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Vistaとは Windows95の時の夢よ、もう一度という事なのだろうか、深夜の発売イベントも行われたが盛り上がり方は主催者側発表でもいま一つ。恐らくは寂しいと言う表現が当てはまるような状況だったであろう。研究目的などのケースを別にすれば、集まるのは物見高い一番乗りであって、まともなユーザだったら冷ややかに様子見をするのが当然であるからだ。調査会社ガードナージャパンが「ビスタでは使い勝手や各種機能が向上したが、一般的な消費者には魅力が十分伝わっていない」とコメントしたらしいが(日経サイト)、逆である。充分に伝わっているからこそ、見透かされているのだ。 そもそも、セキュリティのアップなどという能書きは、XPの時に一番頭にあったキャッチフレーズである。Vistaについては、数年前のウィルスをかけてみたらあっさりと感染したという報告も既に幾つもある。大体、マイクロソフトという会社にまっとうなOSを開発する能力など最初からなかったのだ。MS-DOSにしてから他の会社の物を丸ごと買っただけだし、NTカーネルを統合して作られたXPにしても、そのNTカーネルはDECからVMSを買って流用したものである。それをごちゃごちゃに組み合わせたから、まるで増築に次ぐ増築を繰り返して迷路と建付け不良の塊になった古い温泉旅館のような中身になっているのがマイクロソフトのOSだ。それこそドアが閉まっていても隙間はあるし、至る所にネズミの通る穴がある。ウィルスに感染し放題なのも当然なのである。 問題は、これがVistaになって改善されたかどうかだ。結論から言えば5年もかかって恐らく本質はさして変わっていないに違いない。OSを改良すると口で言うのは簡単だが、互換性を保ったままで構造を変えるというのは大変な技術力を要するもので、よそから買っては組み合わせて来たマイクロソフトにそんな技術力などある筈もないからである。恐らくそれだけの事を出来るのはアップルだけであろう。Macintoshのシステムは、68K CPUからPPCへと進化し、OSそのものもOSXで一気にUNIXコアな物に変わり、今ではIntelのCPUでバリバリ動作するようになっているが、こうした変遷でも従来アプリとの互換性を保ち(二世代前との間では無理もあるが)、使い勝手もほぼ統一されてきている。これは大変な技術力であって、真似できる会社は他にはない。マイクロソフトを含めてである。あまりに凄い事なのでメディアには理解出来ないのか、そうした記事は殆ど見かけないのが現実だ。 さて、マイクロソフトのOSでは、この互換性が大きなネックとなる。なにしろ、今でもMS-DOSベースのアプリをターミナル(DOS窓)で走らせているのだ。CONFIG.SYSなんてなファイルがルートディレクトリに必須である。こんな前時代の遺物をどうするかを含めた抜本的な作り替えとなると、数学の体系を一から作り直すようなもの。従って、分かっているセキュリティホールで直せる物だけ可能な限り潰したというあたりが関の山である事は充分に予想できる。だからこそ、意味のない動くウィンドウなどの見た目で誤魔化す事ばかりPRするしかネタがないのである。先のガードナージャパンとやらは、どこぞの「あるある」番組と同じメンタリティの持ち主だと自ら宣伝しているようなものであろう。 ところで、Vistaという単語は辞書を引くと「展望、眺望、見通し、未来予想」などという記述が見られる。はるか先まで使えるという意味でもこめているのだろうか。そのココロとなれば、この先どうしていいか分からない、という意味にも受け取れよう。直販PCで業績を伸ばしたDELLなど多くのPCベンダが、最近になってLinuxへのシフトを強めている。マイクロソフトはこれに危機感を抱き、DELLに脅しをかけたりしているらしい。そうした情勢の変化を見極める事も出来ず、Vista対応PCとやらを一斉に発売する日本のメーカだけが、今やマイクロソフトのサポーターである。どこぞの政府みたいではないか。 |
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中村紀洋に球界を見る オリックスから自由契約になった中村紀洋選手の行き先が宙ぶらりんのままである。旧所属のオリックス・バファローズとの契約更新のもつれが原因だが、元々次期契約額を大幅に減らしたオリックス側の意図が、放り出しにある事は誰の目にも明白であった。 興味深いのは、その中村を獲る球団がどこも名乗りを上げない事であろう。言うことはどの球団も同じで「若返りをはかっている」と何とかの一つ覚えである。ヤクルトでは古田監督が球団に要望したにも関わらず、球団側はその一つ覚えで拒否した。小笠原や谷を獲った巨人ですら相手にしていない(かつては名前を挙げた事もあるのに)。確かに大リーグでは通じなかった上に、中村の2007年の成績も散々であった。しかし、巨人お得意の「実績」というフレーズを使うなら、もっと高い評価が出ていい筈である。 対照的なのがサッカー界である。J1でかつて活躍した全国的名声を持つ選手が、J2へ行って更に選手生命を伸ばしているばかりか、若手に選手としてのノウハウを教えるなど有形無形の形でサッカーに貢献しているのだ。思い当たる選手は枚挙にいとまがなく、カズ、城、岡野などかつてのW杯メンバもいるし、最近では横浜Fマリノスのエースストライカー久保が横浜FC(J2ではないが)に移籍したのが記憶に新しい。選手の方も新たな活躍の場を求めて、むしろ喜んで移籍していく。海外でのロナウドやベッカムも新天地に動いた。 ここに常に柔軟な発想を行ってチーム作りの為に、どういう人材がいるかを考えるサッカー界と、ただ単細胞的に「若返り」という単語を意味も分からずに(谷や小笠原を獲って何が若返りだ)使うだけの野球界との違いが際だっている。ベッカムやロナウドが移籍するのは、今のレアルのチーム構想では自分らの能力を生かす場が少ないと判断したからでもある。日本の球界で、例えばチームを爆発力重視にするとか、機動力重視にするとプランを明確にし、その構想に基づいた選手強化をしている所は稀である。強いて言うなら阪神がそれに近い事をやっているが、今の阪神で中村が入る余地は無いだろう。 