一刀両断ミニコラム
12月 - 11月 - 10月 - 9月 - 8月 - 7月 - 6月 - 5月 - 4月 - 3月 - 2月 - 1月 -
2004年2003年

《2005.12.29》
携帯電話は実は危険
 携帯電話から発せられる電磁波は危険ではないか、という議論がある。日本では、公式に危険性は殆ど無いという事になってきた。が、実はそうではないという説得力と根拠のある指摘が、EUから昨年(つまり2004年)の暮れに発表されている。しかも世界のマスコミはこれを取り上げたが、日本だけが全く取り上げなかった。日本で主に通産省などが調べてきた電磁波の危険性は、精密機械に影響を与えるようなものを別にすれば、もっぱら熱の問題だ。いわば、携帯型電子レンジになっているかどうかだけを調べて来たのである。ところが、EUの調べた内容はそうではない。電磁波を浴びる事でDNAが切断されるというものだったのだ。DNAが切断されても、B級SF映画みたいに直ちに人間が変身する訳ではないが、次第に肉体が蝕まれる事と、子孫に影響が出る恐れがある。この影響は微弱な電磁波でも起こり、日本では安全と言われている基準値以下でも明確に検出されたという。また、携帯電話のように周波数の高い電磁波だけではなく、条件によっては50Hzのような低周波のもの(具体的には高圧送電線の下)でも起きることが確認されているのだから、事態は軽微ではない。現代の世の中、電磁波が満ちあふれている。携帯電話だけではなく、例えば非接触型のICカードであるSUICAのようなものも電磁波をやりとりしている。ICタグも電磁波でのやりとりだ。家庭内の置き電話も今やワイアレスが普通だし、無線LANも珍しくなくなってきた。こうした条件を考えると、現代人の遺伝的疾患は今後一世代を過ぎる頃になれば誰の目にも明確になってくる可能性は十分にある。今でも、送電線の下の家では白血病の子供が生まれる確率が高い、という指摘があるそうだ。こういう事実を全く伝えない日本のメディアの責任は重大だ。欧米のメディアはすべて取り上げているのである。
 本件に関する詳細は、パリティ誌(2006.01号 p.81、丸善)が詳しい。世界のメディアで報じられているかどうかは、"Mobile Phone DNA"というようなキーワードで検索をかければずらずらと出てくる。例えばBBCの こういう記事 がピックアップされる。
《2005.12.26》
茶番裁判劇
 イラクではフセイン元大統領(正確に言うと、イラクでは新憲法が発効している訳ではないので、法的にはまだ正大統領と言える)に対する裁判が始まっており、その様子もマスコミを通じて報道されているが、これが徹底した茶番劇である事を、大統領の弁護を行っているハリール・ドレイミ弁護士が暴露している。記事は月刊PLAYBOY誌最新号(2006.02号)の136頁。この記事で、ドレイミ氏が述べているのは、例えばこの裁判そのものが完全に米国人によって固められている事(警備からスタッフまで)とか、裁判の中継放送は生中継ではなく実際より20分もずれており、その間に検閲スタッフが良からぬと判断したシーンをカットするなどしている事などであるが、こうした事はメディアは全く取り上げていない。そして、更にドレイミ氏は日本の自衛隊が駐屯している所は放射能地帯であるという、驚くべき発言を述べているのである。イラクにウラン鉱は無いから、その放射性源として考えられるのは米軍の使う劣化ウラン弾しか考えられない。その破片が砂に混じって風に乗り、広がっている事は以前からNGOなどにより警告されていたが、自衛隊のいる地帯もそれだとは気がつかなかった。これが事実だとすると、自衛隊員は交代で被爆しにはるばる出かけ、帰りには放射能を帯びた砂を身体に付けて帰って来ているという事にもなりかねない。もっとも、ブッシュ大統領が大量破壊兵器というのは思いこみだったと認めても、自衛隊派遣は間違いではなかったと平然たるものの日本政府には、そんな事はどうでも良いのであろう。下の記事でも書いたように、日本は下っ端の命などどうとも思わないのであるからだ。
《2005.12.24》
人災の構造計算偽証
 パックイン・ジャーナルで放送していた内容によると、構造強度計算を民間に委託するそもそものきっかけとなったのは、どうやら米国からの外圧によるものらしい。きっかけは1990年代の後半で、例の郵政民営化などと共に米国が日本に要求した「市場開放項目」の一つとして、住宅建設市場があったのだそうだ。日本では神戸地震の時、耐震基準の見直しが進み、世界最高水準のレベルに上げられた筈だったのだが、実はその後、密かにその基準は下げられたという。理由は米国の建築メーカが進出しにくくなるからである。米国は一部の地域を除けば、地震は少ない。耐震建築にノウハウの乏しいメーカが少なくないのだ。この頃、そうした米国の意に添う政策を実行したのは、今の小泉内閣の中心に座を占める面々である。無論、問題はそれだけにとどまらない。