一刀両断ミニコラム
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2005年2004年2003年

《2006.09.29》
ペナント考
 セリーグ最後の天王山、阪神対中日は阪神が勝ってゲーム差を2まで縮めた。残り試合数などを考えれば依然として中日が大きく有利な位置にはいるが、この勢いを見るとまだまだ何が起きるか分からない。特に阪神にとって、今岡が復活した事と藤川もほぼ完全復調してきたのは非常に大きい。本拠地甲子園の大声援をバックに阪神が奇跡を起こすか、まだまだ目が離せない。地上波は無視しよう。何とかは死ななきゃ直らないのだ。
 まだペナントは終了した訳ではないが、このシーズンを振り返ってみると、WBCの影響が非常に大きかったと言わざるを得ない。WBCに出た選手、大勢の選手を出したチームは軒並み苦戦した。ロッテが代表だろうし、王監督の入院も無関係とは言えないだろうし、阪神はじめあちこちのチームで故障者が続出、その殆どがWBC出場選手であったのは事実である。次回のWBC参加に当たって考えなくてはならないテーマであろう。
 プロ野球改革はまだ始まったばかりである。巨人の低迷ぶりは目を覆わんばかりであって、今でも巨人中心でしか物を考えられないマスコミの目の節穴ぶりも改めて指摘するまでもない。巨人フロントのドタバタぶりを象徴するのが、シーズン後半でのアリアス獲得であろう。アリアスは元々コンスタントに打つ選手ではなく、使い続けているうちにここ一番で活躍するタイプである。その選手を一軍でちょっと使っただけで二軍に落とし、結局そのまま契約終了としたのは愚かという他はない使い方であった。アリアス自身、解雇後のコメントで「巨人には良い選手が多いのに、優勝するチームに見られる活気がない」と述べている。抑えとして獲得した豊田の起用法にも疑問が多い。豊田は完璧なストッパーではない上に、あまり間隔を置くと不安定になるタイプの投手である。それを負けが続いた時には全く登板させる事をしなかったから、いざという時に使えなかった。フロントと現場が一体となって、故障選手が続出しながらペナント優勝を争った阪神とは、あらゆる意味で対照的である。来シーズンからはセもパもプレーオフ制となる。今の巨人ではそのプレーオフ進出も危ういだろう。
 最後に、ホークスは3位でシーズンを終えてプレーオフに挑む。昨年、一昨年とシーズン優勝していながら、プレーオフで破れたホークス。今年は折角1位通過チームに1勝のアドバンテージが与えられたのにその利を生かす事が出来なかったのは、不運としか言いようがない。揺れる制度に翻弄された犠牲者であった。

《2006.09.27》
日ハム1位通過
 シーズン終盤になって、プロ野球はトップチームのデッドヒートでセ・パどちらとも稀に見る盛り上がりである。パリーグではセより一足早く日ハムがトップ通過を決めた(まだプレーオフはあるが)。シーズン最終戦で遂に決着という凄い争いであった。1ヶ月前までは3位の日ハムがトップで終えるとは誰も真剣には考えなかったに違いない。終わってみれば、パリーグは1位から3位までが団子となり、3位と4位の間が13ゲームも開くという結果になった。今年の日ハムはたとえ2死からでも打線が繋がって一気に逆転という展開が多く、この日も2死走者無しからヒットをきっかけにホークスを突き放した。札幌ドームは昨日も今日も平日だというのに満員、特に今日は今シーズン確か3度目か4度目の満員札止めであった。
 プロ野球人気低迷などどこの話かと思うようなこうした地元チームへの盛り上がりを尻目に、例によって地上波は日ハムも西武も阪神も中日も、そして巨人戦すらも全く中継をしなかった。NHKの衛星第一が日ハム戦を、UHF局のテレビ埼玉とチバテレビが西武戦を中継しただけだ。スカパーは例によって完全中継で GAORA は日ハム戦中継後、試合後のセレモニー、記者会見からビールかけまでを完全生中継だった。この欄では何度も触れて来たネタだが、ではこの間、地上波は何を放送していたかというと、
  • ザ・世界仰天ニュース(日テレ)
  • 超はなまるマーケット大感謝祭スペシャル(TBS)
  • 志村けんのバカ殿様(フジ)
  • 銭形金太郎SP大自然ビンボーさん頂上決戦(テレ朝)
 てな具合で、しかもどれも2時間以上のスペシャル番組であった。小泉政権がターゲットとしてきたと言われる「比較的IQの低い層」には、やはり地上波メディアも含まれていたのか、と改めて確信させるようなラインナップである。デッドヒートが始まったのは昨日や今日ではない。その間、地上波の野球に対する扱いはこの日と同様で、週末の休日、場合によってはデーゲームを申し訳程度に流しただけであった。