大リーグで活動し続けている野茂がはからずも語っているが、日本球界に戻る気はないかという質問を受けた時に、「実はある球団から話はあったが、球団と話をしているうちにその気は全くなくなった」そうである(J-Sportsで放送中の「がんばれ日本プロ野球」)。サッカー界で海外飛躍をしている中村俊介のような選手はより高い場を求めて行っているが、日本球界を出て行く松坂や井川は日本の環境が嫌で出て行くのだ。何故こうも一流選手が海外に行くのかという点について、球団関係者は「ポスティングが悪い」などと相変わらずのピンボケぶりである。これに対して最も正しいと思われる指摘をしていたのが、正月の朝日新聞で書いていた金子達仁氏だろう。要するに球界とファンの質が悪いから嫌になる、というのだ。 球団の脳みそについては書いた通りだが、ファンの方も「かっとばせ〜」の連呼しかしない。海外の大リーグを見ていると分かるのは、選手のプレーひとつひとつに呼応して声援を送るファンの姿であり、球場の演出だ。チアガールなんて出すのではなく、場を盛り上げるように場内アナウンス一つから違う。日本の野球ファンで野球が分かっている応援をしているのは、阪神などに例が無い訳ではないが、大リーグは更に次元が違うのだ。サッカーファンもやはり海外に比べるとまだ及ばない。選手の立場で声援に目を向けてみると、「何、バカ言ってんだ」と思う点が多々ないだろうか。 スポーツ選手は今やインテリジェンスが必須条件である。関係者も同じだ。日本ラグビーが海外に比べてつまらないのは、主にそこにある。戦略が単純で頭を使った展開をしないのだ。それは野球界も同じである。サッカー界もまだ頑張らねばならないが、そもそも日本野球界はWBCで勝ったからと喜んでいる場合ではないのに、コミッショナー人事一つからして訳分からん事をやってる有様。その意識など皆無なようだ。 |
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“オレ以外はバカ”症候群 こんな症状が増えている、という説があるそうだ。ちなみに本欄の執筆者の事ではない。大学生に例を挙げると、就職活動で企業を訪問して落ちた時などに、「企業担当者がバカだからオレを見る目がない」と理由付けをするような発想の事だそうだ。ここで問題なのは、この当人が努力や鍛錬をして自らを鍛えている訳ではない点である。自分の無能と不勉強を棚に上げて、かような屁理屈で自分自身を納得させる。これが「オレ以外はバカ症候群」で提唱によると、これは自分を確立する為のアイデンティティー最後の砦なのだそうだ。 本欄でも何度も触れているが、人間は一人では生きられない一方で、その集団内では何らかの存在意義を持たないとやはりやってられない。優れた人間ならそれをアピールする事でその存在意義は得られる。分かりやすいのは格闘技やスポーツだろう。走るのが速いというだけで賞賛を浴びるのは、その能力に誰もが憧れるからだ。学問でも同様だろう。仕事面でも困難な業務を無事に遂行すれば評価される訳だが、だからこそ人は努力をし、人類は進歩して来たのである。 この本能的な欲求が裏目に出たのが差別やイジメである。相手に難癖を付けて貶める事で、自分の相対的立場が高いと自己満足しようとするものだからだ。形は少し違うが、差別用語をヒステリックに指摘する事や、どこかの国であったようにファッションショーのモデルに痩せすぎだと難癖を付けたりするのも、そうやって目立つ事で「自分は正義の伝道者である」と自慢したいからに他ならない。実際には差別用語をうるさく言う奴ほど差別的考えの持ち主だし、モデルに痩せすぎだと言う奴は大抵肥満である。正義という錦の御旗を掲げる事で、自分を棚に上げて綺麗事を主張しているのだ。 ところが、差別やイジメはいけないとか何とかで制限が厳しくなると、こうやって自己のアイデンティティーを確立する負の手段を奪われる。残された最後の砦が「オレ以外はバカだ」と決めつける事なのだ。従って、その最後の砦を失う事は自らのアイデンティティーを守る為には絶対に許されない。故に、それを否定されると一気に爆発する、いわゆる「キレる」状態になるのである。 この問題は奥が深いが、人間の本能などは昔から変わらん物なので、何故、近代社会になってこうも問題になってきているのかを考える必要があるだろう。端的に言って、差別用語だの何だのといわゆる「汚い言葉」を禁止している事が後押ししているのは間違いないと思われる。誰だってムカつく事はあるのである。その時、いわゆる独り言として「あの○○○○野郎、ブッ殺してやる」などとつぶやく事が、こうしたストレスを発散させる【安全弁】として働く。そうやって言い放つ事で随分気分が楽になるのは、誰もが経験しているだろう。そういう言葉は大抵差別的表現であるので、いわゆる言葉刈り以後の世代だと単語そのものをちゃんと知らない可能性が高い。そうなると、独り言で発散する事が出来なくなる。訳分からないが面白くないとなると、あとは赤ん坊と同じである。泣きわめく、即ち暴力沙汰に及ぶ事しか出来なくなるのだ。こうして見て来ると用語を禁止すればいいとか、イジメを罰すればいい、という単純思考が、むしろ逆に事態を悪化させているのが分かる。無論、推奨しろとは言わないが人間は神ではない。面白く無いとムカつく事はあるのである。それを吐き出す為に悪い言葉は必要なのだ。相手に面と向かって言ってはならないだけであろう。 さて、かような話を持ち出したのは他でもない。実はFACTAの最新号を読んだところ、こんな記事が出ていた。「ざわめくポスト安倍」というもので、スキャンダルが相次いでいるというのに、安倍総理は何故平然としていられるのか、という内容だ。そこには小泉式開き直りとは少し違う「軽く見られるのが自分の強みだ」という安倍ならではの開き直りがあるのだそうだ。『生まれはピカイチでも学業はさっぱりで、親も期待しなかったのに自分勝手に政治家一族の使命感を抱き、さして努力もせずに首相にまで上り詰めてしまった】(記事より)安倍は、週末は夫人と出かけて映画を楽しんだり、夜間も二人で外出するなど、一国の宰相としての自覚すらあまり感じられないという。その頭の中にあるのは、美しい日本ではなく、憲法を改正するという偏執狂的な一点思考だけである。安倍は憲法を改正する理由を聞かれると「米国の押しつけではなく日本人自身で作り直すべき」と答えるそうだ。要するに、動機は憲法そのものの善し悪しではないのである。全ての安倍の思考はその一点に集中しているから、閣僚の不祥事などはこの大きな(と自分では思いこんでいる)目標に比べれば、「獅子が獲物を追う時に気になどしてられない」小物であるという事なのだろう。 で、ここまで記事を読んだ時に、表題の「俺以外はバカ」に思い当たったという次第である。憲法を改正すれば自分の名声は不変になる、という表立った主張は流石に馬鹿にされるだろう。だから「アメリカから押しつけられた」という正義の御旗を振りかざすのである。当然ながら、それを理解出来ない奴はバカなのだ。そして、当人にとってはそれが否定される事など絶対に許されない故に、他の事象など考えられないのだとするなら、安倍総理の言動を説明できそうな気がするのであるが。 |
