一刀両断ミニコラム
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2005年2004年2003年

《2006.02.26》
トリノ五輪考
 本執筆時点でまだ全ての競技は終了した訳ではないが、どうやら日本は荒川金メダル1個で終わりそうである。大会前に5個だの6個だのと根拠ゼロの楽観論を吹聴した面々がどうコメントするかがミモノだが、恐らくは何もなかったかのような顔でシラを切る事であろう。スピードスケートでは4位に甘んじたのが2回もあった。上位には中国選手が目立った。モーグルでは上村は完璧な3Dジャンプをこなしたが、5位に終わった。これは採点基準が空中芸よりもスピードに重きを置いていた結果ではなかろうか。モーグルはエアリアルではないのである。いずれも、中国選手をノーマークだったとか、採点の流れを事前に読み切れなかったなど、組織としての失態も考えなくてはならない結果ではなかったか。だが、13日の本欄でも触れたように、そういう反省が五輪後にどれだけ行われるかは大いに疑問である。上村は試合後に「完璧にこなしたのに5位だったのでは、これからどう練習をしていいか分からない」というコメントをしていたが、かような発言が選手から出た事を関係者はどれだけ真剣に受け取っているだろうか。
 さて、荒川の金はアジア初のフィギュア金メダルであって確かに快挙ではあるが、子供じみた騒ぎようも誠にもってみっともない。既に中国は金2個を含むメダル11個、韓国は金6個を含むメダル11個を取っているのであって、騒ぐ前に気にすべき事があった筈だし、そこにわざわざ電話をして人気取りをはかる目立ちたがり屋総理にも開いた口が塞がらないと言うべきだろう。
 個人的には本大会で喝采を送りたいのは荒川ではない。カーリングの日本代表5人娘たちだ。カーリングは実際に見てみれば分かるように、時々刻々と情勢が変化するのを見極めながら次の作戦を行う競技であって、氷上のチェスと言われるほどに知的な競技である。標的は20メートルも先にある的で、しかも誤差数センチで石を滑らさなくてはならないし、試合時間も2時間半以上と長く、それを多い時は1日に2試合もこなさなくてはならない。腕力や上背がモノを言う競技ではないだけにその点で日本選手にもハンデは少ないとは言え、これだけの間緊張を保つ事そのものが至難の技で、どこかでうまい具合に頭を休める芸がないと到底勝利は望めないが、そうした中、この5人は実に見事な試合を展開してくれたのである。最終的には7位という成績に終わり準決勝進出はならなかったが、試合っぷりは堂々たるもので、世界の強豪をあと一歩まで追いつめたり、或いは敗北に追い込んだりしてまさに肉薄するものを見せたのは立派であった。最終的に金メダルを取ったスウェーデンが予選の日本戦の後で「 日本がこれまでの対戦でベストのチームだった」とコメントした事からも、日本チームを世界の強豪が評価したのが分かる。同じ事を強豪に言わしめた競技は他にあっただろうか。その、他の競技の日本選手たちがどこか肩に重圧がかかっているような表情であったのとは対照的に、彼女らは胸を張って堂々と闘っていたのが見ていて大変に頼もしかった。五輪前からメディアが大きく取上げ続けたのは露出度と開脚度のあの競技だが、辛口子は彼女たちこそ一番輝いていたと確信する。
 最後に、個人的に「五輪おっちょこちょい賞」を贈るとすれば、男子部門は間違いなく体重200グラムの不足で失格となったジャンプの原田選手となろう。女子部門はスノボーのクロス競技で金メダルを目前にしてゴールライン手前で目の前に並ぶ観客席にパフォーマンスをしようとし転倒、2位に甘んじたアメリカのジャコベリス選手に贈りたい。
《2006.02.22》
Macのウィルス
 Safariにセキュリティ・ホールがあって、危険度がAなどという話題がニュースになっている。内容は噴飯モノで荒唐無稽そのもの、こんな指摘をした奴の頭の程度を疑いたくなるような話である。元々、ダウンロードしたデータを自動実行する仕掛けや、アーカイブファイルを解凍したら自動的にイメージファイルをマウントするような仕掛けは、OSが何であろうと本質的に同じ問題を抱えているものであり、賢明なユーザはこんなものはオフにして使っているのが常識というもの。上級ユーザが気をつけていても勝手にスパイウェアが入り込んでくるWindowsと比べるまでもなく、危険度ならAどころかD−でも大げさなほどだ。このような代物がこんなに大げさに取上げられる事自体、MacOSの安全性を議論の余地なく証明している。Macユーザは安心してよい。もっとも、この指摘をした輩ですら天才に見えてくるような話が某国の政界で騒動を起こしている。言うまでもなく、電子メールがどうのこうのと幼稚園児でももっとマシなやりとりをするのではないかと言いたくなるような、どこかの国の与党と野党である。