 野球と言えば巨人戦という固定概念から一歩も出られず、視聴率という正体不明の数字を絶対視するだけで質より量に走るだけのメディアに、情報伝達媒体としての存在価値など最早あるまい。それでいながらコトが起きるとメディアの良識などと平然と口にするのだから、トップ級と言えるのは関係者の給与水準と鉄面皮ぶりだけだ。今、NHKの波を削るかどうかと言う話が新聞をにぎわせているが、民放地上波こそ半減したって何も問題などないだろう。任意のチャンネルをパッと見て、どこのチャンネルか内容だけで(番組表を見ずに)見分けがつく事など殆どあるまい。どこを見たって芸NO人のオンパレードで構成から画面作りから演出から全く同じだからだ。民放も局によっては優れたドキュメンタリーを流している所もあるが、午前3時という頃に放送するのがせいぜいで、これなら局数が半減したって何も問題は無いと思うのは辛口子だけではあるまい。アナログ地上波終了まであと5年を切った訳だが、折角である。この際地上波メディアの徹底したリストラを考えるべきではなかろうか。

《2006.09.24》
まだ総理じゃないはず
 大相撲の千秋楽で「総理大臣杯」を持ったのは、自民党総裁になったばかりの安倍氏であった。だが、総理大臣はまだ小泉のはずである。表向きは「体験させてやりたかった」だそうだが、おおまか当人がもう飽きたのではなかろうか。あれほどまでに目立ちたがり屋で、かつて「感動した!」と絶叫した同じ男とは思えない。実にいい加減な男に日本を任せてきたものである。総理を公式に降板したら、能やオペラを見に行くかどうかミモノである。
 そもそも、安倍氏は自民党総裁になったのであって、まだ総理大臣になった訳ではない。自民党が過半数だから、国会で総理大臣としての指名を受けるのであって、一政党の総裁と総理大臣とは全く別モノである。アンケートによる好感度だか何だか知らないが、自民党党員でもない一般国民のアンケートが票を左右するというのもおかしな話である。そして、それを誰も変に思わず、メディアの論調や会場を見ても拍手するばかりであって、まことにとことんお人好しの国民だと言うほかに、海外から見ても不思議な光景であろう。

《2006.09.22》
虎の威を借る木っ端役人
 国歌斉唱を強制する通達は憲法違反である、という実に明解な判決に対して都の教育委員会などは予想されたとおり、控訴の方針らしい。まさか敗訴の可能性など1%も考えてなかった、とか言う職員もおったそうな。園遊会で「国歌斉唱をしっかりと指導しております」と誇らしげに述べた委員長に対し、天皇陛下から「そういう物は強制しないのが望ましい」と諭された事などすっかり忘れているらしい。
 さて、こうした腐れ役人のメンタリティは極めて単純である。権力という虎の威を借りて、言うことを聞かない奴を押さえつけるのが楽しくてしょうがないというだけだ。「指導要領に従わない教師の姿を見せる事が教育か」などと言ったらしいが、その指導要領自体が憲法違反だという判決なのに気がついていないのだから、如何に頭の中身が職権を振り回す事しか考えていないかが分かろうというもの。国の為というのはただの大義名分。本当に国家の将来を考えるのであれば、正しくないと思う事には断固とした姿勢で臨む姿を見せる事こそが教育であろう。
 ところで、この構図。言う事を聞かない議員に対しては、強引に国会を解散させた上で選挙区に刺客候補を送ってメディアで煽り、落選させてしまうという誰かのやり方と非常に良く似ているのに気がつくだろう。権力を笠に着て面白く無い奴を押さえつけて喜ぶ、そういう手合いは上に対してはへいこらするもので、やはり米国に従属する国家像をしっかりと作り上げ、まだ次の総理が就任してもいないのに、さっさと役目を放り出して「せいせいした」とか言っているのだから、その人間性についてなど今さら語るまでもない。
 先日のチャベス大統領に続き、今度はパキスタンのムシャラフ大統領が、9.11の後、米国が「アフガン作戦に協力しろ、さもないとお前の国を爆撃してやる」と脅してきた事をCBSのインタビューで暴露。小泉のそのまた上も同じメンタリティだった、というオチになったのである。

《2006.09.21》
デビル・ブッシュ
 ベネズエラのチャペス大統領は国連で演説、ブッシュ米大統領を悪魔と呼び、喝采を浴びたそうである。ちなみに、どこぞの総理がかつて国連でブッシュ礼賛演説をした時は拍手どころか客席はガラガラ、前回の米国訪問時(プレスリー邸ではしゃいだ、あの時)にも、当初、国連での演説を予定したらしいが恥をかくのが見えていたからか取りやめになっている。
