一刀両断ミニコラム
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2005年2004年2003年

《2006.10.28》
インチキ教育委員会
 全国各地の高校で、必須科目を履修させていなかったという問題が連日メディアを賑わせている。受験対策を優先させる為に、受験に直接関係ない科目をやめたというものであって、履修をサボっていたのはまだ良い方、履修させてたの如く虚偽報告していた所も珍しくない。教育委員会がこの問題に何も解決能力を示していないのは無論だが、ウソの報告でいいから出せと指導していた県もあるという。
 全国津々浦々に拡がっていたと強調しているメディアの報道であまり語られていないのは、これが今年だけの特異現象では「ない」ことだろう。昨年以前の正確な報告はないが、まさか今年だけな訳がない。つまり、履修しないで卒業して進学している生徒が既に膨大な数に上がっているに違いないのである。必須科目というシステムそのものが破綻しているという事だ。
 ここで面白いのは、必須とされていながら受験に無い科目というのが、倫理であるとか近代史であるという点であろう。近代史については常に言われて来ているが、日本は近代史を教えない。世界史ばかりか自分の国の歴史も教えないのである。今までも日本史といえば神武天皇あたりから始まって江戸時代まで来ればいい方だったから、明治維新も日露戦争も太平洋戦争も教わっていなかった訳だが、今やそれがゼロになっているという事らしい。中国侵略の実態、731部隊の細菌人体実験、無能なインパール作戦、欧米捕虜の虐待、一億玉砕方針と松代地下大本営、A級戦犯リストなどが教育されると嫌がる奴らが多くいるのであろう。倫理については言うまでもない。世の中を見れば分かる事だし、教師自身が嘘八百と虚偽報告を日常的にやっていたというのだから、まさに教育とな何ぞやと問い直さざるを得ない次元にまで来ているのだ。
 そして、政府は教育基本法の改正を進めようとしているが、それがこうした問題を解決するものではない事も、新聞記事などを見れば良く分かる事である。教育現場にいかにして政府が口を挟みやすくするかという視点でしか考えられていない改正案だと思って、新聞記事に目を通してみてもらいたい。そうした中、文科省、教育委員会、学校の3者が如何にして自らの権益を少しでも多く確保するかの駆け引きをしているのが、改正案検討の実態である。

《2006.10.27》
きちガイに刃物
 東京は練馬区で包丁を振り回し、警官3人に怪我を負わせた男と、翌日に栃木県の宇都宮で車を暴走させ、更に車から降りて同じく刃物を振り回した男。どちらも表題の格言がぴったりくるような出来事である。のんきな地上波ニュースでは、首を切られた警察官が命に別状はなかった事を喜んでいたが、全く平和ボケであろう。一歩間違えれば死んでいただろうし、一般市民にも死傷者が出ていたって不思議ではなかったのだ。
 ここで気になるのが、こうした犯人のその後である。例によって心神喪失を理由に再び世に放たれる可能性は少なくないからだ。ニュース記事でも警察は心神喪失かどうか、慎重に判断しているという下りが書かれていた。心神喪失はいいが、心神喪失だから無罪であるという考え方は辛口子が常に唱えている疑問である。当人に罪の意識がなく犯罪を犯すのなら罪を問えないどころが問答無用の筈で、それこそ狂犬病の犬を野放しにするのと同じだからだ。こういう事を平然と唱える法学者は、まず頭に血が通っているのかMRIの写真でも提示してからにして欲しいものである。
 日本では犯罪者の処遇が甘い。逮捕される時は警官が周囲を囲み、頭には布をかぶせて人権に厚く配慮をするし、メディアは犯罪者ではなく被害者の家の前に張り付いて実況中継をし続け、犯罪者が少年であるならどんな重罪を犯そうと写真も名前も公表した側が罪になる。刑務所に終身刑はなく、無期懲役では7年程度で出てくるのが現実だ。この問題、以前にも世論をにぎわした事があるが、その後、話が進展したという事は全くない。道交法と少年法の改正には多少の見直しがあったようだが、終身刑の実現どころか死刑ですら廃止という声がある。
 実は、刑法改正論どころかその前に犯罪者の処遇を更に甘くする方針が出されている。刑務所が満杯で新規に作るのもままならず、社会の中で更正させようという話だ。刑務所を作り運営するのに幾らかかるのか知らないが、絵に描いた餅と言われる戦略ミサイル防衛システムに費やす数兆円だの、アメリカ軍のグァム移転にかかる引っ越し費用と現地住居建築費用に7000億円だの、米国債をドル建てで購入するのに30兆円だのと使う金はあるのに、国民が安心して暮らせる社会の実現に費やす金は無いらしい。刑務所などそれこそ人跡未踏の僻地であるとか、離れ小島に作ったって不可能ではないはずだ。要はやる気がないという事なのであろう。