《2006.02.18》
電気用品安全法
 一部の報道番組、或いはあちこちのウェブサイトで問題となっている法律である。施行は2003年であるが、猶予期間がありそれが今年、2006年の4月より順次切れる。切れるとどうなるかというと、PSEマークの付いていない特定用品を売る事が出来なくなる。PSEマークは新たに申請して許可されないともらえない。特定用品とはどういうものかだが、詳しくはこちらのサイトなどを見てもらうとして、この特定用品というものに電源ケーブルやACアダプタが含まれる為に、家電のオーディオ、ビデオ関連、ゲーム機などが殆どこれに引っかかるというのが重要だ(面白い事にパソコン本体は含まれない)。つまり、こうした商品の中古市場が壊滅する訳である。他にも例えば、ベータのデッキ、レーザーディスクのプレーヤなどは中古市場で入手不可能になる。中古市場が大きなシェアを占めている電子、或いは電気楽器関連も深刻な影響を受けるだろう。PSEマークは国内でしか申請出来ないという事なので、輸入品市場も逆風は避けられない。このように見てくると、政府は「古いものはさっさと捨てて政府の薦める新しい製品を買え」と言っている事になるようだ。本欄で常に指摘してきたように、アナログテレビ放送が廃止になれば、チューナから受像器までの買い換えも要求される。こうして見て来ると、国民は「自腹を切って」順次、電気製品を買い換える事を迫られている事がわかるだろう。結果として出てくるのは、膨大な産業廃棄物だ。政府は京都議定書の事ばかり自慢げに発表するが、やっている事は地球環境へのゴミ出し加速政策である。喜ぶのは買い換え特需に湧く家電業界と、そこから天下りや献金という形の見返りを受ける官僚という構図なのだ。
《2006.02.16》
矛盾と戒律
 ムハンマドを侮辱したと、欧州、西側世界に対するイスラム教徒たちの怒りは収まらない。安直にかような挿絵を掲載した雑誌も愚かだが、その根底には宗教対立があるという指摘もある。ところで、何故イスラム教では偶像崇拝を禁止しているのだろうか。それについて、先日、ある聖職者が新聞のインタビューで語っていた。それによると、要するに崇高なる存在は人の理解を超越した所におり、どう描こうとそれを正しく描ける訳がないから描いてはいけない、という事なのだそうだ。となると、ここで一つの疑問が生じる。それなら、あの風刺画がムハンマドだと何故分かるのだろう、という事だ。ムハンマドだと明記されていた訳でもないらしい。まあ明らかにモスリムの風体をしていて、しかも爆弾の導火線付きだという事から、イスラム教徒への侮辱というのは理解できるので、問題の本質はそう変る訳ではないのだが、報道ではムハンマドという単語ばかりが強調されているのが現実であろう。で、実はこれに似たような話はどの宗教にも存在する。先にイスラエルがガザ地区から移住者を退去させた事があったが、その時、若い聖職者が聖書をめくりながら「神から与えられた土地を離れなくてはならない理由が、どこを見ても書かれていない」と頭を抱えている場面がNHKで放送されたドキュメンタリーに出ていたのだ。仏教の唱える輪廻転生も、目に見えない生物がいる事など無視しないと苦しくなる。世界は巨大な亀の甲羅に乗っている4頭の像に支えられている、という教えに対してはその亀は何に乗っているのか、という疑問が生じよう。かように聖書は絶対であると仮定すると、どこかで解けない謎が現れる訳で、これはいわゆるゲーデルの不完全性定理そのものである。例えば、ユークリッド幾何学では公理と呼ばれる3つの法則は真として仮定しないと話がループしてしまうのだが、同じようにどのような論理体系でもその内部だけで互いの無矛盾性を立証する事は出来ない、というのがゲーデルの不完全性定理だ。近代論理の世界では、この限界を打破して新しい論理体系を構築して進歩してきた。ユークリッド幾何学に対しては非ユークリッド幾何学が考えられ、それが最終的に相対性理論の礎となった。一方で宗教の方はそうした限界については戒律として枠をはめ、「そこから先は追求してはならない」と規定した。どちらにもそれなりの長所・短所がある。この風刺画問題。近代科学の限界が色々と囁かれるようになった21世紀に、宗教というものが逆に存在価値を高めてきている事の一つの現れのようにも見える。
《2006.02.13》
皮算用の五輪