 さて、このチャペス大統領。ベネズエラ初の原住民の血を引く大統領で、貧富の格差を是正するなどの政策が国民から広く支持され、7年間政権を維持している。その様子は先月、NHKスペシャルでも放送され、本欄でも取上げた。元々、ベネズエラは豊富な油田など地下資源に恵まれていたが、そうした油田はかつて米国企業が殆どを吸い上げ、利益は米国と癒着した政権内部にだけ流れていたのだ。チャベス大統領はその流れを断ち切った訳だが、こうして国民から支持される一方、面白くないと思っている連中もいる。かつて甘い汁を吸っていた層だ。チャベス政権はこれまで数度、クーデターで転覆の危機に立っている。その度、国民からの声もあって政権を取り戻しているのだが、クーデターを起こした連中の写真には米軍高官がしっかりと写っていて、背後で米国が糸を引いていた事も明白。悪魔と呼ばれても、まともに反論は出来まい。会場に拍手が起きたのも、米英にとっては計算外だったであろう。ざまあみろである。
 クーデターと言えば、タイ。何やら新聞の論調には2.26事件と並べて書いている所もあったが、実際はまるで違う。タイでは政権が不正に走ると軍がそれを押え、国王がそれを支持して政権を交代させる、という事が歴史上良くあったのである。2.26事件は単なる若手将校の暴走で、天皇が支持した訳でもない。今回のタイのクーデターでは政府高官が殺された訳でもない。クーデターと言われても両者はその本質で全く異なる。ちなみに帰国の出来なくなったタクシン元首相は英国へ事実上の亡命をしたらしい。タクシン政権は不正蓄財行為などが批判され、選挙でも不正行為をして票を歪めたと言われている。それを保護したのがイギリスだとしたら、チリのピノチェトと同様、裏で糸を引いていた黒幕の一つだと見なされても仕方あるまい。第二次大戦当時、タイは植民地にこそならなかったが、イギリスに占領されかけており、歴史上の因縁は浅くない。この事件を民主主義の後退と見るとらえ方は正しくない。

《2006.09.20》
潤滑油としての高利貸し
 年率80%で金を貸す、と聞くととんでもない暴利だと誰もが思うだろう。ところが、かつてはそれが許された金貸し業が存在した。どういうのかというと、小規模経営者を顧客とする零細な貸金業者である。貸す金額は小さいし、貸している期間も短い。だから年率80%と言っても実質的にはさしたる利子にはならないのだ。例えば、単純に単利で計算しても、年率80%というのは月あたりにすると6.7%に過ぎない。仮にこの業者に10万円を一カ月借りたとすると、払う利子は6700円弱だ。これで破産する客はまずいないだろう。
 小さな店を経営していると、当然動く金も少ない。子育ても終わった老夫婦が今まで続けていた菓子店を閉めるのは忍びない、というようなケースを考えてみよう。特にローンも抱えていないし、家は自分のものだ。年金も入る。しかしお菓子を買いに来る子供の笑顔を見たいし、ボケるのも防止出来るから店を続けたい、というような場合は充分にある話だろう。しかし経営というのは、突発的にアクシデントが起きる事がある。先日、首都圏で4時間ほどの大停電があったが、そうなったら菓子屋にあるアイスクリームの在庫は全滅するに違いない。そうした場合、月末の決済の為にほんの数万円が緊急に欲しい、ということがある。手形の決済は1円足りなくても駄目だ。その数万円を調達出来れば、店はつぶれずに済む。駄目なら店を閉めなくてはならなくなる。
 そこで出番となるのが、最初に述べた貸し金業者である。彼らはこまめに顧客の所まで定期的に出向き、店のオーナーとも懇意になって、必要な時に上に書いたような利率で【即座に】融資をしてくれる。こういうケースでは、銀行も公的資金も何の役にも立たない。銀行はこんな小さな貸し借りなどやってくれないし、第一、預金が無いと貸さないのだから意味がない。公的資金を受けるには役所の窓口に何度も出向いてややこしい書類を書かなくてはならないが、そうするとその間、店を閉めなくてはならないし、即座に金が出る訳でもない。ところが、こうした貸し金業者は自分から来てくれるので、このような小売店にとって非常に有りがたい存在なのである。これは小売店だけでなく、中小企業でも同じだ。大きな額ではないが、短い期間だけ必要だという時に、出向いて来てくれる事がいかに有りがたいかは、実際に経営をした人なら文句なく頷く事だろう。
