一刀両断ミニコラム
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2004年2003年

《2005.11.27》
チンピラ外交
 はるばる来日したロシアのプーチン大統領と小泉総理の会談は何も成果が無かったようだ。会談そのものすら、殆ど報道されていないというのだから、国家外交としては全く恥さらしそのものではなかっただろうか。「4島返すなんてな話はできませんよ」と言われて、それっきり何も言い返せなかったらしい小泉総理。外交の場では最初っから話がとんとん拍子に進むなんて事はない。利害の対立から何とか妥協点を見つけ、例え数センチでもいいから前進する方策を見いだすのが外交というものではなかろうか。折しも、NHKがBSで放送していた「リヒテンシュタインの秘宝〜侯爵家コレクション激動の400年」という番組。リヒテンシュタインとはスイスとオーストリアの国境にある小さな国である。面積は23区より小さく、人口は数万に過ぎない。この小国は巨大勢力が覇権を繰り返す欧州で、400年もの間、独立を保ってきた。それは軍事力によるものである訳がない。綿密で時には大胆、かつ細心で粘り強い外交交渉によって周囲の大国からも一目おかれる地位を保ってきたからに他ならない。翻ってどこかの国の総理である。相手がアジアの国だと見ると、相手の嫌がる事(靖国参拝など)をして挑発する一方で、相手が大国だと何も言えずに黙るだけなのだから、まさにタイトルに書いたようなチンピラそのもの。或は文字通り、米国の威を借りるだけのドブネズミである。靖国参拝について、一国として主張すべきは行動で示すべきだ、などという愚論を吐くおめでたいのがいるが、わざわざ相手が嫌がる事をしてみせるのはチンピラだけである。ボブ・サップやミルコ・クロコップが毎日板を割って見せなくたって、彼らの強さを疑う奴はいない。「俺は強いんだぞ」と言って、何かを壊して回る奴がいたとしたら、それはそいつが弱い奴である事を示しているのに他ならないのだ。そういう手合いは強い相手を前にすると黙ってしまうか逃げるだけであって、先の日露首脳会談がまさにそれだったのである。
《2005.11.26》
一蓮托生
 姉歯(あねは)という変わった名字で一躍新聞紙面を独占した建築業界のコスト第一人命軽視体質。例によって、責任のなすり合いの展開である。姉歯側は「これを削らないと仕事をよそに持っていく」(言い換えればそういう設計をしているのは姉歯だけではない)と言われたといい、発注側はそれを否定するという構図。で、そうした指示を姉歯にしたという社員は行方不明だというのだから、まさにB級小説である。この問題は色々な側面を持つが、言うまでもなく建築業界の体質が第一だろう。コストを下げ、見た目を良くする為に構造を削るというのをやったのは、まず全体の総合的なプランをまとめた大元の「ヒューザー」であり(マンション販売時に出る会社)、そこが設計事務所「森田設計事務所」に依頼、そこが更に細かい部分を下請けに出す。この下請けの一つが姉歯である。イーホームズというのは、この設計が正しいというハンコを押した所である。木村建設会社というのが実際に作った。この中で姉歯以外の全会社が「姉歯が悪い」と言っているのである。責任の所在が明確ではない、という報道もあるが、こうして見れば明かなようにこれは「連帯責任」であろう。しかも、このヒューザーという会社には賞が出ている。(社)日本住宅建設産業協会という所が「優秀事業賞」というのを出しているのだ。ここは絵に描いたような業界天下り団体で、理事は建設省の天下りばかり、しかも殆どが非常勤というところである。つまり、業界丸抱えの「談合」なのだ。今回の事件は氷山の一角では断じてなかろう。どこのマンションでも有りうる話である。
 で、こういう問題が何故起きるのかというと、考えるまでもない、設計側も検査側も「身内」で固まっているからだ。なれ合いである。イーホームズは民間の会社だが、本来は役所がやっていた業務を民間委託によって行っている。つまり「官から民へ」の結果なのだ。ちなみに法的には、こうしたいい加減な設計をした罰金が50万らしい。要するに官の側だって、ハンコだけ民間に与えて責任を与えていないのだ。
 それでは消費者はどうしたらいいのだろうか。報道では構造計算をチェックするのは容易な事ではないという。マンション一軒あたりで厚さ10センチくらいの書類の束になり、資格保持者がまっとうにチェックすれば数週間と100万円くらいかかるそうだ(書類にしないでCD-ROMでも使い、チェックプログラムを作ればこんな手間はいらないのではないかという気もするが)。それをイーホームズは一人で毎月50件調べていたらしい。ただ、消費者が構造計算書を見る必要はない。今では設計図は売る側が必ず見せなくてはいけないので、設計図を見れば構造計算が怪しいかどうかの見当はつくからだ。それへの対応は「建築Gメンの会」というのが行ってくれるそうだ。それなりの費用はかかるだろうが、惜しむべきではない。財産や命の問題だし、悪い奴らに良い思いをさせないためでもあるからだ。