米国の圧力で下げられた基準でも、忠実に守られていれば今のような大問題は起きなかったからだ。検査を民間に委託する方針そのものの是非を別にしても、例えばイーホームズなどの検査機関が政治献金を堂々としていたとか、そうした会社の大株主には住宅建設会社がズラリと並んでいる事など、常識的に見ても異常な体制が平気で行われている点ばかりではない。加えて検査に不備があっても責任が明確にならないようにしている事など、そもそも人の命を何だと思っているのかというような実態が次から次へと明らかになっているのである。国会でも、建設会社の取締役クラスが「経費を節減して何が悪い」と開き直るのだから、これはそもそも安全という単語を認識できる脳の構造になっていないとしか考えられない。
 元々、日本は人の命というものを大切にしない国である。口先だけは命は尊いなどと言うが、それは「勝ち組」の命だけの話。格好の例を上げよう。かつて太平洋戦争で活躍した日本の戦闘機に、ゼロ戦という有名な機種がある。だが、戦後になってあの高性能は操縦者の命を犠牲にして成り立っていた事が明らかになった。戦闘機では背後に敵機につかれたら基本的にアウトである。弾丸が雨あられと飛んで来て、穴だらけになってしまうからだ。米国の戦闘機では、そうした場合に操縦者の命を極力守るため、操縦席の背後には鉄板が立てられている。米国どころか世界の戦闘機がそうだ。操縦者をとにかく脱出させられれば、飛行機はまた作ればいいからだ(ベテラン操縦士の養成は容易ではない)。ところが日本のゼロ戦では、そこに入っていたのがベニヤ板だったのである。その分、重量が軽くなったから、高い機動性を実現出来たのだ。機動性だけで優位を保っていたうちはそれでも良かった。だが、敵機の性能がある程度追いついて来ると、この手抜きが致命的になった。ベテランの操縦者が次々と戦死し、次第に操縦者は素人になって行った。戦闘機の性能に差が無い上に、操縦者の格差が劇的になってしまっては勝ち目はない。最後には離陸の仕方だけ教わった特攻隊が、片道切符で出かけて行ったのも良く知られた通りである。これはほんの一例だが、いつも新聞を賑わす様々な災害報道、薬害問題、らい病患者の悲劇、公害などを検証すれば、そこには人の命などどうでもいいから自分らの権益さえ守られればそれで良しとする、という考えが横たわっているのが見てとれるであろう。メディアも一時は騒ぐが、こうした問題の根底には斬り込む事はまずない。メディアそのものも、人の命の大切さを本当には理解していないからだ。今回、構造計算偽証問題については政府の対応が非常に速い。よほど、バレてはまずい事があるからに他なるまい。恐らく、明らかになったら今の小泉政権を覆しかねないものがあるのであろう。居住者の命の事など本気では考えていないのだとするなら、これしか有り得ないと見るしかない。
《2005.12.23》
ガリレオ始動
 ガリレオとは主に欧州が中心となって構築する、非米国版のGPSの事である。今度、試験衛星を打ち上げ、実証実験が始まる事となった。順調なら更に追加衛星を打ち上げて、最終的に今の米国製よりも更に高精度なGPSシステムが稼働する事になる。欧州がこうしたシステムを構築する理由は簡単である。米国一国に世界を支配させない為だ。現在の米国のGPSは、本来が軍用のシステムであり、一般使用を前提としていない為に仕様の詳細は機密だし、一般向けには精度を落としていると言われているし、必要とあれば何時でも米国は停止、或はデータの暗号化を変更出来る立場にある。今回、欧州はガリレオを構築するに当たって、莫大な開発費を補う意味もあって世界の各国に参加を呼びかけた。アジアからは中国や韓国が参加をしている。が、日本は米国べったりだから(公式にはそうでもないんだろうが)であろう、仲間からは外されたのだ。日本は米国のGPSを最も喜んで使っている国の一つに違いない。カーナビは殆どの車に搭載され、地図機能付き携帯も珍しくないが、それらを使っていながら、その実態が米国の軍事システムである事など、殆どユーザは知らないに違いない。最終的にガリレオは広く公開される事になっているから、実際にガリレオが稼働すれば日本のユーザも使う事が出来るだろう。だが、日本はその為には割高なライセンス料を要求されるだろうし、運用ノウハウも全く得る事が出来ないという立場に置かれる。
 元々、GPSは巡航ミサイルの相次ぐ失敗を補うために開発された。巡航ミサイルとは打ち上げられてから地上スレスレの超低空を飛び、目的地を高精度で攻撃するものである。当初、巡航ミサイルにはコンピュータが搭載され、地形データを覚えさせ、レーダーとテレビカメラによって地形を判断しながら目的地まで飛ぶ筈になっていた。だが、幾ら実験してもコンピュータは地形を正しく認識出来ず、どこかへ飛んで行ってしまったり、地上に墜落する事故が続発したのである。そこで常に3次元座標を獲得するシステムを新たに構築し、ミサイルには各時間ごとにどの座標を通れば良いというデータだけを与えて、その座標経路通りに飛べば済むように方針を変更した。これがGPSの誕生秘話である。この為に莫大な経費をかけて人工衛星を何基も打ち上げるというあたり、米国ならではの発想力と実行力を感じとれるが、日本はこのプロジェクトに参加している訳ではない。米国はこの時の莫大な開発費に懲りたらしく、今度の戦略ミサイル防衛構想では日本にも数兆円の出資を求めている。