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三角合併 20日放送のパックイン・ジャーナルを見るまですっかり忘れていたが、今年の春にこの三角合併が解禁される。簡単に説明しよう。まず日本では国内企業に限って株式交換による企業買収が1999年に認められた。ある会社Aが会社Bを乗っ取りたい時、普通は金で株を買い占めて株式Bの過半数を支配するが、現金ではなく会社Aが自社株を使ってそれをやってもいいという物で、株式で株式を買う事から株式交換と言う。企業再編を加速するというのが名目だった。で、今年の春からは海外の会社Aが国内に100%子会社Bを作り、Bを経由してAの株式を使い会社Cに対して株式交換をする事が可能になるのだ。すぐわかるように、今までは外資が日本の会社を買収するのは色々な意味で困難であったのが、これで非常に容易になるのである。 ここで思いつくのが郵政の民営化である。民間会社になった郵政公社を外国資本が買い占める道筋が出来るのだ。その他、例えば優れた技術を持つ大小様々な会社も当然ながら含まれる。企業が従業員の給料は抑えながら、株主に対する優待を進めている背景にはこの理由もある。ただし、役員の給料が倍増している事の説明にはならないが。 この流れ、昨日も書いたように欧米企業の世界支配に向けたステップの一環であろう。既に途上国では構造改革をやれと強制し、国有企業を民間会社にさせてそれを欧米資本が順次支配するという構図が確定している。途上国の国有企業とは大抵は石油や鉱物資源を扱うものであるから、これは欧米先進国が絡め手で途上国から資源を吸い上げるメカニズムとも言えるのである。先日、NHKがBS-1で放送していたドキュメンタリー「EU農業が途上国を圧迫する」によると、EUはEU内農業に莫大な補助金を出している。農民は喜んで農作物を作るのだが、できすぎて余ってしまいそれを廃棄すると非難を浴びるので、今度は輸出に補助金を付けて法外な安さで主に途上国などに押しつけている。途上国では欧米からの安い酪農製品がなだれ込んで来るので、今度は国内の農産業が壊滅的打撃を受ける。途上国がそれではと、輸入に対して関税をかけようとすると、欧米はタッグを組んで「自由貿易の精神に反する」と理屈を付け、国際融資を止めると言って脅しをかけるのだそうだ。途上国は関税をかける事も出来ず、国の負債を欧米に返済しないといけないから結局は名実ともに支配されていく。現代版の植民地化政策である。 この話は日本でも無縁ではない。酪農製品には乳製品も含まれる。乳製品とはミルクやアイスクリームの事ばかりではない。ビスケットなど菓子類には乳製品が豊富に使われているが、店頭に並んでいる海外メーカの安い菓子類はそうした補助金で安く輸出されている乳製品が使われているのである。これが日本であろうと国内の酪農業を圧迫するのは同じである。欧米は自由貿易だの構造改革だのという大義名分を振りかざし、途上国だけではなく日本にも支配の手を伸ばしてきているのだ。先日、サラリーマンの残業代をカットする法案が非難を浴びたが、実はあれは長年に渡って導入するようにアメリカが圧力をかけてきている問題である。アメリカでは残業代割増率は5割だそうだが、日本に進出するに当たって日本の社員が就業時間後にも会社の為にグループワークをしたりするのを見て、これではまずいと思ったらしい。金の問題というより、日本企業の競争力はこうした社員の愛社精神が下支えをしていると分析したのである。これを潰さないと日本企業を叩けない。 かくして、労働者派遣法の適用範囲を拡げさせて正社員以外の比率を増すようにし向けたり、労組の弱体化を図ったりしてアメリカを中心とした欧米は、日本の企業競争力を削ぐように着々と手を打って来たのである。サラリーマンが残業などしないようにし向けるのもその一つであり、その手段が残業代カットの法案だった。どういう理屈を付けたのか知らないが、世界標準ではないとか何とか並べたのであろう。今、そこに三角合併を認めさせる事に成功したのである。これで欧米の資本がなだれを打って日本に入り込んで来るだろう。日本の労働者を安く使う事も出来る。国民が搾取に気づいても、いわゆる「勝ち組」の連中だけをリベートという甘いアメで飼い慣らし、日本を支配させておけばいい。ベネズエラのチャベス政権が真っ先に標的とし、国内からアメリカに逃げ出して反チャベス勢力となっているのはアメリカの石油資本に利権を渡してリベートを受け取り、国民が貧困に喘いでいても私腹を肥やしてきた連中だが、同じ階層が日本にも生まれようとしているのである。もっとも、地上波テレビを抑えておけば国民世論なんてどうにでもなるし、ネットの邪魔な掲示板は誹謗中傷騒ぎを起こさせて潰せばよいから、いずれはそんな「勝ち組」も使い捨てにされるかもしれない。 安倍総理が先に成立を指示した共謀罪も欧米にやるよう命じられているものだ。以前も書いたが共謀罪は「犯罪の話をしただけで逮捕出来る」という人権無視の法律であり、これさえあれば支配階層の欧米資本は安泰となるからだろう。勿論、表向きの建前は「対テロ」だ。出来てしまえば適用範囲など幾らでも拡げられる。国連で決まったから日本でも法律にしなくてはいけない、などと政府は言うが、アメリカなどは国連歳費も納めていないし、CTBTだって批准してない。別に国連で決まったからといって、正当化する根拠になどならないのだ。なお、安倍総理の唱える日本版NSCは茶番であろう。朝日新聞にも生煮えと書かれた通り、中身を見てみると熟考したものとは到底思えないからだ。こんなものをアメリカがやれと言って来る訳がない。その違いは歴然としている。まったく、こんな政権ではアメリカの唯々諾々になるのも頷けるというものである。 |
