻き起こるが、とっくに名前+誕生日が実質的総背番号になっているのである。名簿業者という響きからは、あたかも分厚い紙の束を扱っているような印象を受けるが、かつてはともかく今ではCD−Rやネット交換を主要とする完全なIT産業である。業者同士でも互いに名簿情報を売り買いし、まとめた情報はパソコンを使いデータベース化して、必要に応じて分類整理をする。今のパソコンは、かつての大型メインフレームよりも処理能力は凌いでいるのだから、数十万人であろうと簡単に処理が出来てしまう。個人情報は様々な所から集められる。卒業生名簿などは卒業生の数だけ存在するのだし、そこにカード会社からの漏洩情報や、オンラインショップからの買い物情報、住民票を参照して得た情報などが加わったら、個人の生活など丸裸になるだろう。これが空想ではなく、現実に起きていると思って良いのだ。情報は集まっただけで、とてつもないパワーとなる。例えば、現在はあるのかどうか不明だが、つい最近まで電話帳を入力する専門の業者がいた。NTTの電話帳を片端からコンピュータに入れるのである。大量のオペレータを動員、常に同じ情報を二人に入力させて比較する事で、ミスを防ぎ正確な情報入力を可能にしていたそうだ。で、そうした情報は毎年更新される訳だが、それがコンピュータに入ると例えばある個人が何時頃、どこからどこへ引っ越したか、というような事は簡単に分かってしまう。国勢調査顔負けの精度だ。今ではかつてのように、誰もが電話帳に掲載される訳ではないし、NTTに電話をしても住所などを簡単に教えてはくれなくなっているのだが、それでも過去の履歴は残っているし、番号案内で「開示しないという当人の希望ですから」という返答があれば、その電話局の管轄区にいる事は分かってしまう訳で、業者が必要だと判断するなら個人の追跡はそれほど難しくはないのだ。つまりネットに漏洩したからどうだとか、どこかのサイトに侵入されたからどうだとかいう次元ではなく、このようにコンピュータが安価かつ高性能になった事から、個人情報の流通そのものに大きな変化が起きているのだと認識していないと、最初に述べたように「漏洩を防ぐには」などという、泥棒が入ってから縄を結うような議論を平然と始めるおめでたいのが出て来るのである。ネットは手段に過ぎない。情報は処理をされてこそ威力を発揮する。その処理手段が革命的に進んだという事なのだ。情報は既に流れているもの、という前提に立って議論を進める必要がある。
《2005.06.27》
ある転職
 ニック・リーソンという名前に覚えがなくても、1995年、英国系の伝統ある銀行のシンガポール支店のチーフトレーダーとして、巨額の先物取引損失を出し、その銀行を潰した上に東南アジアの通貨危機まで招いた人物であると言えば、思い浮かぶのではなかろうか。その彼が目出たく(?)服役を終え、アイルランドのゴールウェイ・ユナイテッドというサッカークラブに就職したそうである。チームが出したコマーシャル・マネージャの求人広告に、彼が応募して見事に受かったという。面白かったのが、クラブの人事担当(フロント)の話で、応募書類にニック・リーソンという名前を見た時にはびっくり仰天し、エイプリルフールかとカレンダーを見直したのだそうだ。だが、彼は偉い。一瞬の驚きのあとで、すぐにこの男なら金勘定がうまい事に間違いはない、と判断。全部で8人の応募者から、面接の結果、彼を合格にしたというのである。リーソンの話によると、彼の応募書類には履歴を書かなかったそうだ。というより書きようがなかったのである(刑務所の中だった)。そこで彼はトレーダーとしての大失敗をきちっと解説し、それを応募書類に添えたのだという。さて、当然の事ながら、どこかの島国だったら、これはどうだろうか、という気になる訳だ。コトある度に、犯罪者の人権ばかりごたいそうに説明する法曹関係者を見るにつけ、現実と乖離して机上の空論ばかりに固執する「白い巨塔」を思わずにはいられないからである。似た話は他にもある。例えば、米国の税関では、元麻薬密輸犯が検疫を行っていると聞く。なにせ、そうした手口には間違いなく通じているプロに違いないからだ。これと比較するに、どこかの国では、警察官が暴力団とコネクションを持ち、情報収集をすると非難される。北朝鮮を敵視するのはいいとしても、そこに通じた(詳しい、と訂正)官僚をコキおろして対話のパイプを切断する。悪い言葉さえ教えなければ子供は健全に成長するとばかりに、言葉刈りを徹底する。どちらが高い知性の見せる行動かは、論を待つまい。
