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盲目的IT礼賛主義 ホリエモン逮捕、ライブドア騒動、2週間が過ぎようとしてまだ余波はおさまる気配を見せない。他のIT関連業者からは「同類と見ないでくれ」という悲壮なまでの叫びが新聞などにも書かれている。そんな記事を見ている時、ふと不思議に思ったのは、あるそうした業界関係者の「ホリエモンは、ITに託した若者の夢を打ち砕いた。それが一番残念だ」という発言であった。そもそも、ITという単語を振り回し、それに夢があるかの如く書きまくったのが、こういう連中とメディアではなかったかと思えたからだ。 インターネットというテクノロジは、革命的な新技術が生み出した訳ではない。従来からある技術を巧みに組み合わせた「発想の転換」なのである。一例を挙げるなら通信費がある。今や、家庭にまで安価で光ファイバが引かれる時代だが、ほんの20年ほど前にはこんな事は考えられなかった。NTT(当時は電電公社)にデータ伝送速度数十キロバイト/秒くらいの回線を引かせると、月間使用料金が20万くらいはかかったので、一般家庭がインターネットに常時接続するなど夢のまた夢だったのである。ではこの料金の違いは一体何か。それは、NTTの用意する回線というのが、品質保証優先のものだったからだ。エラーレートが非常に低い優れた回線を提供するのはいいが、その分、装置も高額で故に使用料も劇高になったのである。では、インターネットはどうなのか。実は、エラーレートなど少々高くてもいい、という逆転の発想をしているのだ。エラーが起きたら送り直せばいいではないか、という訳である。実際、インターネットでのIPパケット伝送メカニズムは驚くほどに単純である。IPパケットには基本的には宛先のアドレスしか書かれていない。確実に届くという保証もない。だが、受ける側でデータが揃っているかどうかを調べ、足りなければもう一度送るように要求する仕掛けが用意されていて(この為に使われるのがTCPに相当するプロトコルレイヤ)、それによって実質的なエラーレスを実現しているのである。 このようにインターネット技術は単純だからこそ、こうして瞬く間に広まった。ところが、日本にも普及しはじめた頃になるとこの「IT」という単語がどこからともなく現れ、新聞などで唱えられ始めた。IT評論家なるものがビジネスチャンスがあるとか述べ、政治家はIT国家を目指すといい、新聞はITが世界の潮流だと書きまくったのだ。実際、米国では多くのベンチャーが誕生し、その頃にはアップルやマイクロソフトのような花形企業も存在していたから、そういう物への憧れもあったのだろう。だが、このように良く事情を知っているなら、いわゆるITなるものは技術そのものというよりは発想の転換である事や、米国で生まれた大きな会社も確かにあるが、その裏には星の数ほどの消えていった会社がある事も分かっていなくてはならなかった筈だ。第一、インターネットとはインフラに過ぎない。電話の無い所に電話を普及させれば確かにビジネスのチャンスはあろう。しかしそれが必ず儲かる事は保証しない。にも関わらず、そうした論評は殆ど目立たず、なにやらITと唱えるだけでバラ色の世界が広がるかの如き記述ばかりが溢れたのである。つまりは、コンピュータという単語があるだけで、何か全く違うものだと解釈した。だからこそ、ライブドアは実態は金転がしの粉飾企業であっても、IT企業を名乗る事で金集めに成功したのである。要するに、ITという単語に対して過剰なまでの夢を唱えた連中こそが若者を誤解させたのであって、冒頭で引き合いに出した発言はまさにこの原因と結果を取り違えているという事なのだ。別の言い方をすれば、技術のギの字も分からんようなのが、知ったかぶりをして素人を騙したとも言えよう。そして、その事に今もって気づきもせず、責任をホリエモンに転嫁しているのがあの発言であり、そうした単純思考が最終的にこのモラルもない世の中を作り出した事になど、恐らくは死ぬまで思いもよらないのである。 |
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ハマスとハタファ パレスチナで過激派政党と言われるハマスが地滑り的に過半数の議席を獲得、中東の和平構造に影響が大ではないかと報じられている。穏健派と言われるのがハタファだが、この惨敗についてアッバス議長への責任追及が始まっていると言われる。が、報道されている「要約」だけでは、コトの真相を理解するには不十分である。そもそも、アラファト議長死去のあと、後継者として当選したのがこのアッバス議長。アッバス氏は穏健派、欧米協調派と言われるが、そのアッバス氏が選ばれたのにはれっきとした理由がある。事前にPLO内の強行派と言われる面々をイスラエルが暗殺していたからである。暗殺と言っても、毒殺や銃撃というようなおとなしいものではない。家族揃って避暑地の別荘にいる所を、攻撃用ヘリ(無論、米国製のアパッチなどである)でミサイルを撃ち込み、家族ともども粉々にしてしまう、というような方法をとっている。