 一方、こうした小規模な貸し金業者にとっては、この高金利が無くては生きていけない。なにせ、一回のローンで稼げる利子は、上に書いたように数千円に過ぎないからである。業者は自分で定期的に足を運ぶ以上、一人で担当出来る顧客の数には限りがある。その顧客全部が毎月借りてくれる訳ではないのだから、その業者が生活して行く為にはそれなりの高い利率が必要なのである。実際、これはこうした小規模な貸し金業者に限ってかつて認められていた利率であった。ところがここに目を付けた奴らがいる。さよう、テレビで派手にCMを流し、内臓を売れと脅迫し、生命保険まで付けて金を貸す消費者金融という名の極悪集団だ。彼らはこの法律を逆手にとって、途方もない高金利で金を貸し始めた。こうなると放って置く訳にはいかなくなり、この利率は大幅に下げられる事となった。現在、こうした形での小規模貸金業は絶滅寸前と言われる。高い利子を取れなくなったからである。先日、官僚の辞任騒動まで出てスッタモンダの末にまとまった貸金業法改正案の記事を見ると「短期間の少額貸し出しに限り」という下りが出ているが、それがこのシステムの名残りなのだ。だが、改正案では年利25%までしか認められない。月あたり2%程度ではこうした貸金業は成立しない事が少し計算してみれば容易に分かる。一日に10軒回るとして平日だけなら月に回れる数は200軒程度だ。その1/10が最初に書いたように金を借りてくれたとしても、80%の利率ですら上がりは14万弱にしかならない。25%の利率を上限にしたら、それは僅か4万強に減ってしまう。
 かくして、社会の潤滑油として存在していたこういう小規模貸金業が無くなると、次に中小企業や小売店にその影響が及ぶ。現在、日本のあちこちでいわゆるシャッター商店街というのが問題となっている。中小企業もどんどん数を減らしている。銀行の貸しはがしや不景気、郊外の大規模店や後継者不足がその原因だと言われるが、こうした貸金業がいなくなったからという一面もあるのは殆ど語られない。こういう状況下で生き延びるのは、いわゆるフランチャイズによって規模を大きくした経営形態である。よってチェーン店やコンビニがどんどん増える。今、街の景色がまさにそうなっているのは一目で分かろう。かくして店主を通した住人同士のコミュニケーションというものも希薄になっていくのである。全ては消費者金融という野獣を野放しにした事に端を発する。その背後には規制緩和をお題目に、高い利回りが見込めるからと積極的に消費者金融へ融資をしてきた銀行がいる。規制緩和を推進したのは言うまでもなく小泉と竹中であるが、二人とも何食わぬ顔でさっさと身を引くところだ。

《2006.09.19》
今度は痩せ人刈り
 スペインのマドリードで開催されているファッションショウに、痩せすぎという理由で何人かのモデルが出場できなくなった、というニュースが報じられている。それによると、何でも身長に対する体重の下限とかいう表が作られ、それを下回ると失格となるのだそうだ。根拠となっているのが拒食症の蔓延だそうだが、この珍基準の言い出しっぺは一部の医療関係者と女性団体。このニュースを聞いてすぐ辛口子の頭に浮かんだのが、あの吹き荒れた言葉刈りである。何故か。この二つの理屈は全く同一のメンタリティだと分かるからである。並べてみよう。
  • 拒食症という危険な行為を想起させるから、痩せすぎの奴は公衆の面前に出るべきではない。
  • 差別を想起させるから、そのような単語はメディアに出すべきではない。
 おわかりのように、この両者は全く同一の論拠から成っている。それは、こう並べてみれば分かる。
  • 表向き、格好の良い理屈を立てている
     例えば、この痩せすぎ反対の言い出しっぺは、女性団体だそうだ。恐らくそういう連中は、決して痩せてなどいないに違いない。劣等感からスラリとしたモデルの子が持てはやされるのは面白くないのだが、「痩せている奴は嫌いだ」などと公言したら自分の立場が悪くなる。そこで拒食症で死んだのがいる事を表向きの理由にし、自分らは正しい事を主張している立派な人間だとアピールする事で、優越感を得ようとしているのである。医療関係者とはそれに便乗して、自分らの功名心を満足させようとしている奴らだ。
  • ターゲットを定めてそれを集中的に叩く
     言葉刈りの時は改めて言うまでもない。差別用語なるものをリストアップ、それを危険思想とでも言うかのようにして徹底的に糾弾した。その結果差別がなくなった訳では無論ない。減ったという根拠もない。しかし、それに飽きたから今度は別のターゲットを見つけた訳である。これで拒食症が減ったら見ものであろう。