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ぼんぼんの答案 安倍総理は次期選挙のスローガンを「憲法改正」に決めたようだ。美しい日本とかいうのは引っ込めたのだろうか。言うまでもなく憲法改正が何故必要かも説明出来ていないし、何を変えるのかも説明していないので、要するに小泉流の「改革か停滞か」の向こうを張ったというところであろう。残念ながらこういうものは、提唱者の人間性で効力を発揮するかどうかが決まる。ヒトラーの演説を真似たからと言って、誰もが独裁者になれる訳ではない。小泉流劇場政治はあの首相の個性があったからこそ可能だったのであり、田中角栄流金権政治システムが彼の個性なくしては維持できなかったのと同じである。 選挙を控え、安倍政権は何とか注目度を上げようとなりふり構わずにメディア露出を演出している。今、せっせとやっているのが有名人を総理官邸に招く事だ。ウィル・スミスに続いて昨日呼んだのが木村佳乃。遠藤周作もエッセイに書いているが、モテない男が金と権力にモノを言わせてモテる風を演出する事ほどみっともないものはない。好感度どころか失笑度を上げるだけだ。 これまでの所、安倍政権は国民をあらゆる方策で縛る方向に政策を進めている。本欄で何度も指摘してきたように憲法改正は表向き基本的人権をいじらない風にしてあるが、実際には軍事法廷を作るのだし、次の改正条件が国会の過半数の賛成という具合に(今の憲法では2/3)なっていて、これさえ通れば何時でもスイッチを入れる用意が出来るのだ。サラリーマンから残業代を取上げて企業に更に利益を与えようとしたのは失敗したが、情報通信省を作って全メディアを統制しようという話はまだこけていない。情報通信省は放送から通信まで全てを管轄し、その真の狙いが通信のチェックとNHKの掌握にある事は見え見えだ。今は憲法があるから個人通信を勝手に覗いたとバレたら問題になる。だが、既に盗聴法(通信傍受法)は発効しているし、国民保護法という名の個人の権利を国家が制限出来る法律も施行されている。どちらにも「憲法に反しない範囲で」と記述があるので、憲法さえ変更し、人権の部分を多少曖昧な表現にしてしまえば、あとは拡大解釈で幾らでも使い道が増える事になるのだ。それにしても、国民保護法とは良くぞ名付けたものである。読んでみれば分かるように、非常事態を宣言すれば軍が勝手に個人の敷地を占有できるような代物だからだ。法案提出の時は対テロを強調していたが、反政府運動に対しても同じように使えるのだ。政権保護法であろう。 構造改革の名の下に、小泉政権に続いて衆院の圧倒的多数議席にモノを言わせて安倍政権も多くの法律を成立させてきた。だが、それらの中に国民の福祉向上を唱える物が一つでもあったであろうか。年金、医療費などは掛け金増しの受領額減少だし、税金に関して言えば各種控除を撤廃した実質的な大増税、防衛庁は省に昇格させ、更に企業法人税引き下げ、サラリーマン残業代カット、ゼロ金利政策維持、イラク特措法延長などと続いている。このバックには「構造改革」というお題目がある訳だが、実はこうして構造改革をしろと言ってきているのは、欧米の国々だ。日本だけではなく、アフリカ諸国など多くの国が構造改革を迫られ、民主国家を作れという名の下にそれまで国有企業としていた国家中心産業の「民営化」を強制されている。民営化すると、実は欧米資本が次第にそれを乗っ取るのだ。こうしてその国にある資源を欧米の国家が奪うという構図が出来上がる。日本の郵政民営化も、700兆円という国民の貯金に海外から手をつけられる道筋を用意したのに等しい。欧米がベネズエラのチャベス政権を独裁者と非難するのは、チャベスがこうした「要求」を飲まないからであろう。 こうして見て来ると、安倍総理本人が本当に日本を滅茶滅茶にしたいと思っているようにも見えてくるのだが、人物像から考えてそこまで深謀遠慮とは思えない。となると、世の中を知らぬ金持ちのぼんぼん息子が、机上の空論だけを引用して、教師(こいつらが本当の黒幕だが)に喜んでもらえるような答案用紙をせっせと書いているというあたりが正解となろう。勿論、実際には空論などではなく火の粉を浴びるのは国民なのだが。 |
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スケープゴート 昨年大晦日に行われたK−1のメインで秋山選手がスキンクリームを塗っていた問題につき、K−1側は秋山に対して事実上のK−1からの永久追放という処分を発表した。発表会場が一瞬静まりかえったというから、誰の耳にも極めて厳しい処分だと聞こえたのであろう。確かに故意か否かは別として、クリーム塗布はまずかった。だが、いわゆるドーピングと同じで選手がどこまで意識していたかは何とも言えない。確かなのは、桜庭選手からのアピールに対しても、また、事前チェックに関してもK−1側はそれを事実上認識出来なかった事だろう。確かに審判らに対しての罰金は課された。だが、統括者に対する責任問題は全く述べられていない。K−1というシステムそのものに欠陥があるとするなら、審判の罰金だけで済む話ではあるまい。 この裏に、ドル箱であるK−1を何とかしなくてはいけないという、スポンサーやテレビ局あたりからの圧力があったのではないかと想像する事はたやすい。秋山選手に事実上釈明のチャンスが無いのを良いことに、すべてそちらに罪をなすりつける事で事態打開を図ったと見られても、K−1側に反証は可能であろうか。K−1は国内視聴率を稼ぐだけではなく、今や世界各地で興行をしており、動く金はハンパではない。一選手を葬る事で全体が救えるなら、関係者は紛れもなくその道を選ぶであろう。 本欄ではこれまで、K−1に代表される総合格闘技を決して高くは評価して来なかった。なんと言っても、あのド派手な演出が辛口子には気に入らない。昔から巧言令色少なし仁と言う。これ見よがしに美辞麗句を並べる奴は、必ず腹に一物あるものだ。特に最近のK−1には茶番めいた話題作り優先のマッチメークが目立つ。曙を勝たせる為に既に引退していた筈の角田信朗を当てたり、(素人のオロゴンにまで負けるとは計算外だっただろうが)、チェ・ホンマンにそのオロゴンを当てたりするのは、お世辞にも格闘技のマッチメークではあるまい。明らかに低次元な話題作りの為の試合である。