《2006.10.25》
教育委員会
 何かと単語だけは出てくるこの組織、一体何か。東京都の教育委員会が、君が代の斉唱に従わなかった教師を処分した事を違憲とする判決を無視、天皇陛下の「そういう事は強制しないように」というご発言も無視、というあたりがすぐに思いつくところだが、そこから先となるとぼうとして分からなくなる。で、建前上はその自治体の首長が任命する面々なのだそうだ。またも良く分からない組織であるが、実際にはヤクザ顔負けの脅しが効くらしく、ここに睨まれると校長ですらあっという間にクビになるらしい。そもそも校長という職も、首長や文科省の御機嫌を損ねるとなれないものなのだそうだ。
 さて、先日、政府は教育改革の一環として、この教育委員会の権限を強化すると言い出している。教育委員会はその任命のメカニズムで分かるとおり、そもそも教育とは直接的には何も関係ない面々の集まりである。分かりやすく言えば、老骨が群れ成して口うるさく出しゃばって来る組織だと思っていい。その権限を強化するというのだから、この教育改革というものを政府がどう考えているか、伺い知る事が出来るというものだろう。
 そもそも教育とは何だろうか。色々な定義があるだろうが、辛口子は「その子が将来世の中へ出て行く時に困らない為の、必要最小限の物事を教える事」だと思っている。そこから基礎教養だの自主性だの個性尊重だのという話が出てくると考えれば、話が非常にスッキリする。ところが、今の政府、役人、文科省、東京都教育委員会あたりが考えている教育とは、これと大きく異なるようだ。端的に言って、彼らの言う教育とは「子供を自分らの都合の良いようにカタにはめる事」だと思っているとしか解釈出来ない。逆にそう考えると、彼らの行動の全てが説明出来るようである。
 例えば、訳の分からない報道がある。最近、大学で研究費を目的外に使ったというニュースがかなりしつこく報道されたが、何故かiPodがやり玉に挙がっている。iPodが目的外名目で購入されたというなら、他にも色々な物が購入されたに相違ない。何故、iPodなのだ。ここに奴らの魂胆が透けて見える。自分の気に入らない物は許さないのだ。こういう発想は国粋主義的な単細胞によくあるパターンだから、教育現場を支配しようとしている関係者の頭がどういう構造になっているかが分かるのである。
 諸外国、特に欧米に限らずアジアの諸国でも、教育は国の重要優先課題だ。国力に直結すると考えているからで、天才のピックアップ、学力の底上げなどにどの国も熱心だ。無論、ある意味で思想教育が皆無とは言えないが、結局は子供の中から優れた才能を発見して育てなくては、国際競争に太刀打ち出来ないという点では一致している。フィンランドなど、天才だけを集めた学校を作っている所すらある。こういう国では、教育現場を基本的に自由裁量とさせている。そうしないと優れた教師が集まらないのだ。優れた教師さえいれば、あとは現場に任せる事こそ教育組織のする事だと言う。事実、そうした国では優れた業績を上げる学者や技術者を多く輩出している。ところが、日本のこうした教育改革に関連するニュースを見ていると、どうも日本ではそうではないようだ。起立しろと言われたら起立し、国歌を歌えと言われたら歌う人間を作ろうとしているとしか思えない。その最たるものが、この教育委員会の権限強化という話である。
 本欄で何度か取上げた事のある「宗文州コラム」が10月16日に書いていたのは、「ゆとり教育は教師にゆとりを与えただけで、子供にゆとりは与えなかった」というものだった。実際には教師にもゆとりはそんなに与えられた訳ではなかったと思う。辛口子はこれには別の解釈を持っている。それは、ゆとり教育とは、早く言えばアホを量産するシステムである、というものだ。国民がアホになれば、操るのは簡単である。メディアでせっせと世論誘導をして政府の思うがままに総理を決め、軍を派遣し、やがては憲法を改正しようとしている奴らにとって、国民が賢くては困るのだ。それが国を発展させるかどうかなど、奴らにとってはどうでもいい事である。自分らの権益が増し、自分らの虚栄心を満たせ、威張り散らせるようになる事こそが、奴らの真の目的である。そう考えながら新聞に掲載される教育改革とやらの関連情報を眺めていると、全て筋が通るように見えて来ないだろうか。