 最後にこの問題、良く考えていくと、建築だけの話ではない事に気づく。全ての分野で「プロのプロ意識」或は「職人気質(かたぎ)」がきわめて希薄になっているのである。あまりに下らない事故が多い。そうやったらバレた時にどうなるかと言う事を考えてすらいないのではないかと思うようなものだ。事故を番組に置き換えれば、地上波そのものでもある。政府の外交だって同じだろう。今回、明らかになったこの強度不足マンション問題。姉歯事務所は1億円以上の報酬を得ていたという報道もあるが、ヒューザーの社長は数億円という豪邸の持ち主。どんな姑息な手段を使おうと勝てば官軍、というこの構図は小泉政権の推進して来た弱肉強食社会そのものと言うべきであろう。
【26時追加】
 行方不明と上に描いた社員とは社長であり、死体で発見されたと報じられた。自殺らしいとなっているが、怪しさプンプンである。仮にこの社長が姉歯に対して手抜きを依頼した事を認めると、構造的な手抜き体質が明らかになり、コトがヒューザーに波及するのは必至となるからだ。追求の手がとりあえず伸びなくなったこのヒューザーの社長が、「会社の破産を防ぐために税金を投入してくれ」と、足しげく政府に通っている事も報じられているとおりである。
《2005.11.25》
被害者報道の忘れているもの
 犯罪の被害者を実名報道するかどうか、という問題が連日新聞紙面を賑わせている。これは難しい問題がある。報道されたくない、静かにしておいてくれ、という人もいれば、犯罪の真実を伝えるため、同じような被害者を出さないためにも、積極的に報道して欲しいという人もいるからだ。基本的には、安易に特定出来ないような形で報道し(例えば名字と県名だけにするとか)、その上で当人にコンタクトをとって詳細を伝えるというような形が望ましいのではないかと思う。だが、ここに滑稽な問題が見られる。第一に、最近流行の妙な匿名主義の横行である。ある自治体がこの問題を検討するために委員会を作り、答申を出させたのだが、その議事録には委員が実名無し「委員1」というような形でしか記載されていなかったのである。少なくとも社会に対する提言を行おうというなら、堂々と実名を出すべきだろうし、コソコソと隠れて行うならそんな提言など出す資格はないのではないだろうか。更にもっと問題なのは、被害者にばかり焦点が当たっていて、加害者の話が出て来ない点である。特に未成年の犯罪者に対しては今でも実名報道も写真も出ない。ところが被害者はどうであろうか。先日死体で発見された7歳の女の子は、実名はおろか、顔写真や日常スナップまでもがデカデカと新聞に掲載されている。一方的な片思いと妄想で殺された高校生の女の子も実名と写真入りで報じられたが、加害者は少年である事を理由に名前すら明らかになっていない。こうして見てくれば話の順序は全く逆であって、まずは何歳であろうと加害者は実名報道を原則とすべきであろう。これこそが被害者の心情に対する最も正義ある行動だからである。隣の国の韓国では、逮捕された容疑者は頭を掴まれて報道陣の前に顔をさらされる。日本では国家権力が上着を被せ、車の窓は塗りつぶして保護してくれる。犯罪に対して抑制力を持つとすれば、それは被害者の報道問題なのか、それとも加害者の報道問題なのか。答は明らかだろう。そうした方向に話が行かないという事は、この問題を煽っている奴らそのものが、犯罪者だからではないのかと勘ぐりたくならないだろうか。
《2005.11.20》
100年安心とは
 「業務効率化」のため、地方税を年金から天引きしようという答申が出たらしい。今、年金からは介護保険料が天引きされている。ここに地方税が加わるとなると、今度は我も我もと続き、医療費だの視聴料だの所得税だのと話が広がって行きかねない。そもそも、天引きという制度は、戦時中に国が戦費調達を効率よく行う為に作られたものだ。戦後になっても、サラリーマン所得税などでこのシステムは残っている。先進的な民主国家でかような愚行を強制している国は、今では日本くらいなものだ。税金を天引きする事そのものは行われている国はあるが、それでも金額は各人で計算し、それを会社がまとめて政府に提出するという形をとっている。計算まで「お上」がやるなどという、非民主的な国は日本くらいなものであろう。ところが、そのシステムを逆戻りさせ、戦時体制に近づけようというのがこの答申だ。政府税調の議長をやっているのは石という男らしいが、こいつは議論のスタートとしてどこから税金を集めるかの話しかせず、歳出の削減などは後回しらしい。この答申がどういういきさつで出たのかは知らないが、要するに手間をかけずに金を集める方法以外の何ものでもあるまい。これは小さな政府ではない。小さな手間で済ます政府だ。