辛口子はスカパーで放送された大晦日のPRIDEを見てみたが、こちらの方が遙かにしっかりしたマッチメークと、中身の濃い試合をやっていた。PRIDEは暴力団とのつながりを理由に民放が放送を蹴ったが、実は民放の言う通りのマッチメークを断ったからではないかと勘ぐりたくもなる。 さて、この問題の決着がこれで済むかどうかは何とも言えないが、このスキンクリーム騒動は秋山個人やK−1事務局ばかりか放送局からスポンサー企業にまで誹謗中傷のメールなどが流れ、果ては事実無根の根も葉もない噂までが取り沙汰されているという。K−1側が慌てたように厳しい処分を打ち出したのは、このたまらん非難を早く収めたいという思惑もあったと言われる。だが、辛口子はここに別の一面を見る思いがする。それは、かような誹謗中傷を行ったり、嘘八百を流したりするような精神年齢が、K−1の視聴率を底支えしているということだ。視聴率第一主義でアホでも何でもいいから集めた方が勝ち、というのが今の民放である。その結果集まった単細胞の群れが予想外の行動を起こし始めた。だからと言って視聴率万能主義は宗教の教義のように絶対不可侵であって、これを見直す事は自らの否定につながる。となると自らの保身を図り、問題を解決する一番てっとり早い方法としては、スケープゴートを吊し上げ、関心をそちらに向けさせることしかなくなったのではないか、ということである。 |
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貧乏クジを引いたのは? 今の地上波アナログTV放送の終了まであと4年半ちょいに迫った。この期日、2011年7月24日が決まったいきさつについては、以前、本欄で述べた事がある。ご存じない方の為に概要を説明すると、
さて、話を戻して、この新たに未使用となるアナログテレビのVHF領域。いざこれが明確になると、あちこちから「私の方で使いたい」という申し出が総務省に殺到するようになった。防災無線、警察からモバイル関連までが続々と名乗りを上げ、そこの仮使用が決まっていたデジタルラジオが追い出されそうな勢いとなっている。この裏には、電波という利権を手放したくない今の民放業界が暗躍しているという話もあるが、とにもかくにもこれで明らかになったのは、携帯業界への割当てなど夢のまた夢となってしまった事である。 かくして、携帯業界は新たなコンテンツを求め、テレビ局に出資したりしてワンセグに飛びついた、という事情があって、昨日の本欄のような地デジ新モデルのオンパレートとなったという裏があるのだが、いずれにしろ取らぬ狸の皮算用になったのは間違いない。しかしながら、携帯電話業界が被った損失などとは比べものにならない負担を強制されるのが、最初から最後まで蚊帳の外に置かれている消費者であるのは言うまでもない。アンテナからビデオ、或いは受像器まで全て更新するとして、非常に安く見積もって20万円とし、それに2500万世帯を掛けると5兆円という金額が弾き出される。間違いない。地上波デジタル強制の真相はここにある。 |
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軽薄端末 NTTドコモとKDDIが携帯電話の新ラインナップを発表したが、携帯業界の閉塞感を象徴するような品揃えになったようだ。一応、目玉としては「薄くした」「液晶を良くした」「地デジ対応の増加」というところだろうか。あとは着うた、ラジオ、音楽再生などが並び、どこぞのデザイナがデザインしただとか、液晶を二枚使っただとかが並ぶ。この能書きを見て感じる事は、「通信回線とは無関係な話」ばかりが並んでいるという点だろう。まあ着うたは関係してないとは言えないが、以前からあるものであって目新しさはない。 ここで何を言いたいのかというと、標準HTMLに対応したフルブラウザが全く出て来ない事を指しているのだ。「高画質にこだわった」「3インチワイド液晶」などと言ってるのだから、任天堂のDSですら可能なOpera位搭載出来ない理由はあるまい。辛口子がこれにこだわる理由は一つである。KDDIのEZ-WebやNTTドコモのi-modeが全く使い物にならないからだ。例えば、どこかの街で友人と会い、ちょっと美味しい物でも食べたいが、確かこの近くに○○料理の店があったな、というような時、携帯を開いてその店を簡単に探せるかというと、はっきり言ってNOなのである。こうした場合、最も有用なアプローチはどこかのパソコンショップに入り、ネットに繋がっているデモ機の前に行って、ブラウザを起動して検索をかける事だ。情報が見つかったら、それを携帯のカメラで撮影して店に向かう。辛口子の経験ではこれが最も効率の良い確実な手段である。 占いだのセクシーだのという下らないコンテンツばかりが並び、実用的なものは限られているのがお仕着せコンテンツの特徴であるが、KDDIもドコモもまさにその見本のような品揃えである。だからフルブラウザさえ搭載したら、その機種は紛れもなく人気機種となり(W-ZEROが証明している)、通信料も稼げるだろうに何故そうしないのか。答は社内の勢力バランスにあるに相違ない。i-modeに代表される携帯コンテンツは、一時期盛んに持てはやされた。だから今でも大きな顔をしていて、その領分を侵すような仕掛けを許さないのだ。言い換えれば、自分のメンツを立てる為には、携帯業界が頭打ちになろうが、会社の利益が激減しようが知った事ではないという事である。これを当人は愛社精神だと思っているのだろう。 辛口子は今でもi-modeなど全く評価していない。あんな代物が登場したお陰で、携帯は情報端末として100倍も実用性を無くしたと思っている。開発者をIT時代の先駆者とばかりにせっせと持ち上げた軽薄メディアにも責任の一端はあるが、当然ながら連中はそんな事などとっくに忘れているに違いない。アップルが発表したiPhone。その目玉の一つは完璧なまでのInternetとの接続性だ。携帯を電話ではなく情報端末として考えるなら当たり前の発想なのだが、日本でその機能を生かせる可能性は少ない。 地デジなど、電力を食うだけで全く意味などない。高々1時間ちょいしか視聴できず、電池が切れたら電話も使えなくなる。テレビを見たければ別に用意すべきである。どうせ軽くて小さいのが特徴なのだ。しかもユーザが幾らテレビを見ても携帯キャリア会社には1円も入らないのである。かような馬鹿げたものしか発表出来ない携帯電話業界。再編どころか一度ご破算にして出直し、GSMでも導入した方が長期的に見てモトが取れるのではないか、とすら思うが政治家は「情報通信省」の提唱などするばかりで、技術音痴ぶりをさらけ出すと同時に利権しか頭にない事を見せつけるだけだ。 |