《2006.10.20》
安倍外交から裏を読む
 公私混同の結果もたらされた日韓・日中の外交関係を修復したとメディアは絶賛で、これのお陰で大阪9区と神奈川16区で行われる衆院補欠選挙は自民側の地滑り的大勝となるかもしれない情勢である。だが、その一方でマスコミは10月11日の衆院予算委員会で阿部総理が立腹して質疑を中断させた事はあまりまっとうには報じていない。阿部総理が腹を立てた質問とは、週刊現代の暴露記事である。どういう内容かというと、2003年8月に当時官房副長官だった安倍が河口湖近辺のホテルで北朝鮮の特使と会見、拉致被害者の一時帰国からの帰郷を許さなかった事を詫び、今回の件が片付けは拉致問題は打ち止めにし、日本は米国に追従して北朝鮮に経済制裁をする事はない、と約束したというものだ。事実無根にしては話が具体的で筋が通っている上に、上記衆院予算委員会での阿部総理の狼狽ぶりから見て、信憑性は高そうである。
 これについて、立花隆氏は氏のブログで「安倍首相は二枚舌外交で北朝鮮に何度も煮え湯を飲ませたのではないか」と指摘しているが、辛口子は外交に表と裏はつきもので、外交強者の北朝鮮がこの程度の事で腹を立て、安倍総理の韓国訪問に合わせて核実験を強行したとは考えない。むしろこの欄で書いているように、国家記念日に合わせたというところが正解だろう。たまたまその日に日本の総理が韓国にいたに過ぎないのであろう。
 むしろ問題は、こうした一連の阿部総理の行動の裏には何があるか、である。辛口子はこの裏では憲法改正を行い、日本に軍事産業を成立させておのれの権益と利益をむさぼろうとする勢力が暗躍していると見ている。安倍総理自身がどこまでそれに加担しているかは不明で、当人は知らずに踊らされているだけかもしれないが、いずれにしろ小泉政治の段階で「メディアを操作して政権の人気取りを行えば、支持率なんて幾らでも上がる」事が立証されている以上、拉致問題と中韓外交を使って阿部政権に同じパターンを当てはめようとしているのは明白である。
 阿部総理は所信表明演説の中、拉致問題には大きく時間を割いた。内閣に拉致問題対策本部を作り、国会にもそれ用の特別委員会を作っている。ところが、上記週刊現代の記事が事実だとするなら、拉致問題は打ち止めにしていい筈だ。どちらが本音かと言えば、表にあまり出さないのが本音である、というのが通常の心理だから、拉致問題対策に力を入れるというのは人気取り作戦の中心的テーマだと見るべきだという事になる。つまり、拉致被害者の事など本当はどうでもよくて、とにかく政権の支持率を上げるのが第一命題だという事である。これにはもう一つの裏付けがある。阿部総理は「拉致被害者の全員帰国無くして日朝国交正常化なし」と常に言い続けているが、拉致被害者が全員今も生きているという保証など無いし、そもそも日本では拉致されたのがどこの誰なのかという正確な情報すら持っていない(行方不明者をリストアップしているだけ)のであって、そうであるならこの条件が満たされる事など永久に有り得ないという点だ。言い換えれば、出来もしない事を声高に唱えているというのだから、頭がアホであるのでもない限り本音ではない、という事になる。
 さて、安倍総理のもう一つの持論が憲法改正だ。現在の法体系では憲法改正へのハードルは高い。国民投票に関する法律もまだ無い。だが、メディアを操作して支持率を高め、勢いで地滑り的に憲法改正へ突き進むというシナリオはあり得るのだ。拉致被害者が無事に帰国したって、その事で権益を得られたり暴利をむさぼったり出来る奴はいない。だが、憲法を改正して軍事産業を可能にしてしまえば、莫大な金と利権が生まれるのだ。動機としては充分なものがある。