だから、アラファト亡きあと、後継者としてある程度の実力が見込めたのは、アッバス氏しかいなかったのである。ところで、ハマスと言えば過激派テロ組織みたいに考えがちだが、実態はそうではない。むしろ民衆に密着、例えばイスラエルのテロ行為(イスラエルのやってきた事こそテロであるが、米国は自分に都合の良いものをテロとは言わない)によって親や夫を失った子供や妻に対する、手厚い支援(衣食住から教育まで)はハマスの看板でもある。一方のハタファは内部で腐敗や汚職が横行し、自国民への評判はよろしくない。本欄1月20日にも書いたように、米国が後押しして成立させた政権は必ずと言って良いほど腐敗が横行する。その事から考えれば、このハタファの実態は推して知るべしという事になるだろう。そもそも、あの土地にはパレスチナ人などアラブ人が平和に暮らしていたというのに、そこにユダヤ人が2000年前の神の約束とかいうものを持ち出して浸食してきたのがコトの始まりである。このあたり、詳しくは本欄2003年1月5日でも触れているが、この事から考えれば「ユダヤ人出ていけ」と民衆が考えるのは当たり前。例えば日本の中部地方かどこかに、「神に約束された土地だ」とか言って、どっかの民族が入り込んで独立国を作ったらどう思うか、と考えてみれば、ハマス躍進は当たり前である事が分かるだろう。問題は中東問題への影響である。ハマスは過激派と言われるが、ハマス全体が対イスラエル敵対路線をとっている訳ではない。むしろ政権を取得した以上、国を挙げてテロに走るような策はとる筈もなく、単に戦争が始まりかねないと先走るのは危険である。が、イランの反米路線明確化に加えて、アメリカにとって頭の痛い問題がまた一つ増えたのは間違いない。日本は中東に石油の大部分を依存している。かつては日本は中東では比較的好意的に受け止められていた国であったが、米のイラク侵略戦争に加担して以来その流れは変ってしまった。こうした情勢をかんがみ、日本はこのまま米国べったりを続けるべきかどうか、真剣に考える時が来ているのである。 |
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発展型 以前から、本欄では企業のトップの無責任体質について指摘を続けてきた。記者会見を開き、カメラに向かって頭を下げれば、それで全てご破算というアレである。ところが、最近になってフューザーの小嶋社長や、東横インの西田社長などを見ていると、この体質は更に進化を遂げているという感を強くせざるを得ないようだ。頭を下げるどころか、ふんぞり返っての開き直りだからである。本論をすりかえ、話をそらせて自分を正当化する。東横インの西田社長に例をとるなら、まずはシラを切る。それが駄目なら認めた上で大した事じゃないと開き直る。その上で、これからしないからいいだろ、という具合である。それで済むなら警察なんて不要であって、そんなのが許されるのは小学生までじゃないのか? 東横インの問題は、建てているホテルの検査が終わったあとで、法律に決められた物を営業効率だけの理由からさっさと捨て去った事にあるが(その後、客室を不法に増やしていたという事実も出た)、このパターンは先日にもニュースになった三菱自動車の子会社と同じである。トラックの車検での総重量制限を通す為に、検査の時だけ意図的に小さな燃料タンクを装着(総重量は燃料満タンで調べる)、検査が通ってから大型のタンクにすり替えていたという話だが、それと見事に合致しているのが分かるだろう。更にこの考え方。実は風俗産業のそれと同じなのだ。風営法によって例えば店内には密室が出来ないような配置が求められていても、検査が終わったあとでレイアウトを変えてしまう事などは、あの業界では当たり前のように行われてきたのだが、それと同じレベルの発想だという事である。言い換えると、どちらかと言えば社会の裏側で使われてきた理屈が、表でもまかり通るようになってきたとも言えよう。この元凶は言うまでもないが、どこかの総理が見せる手本にある。つい先日も、ホリエモンを党として支持した事を問われて、メディアだって持ち上げたじゃないかと責任転嫁をした、あの総理である。国会での答弁でも全く同じで、遂に言い逃れが出来なくなると「人生いろいろ、社長もいろいろ」というあの迷言を持ち出した事は、まだ覚えている向きも多かろう。幾ら歌舞伎だオペラだと観劇して見せたところで、とっさに出るのがこういう演歌なのだから、中身は推して知るべし。そしてこれが手本になっている以上、見習うのがあちこちに現れてもある意味当然なのかもしれない。とはいえ、こうしてライブドアに続いて東横インが話題を独占、フューザーは一息か? |
