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冤罪の映画 「それでもボクはやってない」という映画が1月の20日に公開される。一体何かというと、一時新聞を賑わした痴漢騒動で逮捕されたサラリーマンの物語である。これにはれっきとした実在のモデルとなった人物がいる。彼は、罪を認めてさっさと自白調書にサインしろという官憲に断固として抵抗、最高裁まで争ったが結局無罪にはならなかった。そのいきさつが書かれているのが、月刊PLAYBOY誌2007.2号の133頁「痴漢えん罪、裁かれるもの」である。その記事を元に、いかに彼がひどい目にあったかを簡単に書いてみよう。詳しくは当該記事を読んでみてもらいたい。電車通勤をしている方なら、背筋が寒くなる事請け合いである。 彼は、1999年の4月、乗っていた埼京線の中でいきなり女子高生に痴漢呼ばわりされた。直ちに駅員につかまり駅事務室で説明しようとしたが、そのまま警察官に警察に連れて行かる。「署でお話を聞きましょう」などと言われたのだが、行ったら最後「逮捕」となる。これは私人による現行犯逮捕というもので、一般人にも現行犯に対しては逮捕権があるという規則を悪用した技である(そうでないと目の前で泥棒が箪笥から物を盗んでいる現場を前にして、警察官が来るまで何も出来ないという事になってしまう)。警察に入ったらそれは牢獄と同じだ。まず取調室に入れられ、いきなり変態野郎呼ばわりされ、否定しても「目撃者がいるから駄目だよ」と言われ、それでも否定すると「では容疑否認のまま逮捕だ」となる。結局以後、300日を越える拘留(前回に書いた代用監獄だ)が彼を待っていたのだ。 この記事には、奇跡的に無罪を勝ち取ったあるサラリーマンの話も書かれているが、どちらにも「始めに結論ありき」で追求してくる警察関係者の傍若無人ぶりが山ほど出てくる。電車の中で自分を痴漢呼ばわりした女子高生は茶髪にルーズソックスだったのに、裁判に出て来て証言する時は髪を黒髪に戻し、きちっとセーラー服を着こなして、いかにも純情可憐な少女風になっていた(言うまでもなく、検察官の入れ知恵だ)とか、警察が自宅を家宅捜索し、米国版PLAYBOYを押収してそれを証拠として「こいつは変態だ」と怒鳴る話も出てくる。 一時、新聞にやたらと痴漢逮捕の記事が出た事を多くの方は覚えているのではなかろうか。あの頃は「痴漢撲滅キャンペーン」が行われていた。だから、警察は何人の痴漢を逮捕して実績を上げるか躍起になっていたのである。現場は逮捕人数で出世が決まるし、署長にとっても自分の署が何人逮捕したかが実績となる。その為には無実の人間かどうかなどどうでもいい。件数だけが問題なのだ。あの痴漢フィーバーの時に結局逮捕されたのは300人を越えると言われる。痴漢で逮捕された場合、容疑としては迷惑防止条例違反と強制わいせつ罪の2つがある。前者を認めてしまえば、罰金7万円を払って釈放となるが、警察はそれを拒否した容疑者を後者で告発するのだ。最後まで争って無罪を勝ち取ったのは、この記事に出てくる1名だけではないかと思う。ちなみに彼には裁判費用などの借金が残った上、妻は精神的ショックで鬱病状態だそうだ。官憲は賠償どころか謝罪もしない。そしてそれ以外の人は殆どが屈辱に慄えながら供述書にサインし、罰金を払ったに違いないのである(本当の痴漢もいたかもしれないので、殆どと書いた)。痴漢冤罪を訴える人には、携帯電話を注意したら痴漢呼ばわりされたとか、隣の車両に乗っていた見知らぬ女に痴漢と言われたという人もいる。いかに逮捕が官憲の点数稼ぎの為だったかが分かる。エリート意識丸出しの彼らは、一般民衆がどういう目に合おうと自分らの点数さえ稼げればそれでいいのである。 国家権力がその気になれば何でも出来るのは、独裁国家に限った話ではない。望月三起也の名作コミックと言われる「ワイルド・セブン」には、こんな話が出てくる。権力者の不正を追及する主人公の友人が経営する喫茶店で、客が誤ってナプキンか何かに煙草の火を移してしまう。炎が燃え上がるのだが、何故かそこにタイミング良く消防車が現れ、ホースからの強力な水流が喫茶店になだれ込んでくるのだ。当然ながら喫茶店はめちゃめちゃになる。だが、抗議をしても「我々はボヤを消し止めただけだ。賠償だと? 何を言っている」と馬鹿にされるのだ。 ここに見られる構図が、前回書いた名張毒ブドウ酒事件と全く同じである事は容易に想像出来るだろう。社会的事件をさっさと解決して点数を稼ぐのが第一目的であり、それを否定する事はメンツにかけても認められないのである。容疑者が無罪かどうかは二の次である。犯人がいる事こそが重要なのだ。