《2006.10.18》
だからイジメは無くならない
 イジメを苦に自殺した中学二年生でただいま話題の福岡県筑前町。学校や町役場に非難のメールや電話、FAXが殺到しているそうである。まっとうな苦言ならまだいいのだが、その多くが誹謗中傷的内容らしい。まあさもありなんであろう。やってる当人は正義感のつもりらしいが、やってる事が非難している相手と同じ次元なのだから、まさに「メクソ、ハナクソを笑う」である。
 本欄で常に指摘して来ているように、イジメは人間の持つ本質である。相手をイジメて貶める事で、相対的に自分を高く見せて優越感に浸る。これがイジメのメカニズムだ。だから相手を持ち上げる物をイジメとは言わない。従って、イジメを行う奴にはスキルが高くない一方で、プライドだけは10人前という条件が当てはまる。例えばそれなりに社会的地位のある恵まれた家に生まれながら中身はボンクラだとか、何らかの組織で高い地位にいるのが間違いだというようなのがその典型である。ところがこれに加えて、誰もが自分に何らかのコンプレックスを持っているのが現実だから、実際には上の条件が当てはまるのが大多数なのだ。おのれのスキルに絶対の自信を持っている人はイジメなどはしない。学者肌や研究肌、或いは職人肌の人間に多いタイプである。少数派のこういう面々は自分のスキルに自信があるから、相手を見下すような発想などする以前に相手にしない。それが逆に身だしなみに気を使わなかったりして変人扱いされたりもするのだが。
 で、かような具合に見てくれば、そもそもこうしたメカニズムで生まれるイジメを「無くそう」とする発想そのものが間違っている事もすぐに分かる。するべき事はイジメを受けた時の対処法である。いかにして自分で自分を守るのか。そういう事を教わっていたならば、この中学二年生は自殺にまで走らなかったに違いない。かような間違ったアプローチをしている限り、同様の事件はこれからも続いていくだろう。それにしても、別にイジメは現代人の専売特許ではない。昔からあった事である。だが、イジメを苦に自殺したなどという例は稀だった。クヨクヨなどしていたら「貴様、それでもキ○タマ付けてるのかっ」とブッ飛ばされたものだ。つまり、お分かりのように、ここでも大人が責任を果たしていないという構図が見えて来るのである。

《2006.10.16》
偽装請負とその背景
 朝日などの新聞で暴露されたが、一向に無くなっていないと言われる。なにせ経産省がかような行為を行っているメーカ名を発表しないのだ。摘発あるいは注意をされるのは請負業者であって、偽装請負で人を酷使した親会社ではない。偽装請負とは下請け会社が仕事を請け負っていながら、その会社が仕事をせずに人を注文主に差し出して「好きに使っていい」と言うことで明確な違法行為である。ところが、これによって人件費を大幅に削減出来る事から、主だった家電メーカは大抵やっていると言われている。新聞で暴露されたのはキヤノンや松下と言う堂々たる企業であるが、横並び大好きの日本の会社がこれを見て「右にならえ」をしていない訳がない。
 そもそも、人材派遣の対象を大幅に拡大する事はいわゆる規制緩和の一環として行われた。国民からも現状打破の期待を込めて支持された事だが、いざ出来上がってみるとかような具合に悪用がハバを効かす結果となった。偽装請負で働かされている労働者は基本的な権利すら与えられず、社会保険には加入してもらえないし(社員だと企業が半分負担するので、これも企業が偽装請負に走る要因の一つ)、昇給どころか正社員の半分程度の給料で据え置かれ、しかも組合などある訳もないから文句など言おうものなら即刻クビである。
 この背景をさらに辿って行くと、いわゆる日本式企業社会のシステムが無くなった事にたどりつく。それは会社は従業員を終身雇用し、その代わりに従業員も会社に骨を埋めるつもりで働くというシステムであった。恐らくはアメリカの工作で、これが先進国にあるまじき遅れたシステムであるというマインドコントロールが行われ、規制緩和の名目でこのシステムの瓦解がはかられた。その結果、確かに人材の流動は盛んになった。だが、日本の社会では真の意味での人材流動は起こらなかったのである。実際にリストラの名目で首になったのは、中年層、いわゆる管理職かその予備軍であった。激増した自殺者はこの層が大部分を占めている。また、それより若い社員はフリーアルバイターか偽装請負になったのだ。となると、動いていない層がある。そう、企業の経営陣、すなわちトップである。
 米国企業では業績が悪ければ経営陣が真っ先に責任を問われる。ところが日本はそうなっていないのだ。経営陣は開き直って言い逃れをはかり、最悪でもカメラに向かって頭を下げてしまえばあとは腹の中で舌でも出して安泰である。規制緩和の流れの下、政府から分離される仕事を片端から飲み込み、従業員の給料は上に書いたように絞り込んで、こうした企業は空前の利益を上げている。政府はそれをもって、景気は良くなっているとか、いざなぎ景気を越えた、などと言っているのだ。いざなぎ景気の頃に、自殺者が年間32000人も出ていたとでもいうのか。
 この現実、あえて言うならチャップリンの映画「モダンタイムス」である。従業員が薄給と重労働に喘ぎ、経営者は特権階級となって利益をむさぼるというのでは、殆ど1世紀時代が逆行したのと同じではないか。若き諸君、ゆかりたんで選んだ政府のしてきた事がこれである。選んだ事をとがめるつもりはないが、最低限、その結果というものを認識してみるべきではないかと思うが如何。