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フジモリ元大統領の実像とは 日本に事実上の亡命をし、この度、チリに移動して現地で拘束されたフジモリ元大統領。その実像といえば、日本では例の日本大使公邸を襲撃した時の対応や、日系人という事で好意的な印象を持たれているのが一般的だろう。だからこそ、日本にいてもあまり反対の声は上がらなかった。だが、今月26日にNHKのBS-1で放送されたドキュメンタリー「ペルー、流血の20年」(2005年米スカイライトピクチャーズ製作)によると、それは虚像に過ぎなかったようだ。そもそもペルーでは、1970年頃からグスマン率いるあのセンデオ・ルミノソという反政府ゲリラが活動し、主に地方の貧困層に支持を広げていた。もっとも、支持しないと言えば殺される状況ではあったのだが。これに対し、政府も1982年からルミノソ掃討作戦を開始したが、効果的な手を打てずに秩序は悪化する一方となる(相手は山に潜んでいるし、村民に化けているかもしれない)。そうした中、1990年にゲリラ殲滅を公約にしてさっそうとデビューしたのがフジモリであった。大統領になるとフジモリは、テロ撲滅を名目に議会を「一時的」に解散、全ての権限を自分に集めていく。やがて首都リマに潜んでいたグスマンが逮捕されたが、それは特別捜査班を率いていたヒメネス主任刑事の手柄であったにも関わらず、フジモリはそれを自分の功績としてメディアに発表、同時に指導者を失ったセンデオ・ルミノソが壊滅しても、テロが終わった訳ではないと主張して、議会の復活や権限の委譲などは全く行わずに独裁者としての地位にとどまり続けたのである。1996年に日本大使公邸襲撃事件が起きたのは、フジモリにとってまさに千載一遇の宣伝機会となった。日本を始め先進国からの支持を得たと考えたのか、その後フジモリは軍と情報局を操って国民への弾圧を激しく行うようになる。ペルー国民に対する人権侵害は、まだその実態すら把握されていない。フジモリ政権末期には、内部で腐敗と不正が横行、机の上に札束を積み上げて賄賂を渡す場面のビデオがいくつもこの番組中で紹介されている。フジモリはメディアを支配し、憲法を改正して3選を果たしたが、流石にこの頃になると国民の反発が強まり、遂に国外脱出を余儀なくされたのである。これが事実であるなら、チリで国民を長い間弾圧したピノチェトとさして変わりはない。国際司法裁判所で被告になってもおかしくない訳で、それを事実上公式にかくまった日本政府の外交政策も、その判断根拠を問われなくてはならないだろう。これでは、ミャンマーの軍事政権がアウン・サン・スーチー女史を軟禁している事に、とても文句など言えた立場ではあるまい。 |
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右向け右 さて、一転してホリエモンを極悪人扱いしている日本のメディア、テレビや新聞などであるが、ホリエモン叩きが当人の逮捕で一段落したのか、今度は一斉に「市場原理主義」への批判で紙面を埋め始めた。日本古来の持つ良さを無くし、あっという間に米国式市場主義が日本を席巻、勝てば官軍式の理屈がハバを効かせた結果、ホリエモンもその犠牲者だという訳だ。つい先日までIT業界の寵児と絶賛していた同じ新聞かと思うほどの豹変ぶりだが、それにしても常に思うのはどこを向いてもどの新聞を見ても同じような記事になっている事であろう。「ちょっと待て」という論評はどこにも見あたらない。このように、我も我もと付和雷同してヒステリックに走る事そのものが、この悲劇を産んだという事にも気がついていないようである。「米国式の論理だけで走る社会と違い、日本には情緒による優れた精神があった」などというような論評を見ると、まるで戦前の精神教育の復活かと思うほどだ。 ところで、論理一辺倒を非難するこうした傾向には、辛口子としても一言はさまない訳にはいかない。米国は論理社会ではない。ルール社会だからである。多種多様な民族が混じっているからこそ、明確なルールが必要なのである。ルールを定めるには論理が必要だが、論理だけが全てではない。こうした論評はまずそこを履き違えている。そして日本が最近になってトラブル続出となっているのは、論理に走ったからではなく、むしろ論理で物を考えられなかったからに他ならない。考えてみれば当たり前である。例の構造設計違反にしろ、JR西日本の電車転覆事故にしろ、今回のライブドアにしろ、「それをやったら次にどうなるか」という論理的な判断が出来ていなかったからこそ、人命無視の設計や建築を行い、速度超過で電車が倒れる事となり、粉飾決算が破綻したのである。まさか永遠にバレる訳がないと思っていたとでも言うのであろうか。そんな筈はあるまい。単に「考えなかった」のである。即ち、まさに論理の欠如に他ならない。 これはメディアやマスコミばかりか、現日本の政権についても全く同様で、「周りがやっている事と同じ事をしてれば間違いはない」「アメリカに言う通りにしていれば間違いはない」という単純かつ論理のかけらもない貧弱な思考そのもので動いているのである。更に、これは最近に始まった事ではなく、日本人にはそういう民族性があると言わなくてはならない一面がある。例えば、採決の時も満場一致を是とする。米国では「全員が同じ意見なんて筈がない。だから私は反対した」という反論の持ち主が必ず出る。だが、かつての日本では、採決そのものは一方向に流れても、それにブレーキをかけてうまく誘導する知恵者がいたのだ。表には出なくても、そういう影の実力者が(良い面ばかりではなかったが)軌道を修正してきたのである。ところが、構造改革と規制撤廃のかけ声の下、そうしたブレーキ役が追い払われてしまった。