 痩せている事を理由に叩く。これは立派な差別行為である。太る痩せるには遺伝的要素もあるのは無論だが、彼女らモデルを職業としている子たちは、その体型を維持するのに莫大な手間暇をかけているプロフェッショナルだからだ。古い話だが、イタリア女優のソフィア・ローレンなどはケーキを食べる時でもクリームをよけて、スポンジ部分だけ食べるというような涙ぐましい努力をしていたそうだ。言い出しっぺの女性団体とやらの中で、そういう努力をしているのがいたら教えてもらいたいものである。怠惰な生活に身を任せ、自分らが醜い体型だからとそれを棚に上げて努力している人を批判するなど、言語道断であろう。つまり、こういう奴らこそが差別意識の塊なのである。
 ところで、現代生活には太る要素が山のようにある。特に欧米の食事などは油と肉が非常に多く、元々は欧州北部の厳しい冬を乗り切る為に発達した食生活だ。だから、現代に同じ勢いで食事をすれば、太るのが当たり前。雑誌に出てくる欧米人モデルはスラリとしているが、実際に海外の街を歩いた方なら分かるとおり、日本と比べたら歩いているのはビヤ樽みたいに太った人ばかりと言っても過言ではない。今、日本食や中国食が世界で注目を集めている。頭の柔らかい欧米のシェフは、こうした食材を自分の国の嗜好に合うように使えないかと日夜頭をひねっているそうだ。自分らの劣等感を棚に上げ、他人を糾弾する事しかしない奴らとは大きく違う。
 で、最後にちゃんと食べても太らない基本を伝授。次の2つの事を守れば良い。「朝食はちゃんと食べる」と「寝しなに物を食べない」である。夜中に腹が減ったからと、カップラーメンやスナック菓子を食べるなどは論外。また、痩せたいからと朝食を抜いたら必ず太る事も覚えておくべきである。これは相撲取りの食生活そのままだからだ。相撲取りは朝から何も食べずに激しい稽古をし、昼食を思いっきり食べて昼寝をする。その結果、入門から僅か数年であの体格になるのである。今、横綱候補と言われている白鵬は、5年前の入門時、僅か体重が68キロだったという(身長は188センチ)。何故、相撲取りがああも急激に太るのかは、かつて栄養学の謎だったが今ではその仕組みは分かっている。何も食べずに運動をすると、消化器系は必死に栄養を吸収しようとする。そこに食べ物が入ってくるから、それが一気に身に付くのである。こうした理屈を啓蒙する事こそが、拒食症で死ぬ人を減らす正しい方法だ。最初に出て来た女性団体と付属医師こそ、糾弾されるべき奴らなのである。

《2006.09.16》
しつけ
 先日、大相撲中継を見ていたら丁度、皇太子ご夫妻がおいでになっていた。お子さんの愛子さまがもうすっかり大きくなられて、車から降りて周囲の観衆にびっくりしていた様がなかなか微笑ましかった。さて、この愛子さま、実は大変に相撲がお好きだそうで、公式な発表はないが贔屓の力士も何人かいるようである。貴賓席では前に乗り出すような姿勢で着席をされ、番付表を見て読み方を聞いたり、取り組みを見たりと大変に熱心であった。愛子さまは無論、大相撲観戦は初めて。後日の発表では「夢を見てるみたいだった」と大喜びだったそうである。
 さて、この愛子さまを見ていて辛口子の感心した事が一つある。夫妻は幕内力士取り組みの途中でおいでになったので、貴賓席に座っていたのはおよそ1時間という所だったと思うが、愛子さまはその間、身を乗り出すようにはされていたものの、決して椅子を立ったり姿勢を崩したりするような事がついぞ無かったのである。実況中継だから編集されていた筈はない。普通、四歳くらいの子供というのは、いっときたりともじっとしてなどいないものだ。それは実際に子供を見ていれば分かる。つまり、きちっとした躾(しつけ)をされていたのだ、という事である。
 ここまで書けば何が言いたいのかおわかりだろう。そう、授業中に教室をウロウロする子供に対し、適当な病名をでっち上げてそれを正当化させる功名心だらけの自称専門家の事である。そのような病気が本当にあるというなら、ほんの20年も前の学校にそんな子供がいたかどうかを調べればすぐに分かる事だ。陸軍中野学校に学級崩壊があったかどうかなど、改めて問うまでもあるまい。つまり、しつけなどしていなかったからに他ならないのである。それが親の責任か、教育の責任かというのは副次的な問題だ。要するに大人が責任を放棄し、それを認めたくないから今度は屁理屈を展開したに過ぎないのである。
 以前も触れた事だが、これは要するに核家族化が始まり、そこで育って来た子供が親になってみると、子育てを知らなかったという事ではないかと思う。核家族が普通に見られる先進諸国で、こうした問題は普遍的に起きているが、途上国の、それも農村では家が貧しくて学校に来れない子供はいても、授業中に歩き回る子供はいない。人類は長生きであると共に、3世代が同居して暮らす唯一の動物である。その理由は3世代に渡って継承しなくてはならない知識があるからだ、と言われる。その知識の一つが子育てに違いない。近代文明はそれを忘れている。だからと言って昔に戻れとか、安倍氏の言うように男女参画社会に反対しろというのではない。問題点が分かったのなら、修正すべきなのである。でないなら人口減少の歯止めなど望むべきもないし、国の将来を担う若い世代がちゃんと育って来ないから、国家の先行きも真っ暗となるだろう。既になっているとも言えるのだが。