《2005.06.25》
メディアの必要性
 NHKは必要と思うか、というアンケートが5年毎に行われているのだそうだ。先頃の結果によると、5年前に比べ、必要だという答が88から79%へと減少したのだとか。この結果をどう見るかだが、基本的に辛口子は民放と同じ事をやるんなら不要である、という見解である。ところで、このアンケートだが、「民放は必要か」というのは無いのだろうか。それとも「地上波は必要か」でもよい。地上波デジタルなどという愚の骨頂に国税を費やす必要性が、根底から崩れたら痛快であろう。理由は言うまでもない。北朝鮮のピョンヤン放送顔負けの、政府御用達ばかり放送する姿勢である以上、必要だとしても1局だからだ。放送の実際制作は全部下に丸投げをしながら、30代で1800万近い年収をとり(局長クラスは億だ)、やってる事はといえば馬鹿の量産である。毎度の事だが、一体いつまで貴乃花だの若乃花だのとやっているのであろう。若乃花など、一度も優勝できなかった横綱である。馬鹿らしくて話にならない。昨日は、北朝鮮拉致被害者の会が国会前に座り込んだニュースをやっていたが、日本がイラク派兵を決めた時に反対派が国会前に座り込んだ時には、どこもそんな物は報じなかった(これはテレビだけではなく新聞も含める)。辛口子はそのニュースを、何と中国の報道サイト(英語版)で知ったのである(本欄の過去にも触れている)。辛口子の覚えているところでは、最後に優れた報道があったと感じたのは、例の社会保険庁らによる無駄使いの数々が暴露された頃だ。以後、そういう報道は影を潜め、安売りか大盛りばかりが目立つようになったと思う。一段と報道という姿勢が後退しているのだ。25日放送のパックイン・ジャーナル(朝日ニュースター)では、堂々と不正をしていながら摘発を逃れている役人の数々が取り上げられた。例の経産省の不正プールと使い込み、インサイダー取引も含め、担当は告発されないらしい。その根拠が「被害者がいないから」というのだから、よくもぬけぬけと、であろう。小泉内閣になってから、国の赤字は一気に250兆円ほども膨らみ700兆を越えた。経済政策の失敗を棚に上げ、サラリーマンを中心に大幅な増税も提言されている。竹中大臣が新聞などに広報を入れた時、その契約を巡って不正があったらしいという話も出たが、その時の企画書には「小泉内閣の支持者はIQの低い層ばかりだから、そこにアピールする必要がある」という一文が入っていたそうだ。いずれも地上波では全く触れられてもいない話題ばかりだ。かつて、民放のトップが「楽しくなければテレビじゃない」とか言ったという。まさに低いIQを象徴するような発言で、こんなのがトップにいるようではその組織の存在価値などゼロであろう。
《2005.06.17》
選択の原動力
 一番欲しいものが得られない時、次善の策として何を選ぶか、という行動を引き起こしているのは、視床下部のあたりにある脳部分である事を、京都府立医科大で証明したという話が出ていた。一瞬のうちに、どれを選ぶかを決めるのは、大脳ではなくもっと古い部分の脳である、という事は以前からMRIなどを使って分かっていたが、もっと詳細に場所を特定出来たという事のようだ(ただし、サルの実験である)。これは別の言い方をするなら、我々の行動は本能が深い所で支配しているという事でもある。いくつも並んでいる物から買う物を選ぶ瞬間や、とっさにどちらによけるかを決めるなど、いずれも理性よりは本能の判断が引き金になっているのである。だから、色の組合わせのようなファクターがモノを言うのであろう。止められない止まらないと言われる談合のメカニズムも、こういう形で説明のつくものなのかもしれない。なあに、人間なんて偉そうにしてたって、こんなものなのである、という事が、色々と明らかになってきているが、この発見もその一部と言える。本能的メカニズムというと、とかく馬鹿にする傾向があるが、実は非常に論理的に動作しているのだ。
《2005.06.15》
甘やかしの結果