元々、付和雷同の輩ばかりである国民が、規制というタガを外されたらどうなるか。その結果がこれに過ぎないのである。 ところで、25日付読売新聞朝刊なぞをめくっていたら、面白い事に気づいた。2面で、米国からの「BSEの危険性は交通事故より遙かに低い」という発言を、日本国民の神経を逆なでするものだ、と糾弾していたのだが、更に紙面をめくっていくと「科学大国への道」という連載コラムがあったりしたのだ。そもそもBSEの危険性が交通事故などより遙かに低い事は当たり前で、それを認める事こそが科学的思考のイロハというものであろう。つまり、科学的な思考など出来ない輩が、科学立国を目指そうなどと平然と書いているのである。ここに今の日本が抱える問題の根幹があると思う。欧米各国ばかりか中国や韓国でも、教育には非常に力を入れている。単なる点数主義には問題もあるが、必要な知識を与えない事からスタートする日本の「ゆとり教育」みたいな愚行を行っている国など、どこにもない。そのゆとり教育を受けた最初の世代は、あと数年で社会に出てくる。日本の復興、自立を考える時、難題は山積なのだが、その事を指摘するメディアも見あたらないのが現実なのだ。 |
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ヤクザ国家? ライブドア問題。日本のメディアはこぞって非難の大合唱だが、外国メディアは少し違う風潮である。フランスのリベラシオン紙は、「日本の経営者や政治家はヤクザには寛容でも、堀江氏のような米国風日和見キャラは拒絶した」とコメント。そういえば、プロ野球オーナー会が「楽天を選んだ昨年の我々の判断は正しかった」と自画自賛していたが、何の事はない、当時のコミッショナーがノーネクタイを嫌がった発言をしっかり残しているのだから、企業内容ではなく経営者が正装では無かった事で感情的に拒絶した結果のまぐれ当たりが真相であろう。楽天だって何時どうなるかなど、分かったものではあるまい。「IT時代の寵児」などとせっせと持ち上げたマスコミからも、反省の弁などかけらも出ていない。一部の新聞には、いわゆる外部からのコメントとして、そういう物が掲載されてはいるが、当事者は知らん顔だ。ライブドアの株主には個人投資家も多く、その多くはマスコミが絶賛する事から一株乗って見たという人も少なくないに違いない。現在、こうした個人投資家は売りが殺到して売るに売れない状況である。丸損はほぼ確定的であろう。年金財団が一部を運用していたという話はあるが、元々、投資というのはリスクであって、ライブドア株価に全面的に乗っていたのでもない限り、これは許容出来る問題と言ってよい。いずれにしろ、ロクに自分の頭で考えずにせっせと付和雷同していたのは、むしろこうしたマスコミや政治家連中であって、日和見キャラとはこういう連中を言うべき言葉のように思える。辛口子は、ライブドアのWWWを散策した事があるが、非常に胡散臭い物を感じた覚えがある。内容が散漫で主体と思える物がなく、何より消費者あるいは投資家と積極的にコミュニケーションを取ろうという姿勢が見られなかったのだ。象徴的だったのは、情報を出す頁だけは山のようにあるのに、フィードバックを受け付ける所が何も無かった事だ。広告や宣伝を見る時、そこに何が書いてあるかではなく、何が書いて無いかを見るのが正しいやり方だが、こうした日和見関係者が少しでもそうした知恵を持っていたなら、ここまでホリエモン絶賛の大合唱を繰り返す事は無かっただろう。そういえば、ライブドアの株式に売りが殺到した事で東証の取引システムがダウンしたが、その後の報道によると、耐用年数を遙かに過ぎてもそのまま使っていたものだそうだ。それだけが主要因とは断言出来ないが、いずれにしても手抜きには違いがない。ホリエモンが逮捕されるのなら、東証の責任者だって逮捕されていいのではあるまいか。社会に与えた混乱の度合いという意味では、どちらもどちらだからだ。だが、ヤクザ社会は身内には寛容なのである。 |
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牛の危険度 折角再開された米国牛の輸入が、背骨が入っていた事から改めての再開が無期延期となりそうな情勢である。消費者は安全の名の下に、高値の牛肉を買うか、指をくわえて見ている事になる。今回の騒動、確かに米国側の不手際はいなめない。ただし、である。特別な意図をもって米側が日本向け牛肉に背骨を入れたとかいうのでない限り、この事は米国内でも背骨部分などは普通に流通しているのだ、という事を意味している筈だが(だからこそ米側の業者が当初は怪訝な顔をした)、そういう方向に解釈しているメディアは皆無のようだ。民主党に至っては、これ幸いとばかりに現政権への攻撃材料にするばかりで、その発言にはおよそ戦略も知性も感じられない。さて本欄では嫌になる程に書いているが、牛の背骨が危険な箇所という訳ではない。BSEに感染している牛の場合、そこは避けた方がいい部位だ、という事である。日本に輸入される牛は生後20ヶ月までとなっており、その意味でBSE牛である筈がなく、たとえ背骨であろうと危険では無いのである。