 昨年、政府は非難を浴びた年金のシステムについて、「今後100年は安心して使える」というフレーズを使った。その結果として、掛け金は今後増大し、支払い金額は減少する。支払い開始年齢も上がるであろう。それに今度は「天引き」が加わっていくとなったら、おそらく手取りの目減り分は半端ではなくなるに違いない。政府の言った「100年安心」とは、役所にとって安心だという事だったのである。これに加えて、消費税は必ず上がる。定率減税の廃止は決まった(つまり増税)。小泉総理は来年度の国債発行額を30兆円に抑えるなどというしらけた指示を出したそうだが(そもそも総理になった頃の公約であって、それを追求されて、それは大した問題ではないと回答したのがこれ)、今や一般会計など物の数ではない。一般会計は年間80兆円強。それに対して特別会計は数百兆円である。言い換えれば、裏帳簿の額が表の何倍もあるのである。表向きの体裁を整えるために、小泉政権はせっせと裏へ金を回した。その結果、わずか4年で国の借金は230兆円も増えた。何のことはない、ゴミを片付けましたと言っていながら、実は絨毯を持ち上げてその下に隠しただけのことである。今年はこの借金の勢いが増し、今年だけでこれが更に100兆円上積みされるという話も聞く。それでいて支持率60%というのだから、カナダの首相が「何故ですか」と聞く訳だ。こうして見て来ると、構造改革とは単に国の負債を国民の方へと寄せ集め、しかもそのどさくさに紛れて役人やその天下りが甘い汁を吸い放題になる仕掛けだったという事が分かろう。それを支持しているというのだから、カナダ首相への返答は「国民がマゾだからです」とでも言う他はない。年金と言えば、議員年金を廃止する話が出た時、議員の間からは「それでは生活出来ない」という声が多数上がったという。最初っから100年などというのは、絵に描いた餅に過ぎなかった事の証明であろう。それどころか、その生活出来ない額から更にあれだのこれだのと天引きしようという動きが、次第に活発になっているのである。
《2005.11.14》
怪しいハイブリッド車
 自家用車にハイブリッド車というのがある。環境に優しいとかで、税制上も有利に扱われて政府と業界が普及させようとしているアレである。具体的には、ガソリンエンジンの余分なエネルギーを発電機で電気に変え、大量のバッテリーに蓄えておき、それを必要に応じて使う事で、低燃費と低排気ガスを実現している、というものだ。さて、それではどの位、その低燃費というのがあるのか、と調べてみた。まず怪しいのは、ここで見つかる。カタログの燃費のところに、10.15モードと書かれているのだ。以前はここに、定地走行と10モードというのがあったはずである。では、この10.15モードとは何か。
 それは、10モードと15モードとを合わせた数値という意味である。10モードとは以前からカタログに出ていたもので、市街地のように頻繁に発進と停車を繰り返す状況を模擬したものだ。15モードというのは、これに対して郊外のように、比較的中速度で一度に長い時間を走る状況を模擬したものである。具体的に記述すると、まず10モードとは、以下のような測定手順である。

 モード  時間(秒) 試験運転条件
  01   20    エンジン始動~アイドリング状態
  02   07    発進~時速20kmまでの加速
  03   15    時速20kmの定速走行
  04   07    時速20km~停止までの減速
  05   16    アイドリング状態
  06   14    発進~時速40kmまでの加速
  07   15    時速40kmの定速走行
  08   10    時速40km~時速20kmまでの減速
  09   12    時速20km~時速40kmまでの加速
  10   17    時速20km~停止までの減速

そして15モードとは、以下のような測定手順である。
  01   65    エンジン始動~アイドリング状態
  02   18    発進~時速50Kmまでの加速
  03   12    時速50Kmの定速走行
  04   04    時速50Km~時速40Kmまでの減速
  05   04    時速40Kmの定速走行
  06   16    時速40Km~時速60Kmまでの加速
  07   10    時速60Kmの定速走行
  08   11    時速60Km~時速70Kmまでの加速