実際に、冤罪が覆る為には真犯人が見つかる事こそベストであると、過去の実績が証明している。最後に、この記事の末尾に元裁判官の弁護士がしているコメントを紹介しよう。日本の裁判所で裁判官の評価は、一体何人を有罪にしたかで決まるというのである。前回書いたように、検察側は自分にとって都合の良い証拠だけを出せばいいという問題もある。だが、この映画の監督をした周防政行氏はこう語る。検察は摘発するのが仕事だが、裁判官がそれを鵜呑みにするのが問題ではないか、と。日本の司法制度には色々と前時代的な問題点があるが、裁判官の世界があまりに閉ざされている事もその一つである。特に日本には陪審員制度がない。結論は裁判官が下すのだ。裁判員制度が導入されても、結論を裁判官が下す事に変わりはない。裁判員は意見を述べるだけである。純粋培養され、女の子の手も握った事がなく、満員電車の体験もない若い裁判官が痴漢騒動など判断出来るのであろうか。 ところで、月刊PLAYBOYと言うとヌードグラビアのエロ雑誌だと思っている向きがいたら、考えを改めてもらいたい。これは「大人の男性雑誌」である。ヌードはあっても、そこらのコンビニに並んでいる素人が股を開いているような下賤なショットはないし、それよりなにより面白い記事が少なくないからだ。特にこの2007.2号は濃い号である。在日外国人の音楽家が自分で自分の作品をネットに流せない日本の放送法を指摘する「MUSIC」や、先に当選した仲井真沖縄県知事の実態をスクープした「沖縄コンフィデンシャル」、ブッシュ政権を叩くなどアメリカで盛り上がる自主ドキュメンタリー映画の話を書いた「ドキュメンタリー映画で晒されたアメリカの恥部」、長年に渡り北朝鮮のキム・ジョンイルお気に入り料理人として過ごした日本人にインタビューをした「金正日が考えていること」などなど、お薦め記事が満載だ。だからこそ、上に書いたPLAYBOYを振り回して容疑者を変態呼ばわりする警察官の程度というものが良く分かるのである。 |
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名張毒ブドウ酒事件を掘り下げる 再審請求が棄却されたとニュースになった、この表題の事件。一体何か関係者以外にはさっぱりというところだろう。実は、これに関する詳細なドキュメンタリーが、今年の11月27日に日テレ系で放送されている(「裁きの重み〜名張毒ブドウ酒事件の半世紀」)。何時も辛口子がけなす民放だが、実は優れたドキュメンタリーを少なからず放送していて、これはその一つである。ただ、残念ながら放送時間が大抵は深夜なのだ。 さて、その番組から事件の一部始終を紹介すると、まずコトは今から45年も前の1961年、今の三重県の名張市(当時は村)の公民館で開かれた会合で持ち寄られたブドウ酒を飲んだ村民が次々と倒れた事だった。結局死者は5人。ブドウ酒に農薬が混入されていたとされ、証拠もはっきりしないままに今の被告人奥西勝氏が逮捕された。連日の取り調べで奥西は犯行を自白したが、後にそれを撤回。裁判で争い一審では無罪の後、二審と最高裁で死刑が確定。驚くべきは自白を裏付ける証拠が何一つ見つかっていない上に、ブドウ酒に混入されていたという毒物もまっとうな鑑定結果が出ていなかったことだろう。奥西は無実を訴え続け、支援者や弁護士が長年に渡り証拠を探して、今回の再審請求に至っている。 再審を請求するには、とにもかくにも「新証拠」が必要だ。自白した内容によると、奥西氏が入れたという農薬はニッカリンTというものとされていた。ところが検察側から出されている証拠の中に、三重衛生研究所という所が行った鑑定報告があるのだが、その報告が不可思議なのである。ニッカリンTの反応と、飲み残しのブドウ酒の反応とが違っているのだ。これを検察側は「時間が経ってニッカリンTがブドウ酒の中で分解したのだ」と言い張った。ちなみにニッカリンTを開発した技術者は、そんなに簡単に分解する訳がないと断言していたそうだ。 ところで、その技術者はもう他界しているし、ニッカリンTは30年も前に製造が終わっていたので万策尽きたかに見えていた矢先、古い農薬を回収していた農協にそのニッカリンTが存在していたのである。しかも未開封状態だった。それを使って実験した結果、上記鑑定結果に突きつけられていた疑問が裏付けられたばかりか、犯行に使われたのが自白調書にあったニッカリンTでは無かったという可能性すら出たのである。つまり、検察側が最大のよりどころとしていた自白の信憑性が、根底から覆ったのだ。2005年4月5日、遂に再審請求を受理するという判断が下された。