BSEが発症している牛は高齢の個体ばかりで、日本でも何件か報じられている牛も全て生後2年かそれ以上ばかりである事は、少し新聞を良く読めば分かる事なのだが、日本のメディアというものは自分らで書いた新聞記事も読まないらしい。報道ぶりを見ていると、まるで危険部位を食べたら最後、その途端に口から泡を吹いて絶命するかのような書き方だ。BSEの危険度は驚くほどに小さく、BSE牛の危険部位を10年間毎日食べ続けても、1万人に一人が発症するかどうかというもの。年間1万人近くが死ぬ交通事故や、毎年数人の死者が出るフグの方がよほど危険度は高いのだ。このヒステリックな反応は、中世の人が伝染病は悪魔の仕業だと恐れた心理と本質的に変わりはない。かつては新聞のコラムにも、このBSEについて正しい認識をすべきだと指摘する文章が掲載されていたものだが、最近ではそうした啓蒙記事もあまり見なくなった。こうして消費者は高値安定の肉をこれからも食べさせられる事になる。なお、これは衛星で流れていたドキュメンタリーに出ていた話だが、米国では牛の脳を使ったハンバーガーを食べさせる店があり、それは何でもドイツの田舎料理なのだそうで、特にドイツ系の米国人で繁盛しているのだそうである。レポーターが中年の客に「怖くないのか」とインタビューしていたが、その客は「BSEかい。そりゃもしかすると20年くらい先に発症するかもしれないけど、それがBSEなのか老衰なのか分かる訳ないだろ」と平然たるものであった。偉そうに自己責任と言うなら、これこそそうではないかと思うのだが、こういう番組は地上波では絶対に流れない。 |
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自由の国その実体 ニューヨークにある国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」は、18日、ブッシュ政権がテロ撲滅の名の下に人権侵害と捕虜虐待をし続けている事を指摘、非難する報告を発表した。勿論、これはイラクの刑務所での虐待ぶりが写真になってネットで暴露された話や、キューバの一角にあるグアンタナモ収容所の話、アフガンでの無差別爆撃などを言っているのであるが、イラクでの虐待問題は担当していた女性軍曹に罪を全てかぶせてご破算とし、その軍曹も軽い刑で済まされている事など、米国政府がそうした行為そのものを見直す気配すら見せない事を、この報告書は厳しく糾弾している。ところで、米国と言えば自由社会を守る正義の国家である、というのが「主催者側発表」であるのだが、歴史をきちっと見てみれば、それは米国のご都合主義以外の何物でもない事が分かる。共産主義から自由主義諸国を守るという大義名分であちこちに作られた米国の傀儡政権は、例外なく腐敗して自国民を虐待しているからだ。朝鮮戦争のあと韓国に誕生した李承晩政権の独裁ぶりは朴政権まで引き継がれ、あの金大中事件で白日の下にさらされた。南ベトナムで誕生したゴ・ジン・ジェム政権は、米国の後ろ盾をいい事に独裁と腐敗に走りそれがベトコン(南ベトナム解放戦線)を南ベトナム内に生む事となった。フィリピンのマルコス政権の腐敗ぶりも、政権崩壊時に報道された大統領夫人のブランド収集品などがはっきりと示した。最近では、チリのピノチェト政権が象徴的であろう。元々、あそこで民主選挙が行われようとした時に、共産主義を唱える候補を当選させない為にアメリカが強引に擁立したのがピノチェト政権である。今、政権時代に自国民に対して行っていた様々な弾圧・虐殺行為が明るみに出て、ピノチェトは国外亡命逃亡中だ。こうした例は調べてみれば枚挙にいとまがない。要するに、これらに共通して言える事は、米国にとって利益になる為ならば、その国の民意をねじ曲げ、強引に米国寄り政権を作り上げ、しかもその政権が自国民を弾圧しようと知らぬ顔、というのが米国のスタンスであったのである。だから、イラクで米軍が捕虜を虐待などしても、今更驚くには当たらないのだ。無論、今、イラクに擁立しようとしている政権も、米国寄りのものしか認めないだろう(そうでないのが政権を取りそうになったら、どういう理屈をつけてでも潰しにかかるだろう)。アフガニスタンのカルザイ政権、大統領とは名ばかりで、大統領府と呼んでいるのは汚いビルに過ぎず、大統領自身も多国籍軍兵士の護衛なしには外には出られないというのが現実で、アフガンの北部や西部では別勢力が実質的に支配していると言われている。 このように、アメリカのこうした姿勢は一貫していて、変わったのは大義名分に過ぎない。かつては共産主義の驚異から自由主義社会を守るというものだったのが、テロの驚異になっただけの事なのだ。しかしもっと問題なのは、大義名分ではなく本音の方だ。イラクでは正規軍の他に民間のガードマンが実質的な治安維持に当たっているという。ガードマンと言っても、日本のような守衛ではなく、れっきとした軍隊上がりの精鋭を揃えたもので、ほとんど傭兵か外人部隊と言うべきものだ。アメリカはアフガニスタンのカルザイ政権を何としても維持するつもりだが、同時にイランや北朝鮮の核疑惑は大声で非難する一方で、既に疑惑どころか実験までしているパキスタンとインドにはお咎め無しでいる。この両国はIAEA(国際原子力機関)の査察も受けていないし、NPT(核兵器不拡散条約)にも加盟していない筈なのに、である。その理由は地図を見れば分かる。ロシア南部にある油田、天然ガス田からインド洋にパイプラインを敷く為には、この両国の協力が不可欠なのだ。そして、イラクにガードマンを派遣している会社も、パイプライン敷設会社も、米国政権中枢のチェイニー一族のものだと言う。イラク戦争だけでこのチェイニーの会社が儲けた金額は、数兆円にも上るという指摘がある。 |