 従って、今のGPSは表向き広く一般利用されているが、管理運営は米国の軍が握っているのだから、いざという時に米国は好きなように世界のGPS端末を混乱させる事が可能なのだ。これでは国家の運営を安心して行う事が出来ない。だから欧州は別のGPSを立ち上げる事にしたのである。平和ボケで米国にすり寄っていれさえすれば安全だと信じて疑わない日本との、安全保障という物に対する感覚の違いが顕著に出た格好の例だと言えるであろう。
 なお、当初の巡航ミサイルが失敗に失敗を重ねたのは、今のコンピュータには「物体認識が出来ない」という弱点があるからに他ならない。犬や猫でも普通に行うような、目の前にある物を認識し、それが障害物かそうでないかを判断する事が、今のコンピュータには全く出来ないのである。先日、米国防総省が自力で判断して荒野を走破する自動車のコンテストを行ったが、この目的はまさにその「物体認識能力」を開発する為に他ならない。これが出来上がると、自力で走行し、街中をパトロールして動くもので認識コードを出していない物体を無条件で攻撃するような、準ターミネータの開発が可能になるだろう。また、逆にそれが出来ないので、今のところ機械が勝手に歩き回る事は有り得ないのだ。先日、日本のあるメーカが発表した新型二足歩行ロボットは、「小走り」が出来るというのがウリだった。メディアによっては、これによってロボット接客係が可能になるなどと報じたが、幾ら走行が安定してもロボットが客を送り迎えなど出来る筈もない事は、ここに述べて来たような事実を知っていれば、間違っても書くような筈はない。今の二足ロボットはカメラを搭載していても視力はゼロに等しい。だからこそ、ステージの上でダンスを踊らせるくらいしか、使い道が無いのである。介護ロボットの実現までにはまだまだハードルがある。欧州版GPSの開発は、こういうあたりにも話がつながるのである。
《2005.12.20》
iPodは何故消費者に歓迎されたか
 恐らく殆どのユーザが予想し、音楽産業関係者は予想しなかったように、アップルがiTunesの音楽ストアを開設して以来、その一人勝ちが続いている。その差は圧倒的で、音楽ストアが始まった時にはアップル側の1日の売り上げ曲数が、他の国内音楽ストアの1ヶ月分を越える勢いであったと言われる。現在までのところ、敗北側の巻き返しが成功したという話は聞かない。その理由は単純明快である。アップルのiTunesとiPodが採用したビジネスモデルが優れていたのである。アップルの音楽ストアから購入した音楽データは、iPodに入れて聞く事は無論、数台までのマシンに移しても再生出来るし、自分でCD-Rに焼く事も出来るのだ。一方の国内ストアは押し並べて制限を極めてきつくしてあり、ダウンロードしたマシンでのみ再生可能としているばかりか、場合によっては再生回数に制限まで設けている。この差は使う側にとって歴然である。では何故、アップルはこうしたビジネスモデルを採用したのであろうか。
 これも答は簡単である。多少の不法コピーは生じるかもしれないが、それを遥かに凌ぐ割合で市場の規模を拡大するなら、実入りには何の問題もない、と判断したからに他ならない。それに対して国内の音楽配信はまず最初にいかにして個人コピーを邪魔するかに血道を上げた。言わば、角をためて牛を殺すという愚をおかしたのである。元々、組織的に不法コピーをするつもりなら、そんな組織は少々の制限など簡単にハックしてしまうだろう。一方でそうしたコピー制限のお陰で迷惑を被るのが一般の消費者である。典型的な例があのCCCDだ。パソコンでのリッピングを邪魔しようと意図的にエラーレートを増やし、CDと言う名前すら付けられない代物にしたお陰で、カーステレオなどを中心にトラブルが頻発した。一方で、パソコン上ではマルチドライブがファームウェアの対応で簡単に読み取りをクリアしてしまったのである。この仕組みを考えた輩は、完全な技術音痴に違いない。このように、考え方が前向きか後ろ向きかという決定的な違いが存在する以上、今後もアップルの一人勝ちは続くだろう。これだけおのれの愚が明確になっているにも関わらず、音楽業界は先日もソニーが市販CDにおかしなプログラムを自動インストールする仕掛けを採用していた事が明るみに出たように(しかも消費者に隠れてやっていた上に、最初はシラを切ろうとした)、相変わらず全くの学習能力ゼロをさらけ出し続けている。国内のメーカはデザインに凝ったポータブルプレーヤを発売してもいるが、iPodはデザインの為に支持された訳ではない事すら、いまだに理解していない事を示すだけである。