ところが、1年半の後、同じ裁判所が検察側からの異議申し立てを受理、前回の再審開始は無かった事にすると発表したのが今回の棄却騒動である。 言うまでもなく、辛口子はこの事件を知る筈もないし、犯人に面識もない。だが、素人目で見たところでこの自白の信憑性が無い事くらい容易に分かる。にも関わらず、裁判所は今回の棄却の根拠として「自白は充分に信用できる」と述べているのである。弁護士や支持者が絶句したのもうなずける。刑法には、その基本理念として、「疑わしきは被告の利益とする」というものがあるという。だが、この一連の流れを見ていると、「検察の利益とする」という理念で動いているとしか見えなくなってくる。この構図、例の帝銀事件を始めとする冤罪(と言われる)ものと全く同じものを感じる。証拠がはっきりせず、強要された自白が唯一の証拠として被告が死刑を宣告されるのだ。 日本の警察には代用監獄という人権上の大問題がある。アメリカのドラマを見ると、警察で「弁護士を呼んでくれ」というシーンが出て来るし、黙秘権という言葉も使われるが、日本の警察ではそんな甘い考えは通用しない。日本では逮捕されたら、自白するまで警察は容疑者を手元に囲って尋問し続ける事が可能なのである。その間、容疑者は警察にある格子部屋に閉じこめられ、必要なら何週間でも朝から晩まで自白しろと責められるのだ。これを代用監獄と言う。これでは並の人間では自白調書(勿論、警察が用意する)にサインして一刻も早くこの責めから逃れたいと思うだろう。 こうして死刑判決が確定するとどうなるか。実は死刑囚専用の刑務所がある。囚人はそこに入れられるのだ。基本的に独房で部屋から廊下側のドアにはフタがされていて廊下は見れない。処刑が決まると看守が廊下を歩いて来る。どこかのドアの前で立ち止まり、そのドアが開くと死刑が決まった事になる。自分の部屋の前で足音が止まったら、その時は今生の別れを意味する訳で、まさに毎日が精神的な地獄なのである。こんな所でこの奥西死刑囚は40年も暮らしているのだ。 それでは、仮に再審が認められ、無罪放免となったとして、そのあとは何が待っているのだろうか。何十年も社会から遠ざかっていた被告には、世の中に戻されても社会に繋がりが殆どない。世間の見る目は冷たく、国から慰謝料が出る訳でもなく、僅かな生活補助をもらいながら残り少ない人生をひっそりと生きているのが殆どだという。これが冤罪の恐ろしさだ。こんな程度の証拠で死刑になるのだとすると、忘年会の会場で毒物事件が起きたりしたら、これを読んでいる誰でもが死刑囚になる事は充分にあり得るのである。これが日本の「疑わしきは」の実態である。日本の刑法では、裁判に当たって全ての証拠を検察側は出す必要がない。「必要最小限」だけ出せばいい事になっているのだが、これが冤罪を覆せない大きな理由の一つだと言われる。 この事件に限らず、冤罪事件や証拠が自白だけと言われる事件について辛口子の感じる所は、恐らくこれは検察官のメンツ優先に違いないというものだ。例えば、どこかの有力者が一目置いている若手検察官がいて、それに社会的大事件を早く解決させて出世させようと計っているような場合である。その有力者が手を回して、裁判所から何から抱きこむとすると、かような仕掛けのおおよそが見えて来るような気がするからだ。勿論、あからさまに「あいつを何が何でも有罪にしろ」などという命令が出される訳ではあるまい。だが、「あいつは優秀な奴でね、何とか芽を出させてやりたいと考えておるのだよ、うん」などと言いながら何となく「そういう空気にする」のである。こうなると、後にどういう証拠が出ようと、その有力者の顔を潰す事になるから、再審など認める訳にはいかない。有力者当人が他界していたとしても、その人に恩義を感じているようなのが組織上層部にいれば、同じ事になろう。薬害エイズ事件の時、あの安倍英元帝京大副学長を厚生省が一致団結してどれだけかばったかを思い起こしてもらいたい。菅直人が厚生大臣になるまでは、関連書類は廃棄していたと言い張っていたのだ。これが役人根性というものである。 なお、日本では今、死刑を待っている死刑囚が98人いるそうだ。今年、4人に死刑が執行された。その一番大きな動機が、「死刑順番待ちが100人になると体裁が悪い」というものだったという。これが国のスタンスだ。無論、冤罪は論外であろう。だが、同時に疑問の余地なく有罪で死刑に値いしているのなら、少しでも早く執行するのが人道的というものではないだろうか。上で触れたように、毎日を死の恐怖でおびえ続けながら過ごすのは、想像を絶する苦痛に違いない。その方がよほど非人道的に思える。この問題は複雑だが、色々な側面がある事を考えさせられる再審棄却である。 |