 五輪と言えば、必ず出るのがメダル獲得数予測。で、トリノ冬季五輪では既に皆様ご存知のとおり、まだ始まったばかりとは言え予測のはずれが続出している。その様子を見ていると、スノボー男子では全員が予選落ちだったが、日頃の実力をうまく発揮できなかったようだったし、ジャンプではベテランの原田選手が体重わずか0.2kgの不足で失格とは緊張感の不足に他なるまいし、モーグル女子では上村も里谷も実力を出したものの世界は更にその先を行っていたという事になりそうだ。特に、上村選手は目玉の3Dをほぼ完璧に行ったにも関わらず5位に甘んじた訳で、その理由を考えるに今年のジャッジが空中の技よりスピード重視であったからではないかと思う。つまり、そうしたジャッジの傾向を事前にトレーニングにどれだけ反映させていたかが問われるのではなかろうか。他の競技でも選手の精神面での管理が問われそうだ。つまり、「戦術は正しかったが戦略には大きなミスがあった」訳で、これは常に日本選手団に対して言われて来ている事である。ちょっと話は変わるが、イラクへの自衛隊派遣は大きな失策であった事は間違いない一方で、自衛隊自身は困難な任務をこれまでの所無事故でこなしているのと様子が良く似ている。大局的見地からの失敗を最前線がカバーしようと努力しているのである。無能なトップに振り回される現場という訳で、少なくとも第二次大戦以来この傾向を日本は脱する事が出来ないようだ。まだ五輪は終わった訳ではないが、これまでの所メディアに頭を下げているのが選手ばかりで、コーチ陣や上層部からはそういう声が聞かれない点が気になるところである。
《2006.02.10》
おさいふケータイ
 メール転送サービスを行っているCLUB BBQという所が、利用者にアンケートをとった所、お財布携帯には不安がある、と答えた人が6割くらいいたそうだ(japan.cnet.comより)。一方で、架空請求などに対する何らかの対策をとっているかという質問に対しては、4割弱しかYESと回答していないという。不安はあるが、どう防御して良いか分からない、というところなのではなかろうか。そもそも、携帯電話に財布の機能を持たすなど、愚の骨頂である事は本欄では何度も指摘してきた。レシートの出ない支払いシステムなど、何かあった時に(例えば買い物の時に密かに10円上乗せされていたら)立証のしようがない。携帯を誰かに拾われたら使われ放題だし、携帯が壊れてメモリの内容が消えたら、携帯の中にある筈の金も全部蒸発だ。要するに、如何にして消費者に金を使わせるか、という視点でしか開発されていない仕掛けなのだ。華々しくマスコミまでも持ち上げたあの「電子マネー」。今やどこへ行ったのだろうか。その成れの果てがこの財布携帯だと言っていい。消費者無視の「デビットカード」も、量販店のレジなど見ている限りでは殆ど使われなくなった。デビットカードは即座に銀行から金が引き落とされるクレジットカードだが、欧米では一日あたりの使用限度額が3万円程度に抑えられていて、要するに小銭入れ代わりという位置づけなのに対し、日本では限度額は口座にある限り無制限。ここでも、こうしたシステムを考える上でのベースが、如何にして金を使わせるかという事にばかり行っている事が良く分かる。こんな代物を安心して使う方が脳天気なのであって、不安を覚えるのが当たり前であるのだが、先の数字でそれが6割しかいないという事がむしろ問題ではなかろうか。
 ところで、こうした「似非便利テクノロジ」の話を聞いていて、いつも不思議に思う事がある。先のライブドア粉飾事件で、「ホリエモンには情緒がない。古き良き日本はどこへ行った」というような事を主張する論者が、こうした「非人間的な仕掛け」には殆ど文句を言っていないからだ。無論、ホリエモンに情緒が無いのではなく、情緒満載で金銭欲に操られるままに突き進んだのがあの結果なのだから、こうした論調そのものが噴飯物なのだが、百歩譲ってこうした主張を認めたとしても、上記のような限りなく搾取に近いシステムなど、考えてみればこれ程情緒に欠ける仕掛けはないのであるから、どうせならこちらを指摘した方が有益ではなかろうか。とどまるところ、結局は長い物には巻かれろ主義なのか、或いは単に技術音痴でそれに気がつかないだけなのか。
《2006.02.09》
ご懐妊
 表題のとおりで、何やら関係者の発言を聞いていると、まるで男の子が生まれると決めてかかっているかのような騒ぎである。下馬評では、皇室典範の改正が見えて来たから、あわてて仕込んだなどという下世話な話も出ているが、それはともかくこれで明らかになったのが、皇室典範改正論者の底の浅さであろう。そもそも皇室典範を改正する話は、皇室の血筋をいかに絶やさないかというそれこそ100年の計にもなろうという気の長い時間軸で考えるべきものだ。男の子が一人生まれたからといって(ましてや生まれると決まった訳でもない)、問題が全て解決というものではあるまい。今回のご懐妊を機に話を棚上げにするかのような論調は、一体どこから出て来るのだろうか。早急に決めなくてはならないものではないのは間違いないが、ご破算にすべき話でもないのである。似たような話は憲法改正論にも見られる。要するに改正したいから改正するのだ、としか思えないような改正案が与党からも野党からも出て来ている光景は、全く憂慮の念に絶えないとしか言いようが無い。何時から日本はこうもアホばかりが闊歩する国になり果ててしまったのであろうか。