 つい先程、7年に渡り低迷していた国内の音楽ソフト生産が上向いたというニュースが流れた。市場を押し上げた理由は、アップルの音楽ストアの出現であったという。しかも、こうして音楽が一曲単位で購入出来るようになった事から、今度はCDの売り上げも上向いたというのである。本欄で以前指摘した事だが、本のオマケに一曲だけのミニCDを付けたら、それに関連するCDの売り上げが伸びたという事実があった。それは1年半も前の事だった。つまり、音楽業界はその事実から全く何も学ばずに、相変わらずコピー制限技術を新調する事ばかり考えてきた訳である。無論、こうしたニュース記事からも何も学ばない事であろう。ブロードバンドが普及した今、次は映像配信販売の時代も来る。もうアップルはそれを開始している。だが、次世代DVDを争っているHD-DVDとブルーレイは、またまた凝ったプロテクトをかける事ばかり考えている。苦情が殺到しているにも関わらず、デジタル放送には録画制限信号を入れたままだ。次は音楽業界からミュージシャンが離れる時代が来るだろう。既にそうした流れは出ている。例えば UNIX MAGAZINEの2006.1号(p.117)には、ライブ活動でじわじわとファンを増やしたあるバンドが、PodCastingを利用してライブの宣伝をした所、チケットがあっという間に売り切れたという話が出ているのだ。つまり、結局は自分らの首を締めているに過ぎない事に、こうした音楽産業や映像産業の面々は気づいていないのである。そのまま息が止まるまで締め続けていてもらいたいものではなかろうか。
《2005.12.19》
ルールは都合良くねじ曲げるものなのか
 フィギュアスケートの浅田真央選手が、年齢制限で五輪に出られない事について、何やら「何故だ」という声がやたらとマスコミに流れる。言うまでもないが出場不可の理由は簡単明瞭で、五輪出場の規則で決められた条件を満たさないからだ。こういう物にいちいち例外を認めていたら、次は14歳、13歳、12歳ととめどもなくなるであろう。従ってどこかで線を引かなくてはならない。当たり前の事である。ところが、「可愛いから」とか「かわいそうだから」という理由で出場を求めるという幼稚な発想が堂々と氾濫するのだから、これが大の大人のする事かとこの現状には呆れる他はない。何と小泉首相までが、同じような発言を会見で述べており、こうなると国際的な恥さらしである。こんな事を言う連中が、一連のマンション強度計算偽造をとやかく言う資格などあるまい。理屈をつけてルールをねじ曲げるべきだ、と言っているのだから。
 そういえば、強度不足マンションの住人に対する誹謗中傷の発言が、ネット上の掲示板に書き込まれているらしい。困っている人がいると、そこに石を投げてウサを晴らすというのも、幼稚な精神活動であろう。この裏には、阪神地震の時に比べて保護が手早く手厚い事への不満があるとも報じられているが、それを通常「ねたみ」と言う。過去に遡って違いを論じるなど、無意味であるばかりか、これこそそんな理屈を認めたらとめどもなくなる事すら分からないらしい。或は、倒産した設計事務所の社員あたりが書き込んでいるのだろうか。マンション住人に不安が広がっているとも伝えられているが、心配する事はない。実際に実力行使に及ぶだけの度胸がある人間は、こういう形で掲示板に書き込んだりはしないものだからだ。そんな事すら出来ない「人間のカス」がそういう事をやるのである。書き込むとすれば、コトを起こしてしまってから、その手がかりめいた物を記述するケースで、これは心の奥ではまずい事を認識していて、「早く自分を捕まえてくれ」と発するメッセージと心理学的に説明されている。
《2005.12.16》
何故幼稚な犯罪が増えるのか
 幼児を誘拐して殺したり、ウサギのような弱い動物を惨殺するネットコミュニティを作ったり、こうした犯罪が連日報道されている。報道されるから目立つという解釈もあるが、かつてはこのような犯罪はこれほどまでには目立たなかったのも事実である。一応、統計をきちっと調べると、犯罪そのものが近世に激増している訳ではないらしいのだが、犯罪の低年齢化と幼稚化は間違いなく進んでいるように思う。
 では、何故かような犯罪ばかりが増えるのだろうか。まず考えられる事は、「そうしたら次にどうなるか」を考える事の出来ない幼稚な知能程度が増えている事が上げられよう。これは報道されているような、暴力的犯罪者ばかりではない。いわゆる企業の不祥事も全て含まれるといえる。良い例が、あのマンション強度偽装問題であろう。永遠にあんな事がバレない訳が無い。にも関わらず、「今、バレていないから」という事でそのまま突き進んだ結果がこれなのだ。もう一つは、弱い者に対する暴力であろう。特に最近目立つのが、幼児、小児や小動物に対する虐待行為だ。こういう事件が報道されると、か弱い生き物に対する愛情が不足している、というような見解が新聞紙面を賑わしたりする。だが、実際はもっと単純である。