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教育再生に必要なのは 新聞などで安倍総理の推す「教育再生会議」と文部科学省「中央教育審議会」の軋轢が報じられるようになっている。互いに相手の決めた事を「再検討」するなど、足の引っ張り合いはまことに見ていて見苦しいという他はない。要するに表向き教育などと言っているが、子供や国家の将来よりは自分らのメンツの事ばかり考えている面々が並んでいるという訳であろう。 25日発売の日経サイエンス2007.02号、37頁「教養としての自然科学」というコラムが教育のあり方について、誠に的を射ている指摘をしている。明治時代に書かれたある国語の教科書が最近、復刻発売されたのだが、それを見ると内容の何と半分近くが理系テーマに関する記述だというのである。繰り返すが国語の教科書の話である。最初に天然資源と科学技術文明とのあるべき関わり合いについて述べ、次に蒸気機関や海流の話をし、更には偉人と言われる人達のエピソードから伝説に至るまで、子供が聞いてもわくわくする話が並んでいるのだそうだ。 そういえば、このコラムによると教育課程審議会の会長というのが「三角関数など世に出て何の役にも立たない」と平然と発言していたという。冒頭のつばぜり合いに話を戻せば教師の免許更新を何年毎にするかとか、愛国心をどう評価するだのという話の言葉尻を取り合って、互いに相手を非難するだけの両会議。かような具合に、理科系どころか相手を敵視する事でしか自分の存在をアピールできないような脳みその足りないのが、威張り散らしているのが日本のこうした審議会なのである。 中国の指導者は過半数が理科系出身者であると、以前本欄でも触れた。中国だけではない。欧米の指導者も科学技術を話の引き合いに出す事など珍しくもない。理科系かどうかというのは、専攻した学科の話ではなく、論理的に物を考えられるかどうかという事に直結する。今の日本で、おしなべて自分の保身と権益増大ばかり考え、大局的見地から物を見ない人間ばかりが跋扈しているのは、誰もが感じている事だ。教育とは生徒と先生を規則でがんじがらめにすることであり、国家の国際貢献とは軍隊を派遣する事であり、国が核武装してこそ一人前であって、憲法は「自分で」変えるべきだという一連の安倍政権の理屈は、こうして見てみれば「自分の虚栄心を満足させるため」だけでしかないという事が分かるだろう。トップがこれでは、審議会だって腐った脳みそばかりが並ぶだろうし、教育再生以前の問題になるのも仕方ないだろう。 |
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何故企業再編が異常に多いのか 松下が日本ビクターを「売りに出し」、そこに海外の投資ファンドも目をつけているという報道が日経などで書かれた。最近、日本の企業合併や子会社化が非常に多い。それは政府が法律を改正し、かような再編を加速させているからである。表向き、それは企業の体質改善をはかり、国際競争力のある強い企業にする為だという事になっている。いわゆる、厚い法規制に守られたぬるま湯から出る時だ、という訳だ。 だが、実際にこうした企業再編劇を見ていると、実はそのほとんどは防衛策だ。松下の場合は松下本社に余裕が無くなって来たからビクターを放出するという面はあるのだが、たとえば牛角や三洋電機、甲子園球場や王子製紙などの例を見てみると、実は海外(実際にはアメリカ)のハゲタカファンドから敵対的TOBを仕掛けられるか、或いは仕掛けられそうになって、その防衛策としてより大きな会社へと合併する道を選んだケースが非常に多いのである。 対抗策が失敗すれば企業はこうしたファンドに株式を買い占められ、ファンドが値上がりを待って売り抜けて金を儲けたあとに残るのは企業の屍である。実際、この一連の政策で強くなったのは以前から経営が強固であった一部の企業だけで、そうでない会社は無くなったか合併に至ったのは、例えばやたらと合併して名前の長くなった銀行を見れば分かる。また、特に中小企業で優れた技術を持っている所などは、狙われやすくて危ないとも言われているし、技術を持たなければ親会社から見捨てられるから即刻消滅であろう。 日本の優秀な製造技術を支えて来たと言われるこうした中小企業が消えて行くとどうなるのか。行く末はアメリカのように、自前では物を作れずに海外から買うだけになって、膨大な貿易赤字を生み出す産業構造である。アメリカは軍事力があるからそれにモノを言わせて脅しが効くが、日本にはそれがない。まさかそれを目指して核武装論を説いているのだとは信じがたいが、かような経済運営はかつてロナルド・レーガンが唱えた事から、レーガノミックスと呼ばれる。