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いきなりホリエモン叩き IT時代の寵児などと持ち上げていた事など一瞬にして忘れ、マスコミは17日、ライブドアの家宅捜索を受けて一斉に非難の報道一色となった。辛口子は別段、ホリエモンのシンパではないが、以前からちやほやするメディアのあり方は気に入らなかった。毎度の事だが、マスコミなんてのはこんなものなのである。さて、今回の家宅捜索。容疑は証券取引法違反である。疑いが持たれているのは2004年10月というから既に1年半も前の事だ。こんな事が今頃明るみに出たとは考えにくいから、既に情報は得ていたものの、家宅捜索に踏み切るタイミングをはかっていた、と見るのが普通だろう。さて、そのタイミングとは何か。言うまでもなく、フューザー小嶋社長への証人喚問である。当日のメディアはライブドアへの家宅捜索ばかりになり、この証人喚問の扱いは平常時に比べて激減していたからである。フューザーを頂点とするこの建築設計偽造事件。この裏には政治家が絡んでおり(常識的に見たって、このフューザーのような会社が政治献金をしていない筈がない)、しかも現政権の中枢に大打撃を与えかねないものだという噂は、この設計偽造事件発覚の頃から囁かれていた。特に建設省(当時)が検査業務を民間にも開放した頃に、省のトップとして深く関わった人物だというのだ。今回、証人喚問で小嶋社長は「刑事訴追の恐れがあるので証言を拒否する」と繰り返した。つまりしゃべったらタダでは済まない事を知っていると述べたのである。さて、ここでライブドアについて改めて考えてみると、一躍ホリエモンが名を馳せたのがあのプロ野球球団問題。その後、ニッポン放送の株買い占め、広島での立候補(なんだか総理までが絶賛した)、そしてフジテレビとの共同経営問題と続いた。この流れを見ていくと、最初のプロ野球球団問題を別にすれば、権力側がライブドアをうまく転がし、金を出させるだけ出させ、名前を使うだけ使わせ、しかも最高の形で足払いをかけた事が分かる。今回の家宅捜索から、まだまだホリエモンなど、影の権力者の手の平で転がされていたに過ぎなかった事が、今、改めて明らかになったと言えるのだ。 |
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EPNとはなにか DVD録画機を購入、禅問答のようなマニュアルと格闘して首をひねり続ける事、ン日、ようやく録画に成功した消費者が直面する思わぬ障害とは、「コピーワンス」であろう。現在、地上波アナログ放送を別にする全ての放送信号には、このコピーワンス信号がくっついている。その結果、消費者は録画してHDに蓄えた番組をDVDにして保存する事が出来ない。正確に言うと、DVD-RWかRAMの媒体を使い、VRモードという記録形式であれば、HDからの「移動」が可能という事である。最近では、DVD-R媒体でもVRモードでの記録は可能となりつつあるが、いずれにしろこの「VRモード」という形式で記録された媒体は、【他のプレーヤで読めない】という点で変わりはない。つまり、録画機で作ったDVDは、普通のDVDプレーヤでは再生出来ないのである。パソコン上では対応した再生ソフトが必要。また、「移動」であるからDVD媒体に保存した途端、データはHDから消滅する。DVD媒体にエラーが出たらそれまでである。「移動」中に電源でも切れようものなら、両方から情報が消滅する。勿論、移動したDVD媒体からの更なる複製も出来ないように、がっちりとプロテクトがかかっている。これに関連した苦情が関係機関に殺到したそうだが、当たり前の話であろう。この問題はそもそも、売る時には聞こえの良いフレーズばかり並べて、いざ買ってみると思いもかけぬ制限だらけだというような商売を平然と行う関係者の鉄面皮から論じなくてはならないのだが、それでも流石に苦情に対応しようというのか、この度、JEITAは「EPN」という物を提案してきた。これによって消費者の利便性は大幅に向上すると関係者は語るが(そもそも奈落に落としておいて、大幅に向上などと良くも言えたものだ)、では本当にそうなのであろうか。 調べてみると、そうでもない。このEPNとはそもそも何かというと、