やってる当人が下等な存在だからこそ、もっと弱い存在に対して暴力をふるうのである。しかも下等な当人にはプライドがあって、自分を最下層とは認めたくない。だからこそ、弱い者を殺すなり傷つけるなりする事で、「自分は最低ラインではない」と認識したがるのである。従って、こういう事をする輩は、ある意味でプライドがある場合が多い。先日摘発された例としては、某医学学校の学生が、ウサギを惨殺するグループを作っていたというものがあった。医者というのは、一応はステータスであるから、こういう事をやる連中は、それなりに自分らはエリートだという自負があるのである。ところが、実際には脳みその方はそれに追いついていなかったのだ。その事は当人も分かっていたのだが、それを認める事はプライドが許さないから、弱い動物に対して暴力的に出る事で、自分らが最下層ではないと確認しようとしたのである。これを見ても分かるように、この現象は差別と全く同一である。弱い生き物を虐待する事と、民族や出身など何らかの理由をつけてある特定の集団を見下す事と、いずれも動機は同じだからだ。この一点だけ見てもいわゆる「差別用語」という概念の馬鹿らしさが理解できる。こういう差別用語なるものを提唱するような輩こそ、知能程度の低い連中なのである。そういう事を主張し、自分が正義の味方であるかのように振舞う事で、自分をより高度な存在だと見せようとしている訳で、逆に言うならそうでもしないとアピール出来ない程度のものだという事だからだ。
 問題は、かようなアホが何故、こうも蔓延するようになったかである。一つ考えられる事は、教育環境であろう。とにかくおだてて「あんたは優秀なのだ」と言うだけで、その子供が授業中に教室を歩き回っても注意もせず、魚の骨が嫌だといえば骨の無い魚を用意し、計算が面倒臭いと言えば円周率を3と教える。かような事をしてきて育った子供がどういう大人になるかと言えば、自分が世界の中心だと思うような育ち方をするだろう。だが、やがてそれなりに高学年になって行けば、現実はそうではない事を思い知る事になるのである。先日、報道されていた事だが、小学校での暴力事件で犠牲になっている件数ナンバーワンは、実は先生なのだそうだ。先生が色々と被害を被っているのである。常識的に考えれば、幾ら発育が良いとは言え、小学生が体力的に大人である教師にかなう訳が無い。にも関わらず、かような行為に子供が及ぶのだとするなら、それは子供の方が「いくら叩いたって相手は反撃して来ない」と嘗めてかかっているからに他ならない。後遺症が残るような暴力はいけないが、躾として尻を叩く、或は往復ピンタをかます事は必要である。それが結局はその子の為であり、引いては社会の為でもあるからだ。にも関わらず、暴力と躾の区別もつかないウルトラアホが騒ぎ立てる結果、今のような歪んだ教育システムが出来上がった。円周率を3と教える「ゆとり教育」を経て来た世代は、今、大学の1年生である。大学の先生方からは、「彼らの行動は訳が分からん」という声が上がっている。そして彼らはあと3年で社会に出て来るのである。その国の将来はその国の若者を見れば分かる、というのは古くから言われる格言である。日本の将来に今の大人は確たる自信を持てるのか。そうした論評を辛口子はまっとうに聞いた事がない。
《2005.12.13》
賃貸が吉
 ニュースによると、強度計算の結果問題が出たマンションのうち、賃貸物件は順調に住人の退去、引っ越しが行われているのとは対照的に、分譲物件では殆どそれが行われていないそうである。当たり前であって、今既に賃金から考えてギリギリに近いローンを組んでいたら、それに更に上乗せを被るような真似が、そう簡単に出来る訳がないではないか。政府からの補助があってもローンがタダになる訳ではないし、自治体の方は東京都を筆頭に、赤字を理由に出し渋る傾向が強い上、フューザー始めとする会社の方はのらりくらりと時間稼ぎに徹しているのだから、住人にしてみれば八方ふさがりに近いのだ。こうした中、動きが早いのは銀行である。木村建設があっさりと倒産したのは、偽装ではなく銀行がさっさと融資を引き上げたからだと言われている。無論、住人に対する賠償責任が生じたら、銀行も損失の一部を被る恐れがあるからである。銀行のやり口はこんなものであって、辛口子の友人が事業を起こした時も、本業が好調だから借金を早めに返そうとすると担当者が外出だの何だのと理由をつけて逃げ回り、それを受け取らなかったそうだ。ところが、別件の余波を被りそうになった時はどこからともなく聞きつけ、返済を迫って来たというのだから、呆れるほどに感心する他はない。で、話が飛んだが、このようにいざという時に動きのとれない分譲購入は危険なのである。今回の件で、好調(ほんとか?)なマンション市場に水が注されるのではないかと懸念する声があるらしい。それなら賃貸で分譲すれば良さそうなものだが、そうした見解が殆ど報道されていないという事は、やはり何かあると見るべきであろう。
《2005.12.12》
次世代ゲーム機はゲーム機か?