《2006.10.12》
日ハムの優勝に思う
 すごい試合だった。歴史に残る名試合であろう。前日のダルビッシュも凄かったが、ソフトバンクの斎藤とがっぷり四つに組み合った八木の力投も見事だった。投手としての出来は斎藤の方が上回っていたが、守備でホークスを食い止める日ハム。そして最後に一瞬見えたホークスの油断を突いた森本の力走。まさにプロの試合であった。結果は僅差で日ハムに凱歌が上がったが、ソフトバンクの戦い方も決して恥じるようなものではなかった。次の日本シリーズが今から楽しみである。
 それにしても、今シーズンの日ハムは神がかっていたと言えよう。シーズン出足は決して好調ではなかった。昨年は5位でヒルマン監督交代論もあった。それがシーズン終わりにはこの快進撃。誰が予想しただろうか。特にプレーオフ進出順位を争った3チームのデッドヒートが印象に残る。各チームのホームは札幌、東京、福岡であり日本のまさに北、真ん中、南の争いとなったのも盛り上がる一因だったように思う。セリーグの阪神、中日のデッドヒートも球史に残るものだったが、三つどもえの方が印象は強い。
 そして日ハムはホームで強い。札幌ドームは殆ど全部が日ハムファンで埋まり、その後押しが試合の流れに大きく効いているのだ。運営スタッフも細かい芸を駆使して場を盛り上げる。シーズンの後半だったと思うが、小学生に運営参加させるというイベントがあり、場内アナウンスを女の子が交代でこなし、試合後のヒーローインタビューにはやはり男の子がマイクを持って出て来た事がある。いずれも玄人はだしの堂々たる「仕事」ぶりで、単に参加させるのではなくしっかりとスタッフがバックアップしていたのが良く分かる出来だった。これがいい加減だと座が白ける。民放によくあるパターンである。だが、札幌ドームと日ハムのスタッフは、見事に場を盛り上げていた。参加した子供たちだけでなく、来場した観客全員に良い思い出となったに相違ない。
 こうした裏方の努力と選手、監督らの尽力がファンを一つにまとめ、強力なサポーター集団を作り上げ、それが試合を後押しするというまさにチームとファンが一体となった事こそ、日ハムの強さの秘訣と言えるのではなかろうか。
 この期に及んでも、プロ野球人気は低迷していると書く無能ライターは跡を絶たないが、実は観客動員数で見るとプロ野球人気はパリーグを中心にむしろ盛り上がっているのである。巨人は減ったそうだが、それでも比率で行くと3%程度だ。CMと蛇足ネタばかりを混ぜて視聴率が上がらないからと、放送から撤退する大手民放の愚には最早論ずる気もしない。運営システムを毎年のように二転三転させて方向性を示せないプロ野球の実行委員会ともども、いずれも無能の集まりである。現場の努力こそがプロ野球人気を支えているのだ。そうした中でプレーオフ、最終戦をテレビ東京が最後まで中継したのは、衛星放送を見れない野球ファンにとって嬉しい事だっただろうし、プロ野球の魅力を伝える格好の機会となったに相違ない。