 逆恨みで教室に手製爆弾を投げ込む高校生、卒業したくないからと放火した中学生、卒業して職につけないのは進路指導のせいだとガラスを割った23歳と、連日、この種の記事が新聞を賑わしている。最近、犯罪が増加しているような印象を受けるが、むしろ盛んに報道されるようになったから目立つだけで、ちゃんと調べてみると件数そのものはさして増えていないのだそうだ。だが、犯罪の幼稚化と低年齢化は着実に進んでいるように思われる。先日の日経サイエンスに出ていた論文に、自信を持たせる教育方法のマイナス面が指摘されていた。優れた資質を隠している場合、それを教える事で自信につなげるのなら意味はあるが、元々さしたる中身もない奴に「お前は本当は凄いんだ」などという意識を植え付けたらどうなるか。上記の犯罪例のように、自分の不出来を棚に上げ、別方面への責任転嫁と逆恨みをするようになるだろう、というものであった。例の「ゆとり放任教育」の第一陣が、丁度、今、大学へと入って来た。既に現場では、訳の分からぬ言動をする新入生に戸惑いの声が上がっている。彼らはあと数年で社会に出る。その時には、イエスマンと責任転嫁が既に蔓延している現実社会に、更にそれを加速する触媒となるであろう。ところで話は飛ぶが、イラクで武装勢力に拉致されたというフランス人の女性記者は、報道によると真っ暗な地下室に監禁されたという。通常、そのような状況に置かれたら人は正気を保てず、1週間と持たずに発狂するそうだ。ベトナム戦争当時、ベトコンは捕らえた南ベトナム捕虜をやはり地下に閉じ込めたそうだが、その時の体験者がそう語っている。彼女はそうした環境で5ヶ月耐えた。常識的には考えられない事で、実際には時折、犯人側とでも対話程度はあったのではないかと思われるが、いずれにしろ超人的な精神力には違いない。一方、平和ボケの日本では、爆弾を放り込んだ生徒を弁護して、学校の責任者が「イジメがあった」などと発表する始末である。自分らの責任ではないと言いたい訳だが、そういう発言を誰もおかしいと指摘しない。で、苦難の末にやっと解放された人質を、皆で寄ってたかってイジメる国が日本だ。中国を非難する前に、どちらが異常かを考えてみるべきではないのか。
《2005.06.13》
靖国問題の裏面
 先日、ある新聞の読者投稿欄を読んでいたら、何故A級戦犯が靖国神社に合祀されているのかどうしても理解できない、という投書が出ていた。その投書をした人がここを読んでいるかどうかは分からないが、答は簡単である。あの東条英機の子孫らが頑強に主張しているからだ。元々、A級戦犯は靖国神社には合祀されてはいなかった。1978年、時の福田内閣がどさくさに紛れて、東条はじめ14名を密かに合祀したのである。その背後には、東条英機の子孫らによる政治的圧力があったに違いない。現在、この子孫は娘から孫娘へと代が移っており、先日も「分祀など絶対に受け入れられない」とその孫が朝日新聞だかに書いていた。彼らの主張は簡単である。戦後の戦争犯罪人裁判そのものが正当であったとは言えない、という事だ。いわば占領軍によるシナリオのあった裁判であり、日本はサンフランシスコ条約(対日平和条約)を締結してはいるが、締結がこの裁判の正当性を認めた事にはならない、というのである。これらの事から分かる事はいくつかある。まず、こうした一族が依然として政治に大きな影響力を持っている事がある。次に、こうした主張がリコチューそのものだ、という事である。確かに占領国による一方的な裁判は不当だと言う理屈は可能だが、戦争犯罪人を裁く裁判というのは、必然的にそうならざるを得ない。日本の極東裁判を不当だというのなら、ナチスドイツではヒトラー以外のナチス幹部を無罪にするしかなくなる。少なくとも、A級戦犯とされた面々は、国民には一億玉砕を叫び、兵士には生きて虜囚の辱めを受けずと言って自決させてきた張本人である。それなら戦争が終わって降伏文書に調印した時に、全員自決して見せれば良いだろうにそれをせずに生き延びようとし、占領軍に死刑にされたと難癖をつけるのだからいい根性であろう。合祀を求める彼らの言い分は言い換えれば「自分らの主張を通す為なら、国にいくら迷惑がかかろと知った事ではない」という事に他ならない訳だが、仮にそうしたメンタリティの遺伝子が先祖代々受け継がれていると仮定するなら、先祖のように自分らだけは生き延びるという行動も説明がつくというものはなかろうか。