 XBoxの次世代機が発売となった。売り場では、Windows95以来伝統となった華々しいセレモニーがあったらしいが、盛り上がりはそれ程でもないと見た(*1)。大体、新製品というものが世に出た時には、飛びつく層が20万人程度はいるもので(日本だけで)、そこから先の売れ行きを見なくては市場に受け入れられたかどうかの即断は禁物である。メディアの記事の紹介文では、今度のXBox360を「お茶の間デジタルをけん引」(日経)という表現が多いようだ。XBoxの目玉はグラフィックスだが、ネット接続は無論出来るから対戦ゲームは無論のこと、映画を上映したり(今度のは追加投資なしでDVDが見れるらしい)、様々なネットコンテンツを利用出来る、のだそうである。つまりは、ゲームが主ではない、という事であろう。その流れはPS2の時から明確で、あれを殆どDVDプレーヤとして使っている家庭は少なくない。では同じ理屈でXBoxがゲーム以外に広く使われるのだろうか。XBoxはゲーム機と言っても、中身はただのPCである。同じスペックをPCとして組むよりは安い値段がついているというだけだ。米国では発熱が問題で故障を起こすと訴えられた。メディアは盛んに「対戦ゲームが伸びている」と書くが、実際にそうという実感はない。以前も書いた事だが、ゲームってのは【自分がしたい時に出来る】からいいのであって、対戦となったら必ず複数人がスケジュールを合わせるか、或は赤の他人とやるかしか無いからだ。グラフィックスが綺麗なのは前から言われていた事だが、任天堂のゲームボーイMicroに合わせて発売された、旧ファミコンソフトシリーズが好調なのを見ても分かるとおり、グラフィックスの優劣はゲームの面白さとは何の関係もない。強いて言うなら、ギャラリーにとって面白いかだけである。ハイビジョン画面で見られるなんてのも、笑止であろう。そんなのが決定的なら、PCのゲームは既に先を行っているからだ。PCのゲームはとっくの昔にグラフィックス面でもネットワーク対応でもゲーム機を凌いでいる。違いは金がかかるかどうか、だけである。
(*1) と、ここまで書いてからネットで調べたら、どうもXBox360は前モデルのXBoxより売れ行きは悪いらしい。統計による誤差もあるが、出足は半分程度と書かれている。何だかんだ言ってXBoxは日本のマニアには受け入れられなかったが、それでは今度のは最初に書いた飛びつく層にすら、見放されているという事ではないか。次世代プレステはBlu-Rayディスク対応が目玉だそうだ。Blu-RayかHD-DVDかの争いなど、消費者をそっちのけにした「カーマニアのエンジン自慢」に過ぎない。ソニーのブランドイメージが地に落ちている昨今、さてどれだけのスタートダッシュを見せるかはミモノである。
《2005.12.10》
何故か持ち家志向
 耐震構造のねつ造問題は、火の手が収まるどころか更に広がりを見せている。設計そのものが異常に強度を低く計算している上に、施工業者が手抜きをして壁を更に薄くしていた事が発覚した物件まで出た。こうなると、実際に震度5くらいの地震にでも起きてもらって、どれが倒れるかを見るまでは、とてもではないが地上にそびえるビルを安心して眺める事など出来そうにない。ところで、大変なのはこんなマンション(国のお墨付き物件だ)を買ってしまった居住者である。流石にまずいと考えたのか、国は国の政策としてはかなり手厚い保護を打ち出してはいるが、それにしたって今のローンに加えて更に3000万円くらいのローンが重なるであろうと予想されるからだ(無論、ケースにもよるし流動的ではあるが、少なくとも増える事は間違いない)。
 ところで、ここで考えてみると、殆ど報道されないある日本独自の習慣が、この悲惨なローン地獄を生み出している事が分かるのではなかろうか。それは、日本ならではの「持ち家志向」だ。欧米ではマンションなどは借りるのが普通である。収入に応じて広い部屋に移って行く。事業に失敗したら、今度は狭いアパートメントになったりする事もある。仮に日本がこの習慣を積極的に取り入れていたら、この問題はそもそも起きなかったのではないか、と辛口子は考えるのだ。理由は簡単だ。いい加減な物を作っていたら、店子が入らないからである。今回、かような手抜き物件を売りつける詐欺が成立したのは、そもそも「売ってしまえば後は野となれ山となれ」であるからに他ならない。物件が壊れようが、例え倒れようが、ローン会社から金が入って来るので、何の心配もいらないからである。逆に居住者にとっては、実は賃貸はメリットが大きい。今や生涯一会社への就職すら保証の限りではない時代、収入に応じて移る事が可能になるからだ。つまり、リストラによってローン地獄に陥り、自殺による保険金で凌ぐという悲惨な最終手段を取らなくて済むだろうし、前述のように出世したらもっと高級な所に移る事も出来るからである。そもそも、何故、マンションのようなものを「購入する」のが一般的になったのかは、全く不可思議という他はない。良く聞かされるのは「最終的に自分のものになるからだ」というフレーズなのだが、何十年もの間払い続け、最終的に自分のものになるのは、ただの空間に過ぎないからである。マンションでは壁も玄関のドアも床も天井も自分のものにはならない。共同物として勝手にいじる事は出来ないからだ。阪神地震では、玄関のドアが歪んでも壁に穴が開いても、そこの住人は自分で修理すら出来なかったという実例がある。最近では住人が土地の一部を権利として手にする習慣も生まれているが、いざという時にその分だけを売れる訳もないのだから、実際問題として殆ど意味はない。一方でローンによって毎月払う金額と、賃貸の家賃とを比べてみれば、そんなに違いがある訳ではない。こうして考えて来ると、そもそも国が政策として、マンションを買わせようとして来たのではないかという疑いが浮かぶ。無論、建設業界を潤わせ、天下り先を増やすために、庶民を踏み台とするという何時もの手法である。