《2006.10.09》
核実験で騒ぐな
 恐らく9日(北朝鮮の建国記念日と言って良い日)にやるのではないか、と言われていたが北朝鮮が核実験を行ったらしい。「らしい」というのは、北朝鮮発表と地震計の測定から推測されているに過ぎないからだが、まあ恐らく間違いはないと思われる。季節風に乗って日本に死の灰が来る、などと恐怖を煽る専門家モドキも民放地上波にはいたらしいが、そんな事をしたら北朝鮮自身が大ダメージを受けるのだからやるとすれば北部山岳での地下だろう、と予測するのが普通で事実その通りになったようだ。
 この報道で拉致被害者家族まで引き出してヒステリックに騒ぎ立てているのは例によって日本のメディアで、これによって国際社会がどう変わり、日本への影響はどうなるかという冷静な議論は殆ど見られない。一方で隣国である中国と韓国のメディアは日本ほどには騒いでいない。「やはりか」という雰囲気の報道が目立つ。米国も当然これに関する声明を出しているが、いの一番に出したものが「日本の安全は我々が守る」というものであり、今回の北朝鮮実験によって日本国内での「自前核保有論」に対する牽制を真っ先に行った事を注視すべきだろう。
 北朝鮮のキム・ジョンイルは米国のイラク侵攻を見て、イラクに核があったらああも簡単には侵略されなかっただろうと述べていたから、いずれ北が核を保有するであろう事は関係者の間では常識であった。問題は、それが事実上北朝鮮の最後の切り札であって、使ってしまったら次が無くなる事である。今後、北朝鮮が六カ国協議などの場でどのような戦略を展開してくるのか、日本政府は真面目に検討しているのであろうか。いたずらに敵視するだけでは、太平洋戦争中の敵性用語刈りから一歩も出ていない。欧米諸国は北朝鮮を非難する一方で、民間レベルでのパイプ作りはしっかり行っていて、少しでも情報を集めようという姿勢で一貫している。日本は偵察衛星を打ち上げはしたが、地上数百キロから得られる情報などたかが知れている。それこそGoogle Earthだって充分だ。日本に一番欠けているのは情報を集める手段よりも、情報を正確に分析する能力であり、膨大な情報が流れている現在、情報を集める事にエネルギーを注ぐ事はむしろ効率の非常に低い話なのである。実際、今回の核実験に対する狼狽ぶりが、分析能力の欠如を端的に示している。
 就任早々に中国と韓国を訪問した安倍外交を誉める向きもあるが、そもそも公私混同で自分の趣味を国政に対して丸出しにした小泉外交こそが論外なのであって、この程度は当たり前の事であろう。友好国を訪問する事を大々的に報道などしているようでは外交小学校の低学年もいいところで、非友好国と何をすべきかが問われているのだ。ただ、北朝鮮外交に関して小泉外交は実は正しかった。平壌宣言が出た時、そのまま国交を樹立していたら今頃はノーベル平和賞候補だったかもしれない。だが、拉致被害者の会とやらがヒステリックに叫び声を上げ続け、それに振り回された事が決定的なミスとなった。あの時、連日メディアに顔を出して叫び続けたあのオヤジは、自分の娘さえ帰って来たら他の拉致者がどうなろうと知らん顔で全く出て来ないではないか。あの自分勝手な行動が、今回の核実験に遠回りに繋がったと言えない事もないのである。
 しかしながら、北朝鮮外交に関しては米国の出方にも日本は振り回されている。小泉総理はブッシュに対して北朝鮮外交を見直すように進言したそうだが、ブッシュは頑として強硬路線を変えようとはしなかったと言う。では米国は北朝鮮を攻撃出来るかといえば、そんな余裕など無い事も明らかである。アフガンとイラクで莫大な戦費(一月に一兆円と言われる)を費やしている現在、更に軍を展開する金はない。かと言って、パキスタンの核実験を許容したように、ロシア油田からのパイプラインを通したいという裏の理由もない。米国はパキスタンに対して「言うことを聞かないなら、爆撃をして石器時代にしてやる」と脅したそうだが、北朝鮮にその手も通じない。元々貧しい生活をしている上に、北部山岳地帯は極寒の険しい所で朝鮮戦争の時にも国連米国連合軍はそこで立ち往生した。北朝鮮は朝鮮戦争当時からほぼ街一つに相当する規模の地下施設をその山岳部に作っていたと言われるから、今ではそれはもっと拡充されているのは間違いあるまい。地下が相手ではそれこそ核攻撃でも通じない。北朝鮮が核を保有した事でNPTが根底から揺らぐなどという見解は滑稽であって、インドもパキスタンも、そして恐らくはイスラエルも核兵器を保有している上にNPTに加盟していないのだから、そんな枠組みはとっくに崩壊している。こうした背景で、意地とプライドだけで米国がどこまで強硬外交を押し通せるかは難しいものがある。
 21世紀になってまだ間もないが、既に世界の秩序は大きな変化を見せている。旧ソ連崩壊の後、世界唯一の超大国となった米国が世界に君臨するかと見えたのは一瞬で、ロシアは経済復興を果たして年率8%の成長を続け、中国はそれ以上の経済成長をする一方で、イスラム圏に対して戦いを挑んだ米国には疲弊の色が見え始めている。BSEや鳥インフルエンザの影響で、世界で魚に対する関心が高まり、日本は今までのように魚を輸入出来なくなるのではないか、という報道が最近多いが、実は世界で奪い合っているのは魚だけではない。資源一般がそうである。上記パキスタンのパイプラインのように、世界の紛争はその裏に必ず資源問題があると言って過言ではない。チェチェンに続いてロシアはグルジアにも強硬手段に訴えようとしているが、その裏にはカスピ海油田からのパイプラインという問題があるのだ。ベネズエラのチャベス大統領が血気盛んなのは、自国に豊富な地下資源があるからであり、米国がそれに神経を尖らせるのは、チャベス以前はその資源を米国が頂戴していたからである。こうした中、米国にくっつくだけの日本外交で日本はやって行けるのだろうか。仮にいざとなれば日本を米国が守ってくれるとしても、資源の面倒までは見てくれまい。既に米国べったりのマイナス効果が日本には現れている。イランの油田開発で日本は事実上の撤退を余儀なくされたのである。北の核に大騒ぎするだけのメディアにはそういう側面は全く見えていないようだ。21世紀、それは資源争奪の世紀なのだという視点で見る事こそが肝要なのだが。