もっとも、彼らA級戦犯に敢えて同情する余地がない訳でもない。現代でも同じメンタリティは毎日のように新聞を賑わせているが、彼らが死刑になる事などありえ無いからである。なお、靖国神社の側もそうした子孫らに同調し、分祀は認めないと主張しているが、それはこうした流れに便乗して、自らの影響力を強めようとする行動原理で説明できる。神道などとたいそうなごたくを並べたところで、その実態は見え見えなのだ。靖国神社のウェッブを見ると同じ理屈が書いてあるが、サンフランシスコ条約を認めないというなら、今の日本政府そのものを非難する事から始めなくてはならないだろう。実際には首相やら議員やらの参拝を歓迎しているのだから、何をか言わんやである。
《2005.06.12》
本年のクジラ死者数
 WWFがまとめた報告書によると、年間30万頭を越える海洋ほ乳類が漁業の犠牲になっているのだそうである。・・・サヨウデゴザイマスカ。で、その海洋ほ乳類とやらで漁業が被っている被害については、調べてはいないのだろうか。日本のサンマ漁船が網を引き上げている時、クジラがやってきて網の中の獲物をガブリというのは良くある光景だそうで、当事者にとっては被害甚大である。クジラは頭のいい可愛い動物だ、などという身勝手な博愛主義(自分に関係ないから綺麗事を言ってられるだけ)のお陰で、保護が行き届いたのか、クジラも種類によっては増加しているという調査がある。あれだけ巨大な生き物である以上、それなりに食べなくてはならない。無論、頭のいい動物だから、エサを人間が集めている所をちゃんと見抜いているという訳だ。そんなに頭がいいのだと絶賛するのなら、きちっと説得して人間の漁業の場に近づかないで欲しいという会議でもやったらどうか。年間30万頭というと大きなようだが、イラクやアフガニスタンで戦いに巻き込まれて死んで行く一般市民に比べたって、そんなに大きな数字ではない。アフリカで毎年餓死して行く子供の数の方が遥かに多いだろう。WWFとは世界自然保護基金の略称。先日も本欄で指摘した事だが、自然保護などというのは詭弁である。人間が困るかどうかの問題であって、クジラの問題も単なる利己主義に他ならない。目立つから言い易いだけだ。こういう綺麗事を並べる連中が、いざ自分らが餓死寸前になり、食べられるものがクジラの肉だけになったとしたら、毅然として餓死を選ぶかどうかは大いに疑問であろう。
《2005.06.11》
責任転嫁省
 7年連続で自殺者が年3万人を越え、特に働き盛りの男性が激増している事実を受け、厚生労働省が鬱病(うつびょう)対策を強化するのだそうだ。すばらしい。増加分の殆どは遺書などによって経済苦によるものと判明しているのに、鬱病のせいだというのである。この増加分とは経済的に問題が解消すれば自殺などしなくて済んだ人々だし、残された母子家庭は年収200万というような状況に追い込まれている。これを精神的病いのせいとして、強引に自殺を押さえ込むというのだから、何の事はない、苦しみを長引かせる為の施策に他ならない。7年連続という事は、小泉内閣の経済政策がその成果を問われているという以外には無いと思うが、政府はせっせとアメリカに大金を貢ぎ、天下りには退職金を振る舞う一方で、その皺寄せを更に弱者に向けようとしている訳だ。これで「鬱病対策研究財団」とかいう組織が出来れば、今度は新たな天下り先として発足するのだろう。
《2005.06.09》
W杯一番乗り
 日本は北朝鮮を堂々と破り、サッカーW杯世界一番乗りである。心より喜びたいし、選手、スタッフ、関係者の皆様の労も厚くねぎらいたい。もっとも、W杯本番という、更に高いレベルの厳しい戦いが待っており、安心する訳にはいかないのだから大変である。今回の勝利、誰もが喜んでいる事と思うが、辛口子は何よりもジーコ監督を信頼し続けた川淵キャプテンら日本サッカー界の面々を評価したいところだ。予選の途中では、更迭論も何回か出たはずだが、ジーコ監督に対するスタッフの信頼は揺るぎもしなかった。これは日本の組織としては驚くべき事で、あの醜い上に情けないプロ野球界と比べてみれば、その落差は明らかだろう。日本のサッカーレベルはまだまだ世界の最高峰にまでは達していないが、Jリーグは発足して僅か10年。