《2005.12.09》
警告無視の真相
 みずほ証券が株価と株数を間違え、1円で61万株の売り注文を出してしまった件で、みずほ証券の言い分によると、画面に警告が出たが、「滅多に出ない事なので無視してしまった」とのことである。そうであろうか。滅多に出ないのなら、むしろ注意するのが普通である。無視して流すのは、「年中出ている」からに他なるまい。恐らく、数値がおかしいと判定されるケースが少なくないのであろう。今回のような極端な事例は珍しいのだろうが、機械が「間違いないか?」と聞いて来るケースはそこそこあるのに違いない。だからこそ、担当者が「またか」と決めつけたのである。人間がやっているなら1円の売り注文など絶対に通さないが、機械は「それでいい」と言われれば忠実に実行するに決まっている。機械の判定に「常識」というファクターが無い以上、類似の事故はこれからも無くなる事はあるまい。IT社会などと格好つけて言っても、実態はこうである。今回の場合、証券会社がミスを認めたから損害は補填される可能性が大である。だが、個人レベルではそんなものはない。例えば、携帯電話で買い物が出来ます、という聞こえのいいフレーズに乗って、落とした携帯電話の電子マネーが残金ゼロになっても保障などはない。
《2005.12.05》
イマイチ
 関東は栃木県に今市市(いまいちし)という市がある。和歌山県和歌山市の市長が市議会にて、幼い女の子が殺された件に関し、「イマイチの町であってそういう所で事件が起きる」と発言し、陳謝したというニュースが流れた。知名度は一気にアップであろう。この市については、数年前にもNHKのニュース番組で、「知名度がいまいちなのが市の悩み」という主旨の紹介もあったほどで、市の発展には地元も色々と尽力していたようだ。ただ、急速に住宅地などが増えると、おかしな輩も必ず紛れて来るもので、新興住宅地に空き巣が多いというのは常識である。その意味で、この市長の発言は完全に外したものではなかった訳だが、どうもタイミングと場が悪かったという訳だ。それにしても、悲惨な事件が年の瀬も押し詰まって続くと、冬の空みたいに気分も滅入る。1日の本欄で、例のペルー人容疑者に関しては、同情出来る余地もある旨を書いたが、今市市の方の事件は報道されている内容を見る限り、犯人に同情すべき余地は全く感じられない。以前、国会で現職の大臣が「犯人は市内引き回しの上・・」と発言して物議をかもしたが、あの市長はこちらのフレーズを使うべきだったのではなかろうか。いまいちの発言だったという事のようだ。
《2005.12.03》
女性天皇論を支持したい
 先日、直系第一子を優先とする女性天皇を認めるという答申が出た事で、またまた色々な議論がメディアに登場しているようである。某皇族を始めとして「男子一系でここまで来たのに」という否定論も話題となった。さて、これについて立花隆氏が彼自身のブログで論じている。詳細は直接読んで頂くとして、内容は単純明快だ。「男子一系というのはウソである」という事である。直系子孫に男子が多かったのは、大正天皇と昭和天皇に見られるどちらかといえば特異な事例であって、歴史を見れば「側室に生まれた男子に皇位を継承させた」例の方がむしろ多く、また、女性天皇も公式に語られているより遥かに多いと氏は指摘している。氏によると、そうした女性天皇の時代、国はむしろ栄えたという傾向があるのだそうだ。これは英国も女王がいた時代、栄えた事とどこか共通していると辛口子も思う。で、側室とは要するに妾(2号ともいう)であって、これが直系と言いがたいのは無論、子孫に男子を残す為の古人の知恵だった事を理解する必要がある。つまり、直系の男子はそれ程までに少なかったのだ。だが、現代社会で皇室に側室を認める事は社会的通念に照らし合わせても無理があるだろう。それならば天皇が女性でいけない理由があるだろうか、というのが氏の主張である。今の時代、天皇は国の権力者ではない。公式行事を執り行う、文字通りの「象徴的存在」である。それならば女性でいけない積極的な理由はないだろう。むしろ、天皇自身がそうした形で国民の間に存在する事は、男子一系などという絵に描いた餅よりも実効的なものがあるのではなかろうか。天皇無用論もあるが、天皇は聡明である。昭和天皇が戦争を止められなかったと非難する意見もあるが、当時のように軍部が実権を握り、天皇の周囲に信頼出来る強力な親衛隊もいなかった状況では、表立って反対していたら天皇暗殺も有り得ただろう。昭和天皇と今の天皇陛下は、靖国神社にA級戦犯が奉られて以来、靖国を参拝していない。また、思い上がった米長東京都教育委員長に対し「国旗・国家への強制はそうならないのがのぞましい」と、今の天皇陛下が苦言を呈された事も知られている。辛口子は国粋主義者などでは断じて無いが、こうした天皇の持つ独立性は、無能な政治家ばかりが目立つ日本のこれからにとって、ますます重要になって行くに違いないと考えている。
《2005.12.01》
現代の問題はどこに?