《2006.10.08》
地上デジタル放送アンケート
 nikkansports.comがオンラインで表題のようなアンケートを行っている。多分時限アンケートなので何時までもあるとは思えないが、内容がこの種のものにしては非常にまっとうだったので目を引いた。設問は次の通り。

1. 2011年7月24日アナログ放送停止、地上デジタル放送完全移行計画につい て
   賛成、反対、仕方ない、その他

2. 上記の計画は、実現すると思いますか
   実現する、実現せず時期延長、実現せず計画破綻、その他

3. 移行計画の経緯について、政府(総務省)の説明に納得できますか
   納得できる、不十分だが納得はできる、不十分で全く納得できない、説明の内容自体を知らない

4. 地上デジタルのメリット(高画質、高音質など)への関心
   興味ある、少しは興味ある、まったく興味はない、その他

5. 2011年7月24日に向けて、テレビは買い換えますか
   はい、買わずにチューナーで対応、買わずにテレビを見なくなる、その他

6. テレビを買い換えるならいつにしますか
   今年中、2007年中、2008年中、2009年中、2010年中、2011年7月24日までに、時期に関係なくテレビが壊れるまで

 そもそも、今までどこかがこの種のアンケートを行い、消費者の声を直接集めた事があっただろうか。辛口子には殆ど覚えがない。テレビは何とかの一つ覚えのように「今の放送は○年に終了します」というテロップを流し、家電販売店ではテレビやビデオに同じような紙を貼りまくっているだけであろう。大手新聞も政治家の人気投票には熱心だが、この方面に関する声を集めた事など殆どあるまい。以前も本欄で書いた事だが、この2011年7月24日という日付は消費者とは全く関係なく、放送業界と携帯電話業界が総務省と結託して自己都合だけで決めた日時だ。消費者は蚊帳の外に置かれたままで、これほどまでに一般国民を馬鹿にする政策も稀ではなかろうか。なにせ、国民はこれのお陰で【自腹を切って】新しい装置、アンテナに全部買い換えなくてはならないのだから。だいたい放送のデジタル化が消費者オリエンテッドなものでなどない事は、1000日で1000万台という目標が完全に破綻した衛星デジタル放送が明確に示していた。
 無論、諸外国でも放送のデジタル化を進めてはいるが、強制的に期限を切り、しかも国民に全負担を押しつけるなどという馬鹿げた事をしているのは日本だけだ。例えば、総務省はCATV会社が地上デジタル放送を、今のアナログ地上波テレビで直接見られるようにVHF周波数に変換して家庭に配信する事を認めていない。それが可能なら、少なくとも今のテレビが壊れるまで消費者は使い続ける事は出来るのに、である。CATVに加入すればUHFアンテナを立てる必要が無くなるだけで、消費者は同じコンテンツを見る為にテレビそのものを買い換えなくてはならない事に変わりはない。しかも買い換える機器には複雑怪奇なコンテンツ保護システムなるものが順次組み込まれ、消費者は自分で気に入った番組を自由に録画することすら出来なくなる。つまりDVDで市販するからそれを買え、という訳だ。従って、そのもう一つの狙いには疑いの余地がない。特需を期待する家電業界と、新たな天下り先を確保したい総務省である。消費者の負担は言うまでもなく膨大な産業廃棄物が出る事なども、こういう連中の頭になど皆無なのだ。美しい日本である。
補足:総務省は地域によっては地上波アナログ放送を早めに切る事も公式に述べている。よほど足下に火がついているらしい。