その成果が今のアメリカの大赤字な訳だが、どういう訳か日本の政府は数十年を経た今、それを推進しているのである。 近年、中国やインドなど東南アジアで大きな経済発展をしている国々は、経済構造の下を支えてきた日本の中小企業というモデルを手本にして、その成果を出している。その本家がわざわざその優位性を無くすような経済運営をしているのだ。それは何故か。答は上に書いたように、ハゲタカファンドにある。不動産の不良資産関連をあらかた食い尽くしたファンドは、今度は日本の企業に目を向け出しているのである。裏を返せば、今の政権はせっせと自国民と資産をアメリカに切り売りしているのである。好景気などとは良くぞ言ったもので、自殺者が毎年3万人以上も出る景気のどこが良いというのだ。 |
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愛国心 ある小学校にて、先生が生徒に質問をした。 「トーマス君、キミは青空のもと星条旗が勢いよく翻る時、どんな感慨を抱くかね」 「はい、先生。晴れてはいるが風があるな、と思います」 これはアメリカの小話だが、これから日本でこんな事があると教師の首が危なくなりそうな法案が成立した。教育基本法の改正案である。愛国心教育を行う上に、教師の査定が盛り込まれたのだから、「愛国心をきちっと教えていない」という言いがかりが充分にあり得るのだ。 そもそも、愛国心を何で学校で教えなくてはいけないのか、という指摘は以前からなされてきたが、政府は結局それには答えず「決まった事だ」で押し通したのである。これについて、最もアホなコメントを書いていたのは、読売新聞の社説であろう。愛国心を持つ事がどうして他国への侵略につながるのか、とその社説は書いているのだ。そんな事は歴史を見れば、枚挙にいとまがない。 ナチスドイツは国民の愛国心を鼓舞、一つの国家、一つの民族、一人の総統をスローガンに他国を侵略したのは歴史が示している。日本が中国や東南アジアに進出したのも同じ理屈だ。中国人は我が皇国日本を馬鹿にしたと言いがかりをつけたり、我が国には資源が必要だという理屈を立てたりした。無論、表立ってそんな事を言う訳はない。実際にはアジア諸国を列強の支配から解放するという大義名分が使われた訳だが、その裏には愛国心による自愛の精神が顔を覗かせている。自らを愛するが故に、それに対峙する存在を憎悪するのである。更に言うなら、その愛国心すらも第二の大義名分に過ぎない。本心は自らの利権拡張であって、その格好の錦の御旗として「お国のため」というフレーズが使われていたのである。読売新聞の社説を書いた奴こそ、こうした偏狭な国粋主義者の成れの果てであろう。 ところで、政府はこんなものを何故強引に成立させたのか。実は防衛庁を省に格上げする法案も成立している。来年早々(1月9日かららしい)、防衛庁が誕生するのだ。安倍政権の目的は言うまでもなく、憲法改正。その予行演習として、こうした法案の強行成立を実験したという意味合いがここにはある。これで世論が騒ぐようならしばらく様子を見るのだろうが、新聞も世論もこうした政策の危険性を殆ど指摘していないし、地上波メディアは税制調査会会長の愛人ばかり追いかけている始末だ。これで政権側は自信を深め、一気に憲法改正に持って行くに違いない。次の改正条件が議会の2/3から過半数になる事や、軍事法廷の設置など現在の自民党による改正案の危険性は本欄でも何度も書いて来た。だが、憲法改正の危険度はそれだけではない。憲法改正は様々な法案へ影響するのである。例えば、国民保護法というのがある。いざ重大事という時に、自衛隊や政府が必要であれば個人の基本的人権を侵害する事も可能だ、という法律である。この法律を見ると各条文には「憲法の定める範囲を逸脱する事なく」というフレーズが付いているのだ。つまり、憲法を変える事で簡単に締め付け度を強くする事が可能なのである。類似の法律は沢山あり、一つ間違えれば戦前の秘密警察国家への逆戻りも有り得ない話ではない。 更にこれに加えて考えなくてはならない事がある。小泉政権以降、日本はアメリカ依存度を急激に高め、その結果、世界の潮流から取り残されて「世界の嫌われ者の腰巾着」になってしまった。先の東アジアサミットに出かけて行ったのが日本だけだった話も、どこの国も日本を助けてはくれなかった(中止だという情報を教えてくれなかった)という事である。イランでは事実上、石油採掘の権利を失ったし、北朝鮮を絡めた六カ国協議では、実際には朝中米が会談する訳で日本は蚊帳の外だ。