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次世代ネット 政府は関係各省庁のネット環境を順次、次世代に切り替えると発表。何かと思ったら、例のIPv6の事であった。IPv6とは今のIPアドレスを倍の64bitにしたもので、IPバージョン6の略である。ではバージョンの1〜3と5はあるのかというと、実験的な意味では存在するというのが答。元々、インターネットは学術研究の為のネットワークとしてスタートしたので、ここまで広く使われる事など当初は想像もしていなかったのである。さて、こうして世界で広く使われるようになって、アドレスの枯渇が言われるようになってきた。また、今のIPパケットにも改善の余地がある。そこで今後当分の間は変えないで使えるであろうと設計されたのが、IPv6なのだ。これによって、アドレス空間は飛躍的に拡張され、人間どころか動物にアドレスを割り当てても問題はない程になった。また、IPパケットそのものにも例えばセキュリティというビットが用意されるなど、様々な面で考慮がされている。そこで政府の発表でも、セキュリティを高めるというフレーズが入っていたのだが、ここで考えなくてはならないのは、IPパケットにセキュリティビットが用意されたからといって、安全になる事が保証されている訳ではない点だ。これは当該マシンのソフトウェアから途中を通過するルータに至るまで、全ての装置がそれに対応して初めてパケットそのものの暗号化がされるという意味だからである。また、アドレス空間が広がった事によって、「総当たり的に片端からアタックする攻撃」は確かにやりにくくなるが、特定ターゲットを定めた上での攻撃には別に変わりがある訳ではない。つまり、単に、IPv6に対応しただけでセキュリティが高まるなどと思っていたら大間違いで、スキルが低いユーザが使う上では実質的に安全になったなどと言える訳がないのである。このように政府の発表やそれをそのまま垂れ流すだけのメディアを見ていると、まさしく「豚に真珠」という言葉が浮かんで来ないであろうか。なお、一般ユーザは無理して慌てて対応などする必要はない。こういう仕掛けは基幹システムから対応が順次伝わっていくもので、プロバイダの対応を待っていれば良いのである。それも早くて数年は先の話であろう。 |
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ねんきん事業機構 悪評さんざんの年金行政の総本山、社会保険庁改革の一環として、まずは名称の変更が行われている。最初に出た案が「年金事業局」でこれの評判が悪く、このたび新たな名称として発表されたのが、この「ねんきん事業機構」だそうだ。ねんきん・・・・そういえば粘菌という生き物がいる。動物と植物の中間のような生活形態をとる不思議な生き物で、古くは南方熊楠の研究が有名。平素は単細胞生物としてアミーバのような形態のライフを送っているのだが、例えば繁殖する時にはそれらが一斉に集まって集合体を作り、それがあたかも多細胞生物であるかのごとく振る舞って、最終的には胞子を放出しその胞子が発芽して新たなアミーバ形態が発生するのである。一斉に集まって多細胞生物形態になるのは繁殖時とは限らず、何らかの危険が迫った時にもこうして防御を固めるとも言われる。あちこちに散っている単細胞状態の個体が一体どういうコミュニケーションをとって一斉に集まるのか、どういう進化を経てきたのかなど謎は非常に多い。という訳で、「普段はどういう生活をしているのか見えない」「危機となると一斉に集まって目立ち対処する」「正体も由来も良く分からない」など、確かにこの名称、言い得て妙かもしれない。 |
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年末のドキュメンタリーから 世間では、総合格闘技だの紅白歌合戦だのと浮かれている丁度その頃、NHKのBS-1ではドキュメンタリーの集中放送がされていた。歴史を変えた戦争というシリーズでは、サイゴン陥落、フォークランド紛争、ハンガリー動乱、ルワンダ虐殺、チェチェン問題、インドとパキスタンの分離事件、ポルポト政権、ボスニア内戦などが放送され、それと並んで北極圏の環境汚染と、劣化ウラン問題も流れた。いずれも非常に密度の濃い内容で、一日に3本も見たら頭がクラクラする程だ。辛口子は年末年始の3日間をかけて、これらを鑑賞。今日はその中からいささか衝撃的な2本を紹介したい。
☆汚染される北極圏
☆劣化ウラン被害調査 |
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地上波デジタルまであと5年半 2011年の7月末で今の地上波テレビは電波を止める。あと5年半である。米国では一足先にデジタル化が進んでいるが、当初の予定であった2006年末での完全切り替えは実現できず、数年は延びるようである。ところで、米国のクリスマス商戦の話などを聞いていても、デジタルテレビなどという単語は出て来ない。もっぱら出てくるのはゲーム機ばかりである。そんなに米国では普及しているのだろうか。と思って調べてみたら、米国では日本のようにアンテナを立てて地上波を受信している世帯は、日本に比べると遙かに少ないのだそうだ。もともと、ケーブルテレビが普及している関係で、放送がデジタルになろうがどうしようが、ケーブル経由で受信している世帯には大きな影響はないという事なのであろう。