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水俣病は終わらない 水俣病とは、有機水銀による食物を経由した毒物中毒であり、今でも苦しんでいる人が大勢いる。熊本県と新潟県で類似の事件が発生しており、単に水俣病と言った場合は熊本のものを指す。加害者は日本チッソ(新日本窒素肥料)。企業サポーターは国と地方行政である。昭和62年(1987年)に熊本地方裁判所で国の責任を厳しく指摘する当時としては画期的な判決が出された。以来、国の責任が明確になっているにも関わらず、国は水俣病患者の認定基準を変えようとせず、今も補償を求める患者は数千人と言われる。遂に昨年、この怠慢行政に対する訴訟が新たに起こされた。 この背景にあるのは、国(或いは日本伝統)にとって国民の命などどうでもいいという行政姿勢である。かの零戦が高性能を発揮できたのは、実は操縦席を保護する鉄板を使っておらず、ベニヤ板だったので軽かったからだという話があるが(だから後に相手戦闘機が進歩して接近戦を挑まれると熟練パイロットが次々と失われた)、当時より人命軽視の姿勢は一貫しているのである。水俣病の症状が明確に報告され始めたのは、1953年に遡る。1959年になると熊本大学が有機水銀原因説を提唱、これでチッソ工場が原因であるという容疑が濃厚になるも、国はお茶を濁して問題を先送りにする。この背後には、日本化学工業会などの強硬な反対があった。 チッソ工場が何を作っていたかというと、工業用のアセトアルデヒドである。それを作る過程で廃液に有機水銀が出てくるのだ。それを海に垂れ流しにし、それが八代海(不知火海)で蓄積し、そこで漁をして魚を食べた人達が中毒に追い込まれたのである。アセトアルデヒドは様々な化学製品を作る為に重要な物質であり、当時の日本産業界はこの製造を中止させる事を嫌がり、行政はそちらを優先させたのである。1968年、チッソは石油化学工場を千葉に移転、水銀を使う行程が熊本工場では不要になったが、その途端、行政は9年間も無視し続けてきた熊本大の仮説を受入れ、工場排水が原因だったと認めたのだ。非常に分かりやすいタイミングであった。 ただし、原因を認めても行政は責任問題についてはあらゆる三百代言を弄して拒否し続けた。酷いのになると、「学者が認定している水俣病と、国が考えている水俣病は違うのだ」とまで言い放ったのである。それに対して「NO」を明確に指摘したのが1987年の判決だったのだ。その裁判で裁判長をした相良甲子彦(きしひこ)氏がマスコミ取材に応じ、当時の事情を色々と語った番組が13日深夜、フジTVで放送されていた(断罪の核心〜元裁判長が語る水俣病事件)。彼は熊本地裁で判決を出したあと、東京へ戻る通常の人事ではなく岡山に飛ばされ、その後も東京に赴任する事なく現在は退官して弁護士として活動している。番組中では判決を出した当時、判決文の印刷を自前でやったという話まで披露されていた。印刷所(当時、刑務所内の印刷所に委託するのが普通だった)から国に内容が洩れるのを恐れたためだった。それ程までに圧力を感じていたのだろう。 ところで、熊本チッソが廃液の中に出していたのは殆どが無機水銀であって、有機水銀もあるにはあったが微量だった。それが何故中毒を起こすまで増えたのかが長年の間謎とされてきたが、何と21世紀になって仕掛けが明らかになっている。1950年、チッソは化学行程の触媒を変更、不要になった古い触媒(二酸化マンガン、これは無害)を海に投棄した。それが触媒として作用、海中で無機水銀を有機水銀へとせっせと転換していたのだそうだ。これが今になるまで分からなかったのは何故かというと、研究機関でこの申請をするとその研究室の全研究費申請が却下されるというタブーがあったからだといわれている。国はあらゆる方策を万辺なく手を打っていたのだ。 水俣病の症状は悲惨を極める。神経がやられるので症状の重い患者は自分の意志で身体を動かす事も出来なくなり、身体は勝手に震えが止まらず暴れながら死を迎える。胎児にも作用してしまうので、生まれながら神経障害を持つ子供も大勢生まれた。日本国憲法には「すべての国民は個人として尊重される。生命、自由及び(中略)立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする(13条)」とあるが、国のこうした施策は明らかにこの憲法の精神に反するものだろう。ただし、国のこうした行政姿勢を説明する一つの仮説が可能である。それは、役人や日本化学工業会の連中は国民だが、熊本の田舎で漁をしているようなのは国民ではない、という思い上がったエリート意識だ。それが今に至るも脈々と受け継がれている事は、昨今のどの新聞をめくっても思い当たる記事を見る事が出来よう。安倍政権は憲法改正を至上命題としている。今の憲法の精神すら踏みにじる連中に改正を云々言う資格があるか。考えてみるまでもないであろう。 |
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賞味期限 コンビニのローソンで、一部の寿司に賞味期限の切れたショウユが使われていたという報道、これが結構大きい記事になっている。しかし、先日不二家が行った牛乳の不正使用は「消費」期限切れであって「賞味」期限切れではなかった事は、あまり大きくは強調されていない。この二つ、文字上の違いより遙かに大きいのであって、極論すれば腐った牛乳を使っても消費期限切れなのであり不二家の不祥事はローソンよりも桁違いにたちが悪い。まさに、不二家が社内文書で社員に念を押したように、明るみに出たら会社存続に関わる大惨事になる話なのだ。マスコミはもっとここを突くべきだろう。 ところで、この社内文書。実はワープロで印字したメモのようなものではなく、れっきとした印刷物だったという(パックイン・ジャーナルより)。つまり一担当者の勇み足とかではなく、上層部が一致団結してのほおかむりを図った訳である。どうやら不二家という会社そのものが、賞味期限切れどころか消費期限切れのようだ。 |