数十年どころか100年という歴史のあるクラブすら珍しくない欧米に比べ、これだけの短い間にこれだけの力をつけたというのは、世界から驚異の目で見られている、という事はあまり報じられていない。川淵キャプテンの対談などを聞いていて感心するのは、とにかく先の先まで読んだプラニングをしっかりと立てている事である。彼の頭の中には、50年後に日本でW杯を単独開催する、というものまであるそうだ。その頃には当人が生きてる訳ないじゃないか、という批判を口にする輩もいるらしいが、「そんな事言ったら、明日にでも交通事故で私は死ぬかもしれないでしょ。そしたら何も計画なんて立てられないじゃないですか」と川淵キャプテンは悠然たるものである。このスタッフが健在である限り、日本のサッカー界は発展を続けるだろう。
《2005.06.08》
相変わらずの長嶋騒動
 しばらく公式の場に現れる事のなかった長嶋氏が、12日の東京ドーム巨人・西武戦を観戦に来るらしい。久しぶりのナマ長嶋という事で、関係者の狂喜乱舞ぶりは呆れるほどだ。何しろ、野球中継だというのに、長嶋カメラとかいうのを2台も用意、試合に一喜一憂する様子をせっせと中継するというのだ。このように関係者の単細胞には、何故野球ファンが中継から離れたのかを考える事などなく、単に視聴率を上げる事しか無いのは明白である。ところでこれだけ長い間、公の場に現れなかったというのだから、長嶋氏の病状は決して楽観すべき状態では無かったのは間違いない。おそらく、まだ麻痺なども残っていて、発音もはっきりしないのであろう。こうした症状が一夜にして劇的に改善する可能性はなく、この事から考えればカメラワークなども、例えば手が震えているとしたらそこを必死に避けるようなものにならざるを得ないであろう。折角ご本人が野球観戦に来るというのなら、それこそ遠くから映す程度にしてそっとしてあげれば良さそうなものなのだが、視聴率の事しか頭に無い無能な面々には、そんな事は考えられない。まさに溺れる者はワラをも掴む、である。視聴率の低迷に際し、「交流戦に期待」「勝てば回復」「清原が打てば回復」「対戦相手の知名度があれば回復」などとありとあらゆる言い訳を並べてきたこれら関係者も、最近は最早言い訳も尽きたと見えて、めっきり発言が聞かれなくなってきた。少しはこれで学んだのかと思っていたら、やっぱり骨まで染み付いた無能菌は健在だった訳である。そういえば、あのナベツネオーナーが巨人軍の会長に就任という。まあ先の辞任劇も、読売グループのトップとして君臨していた事に変わりはないのだから、今回の就任劇も復帰ではなくただ名札の付け替えだろうが、問題はナベツネからの指示が無いと何も出来ない球団関係者の存在だろう。オーナー会議でも、巨人代表などは「上から指示がありませんので」などと当然のように発言するらしい。今更、ナベツネの威光などもはや風前の灯火だというのに、それに頼るしか無いのが、今のプロ野球組織であり、古い人気スターにすがる事から一歩も頭が出ないのが今の地上波放送メディアなのである。
《2005.06.07》
インテルMACの光と影
 公式発表という事ではなく、アップルが68K時代の頃から異なるCPUでMacOSを走らせるってな話は出ては消える定番であった。しかし、今回はジョブスが公式に発表したので、噂ではなく真実である。MacがインテルのCPUで走るという事はどういう事になるのか。今後の発表を待たなくては分からない点もあるが、少なくとも明らかなのは以下のようなものであろう。

  • 【値段が下がる】
    CPUの価格差だけを考えても、1万円から2万円は下がる筈で、特にローエンドな機種ほどこの恩恵は大きい。

  • 【選択肢が増える】
    インテル互換であればいいのだから、AMDやトランスメタを使う事も可能な筈で、特にハイエンドやノートの設計に自由度が増すはず。

  • 【性能が上がる】
    優位性を盛んに訴える一方で、PPCの次世代版が一向に出ない事に業を煮やしたのが、恐らくアップルの決断の背景としてある筈だが、インテルもクロックという点では行き詰まっているのに変わりはない。ただ、既に複数のコアを一つのチップに搭載する路線を始めていて、今後のマルチCPUによるパワーアップには期待が持てる。MacOSのコアであるMACHはマルチプロセサとの相性が良いと言われている。