  09   10    時速70Kmの定速走行
  10   10    時速70Km~時速50Kmまでの減速
  11   04    時速50Kmの定速走行
  12   22    時速50Km~時速70Kmまでの加速
  13   05    時速70Kmの定速走行
  14   30    時速70Km~停止までの減速
  15   10    アイドリング状態

 車を運転した経験がある人なら容易に想像つくように、15モードの方が明らかに燃費は良くなるであろう。前述したように、ハイブリッド車は大量のバッテリーと、それで駆動するのに必要な大型モーター、それと制御装置を搭載するが、その結果車両重量は重くなる。例えば、

 トヨタのALPHARD(ハイブリッド車)は、排気量2362ccで車両重量が2.0t。
 HONDAのOdyssey(通常車)は、排気量2354ccで車両重量が1.6t。

 そして、10.15モードの燃費は前者が16〜17km/l、後者が11〜12km/lとなっている(いずれもカタログ値より)。車種が違うので単純に比較は出来ないが、必要もないのにわざわざ車を重く設計するメーカもないだろうから、このハイブリッド化によって車は400kgほど重くなっているのは間違いない。一方で、燃費は確かに向上しているのだが、上に述べたようにこの数値は市街地走行と郊外走行とがごっちゃになっている値である事に留意しなくてはならない。誰でも分かるように、市街地のように発進停止を繰り返す場合、車は重い程、燃費としては不利である。従って、カタログ値に10モードと15モードの値を別個に掲載したら、ハイブリッド車の燃費は有利に見えなくなるであろう事は容易に想像できるのだ。でないなら、わざわざ10.15モード、などという書き方はしない筈だからである。「怪しい」と冒頭で書いたのは、この点である。恐らく、実際に市街地を主に使うユーザにとって、ハイブリッド車の低燃費はそれほど実感出来ない程度になるであろう。それでは困るから、こういう形で誤摩化し易い表記に変えているのだ。
 また、実際にこれだけ燃費が向上したとしても、リッターあたりで5km程の違いであるから、ガソリン代が劇的に高騰でもしない限り、車本体価格の差分を補うのも容易な事ではない。ここで上げた例で言うと、ALPHARDの価格は300~450万円、Odysseyが250~300万円なので、その差を50万円と考え、ガソリン代をリッターあたり150円としても、1万7千キロ走ってようやく追いつくかどうかである。差額が100万円なら3万5千キロだ。それに複雑な分、車検時の点検整備にも費用はかかる。そして殆ど論じられない事に、廃棄物の話がある。代表がバッテリーだ。今でも車のバッテリーは寿命が3年程度である。それを過ぎると性能は落ちて来る。今までだったら交換は一つだった。ハイブリッド車は数が違う。そして、問題なのはこうしたバッテリーの廃棄である。有害物質(特に鉛)のかたまりだからだ。今、先進国から大量のバッテリーが途上国へ流れ、そこでは安全対策もまともにとられぬまま、作業員が鉛毒にやられ、環境にも流れ出していると言われる。ハイブリッド車は確かに高公害ではない。だが、そんなに良い事ずくめなら、カタログ表記の項目を変更したりはしないであろう事も、また事実である。こうして考えてくると、低公害との振れ込みは非常に怪しいのである。

《2005.11.12》
親亀の背中に子亀を・・・
 神が宇宙を作った。人間は神に似せて神が作った。進化論は神の教えに反する。てな論法が大手を振ってまかり通っているのが、アメリカという国の一側面である。キリスト教を国民の多くが信じる国は他にもあるのに、こうした極端な傾向を示すのはアメリカだけ。先日も本欄で書いたように、「人類はより下等な種から進化した」と納得しているのが、半数以下という調査結果もあるほどだ。で、あまりに「神」「神」と言う事に引け目を感じ出したのか、こういう単細胞連中は最近では「創造論(インテリジェント・デザイン)」というものを主張するようになっているらしい。こんなに秩序立っていて尚かつ複雑な宇宙が偶然に出来たとは信じがたい。きっと高度な知性がいて、それが設計・製造したに違いない、というのがこの創造論である。即座に分かるように、これは「神」を「どこかの知性」に置き換えただけで、論法としては何も変わりはない。しかも滑稽なのは、なまじ神という概念から逸脱した事で、今度は「それではその高度な知性とやらは誰が作ったのか」という話が出て来てしまう事なのだが、彼らはそういう点には気がつかないような知性の持ち主のようだ。古来の宇宙観に、世界は巨大な亀の甲羅に乗った4頭の象に支えられている、というものがある。