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袋小路 国内の次世代ゲーム機市場、プレステ3とXbox360がどちらも初戦で任天堂に大負けしたようである。PS3は発売初日、確かに行列は出来たようだが、数日経つと中古買い取りの価格が出なくなった事から(つまり買い取る気はないという意味)、マニアの間では既に人気頭打ちであるとバレバレであった。XboxもPS3も能書きはグラフィックスと高精細画面であって、本欄でも指摘してきたとおり、何とかの一つ覚えである。販売の売れ行きが悪い時、関係者の口にする常套句として「まだソフトが少ない」てのがあるものだが、今回もその例に洩れずソニーはそんな事を言ってるようだ。しかし任天堂のWiiが最初から潤沢なソフトを用意していたのかといえば、全くそんな事はないのである。発売時に出ていたものはゼルダの伝説を別にして特にキラー的なものはなく、目玉的なラインアップは2007年から発売予定であったし、Wii本体も買ってからネットに繋ぐとファームがアップデートされていくような状態で、言わば未完成感がかなりあるものであったからだ。 にも関わらずこの差が出来たのは、無論定価の問題も大きいとは思うが、何よりもWiiが「ゲーム機」としてのコンセプトを明確にしていたからだろう。PS3もXboxも名前こそゲーム機と言っているが、スペックやアーキテクチャを見るとPCそのものだ。レンダリング性能とゲームの面白さとの間に決定的な関係などはない。キャラの毛が風になびくとか、水たまりの飛沫が上がるかどうかなど、プレイヤーにとっては殆ど意味などないのである。あるとすれば、観客にとってであろう。この点については、結構勘違いしている論者が多い。あの立花隆氏ですら、氏のブログ(第92回)でこのPS3の計算性能を絶賛しており、爆発でモノが壊れる時に毎回きちっと物理法則を計算して破片が違う具合に飛ぶ事を例にあげたりしているが、こんなものは幾通りかのパターンを用意しておき、それをランダムに出したってゲームとしてならリアリティには全く影響しないものだ。この点でゲームと物理シミュレーションを混同しているのである。 Wiiは紛れもなくPCとは異なる。メディアでは面白いデザインのコントローラばかりが取上げられるが、実際に買ってみるとネットワークとの連動などで非常に面白いまとめ方をしてあるのが良く分かるだろう。似顔絵を作る機能があって、それを使いチャットやメールに生かすなど、つまり「遊び心が満載」でありながらそれをうまくまとめているのである。これは携帯器のDSでも似た部分があって、単に動画が映りますという安直な機能拡張だけをしているPSPとは根本的に発想が違う。Wiiは今年後半にDVD再生機能が付くらしいが、そんな物は無くても売れ行きは快調に推移するだろう。逆に言うならPS2はDVD再生機能で売れていたのではないのか。 さて、単なる性能向上が次の消費を起こす訳ではない事をはっきり見せつけた次世代ゲーム機事情だが、昨今、似たような話が目につくようになってきた。関係者とメディアは普及に躍起だが、地上波デジタルの正真正銘の普及率は遅々たるものであろう。携帯電話も幾ら動画機能を追加したところで、使われるメールは写メールがせいぜいだ。思い起こすに2003年の10月にコンコルドが27年間のフライトを終息した時、それを惜しむ声は決して大きくはなかったのがどこか象徴的に感じる。 コンコルドはご存じのとおり、マッハ2で飛ぶ世界最速の航空機である(あった、と言うべきだが)。実は軍用機を含めても世界最高速で、戦闘機はアフターバーナーで瞬間的にマッハ2.2を出せても巡航速度は2に及ばない。かつてはSR-71というマッハ3のモンスターがいたが、とっくに引退している。コンコルドはロンドンとニューヨークを3時間で結び、その速度は地球の自転速度を上回り、日食観測の時に月の影を追いかけて観測時間を大幅に伸ばした事もある。その一方でハイコストも世界一だ。ロンドン・ニューヨークの往復で搭乗費用は一人で1万数千ドル。日本発の豪華欧州旅行を1週間やっても、これより遙かに安く上がる。それに見合う為かコンコルド搭乗は豪華極まりなく、出発待ちは専用ラウンジが用意されバーもあれば食事も取れる。機内でもサービスは超一流で、出てくる食事も飲み物も世界の一級品だ。つまり、今で言うセレブ感覚満点なのである。 にも関わらず、定期航路はロンドン、パリ、ニューヨークの限られた区間だけで、騒音問題、衝撃波、運賃などがネックになってそれ以上には普及しなかった。限られた航路だけを飛んでいるから、実は乗客も殆どが常連ばかりで、たまに観光客が紛れ込むというようなものだったそうだ。つまり、一部の熱狂的な「コンコルド友の会」が支えていたことになる。コンコルド引退を惜しむ声はこうした層から主に出ているようだが、結局は「オレは誰よりも速く飛んでるんだぜ」という自己満足で、単刀直入に言うなら【何とかと煙は高い所に上がりたがる】というのと同じだ。客層がこれだけでは大きな市場になる筈もなく、次世代を開発する意義も薄れよう。現在、プランだけはあるそうだが、実現の見通しは全く立っていないという。SFにでも出て来そうな、反重力推進装置でも登場しない限り、ネガティブ問題は必ず繰り返されるだろう。 近代史を遡ると、多くの新技術が登場して普及してきたが、それらはただ新しいから普及した訳ではない。技術面だけを考えていると見逃しがちになるが、それらが普及する為には「経済的に割が合う」という絶対的な条件が必須だったのだ。電信にしろ電話にしろ、自動車にしろテレビにしろ、それらが普及すると社会には大きな経済的効果があり、個人にも価格に見合う大きなメリットがあったからこそ普及したのである。コンコルドが広く普及しなかったのも、経済的に釣り合わなかったからだ。何とか27年間飛び続けたのは、殆どイギリスとフランスの意地だったようなものである。ここで話を最初に戻すならば、PS3が受入れられないのは、価格に見合う中身が無いからに他ならない。単に画像が綺麗なだけではゲームの面白さには繋がらず、ゲーム以外に能が無い以上、ビジネスモデルとしても問題があるのだ。ここに、技術屋集団のソニーと、元祖オモチャ屋である任天堂との差が出ている。客が何を求めているかを知っているかどうかなのだ。同じ理屈を考えた時、地上デジタルがどうであるか。国家権力を振り回して、「法律でアナログ終了は決まってます」などと本末転倒の理屈を繰り返さなくてはならないのは何故か。改めて考えてみるまでもあるまい。 |