《2006.02.04》
米国の捕虜虐待の実際
 イラクのアブグレイブ刑務所で看守によるイラク人捕虜虐待写真がネットに流出して以来、米国のとった対応は現場の女性軍曹を始めとする数人に全ての責任を負わせ、「一部の者の暴走である」というコメントを出しただけである。無論、謝罪の一言もあった訳ではない。そもそも米国は、よその国に対して謝罪などした試しはないし、援助を受けても感謝の言葉を発した事もない。先のハリケーン上陸に際し、世界の国々から救助隊派遣の打診があった時ですら、そんなものは不要である、と横柄に突っぱねている。
 さて、このイラクでの米兵による虐待行為。実態は米国の言うような、現場の暴走どころではなく、上層部からの指示による組織的なものである、とレポートしたドキュメンタリーがNHK-BSで2月1日に放送された。「イラク人収容者虐待 問われるアメリカ政府の責任」というタイトルで、米WGBHによる2005年のものである。これによると、そもそもはアフガンへの米軍侵攻の時に話は始まっている。現地で捕まえた1000人以上の捕虜の扱いに困った米政府上層部は、それを移送する格好の場所を見つけたのだった。何故、扱いに困ったのか。それはアフガニスタンでは捕虜を隔離しておく施設がなかったし、米国からは遠い上に気候も激しく、尋問するにも苦労したからである。見つけた格好の場所とはどこか。それがキューバのグアンタナモ基地であった。キューバの一角にある米国所有地で、そこでなら捕虜に何をしようとバレる心配はない。キューバが覗きに来る訳はないし、米本土からも離れているし、第一、ここに基地がある事すら殆ど知られていなかったからだ。それと同時に、捕虜から情報を聞き出す為に、拷問に近い尋問手法をとるための、法的根拠についても検討が行われた。結果として、ゲリラやテロリストはジュネーブ条約の適用外である、というあの屁理屈が考え出されたのである。かくして、裸にする、性器をいたぶる、モスリムの男性捕虜の前で女性尋問官が侮蔑的な事をする、犬をけしかける、電流を流す、眠らせない、身体を強引に曲げた状態で固定する、食事を与えない、といった中世のような尋問風景が始まったのである。念のために、これはイラクに米軍が侵攻する前の話で、既にグアンタナモで始まっていた事だ。この当時、あのラムズフェルドは「アフガンよりも気候は温暖だし、捕虜たちは快適に過ごせる筈だ」などと記者会見で語っている。実際には、捕虜たちは米のC130輸送機に梱包され(手は縛られた上に更にロープで機体に固定されていて20時間以上トイレも許されずに運ばれた)、グアンタナモでは金網の中に入れられてトイレに行くにも米兵の許可がいるような状況にいたのである。
 やがて、米軍がイラクに侵攻、今度は各地で捕まえた捕虜の尋問が同じように問題となった。この時捕まえられた人の中には、テロリストかどうかはっきりしない一般市民も大勢いたと言われている。イラクでは場所はすぐに決まった。あのサダム・フセインが政治犯用に作っていたアブグレイブ刑務所があったからだ。1キロ四方もある大きな敷地で、数千人の捕虜でも収容には問題なかった。しかし、ここでも問題は起きた。尋問による情報収集がうまく行かなかったのである。うまく行かないというのは、米国上層部が期待していたような情報が殆ど集められなかった、という意味である。間もなく、グアンタナモの指揮をとっていたミラー少将がアブグレイブの責任者として異動、それ以来、捕虜の尋問が非人道的方向に暴走し始めた。結果があの写真流出なのである。捕虜に対する非人道的な扱いをしていると、そういう扱いそのものをしている兵士の精神状態もおかしくなっていく。この頃には、捕虜虐待を写真に撮ったりする行為は普通に行われていたのであった。その【ごく一部】が流出したのである。このあたりの証言を、多くの現場責任者が実名で、あるいは匿名でこの番組中で明らかにしている。
 今、米国ではこうした政府首脳の暴走行為に対する非難が高りつつある。議会での追及も次第に激しさを増している。ラムズフェルドやブッシュの、米国の威信にめいっぱい泥を塗ったという実績が明らかになるのも、時間の問題だろう。日本政府はそうした極悪人に加担した。そしてこうしたドキュメンタリーは何故か地上波では流されないのである。

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