驚くべき事に現代でもそれを信じているアメリカ人がいるんだそうで、「それじゃ、その亀は一体何の上に乗っているのか」と質問すると、「もっと大きな亀の上」と答えるのだそうだ。「それでは・・」と更に追求しようとすると、「あなたのおっしゃる事は分かってます。でも、どこまで行っても亀がいるのっ」と断言するそうな(アイザック・アジモフ氏の著書「アジモフの科学エッセイシリーズ」より)。 つまり、こうした創造論を真面目に言う連中も、これと本質的に同じなのである。しかも、そうした事を過激に主張するのが一部というならともかく、それを大勢が(数千万人が)支持しているというのだから、それもアメリカなのだ。そのアメリカという国に憧れ、信じて疑わないのがこれまた大勢いる不思議な国が日本である。
 ところで、何故アメリカだけにこうしたアホな事を真面目に主張する連中が大勢いるのであろうか。アメリカという社会は、弱肉強食社会である。一部の金持ちが富を独占する一方で、灯油を買う金が無くて冬の寒さに一家が全滅という例は珍しくない。米国が科学技術などで業績を上げているのは、優れた人材を引き上げるシステムが整っているからだが、同時に落ちこぼれには容赦のない現実が待っているのである。さて、かような社会ではトップになる事が全てである。財産でもいいし、業績でも、科学でもいい。同じ理屈が宗教にも及んでいるのであろう。宗教をネタに、「その分野の頂点」に立とうとするモチベーションも強いのだと考えれば、上述の現象も説明がつく。なにせ、キリスト教福音派のように、エルサレムからパレスチナ人を追い出せば、キリストが降臨して世界平和が実現すると信じて疑わないのが、2500万人からいるのだ。アホな知性に理屈を与えて「オレは偉いんだぞ」と思わせたり、「我々は神に選ばれた」と信じさせるのは容易な事である。従って、ロクなIQの持ち主でなくても、屁理屈をこねまわす事で優越感に浸る事が出来るのであろう。
《2005.11.08》
プロレス騎馬戦
 新日本プロレス、全日本プロレスなど複数の団体から代表レスラーが出て、騎馬戦でトーナメントを競うという「戦い」が行われるらしい。主催は日本テレビで「これをきっかけにプロレス人気が少しでも高まれば」だそうだ。プロレスの幅は広い。全日本やノアのような正統派プロレスから、ハッスルのような肉体茶番劇まである(インリン様だの元狂言師だのと、あれが悪ふざけでなくて何だというのか)訳だが、少なくともこういう騎馬戦などをやる事で、正統派のファンは増えたりしないだろう。要するに「野次馬でもガキでもいいから集めればいいんだ」というバラエティの発想そのもので、これではプロレスの何たるかが分かっていないと笑われても文句は言えないだろうからだ。大体、プロレス人気が低調という見方がおかしい。まっとうなテレビ中継もしないで人気低下も何もないものだ。夜半でもいいから、試合をちゃんと中継する事から初めてみよ、と言いたい。それにプロレスの人気は黄金期に比べれば確かに動員数は減少していると思うが、それでもノアや新日本プロレスが武道館や東京ドームで主催する試合は数万人の観客を集めているし、何よりも興行日数が多いのだから、例え一回で何万人かを集めるK-1やPRIDEと比べても、それらは年に数試合しかやらない事を考えれば、年間の観客総動員数でプロレスは決して負けてはおるまい。人気低下というのは要するに視聴率の低下であって、一重に関係者の愚か者ぶりが正統派ファンから総スカンを食っているだけの事なのだ。良い例がある。ゼロワンの橋本真也が死去した後に、テレビ朝日だったと思うが追悼番組を深夜に放送していたのである。過去の名試合を多く流すという宣伝で見てみたら、プロレスファンという芸人が3人出演、試合そっちのけでおしゃべりをしまくり、それを試合の音声に被せた上、試合画面にその3人の顔を合成しているというウルトラバカ放送ぶりに、しばし開いた口が塞がらなかった。正当派プロレスファンは橋本の試合を見たいのであって、プロレス好き芸人のおしゃべりなどどうでもいいどころか、うるさいだけなのだ。しかし怒りが収まってさてこれについて、どういう発想でこういう構成にしたのかと考えてみるに(芸人が悪い訳ではない。彼らは指示通りに動いたのであってこういう構成にしたスタッフの責任である)、放送してる奴らはただ一緒になって騒いでいる心境なのではないかと理解するに至った。つまり、視聴者が何を見たいのかを理解せず、自分らと一緒に騒ぐものだと思っているのである。これがいかに馬鹿げた事かは、例えるならサッカー中継画面に、試合と一緒になってサッカーごっこをやっている軽薄タレントの画像と音声を被せて放送する事を考えれば明白だろう。そしてそれに気がつかないという事は、プロかどうかどころの話ではなく、第三者の視点で物事を考えられないという事を意味する。人間の脳が第三者という概念を理解できるようになるのは、生後8年くらい経てからだそうだ。という事は、テレビ局のこういう関係者は、まだ生後8年の段階まで脳が成長してはいないという事になるらしい。こうした連中が成長するまで、視聴者はあと何十年待たねばならないのであろうか。