《2006.09.15》
中国の国産CPU
 中国の人民日報Web日本語版に、新型国産CPU「竜芯2E」という記事が出ており、自国独自のCPUを今後、家電などにどんどん使っていくと書かれている。ここに出ている竜芯2Eというプロセサ、一体どのようなものなのか詳細は不明だが、調べてみると2GHzのペンチアム4位の性能を出しているらしい。既にこれを使用した試作PCも出来上がっているそうだ。当局の発表によると、いわゆる知的所有権の問題はクリアしているものだそうで、掛け値無しの独自開発品とのこと。主催者側発表という事を差し引いても、相当な水準にあるものだと推測される。
 ここで思い起こされるのが、その隣にあるどこかの島国の国産CPUだ。かつていわゆる知的所有権問題がうるさくなった頃、日本でも独自の国産プロセッサやOSを開発しようという機運の持ち上がった事がある。結果は改めて言うまでもない。今、身の回りのどこをみてもそんな物は存在しないからだ。国内の半導体メーカは32bit CPUをアナウンスし、試作品の発表まで何社かが到達したが、自社製品にすら使われる事なく終わった。OSについても、TRONの話が持ち上がったものの役所の縄張り争い(文部省と通産省−背後で米国が糸を引いていたと言う説もある)でポシャってしまった。TRONには知的所有権をクリアできるTRONチップというCPUもあったが、当時はCISCとRISCという二つのアーキテクチャがつばぜり合いをしていた時期で、CISCであるTRONチップは時代遅れなどという風評が立ったのも不利に働いた。ちなみに、今ではCISCだのRISCだのという言葉すら存在しない。そんなものは本質とは何の関係も無かったのだ。結局、今の日本はマイクロソフトとインテル系に席巻され、僅かに制御系OSとして残っていたTRON OSもシンビアンなどの海外製に置き換わりつつあるのである。
 かつて、日本は半導体メモリで世界を支配していた。1991年、NHKで放送され人気を博した「電子立国・日本の自叙伝」には、最新鋭の大規模LSIを生産する巨大工場が誇らしげに紹介されている。だが、僅か15年で時代は変わった。世界のメモリ市場では韓国勢などの海外産にシェアを奪われ、日本では政府の支援を受けて最後の製造工場がやっと生産を続けているという有様だ。殆ど練馬大根の世界である。「日本の自叙伝」の最終回、番組の一番最後でスタッフがしているコメントが興味深い。これからはもっと頑張って新しい物を作っていかないと、すぐに追いつかれるというものだった。それが今、現実となっている。
 日本では光ファイバの普及が世界一なのだそうだ。IT国家だと言って政府の肝いりで「全家庭に光ファイバを」張り巡らせたのはいいが、そもそも目的無しにただ張り巡らせただけだから、ネット・コンテンツの配信すらままなっていない。アップルがiTVを発表した事から「日本では映像コンテンツの配信すら出来ない」という記事が目立っているが、なに、そんな高度なものどころか、いわゆるネットでのストリーミングラジオ放送すら殆ど無いのが現実である。それでありながら、たかがGYAOのユーザが増えたとか、P2Pが多いとかいう程度の理由で、既に基幹回線の維持も出来ない事が露呈し、利用者に維持費用を追加負担させようとしている話は昨日書いた。これで本格的な映画配信など出来る訳もあるまい。ビデオ・オン・デマンドを声高に唱え続けたおめでたい向きは、少しは自己批判すべきであろう。CNET JAPANには、日本はITのガラパゴスになると指摘する記事すら出ている。
 日本でIT国家戦略というのが騒がれたのは、そもそも森政権の時である。金物屋に「インターネットとかいうのをくれや」とオヤジが来た、なんてな話がまだまことしやかに語られていた頃ほどではないが、それでもな〜んも分かっていない連中が「IPV6」などと単語だけを口にしている記事を見ながら、辛口子は失笑を禁じ得なかった覚えがある。要するに、ITとは何かすら分かっていなかったのである。それはそのまま小泉政権に受け継がれたが、井戸を掘るにもITと書けば予算が付くと言われたあたりの活用法がせいぜいだった。その小泉政権は構造改革と言って貧富の差を拡大して国内を混乱に導き、竹中はさっさと座から下りると表明した。あとは米国にでも渡って用意されていると噂の大学教授の椅子にでも座るのであろう。