  • 【クラシック環境はなくなる】
    元々、OS9は68Kアーキテクチャに強く依存した部分があり、それ故にPPCにもエミュレーション機能があるから、クラシックが走った。だが、CPUが変わったからにはそれはもう不可能である。何らかのソフトエミュレーションを走らせたとしても、速度の点で実用性は疑問である。無くなると見て良いと思われる。

  • 【ソフトウエアは全とっかえになる】
    アプリだけではなく、ドライバの隅々まで書き換えの必要がある筈。互換環境というRosettaがどの位のものなのかは不明だが、いずれは書き換えなくてはならない。開発ベンダーにしてみたら、それだけの手間をかけて割の合うだけの本数が出るかどうかの判断を迫られるから、結局ユーザにしてみれば、余計な出費と共に見切りをつけなくてはならないソフトは必ず出る。一方、アップルはiTunesなど自社ソフトについては、どんどん対応させるだろうから、アップルの囲い込みが進む事になろう。

  • 【デュアルブートマシンが可能になる】
    一般のPCでMacOSXが走るかどうかは微妙な所だが、OSXの走るPC上でWindowsを走らせるのはずっと容易だろう。従って、同一マシンでOSXとWindowsを切り替えて使う事は可能なはず。

  • 【不法コピーは増える】
    今まで、MacのOSはMacのハードでしか走らなかった。それがそうではなくなるとなると、OSのコピーがより大規模に行われるようになるのではないか。特に古参のアップルファンほど、今回の措置に対しては裏切られたという感を強く持つはずで、そうした不法コピーでコトを済まそうとする心理には、追い風となりかねない。

  • 【その他】
    細かなところは数えればきりがないが、個人的には釈然としない部分を感じるとはいえ、既に成長期を終え、安定期に入って来たハイテク業界を象徴する話ではないかと思う。市場が伸びない上に、革新的な新記述が登場する見込みも殆どない今、企業が成長を義務づけられるとなると、とれる路線はコスト削減しか無くなるからだ。WindowsがもっとマシなOSであったなら、アップルはもう無くなっていたかもしれない。一方でこれからはOSXもウィルスなどに悩まされる事が増えるかもしれない。ジョブスの発表によると、今のOS 10.4、TIGERは既にインテルに対応したものがあるそうだ。道理でやたらとバグが多く、挙動が随分違うと思っていた。Tigerは猫科最大の動物だから、次のOSは違う系統になるのだろう(発表によるとLeopardだそうなので、豹の系列らしい)。予定では2年後には全Macのインテル化が終了する。作戦が成功するかどうかは、古くからのアップルファンが、どれだけ離れずにいてくれるかにかかっているのではなかろうか。
《2005.06.06》
アブラムシ
 東京や埼玉で大発生しているそうだ。最初、話を聞いた時にはユスリカか何かかと思ったが、どうやらアブラムシという事らしい。何故、こんな事に、とメディアは書いているが、答は簡単。単に「自然が豊かになった」だけの事である。自然というと、花が咲いて蝶が飛び、鳥のさえずり声が聞こえるものだという変な先入観があるが、そんな事はない。蠅、蚊、蛾、ナメクジ、ケムシから悪性ウィルスに至るものも全て自然である。花が咲き乱れて鳥が鳴いているだけなら、自然公園であって自然ではないのだ。自然は人間の為にある訳ではなく、人間もその一角で生かしてもらっている存在に過ぎない、という謙虚な考えは東洋の哲学では珍しくはなかった。これと対照的に、「人類は神が作った特別な存在だ」という慢心からスタートしているのが、キリスト教に代表される西洋的世界観である。それが端的に現れているのが「地球に優しい」というフレーズだろう。地球は誕生以来、地表の全生命が絶滅しかねないような大変動を何度も経験してきた事が分かっている。人類がたとえ核戦争で絶滅しようと、地球は何事もなかったかのように太陽の回りを巡っているに違いない。では何が優しいのか。答は簡単である。単に環境破壊をして困るのが、人類そのものだという事なのである。