《2005.11.04》
定義なき規制
 米ソニーBMGが販売したCDの一部に、極めてたちの悪いソフトウェアが入っていたとニュースになっている。新聞などのメディアでは、ウィルス入りのCDなんて書かれていてどういう事なのか良く分からなかったが、そこは流石のWIREDオンライン。要するにコピープロテクトの為の小さなアプリを勝手にインストールするCDがあるのだが、そのアプリの挙動が問題になっているのであった。これは勝手にシステムを書き換え、「$sys$」で始まる名前のファイルをユーザから全く見えなくしてしまう。つまり、OSに勝手にパッチを当てている訳で、やっている事はウィルスプログラムそのものなのである。また、このCDを一度でも実行したPCでは、この名前のファイルが見えなくなってしまうから、仮に悪意あるプログラムがこの名前で入り込んだら、やはりそれも見えないという事になるのだ。指摘を受けた米ソニーBMGでは、この名前が見えなくなるという問題点を修正するパッチを配布し出したそうだが、これは今後に渡って相当糾弾される可能性が高い。特に問題となるのは、不注意によって本アプリが紛れ込んだのではなく、完全な確信犯である点だ。狙いは明確で、プロテクトに関連するプログラムをユーザが勝手に消去する等出来なくする為であるが、CDの著作権というのはユーザの権利を幾ら侵害しようと、OSの著作権をどう侵害しようと構わない程に優先されると主張している訳だから、思い上がりも甚だしいという指摘は免れまい。少なくとも、ソニーというブランドにまた大きな、しかもかなり出血しかねない傷がついた事は、間違いはないだろう。
《2005.11.03》
定義なき規制
 プロ野球界では、来季からいわゆる「二段モーション」が禁止される。国際的にそうであるから、その基準に国内も合わせるというもので、主旨はごもっともである。問題は例によって運用であろう。二段モーションとは何か、という基本的な定義を曖昧なまま、禁止という通達だけがなされた事によって、本番どころか秋季キャンプで既に混乱が生じているからだ。二段モーションとは、投球動作の途中に動作が止まる瞬間のある事である。分かり易いのは、阪神の押さえとして大活躍した藤川球児投手であろう。彼の場合は投球動作の途中で誰にでも分かるほどに、一旦動きが止まるからだ。だが、問題はそれほど明確でない場合である。巨人の上原投手、西武の松坂投手などは早くも判定基準に疑問を呈している。松坂投手は、投げる前に両手を振りかぶって頭の後ろにまで持って行くが、それが二段モーションであるという指摘と、そうではないという指摘とがあるのだ。審判によってかように判定がグラつく例は、何もこの二段モーションが初めてではない。一昨年の「新ストライクゾーン」の時もそうだったし、今年のシーズンも審判によってストライクゾーンの解釈に幅があり、首を傾げる投手や捕手の姿は全く珍しくなかった。かような「実績」がありながら、プロ野球界はそうしたシステムの改善に取り組もうとしている気配はない。株式買い占め対策も結構だが、これでは選手は安心してプレイも出来ないし、ファンも血圧が上がる一方だろう。プレーオフ問題など野球界には時代の流れに対応できていない問題が山積しているが、対応はゾウガメ並みにのんびりだ。自らの地位が危うくなりかねない問題に関しては、オーナーやコミッショナーは動きが早いが、こういう土台に関しては認識があるのか無いのか、さっぱり反応が芳しくない。やはり、今のオーナー制度そのものをまず破壊しなくては、駄目なのではなかろうか。
《2005.11.02》
イエスマンがいい事なのか
 第三次小泉内閣の論評を見ていると、イエスマンを集めたというあたりでは評価がほぼ一致しているものの、何故かそれを批判するものが殆ど無い。「総理が自分の意に添う人材を使うのは当然」というようなフレーズもあって、仰天すらする。一体、こういう分析をする輩は、組織のあり方というものをどう考えているのであろうか。例えば、どこかの会社が組織ぐるみで不祥事を起こしたら、必ず「誰も批判する社員はいなかったのか」などと書くくせに、内閣はイエスマンの集まりで良いと言うのだから、書いている連中の頭を疑いたくもなるというものだ。これが首相が何か政策を持ち、それに賛同して能力のある人材を配置したというなら分かる。初めに政策ありきで、それを実現するためのマンパワーだからである。ところが、この小泉内閣は総理にそもそも政策がない。