後継者と目される安倍からも、教育改革で一学期を9月から始めるだの、憲法を改正し海外での軍事行動を集団的自衛権の解釈で可能にしようという話だのしか出て来ない。基幹テクノロジを外国に支配されて、いざという時に何が出来るというのだろうか。なにが美しい日本だ。教育改革は子供の話でしかない。今、日本が何とかしなくてはならないのは、大人の方である。粉飾決算や不祥事をせっせと誤魔化し責任から逃げる事ばかりする輩が、しっかりと飲酒運転で人身事故を起こしながら証拠隠滅に奔走する若手職員の手本となっているのだ。そのまた手本となっている口八丁の小泉はもう政権は終わりだとばかり、視察という名の海外旅行に精を出し、あちこちではしゃいでは顰蹙を買っている。芸能人感覚の人気投票で指導者を選ぶ国民には、そのツケがまさにこれから重くのしかかって来ようとしている。

《2006.09.14》
通信破産
 急増する通信量に耐えきれず、インターネットのプロバイダが今までの定額制を見直す事で意見の一致を見たそうだ(参照:例えばこんな記事)。高速だの使い放題だのとせっせとPRしてきたものの、通信料の増大でバックボーンの維持にかかる経費も急増、そのコストが経営を圧迫してきているのだ。先日、いわゆるP2P通信のパケットを制限する動きが一挙に広がった時、本欄では恐らく通信量の削減も目的の一つに違いないと踏んだが、はからずも当たっていたようである。消費者抜きで進むこうした同意の結果、来年の後半頃からネット接続ユーザは従量制の価格体系を押しつけられる事になるのではないだろうか。なお、何かと言えば叩かれるP2Pだが、回線量の増大はP2Pだけの話ではなく、映像配信事業の増加、スパムメールの存在なども大きなファクタである事は確認しておかなくてはならない。
 さて、しかし、である。そもそも端末の回線容量というものとユーザ数を考えれば、どの程度のバックボーンが必要になるかは容易に計算できた筈だ。100メガバイトを使うユーザが1万人になれば、単純計算でバックボーンに必要なのが1T(テラ)バイトになる事くらい小学生でも分かる計算だろう。無論、全てのユーザが回線を目一杯使う訳ではないだろうが、ピーク時の事を考えればそれほど少なくも見込めまい。つまり、決定権を持つ奴らは小学生でも分かる計算をしなかったか、分かっていてもウソをついてきたという事だ。こうした安易な経営姿勢は咎められるべきだろうし、使い放題というような宣伝文句を連ねて客を集めていたプロバイダは詐欺にも問われる事となるだろう。ユーザからの批判は免れまい。
 さて、この問題、実はインターネットユーザだけの話ではなくなっている。電話を使っているユーザに対しても、回線維持料を求める動きが出ているのだ(日経新聞の記事)。携帯電話の普及で固定電話は伸びが止まったどころか減少傾向にある。いわゆる公衆電話の消滅ぶりを見てもそれは実感出来る。しかしだからと言って交換機を減らす訳にはいかないので、特に地方の過疎地を中心にその維持費用が重くなってきているという訳だ。それをユーザに負担させようというのである。それは固定電話ユーザだけではなく、携帯電話ユーザにもかかってくるという。これも考えてみればおかしな話だ。携帯電話が普及すれば、固定電話のユーザが減る事などわかり切った話だろうからだ。
 どちらも明らかなのは、無能な経営陣と総務省である。広げるだけ風呂敷を広げておいて、いざとなったら金を寄越せというのだから、誇大広告と詐欺であろう。少なくとも将来の安易な見通しだけをして、そのツケをたらい回しにした張本人の責任は明確にしなくてはならないが、恐らく次の政権も無責任体質は変わらないだろうから、望みは薄い。折しも、総務省は電力線を使ったネット接続を認可すると発表した。妨害電波が撒き散らされかねないと天文学者(電波望遠鏡が駄目になる)や技術者から批判が出ているが、また一つ大風呂敷を広げようとしている事でもある。認可の理由が、既に事業者が多額の開発費を使っているからというのだから、消費者はたまったものではない。

《2006.09.11》
首相候補のメッキ裏
 安倍幹事長は公開討論会の席上、中国が日中国交正常化を行うに当たり『一般国民は戦争指導者によって誤って戦争をさせられたのであり、戦争指導者は憎むが日本国民一般は憎まない』という理屈を立てたという歴史的事実に対して「そのような文書は存在しない」(だから真実だなどとは言えない)と述べたそうである。だが、日中国交正常化は何故可能だったのかについては、述べていないらしい。侵略された国が賠償金も放棄して国交を正常化するに当たり、自国民を納得させるにはそれなりの理由付けが必要だ。それを考えていないとなると、とてつもなく底の浅い人物だという事になるだろう。人間そのものが寛大でも何でも無い事は、自分の気に入らない番組に自分の写真がチラと映っただけで猛抗議をした事で既に明らかになっている。