 幼女誘拐犯人が捕まってみれば、日系を名乗るペルー人だったとの事で、何やらメディアは大にぎわいである。父親の手記やら母親のコメントがこれでもかとばかりに紙面を飾る一方で、ペルー人容疑者に対する憎しみめいた解説ばかりが目につく。辛口子は別に親の気持ちを逆撫でするつもりはない。可愛い我が子を失った親の悲しみは察するに余りある。だが、一歩引いて考えてみるならば、そんな事は当たり前であって、我が子を失って喜ぶ親などいる訳がないのだ。従って、何度でも紙面に親のコメントばかりを掲載するメディアの姿勢もどうかと思うのである。いたずらに悲しみを煽って同情を得ようとしているかのようにも見えるからだ。更に問題なのは、この容疑者に対する憎悪にも似た記事本文の数々である。読んでいると、まるでこの容疑者は悪魔の申し子であって、いかにして成敗すべきか、というような論旨ばかりが目立つからだ。そして、その行間から垣間みられるのは「俺は善人だもんね」という自己慢心にも似た安堵感である。昨年にも似たような事件があったから、防止する為にはどうしたらよいか、とか犯人に対する罪状を重くすべきである、というような論評も多々見られる。だが、辛口子ははてな、と思う。小さな子は可愛いが、だからと言って天使である訳でもないのである。この容疑者に関して言うなら、どうやらペルー本国には殺された子と同じ位の子供がいるらしいという。だとするなら、その子に我が子の面影をだぶらせ、相手にしている内に、子供の方が騒ぎだし、とっさに我を失って殺してしまったという事だって、充分に考えられるのだ。言葉も殆ど通じない異国の地での孤独感は生半可なものではない筈であろう。辛口子は別に犯人に温情を与えろと言っているのではない。この犯人を悪魔扱いしても問題の本質は何も見えて来ない事を指摘しているのである。そう、新聞やニュースで犯人憎しの発言をしている記者やアナウンサだって、いざ戦争となれば人殺しはするのである。人間の中には誰もがそういった闇の部分を持っている。だからこそ、イジメや差別が起き、必要とあれば民家に向かって機関銃を乱射できるのである。そして、そうした闇の部分を制御し、同居しながら生きていくのが人間という生き物だ。にも関わらず、この事件に関する一連の記事を見ていると、最初に述べたように「俺は善人、あいつは極悪人」という論法ばかりなのである。これでは問題は解決しない。全ての大人がこうした行為を行う可能性があるからである(少なくともゼロではない)。従って、強いて言うなら、どうしてもこうした幼児が事件に巻き込まれないようにするのであれば、大人を全部この世から消すしかない事になってしまうのだ。このように、自分は善のかたまりである、という論理は非常に危険である。この論理を元に、相手が常に間違っているのだから、私がそれを正してあげよう、という方向に動くからである。さよう、米国が今、イラクでやっている事がそれだし、宗教戦争は全てこの論理だし、いわゆる差別用語の発想もここから生まれているからだ(差別用語とやらをあれだけ刈りまくって差別が無くなったか?)。そして、良く調べると、本来、宗教というものはその教えとして「善と悪の同居から始めよ」という要素を含んでいるのである。キリスト教では「汝の敵を愛せ」と言うし、仏教では輪廻転生の考え方をもって現世は仮の姿であると諭す。中国の陰陽のマークなどは、まさにそれだ。古代の賢人の教えも知らず、どうやら現代人はますます原始化しているのではないのだろうか。

各記事は個人で楽しむ分には自由だが、いかなる意味でも営利を伴う使用については、 筆者個人の許可を求める。ただしURLを宣伝する行為は、この限りとはしない。

GO BACK TO TOP