「改革だ」とワンフレーズを繰り返すだけで、日本をどうするという展望は皆無である(あると思うなら新聞記事か何かで探してみてもらいたい)。あるスポーツ紙の政治欄にあった「ポチに対するポチの集まり」(アメリカにせっせと尻尾を振る総理とその総理にせっせと尻尾を振る面々)というフレーズが、もっとも的確と言うべきだろうか。既に多くの分析論評がされているように、小泉総理のやっている事はただの破壊である。民営化と言いながら実態は子会社化であり、公務員削減も単に組織の名前を変えただけだ。当初の公約であった国債発行額などどこへやら、今や一般会計の歳入は半分が国債であり、国の借金は内閣発足以来わずか4年で200兆円以上も増えた。郵政民営化も本欄で指摘して来たとおり、単なる子会社化であり、米国などのハゲタカファンドに国民が蓄えた350兆円を配布する為の布石に過ぎない。これが何故高い支持率なのかと言えば、答は簡単。単に「地上波テレビへの露出度」である。頻繁にテレビに出て来て、聞こえのいいフレーズだけを並べていれば、嫌でも支持率(知名度)は上がる。それをまた、輪をかけてめでたいメディアが「相変わらず高い支持率」などという「世論調査」をせっせと掲載するものだから、それが更に底上げをしているのだ。日がな一日テレビを見ている層というのは、小泉内閣の政策陣営が最初に定めたという「主婦や老人など比較的IQの低い層」そのものであり、そこに単純なフレーズを繰り返し送る事で支持を得るというこの仕掛けは、あのアドルフ・ヒトラーの「我が闘争」にも全く同じ文章で書かれているのである。
 さて、小泉首相はこうしてイエスマンを配置し、イエスと言わない議員は懲罰や刺客候補の送り込みなどで潰してしまい、純然たる独裁体制を築いたのだから、あとは首相を引退しても影から政局を操れる立場になった。実際にそうするかどうかは少し疑問もあるが(辛口子の見るところ、小泉という人間はチヤホヤされるのが好きな目立ちたがりやであって、影から物事を操る性格ではないように思われるから)、いずれにしろ小泉総理の胸先三寸でどんな法律でも通る体制は整ったのである。小泉総理がアメリカ大好き人間である事は今更言うまでもないので、これでアメリカにとって日本を好きに出来る素地も整ったという事でもある。昨日紹介した立花隆氏のブログ記事を最後まで読んだ方はご存知と思うが、憲法の9条は実はアメリカによるものではなく、日本側がどさくさに紛れて密かに忍ばせた条文ではないか、という分析があるのだそうだ。これがあるお陰で米国は日本に対して軍備化を迫る事が出来ず、しかもアメリカが定めたという形になっているから、アメリカ自身が「変えろ」とは言えなかったのだという。お陰で日本は米国による核の傘におさまって経済発展を遂げる事が出来たのだ、というのがその分析だそうだが、そうだとするなら先人たちの慧眼にはまさに驚く他はない。同時に今の政局、或はメディアの軽薄ぶりにも改めて思いが巡る。そうした中、今や日本は世界から嫌われるアメリカにべったりとし、アジア始め世界から馬鹿にされ(小泉総理の国連演説はガラガラだった)、せっせとアメリカに金を貢いで、しかも軍事でまで協力する体制へと歩み始めたという事なのだ。国連常任理事国入り問題に関連し、アメリカが日本にイラク参戦までさせておきながら土壇場で日本に反対票を入れろと工作までしていたというのに、日本政府のアメリカ熱は一向に冷める気配はない。つまり、小泉総理そのものが、アメリカに対するイエスマンなのである。浪費癖がある性悪女にせっせと貢ぎ、しかもハイヒールで踏みつけられても喜んでいる男のようなこの姿、ファシズムというよりマゾヒズムに近いのではなかろうか。
《2005.11.01》
憲法改正は国家の破滅である
 郵政民営化法案が通過したら、なんだか政界では憲法改正の大合唱になってきた。この方向で紙面で後押しをしているのは、読売系である。別に読売系メディアが特に腐っているなどと書くつもりはないが、この点に関してだけは首を傾げざるをえない。そもそも、現行憲法で一体何がまずいのだろうか。なんだか、最初に改憲ありきで、理屈を後から付けたようなものばかりではないだろうか。自衛隊を持つ明確な根拠が無いとか、集団的自衛権を明記すべきだとか、アメリカから押し付けられた憲法だからだ、などという理屈が上げられている。言うまでもないが、いずれも笑止千万であろう。今の憲法でも実際に自衛隊を持っているではないか。集団的自衛権についても誤解が多い。信じられなかったのは、10月31日付の読売新聞社説であって、米軍が日本で基地の統廃合を行おうとしている(*)のに、日本に集団的自衛権が無いから米軍と歩調を合わせた作戦行動が取れない、という論旨の事を書いている。