そこで、こうした法案を作り、防衛庁を作り、憲法改正まで持って行って、こうした問題は解決するのかという事を考えてみよう。する筈がない。では何故こんな事をするのか。それは国民の不満を外にそらせる為である。生活が苦しいのは「○○○国が悪いからだ」という方向に持って行くというのは、どこの政府もやってきた常套手段だ。その為には愛国心を高めるのが必要なのである。要するに無能な為政者が権力欲を満たす為の方便に過ぎないのだ。犠牲になるのは一般国民なのだが。 ところで海外メディアによるインタビューに答えたホリエモン、「自分は官僚の奴らの罠にはまった。日本は官僚が支配する共産圏国家である」と述べたらしい。だが、官僚支配は今に始まった事ではない。それよりも現政権は官僚どころか、政府が国民を支配する構図を着実に作ろうとしているのである。そう考えると、靖国参拝問題で既成事実を作り、NHKなどへの圧力でメディアを押え、ゆとり教育による国民のアホ化を進め、教育基本法の改正によって愛国心を植え付け、最終的には憲法を改正して一挙に国粋主義的国家にするというシナリオが見えて来るであろう。 これまで官僚は国を操っていても、そのやり方は今よりずっと賢く巧妙であった。最終的にはとにもかくにも国民は豊かで平和な生活を営めたのだから、その成果は評価に値する。だが、社会が閉塞感を強めて来ると、官僚は既得権益を守る事に全力を注ぐようになる。そして、国民の間に不満が高まって来ると、それを利用して権力の座を固めようとする奴も現れるのである。欧米諸国には、国がそういう方向に傾いても、次にはそれを戻そうとする動きが起きる。アメリカではかつて禁酒法廃止を唱えたルーズベルトが大統領に当選したし、今、ブッシュ政権には逆風が吹いている。イギリスではブレア政権がもう死に体だと言われている。だが、日本では今もって小泉政権のした事を野党すら批判していないのである。恐らく、日本は今でも暴走すると国土が焦土となるまで止まらないであろう。俗に言うように、何とかは死ぬまで直らないのである。それが愛国心の成果となるのだ。勿論、そうなっても誰も責任などとる筈もない。 |
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税金の使い方もいろいろ 「不徳の致すところ」と言って、高級官舎から慌てて出たのはご存じ、本間税制調査会会長。不徳とは財政再建を検討している会議の会長が、自ら相場なら50万円と言われる家賃の所に7万円台で入っていた事を言っているらしいが、税制調査会は週に3回程度開かれるだけで、実際に週刊誌で暴露されたのは「愛人と同居」だったのだから、騒ぎが大きくなるのは目に見えていた。 ところで、実はこの優遇措置、優遇どころか違法でも何でもない。国立大学の教授だから入居資格はあるのだそうだ。つまり、この本間氏の場合、特別待遇ではなかったというわけで、更にこれは当人が要求したものではなく、役人の方で一番高級な官舎を割り当てたというのが真実らしい。裏を返せば、こういう宿舎に堂々と入っているのは幾らでもいるのである。ちなみに前税制調査会会長であった石氏は「示しがつかない」と、これを固持したと伝えられている。 一般に役人、それも上級役人にはこうした有形無形の役得が色々と用意されている。ここで出たのは住宅だが、大体不動産相場より数分の一の家賃というのが「役所相場」らしい。表向きの給与は人事院勧告で低く抑えられているように見えても、こういう所でしっかりともらっているのである。また民間から何かの審議委員として参加すれば、年に数回程度の会合でさえ年間数百万から一千万という報酬が払われると暴露された事もある。とかく税金の無駄使いというと、市価相場より高く物を買ったとか、いわゆる箱物を乱造したとか言われる事が多いが、実際にはこうした形での「大盤振る舞い」こそ、その本質に違いあるまい。しかもこうした連中は、これは当たり前であって、エリートたる自分らには当然の権利だと思っている所に、その根深さがある。 例のタウンミーティングでヤラセが明らかになった事で、安倍総理は給与3ヶ月分を返上と伝えられているが、実質的な収入に占める給与の割合などそう大きくはないに相違ない。それに妙なのは、そもそも責任をとるというなら、それを始めた前総理ではないのかという事だが、それを誰も指摘しない点であろう。 |