 辛口子の所には20年前からのNHKスペシャルの録画が多数あるが、それらでは日中国交正常化の決め手となったのが、その中国式二元論だと語っている。番組中では中国の要人も肯定している。最近のNHKの放送でもそれが述べられた。それらも全て一貫したウソだったと言いたいらしい。一方で文書が全てだというのであれば、日米安保条約で日本の防衛には自衛隊がPrimary Responsibilityを持つとある点にはどう考えるのか聞きたいところだ。日本は米国に守られている訳ではないのなら、昨年だけで米国債を30兆円も購入している理由はどこにあるのか分からなくなるからだ。
 ついでに憲法改正には5年のスパンと言ったらしいが、5年というのは実に短い。小泉総理が誕生した2001年から道路公団の分割民営化に至るまででも、5年がかかっている。この数字が根拠の無いいい加減な思いつきなのは明白で、かつまた、それまで首相をやる気でいるのだろうかという疑問もわく。これではどう見てもただのボンボン(育ちがいいだけのぼっちゃまの事で尊敬の意味はない)が、軍国主義推進論者に体よく操られていると思わざるをえなくなってくるではないか。それにしても、これは公開討論会だったらしいが、この程度の反論も誰もしなかったのだというなら、もはや日本はどうしようもない。

《2006.09.06》
皇室典範改正論議は尻すぼみ
 秋篠宮家に男児誕生という事で、あれほどまでに大騒ぎした皇室典範の改正論議は無かった事になりそうだ。当面の後継者問題が解消されたという事だそうだが、裏を返せば長期的展望に基づいて起こされた話じゃなかった(関係者の視野が狭いか、ただ騒動を起こしたかったか)という事を認めたのと同じであろう。そもそも、今回の男児誕生そのものは喜ばしいとしても、今後この子が間違いなく成長するという保証はない。病気でも事故でもあり得る話である。また、長期的展望に立てば、本欄でも書いてきたように長い皇室の歴史で男児にちゃんと恵まれた事の方がむしろ少ない事も鑑み、将来を見越してきちっと検討しておくべき話である事にも違いはなかろう。昔はその為に側室という制度があった訳だが、現代にそれは無理がある。その為の宮家という話もあるが、宮家そのものの存続すら不透明なのが現代だ。もっとも政府にとっては皇室典範などより、さっさと憲法を改正して軍事力を行使したくてしょうがないのかもしれないが。
《2006.09.03》
米国牛人気
 大騒ぎの末に輸入再開となった米国牛。関係者の予想を越える人気で品不足状態になっているそうだ。吉野屋では継続的再開のメドが立たず(9月に限定販売はやるそうだが)、スーパーの肉売り場でも売れるのに品物がない状態らしい。輸入量そのものがまだ少ないのは無論だが、まあ本欄でも何度も指摘した通り、消費者は安ければ買うということである。危険度など交通事故より遙かに低いと米高官が述べたのは全くその通りで、それを心配するのなら怪しげな食品添加物を心配するのが先決だろう。これで輸入量の増大に加速がつくに違いない。米国牛肉の輸入が止まった事で、肉の相場が上がり消費者は高い肉を食べるか、他の肉で諦めるしか無かった。BSEは危険だが、何事にも完全はない。危険というものは、リスクの度合いを考えて行動するものである。ヒステリックに危険だ危険だと叫んできた向きは、多少なりとも反省をしてもらいたい。
 ただし、米国牛輸入に問題が無い訳ではない。米国牛には輸入時に関税がかけられる。国内畜産業保護の為だ。問題はその金がどこに行くかである。輸入再開をこれまでも盛んに主張して来たのは、農水省の生産局である。そこの監督下に農畜産業振興機構というのがある。旧名が畜産振興事業団と言えば思い当たるフシがあるであろう。かつて不祥事を叩かれた外郭団体だ。輸入時に入る関税収入は、この機構を通じてあちこちの畜産農家や食肉業界に行く事になっている。だが、この機構の幹部には理事長を筆頭に副理事など多くの天下りが就任している。その下る元が生産局なのだ。理事長クラスに払われる給料は年額でざっと2000万円。その他にも出向という形で大勢の農水局職員が働いている。さよう、米国牛の輸入を止めたままでは、このオイシイ天下り先の存続に関わるのである。それはこの農畜産業振興機構だけではない。更にこの「子会社」が沢山あるのだ。

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