これを書いた奴はまず集団的自衛権の勉強からし直すべきであろう。集団的自衛権を日米同盟関係に当てはめるならば、「米国が侵略された時に米国に助けに行けるのが集団的自衛権」なのである。そうではなく、米軍と一緒にどこでも出かけて行っていいのなら、それはどこの国でも侵略出来る事に他ならないのだから、わざわざ集団的自衛権などと名前を付ける必要などないのである。憲法によって「国際紛争の解決手段としては軍事力を行使しない」と明記されているにも関わらず、小泉内閣は自衛隊をイラクやアフガンに派兵した。仮にこの憲法が無かったら、どうなっていたかを考えてみてもらいたい。そら恐ろしい光景が見えて来る筈だ。米国から押し付けられたという議論も、妙な自尊心だけの問題であろう。そういう事は、それに対抗出来る立派な草案を出してから言うべき事だ。ところが例えば自民党の出して来る草案では、どさくさに紛れて「改正に必要な条件が国会の過半数の承認」(言うまでもなく現行は2/3以上)と書かれていて、あとでどんどん好きなように変えて良いような布石が打たれている。日本が公式に軍事化を進めたら、待っているのは米国によって好きなように最前線に駆り出される事だろう。今の安保条約は日本の憲法に9条があるからこそ、今のように米軍がこちらに来る形になっているのであり、当然それは破棄されて新たな軍事同盟となるだろうからだ。そうなった時、犠牲になるのは一般国民である。喜ぶのは軍事産業で儲ける連中である。6年後に迫っている地上波アナログ放送の全廃によって、家電業界は200兆円の特需を見込んでいると言われる。軍事特需はこの比ではない事を頭に置くべきである。憲法改正を叫ぶ政治家、議員はまさに非国民だと見るべきなのだ。なお、こうした問題に関するネット上の掲示板、ブログは沢山あるが、辛口子としては立花隆氏のブログ、5月17日号が良くまとまっていると思うので、一読する事をお薦めしたい。辛口子は別に立花シンパではない。が、氏の著作物を幾つも読んだ経験から、こういう方面では氏に並ぶ調査能力と洞察力を持つライターはいないと思っている。今の政局と地上波メディアにこの数分の1でいいから知性があれば、ここまで日本は凋落をしなかったに相違ない。
(*)ついでながら米軍が再編を急いでいるのは財政危機だからだ。イラク戦費だけで月に1兆円を費やしている。日本に米国債を買わせ、基地使用料までもらいながら、米国は更に日本に軍事作戦の手助けもさせようとしているのが、この憲法改正論の背後にあると見ても、何も不思議はない。
一体誰が悪いのか
 東京・中野区の課長が、集中豪雨被災者の税金や受信料を減免するため、被災者名簿を都税事務所やNHKに提供したのは、情報保護条例に違反したとして訓告処分を受けたというというニュース。その後もくすぶり続けている。区の方には処分に疑問をはさむ声が80件ほど寄せられ、中野区の区長は条例の主旨、並びにNHKとの受信契約をしていない世帯情報まで提供していた事などを鑑みて、処分は間違いではなかったと反論。ところで、処分と言っても実際は訓告である。分かり易く言えば上司が「めっ」と言うだけだ。訓告を受けたからと言って、出世に響く訳でもないし、年金が減る訳でもない。これについては、以前調べた事があって、どうやら太平洋戦争前の学校制度の中にあったものが、どういう経緯か役所関係に広まったものらしい。(本欄のここを参照のこと) つまり、訓告とか戒告というのは、元々は先生が生徒を叱る基準だったのである。こういうあたりに役所というものの不思議な側面が見えると言えよう。ところで、この問題。そもそも個人情報とは何かという意識が、殆ど統一されていない所に問題があるのではなかろうか。個人情報保護法案にしても、学校の電話連絡網が構築出来ない(個人情報だからと名簿に乗せない→緊急時などどうするのであろうか)などという笑い話まで実在する一方で、上級官僚の履歴が公表されないなどの「便乗」も目立っていて、弊害の方が目につく。ところがキャッシュカードのパスワードを誕生日にする例は後を絶たないし、ネットでは名前と誕生日を入れる占いサイトも盛況である。これも以前触れた話だが、個人情報を収集する業者は氏名と誕生日を合わせた物を識別IDとして使っている。この2者が一致する他人というのは、まず有り得ないからだ。つまり、住所や電話番号などを幾ら伏せたところで、氏名と生年月日が洩れていたら、個人情報としては筒抜けに等しいという事になる。先の中野区の処分は、住民の一部から抗議があって処分につながったと言う。抗議した方も受理して処分した方も、当該課長も、このあたりの認識がいずれも欠けていたのであろう事は、多分間違いはない。

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