ところが謙虚にそれを認めるのは、神の子としてのプライドが許さないから、まるで地球の為にしているかのように言い逃れているだけなのだ。地球は汚染物質に地表を覆われた所で、痛くも痒くもない。1000万年もすれば、プレートテクトニクスの働きで地表の物質などあらかた入れ替わるからである。今の人類に必要なのは、この慢心を見直す事なのだが、現実には逆の傾向ばかりが目立つようになってきた。ご存知のように、ブッシュの後押しをしてアラブ圏に混乱を巻き起こしている大勢力(2000万人くらいいるらしい)はキリスト教の福音派と言われる連中で、彼らはエルサレムからアラブ人を一掃すれば、天からキリストが降臨して地球は平和な時代を迎えると本気で信じているのである。大局的な視野を持たず、信念だとか言う理由だけで近隣諸国に不快感をまき散らす人物を、国民が支持する国家も珍しくない。アブラムシにも笑われそうではないか。
《2005.06.04》
主賓そっちのけ
 4日開催のプロ野球交流戦、オリックス対広島でオリックス仰木監督の所作を審判がピッチャー交代と受け取って宣言してしまった事から、仰木監督が抗議して試合が何と45分も中断するというトラブルがあった。聞くところによると、審判は試合を円滑に進めるというのも仕事であり、監督の抗議は5分が上限という規約もあるらしい。本件では最終的に監督に退場が言い渡されたが、それまでの45分間、待ちぼうけをくらわされたファンこそいい面の皮である。辛口子はたまたまこの時、スカパーで試合を見ていたが、とにかく呆れ果てたのは観客そっちのけで意地を張り合う仰木監督と審判団4人の姿であった。たまりかねた両チームの選手たちが、金網越しに観客へのサインサービスなどをしている姿とは対照的に、審判団の行った事は中断から5分経過したところで、「ただいま協議をしております」という形式的なアナウンスを一度しただけである。これを大人げない監督と言う事も、無能な審判と言う事もたやすい。真実はどうなのかは知らないが、審判が自分の判断ミスを認めて撤回するか、過剰抗議という事で即座に監督を退場させれば、45分の1/10で事態は収拾されただろう。だが、明らかに最大の問題は、観客を第一に考えないという、プロ野球機構の体質である。今回の件に限らず、試合を見ていて一番気になるのが、審判の判定だ。審判によって多少の差はあるのは仕方がないが、ボールとストライクの判断基準が統一化されているとは信じがたいのだ。首を傾げる判定がどの試合にも珍しくないのである。これが良く比較されるサッカーでは全く違う。厳格な資格制度があるし、常に審判に対しては講習会などが行われて、最新の判断基準に対する意思統一がはかられている。この事から考えて、恐らくプロ野球機構はロクな審判教育システムを持っていないとしか考えられない。今回の交流戦ばかりではなく、プロ野球の試合会場では様々なファンサービスが行われている。選手とのサイン会だけではない、選手とファンとの距離を少しでも縮めようと、選手もスタッフも懸命にがんばっているのだ。にも関わらず、どこの世界の事かと言わんばかりに、何一つ効果的な手を打てず、審判教育どころかドラフト制度の改革もやらないのが機構の方である。楽天が他の球団で余っている戦力があったら譲ってほしい、と要求しても知らぬ顔をし、しぶしぶ認めたら、今度は二線級の選手に高い値段をつけて金銭トレードを迫ったりしているとも聞く。彼らは誰のお陰で自分らの興行が成り立っているのか、という事に全く気づいていない。レストランが客そっちのけで、シェフとオーナーとが延々と口論をしていたら、客に殴られても文句は言えまい。世界大会以前に、まずプロ野球機構を一旦解散する事から始めるべきなのではあるまいか。バカは死ななくては直らないのだ。
《2005.06.03》
出生率低下に見る女性の立場
 今更驚きもしないが、出生率の低下に歯止めがかからない。昨年の統計では1.29で横ばいとなっているが、実際には1.291→1.289であって低下傾向は続いている。政府は表向き、これを上げようと努力しているフリはしているが、実際にはどこまで本気なのかは疑問である。以下、それを説明しよう。色々なアンケートなどを見ていると、子供は欲しいがとても育ててられないという回答がかなり多いそうだ。これについて、少し考えてみると次のような点に気がつく。