また、全体の20%ほどと言われる地上波放送受信世帯には、米国政府がコンバーターを配るとも聞いている。これによって日本より早く置き換えが完了するのだそうだが、これと比べると日本の事情は随分違う。まず、いわゆるアナ・アナ問題(複数のUHF局の混信によってうまく切り替え時期を乗り越えられない)を別にすれば、かかる費用はすべて消費者持ちである。アナ・アナ問題の対象となる地域はごく一部である。残りの世帯にコンバーターを政府が配るなどという事は、まずあり得ない。実際、家電業界は総額200兆円の特需である、などと胸を高鳴らせているくらいだ。地上波デジタルになると、今のアンテナ、ビデオ、受像器いずれも使えなくなる。コンバーターを入れるという乗り越え方はあるが、色々と不便である上に、政府はそれを薦めていない。そもそも、こうまで苦労してデジタル化などして、一体視聴者にどんなメリットがあるのだろうか。推進協議会が述べている能書きは単純である。高画質の一語である。ハイビジョンによって綺麗な絵が見られるのだ。このあたりに文句たれると幾らでも書けるのだがハイビジョンは本来、ホームシアターとして考えられた規格であり、壁面を覆うくらいの巨大画面で見なくては「ただの綺麗なテレビ」である。それに不思議な事は、当初、ハイビジョンばかりを前面に出し、通常放送ですらハイビジョンに変換して放送しろと言っていたものが、何時の間にか携帯によるワンセグ放送に話がすり替わっている事だ。携帯画面は解像度などたかが知れている。つまり、ハイビジョン放送は「オマケ」に過ぎなかったのだ。双方向も目玉になっていて、昨年の紅白歌合戦ではデジタル地上波受信世帯はリモコンで投票が出来たらしいが、そんな事は携帯電話でだって出来る話だ。大体、双方向が画期的と言われてポシャった歴史は、幾らでもある。では何が目的か。真の答は、データの保護である。今でもデジタル衛星放送、一部で開始されたデジタル地上波放送には、全てコピー禁止信号(一回のみ可だが事実上禁止みたいなものだ)が入っているのだが、今後のデジタル放送受信機器に向けて、アナログ信号端子を無くし、全てデジタル信号でのみ繋いで、その間はデータを暗号化する規格が着々と整備されているのだ。つまり、消費者の所での録画行為を送り側が思いのままに制限しようとしているのである。これこそが、デジタル化の真の狙いに他ならない。これによって、送り側は人気番組をDVDか何かにして、更に儲ける手段をこれまで以上に完璧な消費者囲い込みによって実行出来るのである。皮算用をするメディア関係者の姿が目に浮かぶようではないか。 さて、今のアナログ放送が無くなると、どういう問題が考えられるかを少し書いてみたい。まず、災害のようにまっとうな受信設備が働かない場合が考えられる。今ならテレビのアンテナが倒れても、とりあえずテレビのアンテナ端子に線でも繋いで垂らせば、何とか映って聞こえる可能性があるが、デジタルになったらまずそれは有り得ない。デジタルは画質がいいというのは、まっとうに十分な量の電波が来ている場合である。電波の量が不十分になった時にどうなるかは、小型のパラボラで衛星放送を受信していて土砂降りになった時の経験者なら分かるであろう。何も映らなく聞こえなくなるのである。デジタル信号は誤り訂正を行う事で画質を保っている。逆に言うと訂正しきれなくなる程に誤り率が増えた場合は、出力はゼロにしかならないのである。他にも言うまでもなく、受信機は高額だ。普通のテレビなら21インチが1万円台で買える時代、デジタルテレビは30万もする。将来的に普及が本格化すれば値段は下がるだろうが、これが1万円になる時代までには数年という訳にはいかないだろう。繰り返すが、全て自腹だ。その他、殆ど指摘されていないが、デジタル放送になると時報が伝えられなくなるというのもある。デジタル信号は中継する時に、誤り訂正を行う関係で蓄積してから再送出を行うので、その遅延が積み重なり、最悪の場合で4秒ほどの遅れがあり得るからだ。そもそも今のデジタルテレビの説明を聞いていて失笑を禁じ得ないのが、居間に巨大テレビが鎮座ましましていて、それを家族が囲んでいるという絵であろう。一体何年前の話を持ち出しているのだろうか。現在、テレビは生活の中心ではない。小型のテレビをベッドの脇に置いていたり、台所で流し見をしたり、あるいは定食屋や飲み屋の片隅で映像と音を流しているような視聴形態が殆どである。そうした用途にハイビジョンも大型画面も、ましてやデジタルも必要などない。この一点を見ただけでも、消費者の利便ではなく、送り側のご都合主義が殆どである事は明らかなのである。今の地上波を見ても分かるように、そのコンテンツたるや、大型画面を腰を据えて見るような代物ではない。ネットの普及、高性能化も進むだろう。となるとこのデジタル化の強行によって、特需どころか「それならテレビなんていらん」と言う世帯が思いっきり増える可能性も少なくないのである。5年後、笑うのは誰だろうか。 |
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