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消された(?)アンケート 10月8日の本欄にて紹介したとおり、ニッカンスポーツのウェブサイトが地上デジタル放送に関するアンケートを行っていたのだが、その結果が今もって発表される気配がない。21日付紙面にて発表とあるのだが、辛口子は紙面を見逃してはいるものの、サッカーなどのアンケートがオンラインでも掲載されている事から、全く出ないというのも不可解である。御覧になった方がおいでなら、お知らせいただけると幸いである。ちなみにアンケート本体はまだ存在している。 とはいえ、紙面での集計発表があったとしても、少なくともこれは「関係者が望む結果じゃなかった」という事は間違いなさそうであろう。逆であったなら、喜びいさんで大々的にPRする筈だからだ。業界と政府が結託して消費者から金を搾り取るため、ちまたでは地デジ対応のテレビばかりになり、とりあえず見られればいいという消費者は安いブラウン管式の小型テレビを探すのも難儀になった。安価に高精細画像を記録できたD-VHSは一瞬にして市場から消え、これでもかという程にプロテクトでガチガチに固められた超高価な次世代ディスクシステムだけが店に並ぶ。12月1日に指摘したとおり、B-CASの会社はまるで秘密結社のように胡散臭い。いいのか、これで。 |
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つ○ぼ桟敷 大型台風が接近した為延期となったという、東アジアサミット。あまりにあからさまな大義名分に裏があるだろうとは思っていたが、本日放送されたパックイン・ジャーナルによると、そのサミットにいそいそと出かけて行ったのは、日本の安倍総理だけだったと聞いて唖然自失である。他の国の首脳は既に情報を得ていて、「これは開催されない」と判断、出発を取りやめていたのである。慌てて政府は体裁を整え、日本フィリピン首脳会議などと急遽宣伝に務めたものの、またも日本のメディアを除く全世界に日本のアホぶりをさらけ出した点に変わりはない。とんぼ返りをする訳でもなく、高い税金を使って今度も大失態をした訳だ。 そもそも、フィリピンのセブ島は治安が良くなく、反政府組織の活動も活発で密造拳銃のメッカでもあるという。そこで敢えてこんなイベントを開こうとしたのは、そこがフィリピンのアロヨ大統領の支持基盤地区であり、次回の選挙対策だというのがもっぱらの下馬評である。中止の大義名分が台風なのはともかく、こんな規模のイベントが青天の霹靂で中止になる筈もなく、各国とも情報を収集し、政情がやや不安である事など、恐らくは反政府組織も活発に動いている事も含め、フィリピン政府関係筋からも情報を集めて中止の方向である旨、内部情報を得ていたのは間違いなかろう。日本はそうした情報収集でも遅れをとった上に、どの国からも耳打ちをしてもらえなかった事になる。つまり、アメリカの腰巾着だと思われ、アメリカに次いだ世界第二の嫌われ者になりつつあるのだ。そのアメリカにしたところで、自分に関係なければ日本に情報など伝える筈もなく、結局はトータルで表題の如くなった訳であろう。 それにしても、それを追求しない野党の腰抜けぶりは、繰返し書くのが嫌になるほどだ。民主党は野党の筈だが、実際には自民党と一緒になって憲法改正案を出すし、国民投票法でも18歳という基準が通って喜んでいる始末。正々堂々と「第二与党」と言う度胸もない。 |
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非公式 久間防衛庁長官が、イラクへの日本参加は公式のものではなかったとコメント。翌日には「勉強不足だった」と訂正したが、個人的には今でも反対だとも付け加えている。そもそも政府が「やれ」と言って軍人が反対したこの構図、アメリカと同じではあるが、ラムズフェルドが、シンセキやパウエルを追い出す事でイラク侵攻を実行にこぎつけたのに比べれば、日本の政府にその度量はなく、ただ、アメリカに尻尾を振って従っただけである。 米国のイラク侵攻が歴史に残る大ポカであった事に今や疑いを挟むメディアはない。米国政府やブッシュですら、「現実的な解決を」と述べている位で、今でも正当だと言いたがっているのは日本政府だけだ。日本の野党はこれで元気になるかと思えばその気配はなく、先の久間発言に対して安倍総理が「当時は正しい判断だった」と苦しい弁解をしても静かなものだ。この発言、裏を返せば今では後悔しているともとれる発言だが、この「当時は正しい判断」というフレーズ、かつてソ連政府が崩壊寸前の頃に良く使われたフレーズだという。ゴルバチョフが総書記になり、各部署から報告を上げさせるとどこも良い事ばかり書いてくる。例えば、そうした報告を見る限り、ソ連には食糧不足など有り得ず、どこの農場も豊作になっていることになっていた。たまりかねたゴルバチョフが理由を尋ねると、決まって返って来るフレーズとして、この「報告書を書いた当時は・・・」というのがあったそうである。 