 例えば、昔のように旦那が会社、奥方は家庭というような家族形態の場合、旦那は会社での労働、奥方は家事と育児の労働をしていた訳である。これが共稼ぎとなるとどうなるか。まず旦那も奥方も会社での労働を行う。同時に家事もしない訳にはいかない。子供がいれば、育児に関わる労働分も増える。これを言い換えると、単純に計算して夫婦二人で行う労働量は、まさに一人が会社に勤める分だけ増えている事が分かる。数値だけで言うには無理もあるが、敢えてそう表現するなら古い世帯が会社勤務+家事育児=2の労働をしていたとすると、共稼ぎになったらそれが3、つまり5割増しになるのである。これは旦那が家事育児を手伝うかどうか、というような話とは違う事に注意しなくてはならない。夫婦でしなくてはならない労働量の総和の話なのである。
 これが大変な事は、想像するに難しくもない。会社員勤務が気楽な稼業などというならともかく、実際には帰宅すれば、ぐったりというのが普通だろう。この上、子供を育てろと言われたら、無理だと思うのが当然だ。強引に行えば皺寄せは子供に行くしかない。従って、政府が本気で出生率を上げたいと思うのなら、この労働量3を何とか2に持って行く施策を行わなくては実効は上がらないだろう。ところが、政府の言う事は「女性閣僚の数が少ない」とか「女性管理職の割合が欧米に比べて小さい」などと並べるばかりで、まるで[胡麻の油と女性労働力は絞れば絞るだけ出る]とでも言わんばかりだ。辛口子は何も女は家に入れ、などと言っている訳ではない。だが女性の方々には良く考えてみてもらいたい。女性の時代だの解放だのとおだてられ、実際には良いようにコキ使われているのではないか、という点をである。
《2005.06.01》
CMスキップ率
 野村総研が調べたところ、いわゆるHDD録画機ユーザの半数以上がCMを飛ばして見ている、という結果が出たそうだ。この内容、報道から判断するに、どうもまっとうな調査としては、調査そのものと分析の両方に疑問がある。まず、調査がインターネットユーザのみに対し、アンケート形式で尋ねた結果である点だ。総研は3000人から回答があったと報じているが、何人にアンケートを出したのかは不明である。そもそも、インターネットユーザは割とハイテクに強い層であって、それだけ装置を使いこなす率も高いと思われる。だから、CM飛ばし率も高い方に推移すると見るのが普通だろう。その上、アンケートというと回答したがる性格とそうでない性格があって、それが更に結果にバイアスをかけている可能性も大だ。最近、こうした調査(世論調査も含め)を見ていると、とにかく電話を使う、或はこのようにインターネットでアンケートをとる、と言った、「調べる側が腰を上げないで済む方法」ばかりがとられるようなのが気になる。要するに調べるのに楽な手段ばかりを選んでいる訳で、その事によって調査の統計的公平性がどれだけ保たれているのかという研究もされていない。だから、この数字そのものの信憑性がまず怪しい。更に傑作なのは、この結果、テレビ広告市場の2.6%、すなわち540億円が無駄になったと結論している事である。これを聞いて一番喜ぶのは、「CMスキップは著作権法違反だ」と小学生並の発想を堂々と述べた民放連あたりの面々であり、メーカの方に機能削除を求めて行くという恥の上塗り行動もしそうだが、これを無駄と書くから問題になるのだ。そもそも、テレビのCM市場そのものが既に飽和から縮小に向かいつつあるのである。最近、テレビを見ていて、同じ局の別番組の宣伝が目立つ事に気がつかないだろうか。それは本来ならそこにCMが入る筈なのに、スポンサーが付かなかったから、仕方なく他番組の宣伝が入っているのである。人気凋落と言われる巨人戦中継でも、こうした「他番組宣伝」が結構見られるので、視聴率以前に既に巨人というブランドの神通力が地に落ちている事が分かるのだが、このようにCMに頼るというビジネスモデルそのものが既に破綻して来ている事は疑いの余地がない。野村総研の面々は、ロクにテレビも見ずにこうした調査結果を発表しているのだろうかと思えて来る発表である。

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