《2006.10.05》
責任転嫁の時代
 北海道の小学校で、6年生の児童が自殺した時に残した文書の公開を巡って、何だか話が錯綜しているらしい。文書の中にイジメを受けたという記述があり、それを最初は公表しなかったとかどうとかいう話のようだ。何だか変な世の中になったとしか言いようがない。この問題の重要な本質は、イジメがあったという文書の公開かどうかではない。イジメを受けたのが事実だとして、何故それで死ななくてはならなかったのか、という事だ。また、親は何をしていたのか、という事にもなろう。ここでの関係者の対応に見られる本質は、責任転嫁の連鎖である。教育委員会は「これはまずい」と思って発表しなかった。それを見つけた奴は、ここぞとばかりに非難の矛先を向けた。親はどうなのか知らないが、本来こういう事は子供が親に相談するものではなかったかと思うので、それが無かったという事であろう。親としての責任放棄である。
 奈良市では母子連れに注意をした助教授が脅迫で逮捕されて裁判沙汰となり、無罪判決が出たというニュースもあった。報道を見る限り、子供の連れ方に注意を受けた母親がパニックになったというあたりが現実のようだ。人相が悪かったとか何かの理由があるのかもしれないが、これでは子供に声もかけられない、というこの助教授の主張にはうなずけるものがある。注意された事でパニックになったというなら、この母親の精神年齢が問題となる。イジメを受けて自殺に走る事と本質的に変わりはないからだ。子供の虐待だの放置だのと親と子の関係を巡るニュースは豊富だが、本質をとらえた論評は殆どない。それは、要するに「親がまだ子供だから」という事なのだが、誰もそれを認めたくないから責任転嫁の連鎖となる。
 日本スケート連盟の久永旧会長以下の公私混同ぶりも目に余る。とかく若い世代がどうのこうのという話は出るが、何の事はない、年寄りだってこのザマだ。会長の裏金に群がる理事連中の構図など、まるで3文小説にもならないような軽率かつ幼稚なしろものだが、恐らくこういう連中は互いの責任転嫁にあの手この手を使う事であろう。別に犯罪者を礼賛するつもりはないが、「罪は認める。さっさと死刑にしてくれ」と言った宅間被告の方が人間として遙かにマシに見えて来るから困ったものである。
 そして、その究極は米国に言われるままに憲法解釈をねじ曲げ、自衛隊をイラクに派兵して、今だに間違いを認めない日本の政府そのものであろう。イラクとアルカイダとを関連づけたのは間違いだったという事は、米国政府と大統領すら認めている。イギリスのブレアはこれで政権から下りる羽目になっている。にも関わらず日本政府、特に先の総理大臣などは話題にすらせず、もう忘れたかのように外遊してはしゃいで政権の幕を閉じた。追求しないメディアもメディアだが、芸能人感覚の人気投票で国の指導者を決める世風では嘆くだけ無駄なのだろうか。安倍政権のキャッチフレーズは「美しい日本」だそうだが、美しいという言葉の意味は曖昧だ。東京都教育委員会のように、教育とは子供をカタにはめる事だと思っているような連中にとっては、号令の下、誰もが一斉に動く光景が美しいものと見えるであろう。今の世、責任の明確な社会こそが美しい、という考え方はどこにも見られないのが現実である。

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