改めて考え直すと、今の日本にはその崩壊前のソ連と通じる部分が意外に多い。例えば、当時の社会は共産党上層部、いわゆるエリート階層と庶民との間の落差が凄かった。エリート層は立派な病院に行けたが、共産党員御用達ではない普通の病院に行く事は殆ど死ねというようなものだと言われた。今、日本では一部の勝ち組とそれ以外という形に社会が分断化している。医療については、特に地方の病院を中心に医者がいなくなるケースが増加、産婦人科の不足どころか内科医も外科医もいない病院が増えていて、それらは深刻な社会問題になっているし、健康保険制度が破綻寸前で貧乏人は医者に行きたくても行けない事例が激増している事も、先日のNHKが地上波のスペシャルで放送していたとおりである。 健康保険制度の疲弊については、年金問題とも共通して未払い者が激増している事が、表向き大きな問題となっているものの、その根底には社会の高齢化がある事は言うまでもない。だが、もっと根幹にある大問題は、制度そのものが信用を失っている事だろう。良く引き合いに出されるスェーデンなどの高負担高福祉社会が何故うまく行っているのかと言えば、その詳細が細大漏らさず公開されていて、国民は何時でもその中身をチェック出来る事で、いわばシステムが大きな信用を得ているからだ。保険破綻のNHKスペシャルでは、今の低所得者層への負担増を解消するには3000億円ほどの金が必要だと述べていたが、厚生労働省が毎年国民年金からピンハネしている金額がほぼ3000億円である。厚生労働省は二言目には「相互に支え合うシステムだから」と言っているが、それならまず金の流れを透明にし、無駄使いなどこれっぽっちもしていない事を明らかにするのが先決だ。さもなければ、不払い者はますます増加の一途をたどり、次は年金からの強制天引きに話が移るだけであろう事は、国民の誰もが理解している。要するに最初の話に戻るが、そもそも政府も野党も信用がないのである。 |
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胡散臭いB-CAS FACTAの編集長ブログに、「許し難い会社」というのが出ている。偉そうに存在を出していながら、いざ問い合せをしようとするとまともな回線も用意していない、というふざけた会社だ。それはB-CAS社。さよう、デジタルチューナを買うと必ず挿しこまないといけないあのICカードの会社である。よほど突っこまれては困るような事をしているらしい。そうでないなら、「どんな取材でも受け付けます。当社にはやましい事など何もないから存分に中を御覧下さい」と言うのが普通だ。なにせ税金で運営されているような会社である。国民には中を知る権利がある筈だが、これではヤクザと同じである。政府の後ろ盾があるという一点を別にすれば、あの近未来通信よりタチが悪い。 ご存じと思うが、デジタル放送は双方向システムである。このB-CASカードをもらうには、個人名、住所などの個人特定情報を相手に教える必要がある。即ち、理屈の上ではこれによってこの会社はどの個人がどういう番組を何時見て、しかもオンラインで何を注文したか100%把握出来る事を意味する。ここに巨大な利権が発生する事は子供にも分かろう。政府による世論誘導、国民洗脳にも大きな威力を発揮するに違いない。無論、契約書には「個人情報の流用はしない」と書かれているだろう。しかし、その気になれば「社員が勝手にやった」とか「Winnyで流出した」など言い訳は幾らでも可能だろうし、最悪バレても「二度とこのような事が無いように(次回からはバレないようにうまくやる)」と記者会見して頭を下げれば片が付く。そうでなくても統計情報として処理すれば、違法にはならない。 今、地上波はCM収入の伸び悩みに直面している。そうした中、BSデジタル放送の普及数が2000万の大台に近づいてきた。最近行われたアンケート調査によると、BSデジタル放送の視聴者は画質の良い事、色が綺麗な事を評価しているという。従って、優れた放送内容を求めていて、バラエティ系は人気が無いのだそうだ。放送各局はスポーツなど質の高い内容を一層充実させると発表しているが、裏を返せば地上波のバカ騒ぎが飽きられているのだという事は認識していない。高画質コンテンツに徹すれば価格は当然高くなる。広告収入だけでそれが賄えない事は地上波が立証している。当然、そのしわ寄せは視聴者に行くだろう。その時に集めた個人情報がモノを言うのである。「実入り」もきっと多い事だろう。 |
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