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残業代 厚生労働省と経団連がタッグを組んで実現しようと画策している、ホワイトカラー・エクゼンプション。耳慣れない単語を使う事そのものが、胡散くささを見事に表している。そもそもは、事務職(ホワイトカラー)の残業代を無くしてしまおうというのが出発点。批判が強まると、今度は年収400万以上(大抵当てはまるんじゃないのか)という条件を付け、更に旗色が悪くなると850万という具合に言う事がくるくる変わる。よほど後ろめたさがあるらしい。そんなに正論なら堂々と首尾一貫して主張したらどうだ。 この経団連の会長をしているのがキヤノンの御手洗氏であって、ご存じのとおりキヤノンと言えばあの偽装請負で奴隷まがいの労働力を使い、好業績を上げている企業だから、さらに輪をかけてキナ臭い。恐らく人件費を削減すると、これだけおトクですよというのを学習したのであろう。 ところで、残業は欧米では基本的に御法度である。忙しいのはトップの方で、彼らは高報酬をとやかく言われるが、それこそ24時間闘っているのが普通である。無論、エンロンのような怪しい会社の事までは分からないが、一般論としてはそんなところだ。日本での問題は、残業代が事実上生活費として不可欠なものとなっている点で、基本給の低さを補っているところにある。確かに業務時間が長い事が仕事をしているのと必ずしもイコールではない。要領の悪い仕事の遅い奴が高い金を得るという問題はある。しかし、現実はリストラによって一人当たりの仕事時間は増える一方であり、現実に過労死が問題となっている中、かようなシステムを導入するというのなら、まず仕事量の適正化を確約し、しかも残業代に頼らなくても生活できる賃金水準を実現するのが先決というものだろう。 日本企業は欧米からとやかく言われながらも、日本独自の安定したシステムを作って来た。社員は決してウルトラ高収入ではない代わりに安定雇用を受け、それによって技能の継承を含めた様々な強みを日本は発揮してきたのである。今、経団連に集まっているいわゆる「勝ち組企業」たちは、幾ら会社が稼ぐかにばかり頭が行っているようだ。従業員の給料を削り、偽装請負を使ってまで人件費を削減した上に、法人税の引き下げまで要求している。従業員の給料は抑える一方、会社トップの給料は小泉政権時代に倍にもなっているという指摘もある。要するに、アメリカ型経営の悪い面ばかりがはびこっているのだ。これが阿部総理の言う「美しい日本」だと言うのだろうか。 |
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始まった電子マネーの破綻 ここで何時も取上げている、FACTAを読んでいる方ならご存じのとおり、買い物携帯などに使われているソニーの非接触IC技術に使われている暗号メカニズム(Felica)が遂に破られたと最新号に出ている。ただ、破られたと言っても現実に被害が出ている訳ではない。暗号解析に通じたある研究者がモノは試しにトライしたところ、あっという間に中身が読み取れ、しかも改変すら容易だったというものだ。ソニーはそういう事実をひた隠しにし、素知らぬ顔で第二世代のFelicaを昨年暮れに堂々と発表した。だが、市場には既にJRのSUICAやら携帯やらで億に近いデバイスが出回っている。それらをどうするのかについて、ソニーはコメントなどしてはいない。 さて、ソニーとは違うがNTT系の電子マネー(コンビニでIDを購入し、そのIDでネットなどの買い物が出来る仕掛け)が実は昨年の6月にクラックされており、IDが不正使用されたという事実が既にある。そのクラックの経路を調べたら中国と米国のサーバを経由していたという発表が、今年になってから新聞に出ていた(日経IT)。調べるのに半年もかかったというのも問題だが、その間に不正使用で請求された金額は判明しているだけで400万円を越えている。警察は組織的な犯罪の可能性があると見たらしいが、半年かけて分かるのはそんな程度の事だという見方も出来る。 ここでユーザにとってのセキュリティの「キモ」を伝授しよう。いわゆるセキュリティには色々な側面があるが、技術論はさておき基本的に念頭に置いておかなくてはならない事は、「レシートの出ないレジは信用するな」(残金の分からないサイフと言っても良い)に尽きる。SUICAは確かに便利だが、間違いなく当該金額が引き落とされているかどうかなど確かめようがない。例えば、JRに悪意があって各人の請求額に密かに10円を上乗せしていたらどうなるか。JRには莫大な「お小遣い」が転がり込むだろう。ユーザが請求額がやけに多いと思っても、レシートが無かったら苦情の申し立てようがない。レシートをこまめに誰もがとっておく筈はないが、中には集めている客がいるかもしれない、と発行側に思わせる事がセキュリティに対する大きな心理的バリヤになるのだ。最後に証拠となるのは紙である。それは昔も今も不変であり、それを回避しているシステムは、要するに「胡散(うさん)臭い」事を自らアピールしているに等しい。その点から解釈するなら、いわゆる電子マネーと言われるものは全て問題と言うべきなのである。あなたの名前が勝手に使われ、覚えの無い請求が来た時に、どう文句を言っても相手にされない。それが今の電子マネーである。つまり、消費者の為のシステムではないという事だ。そんなものを進歩などと言ってはならない。 |
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内政問題だそうな フセイン大統領処刑について、イラクのマリキ首相は「これは内政問題。批判する国は関係を見直す」と警告。ほう、それではさっそくアメリカとの関係でも見直してもらいたいものだ。そもそも自らクーデターでも起こしたならともかく、フセイン政権を崩壊させたのはアメリカ軍であり、この一点だけで内政問題ではない事は明白である。フセイン元大統領が法廷で主張したように、法的にはまだ大統領だったという解釈も可能である。そうならマリキこそ他国の侵略に便乗した反逆者である。 ハーグに国際司法裁判所があるが、ミロシェビッチの自殺などで当初の目論見は外れ、残るセルビア戦犯の裁判も一向に進まず、その影は薄くなる一方だ。フセイン元大統領の裁判も、国際問題にすると「ハーグでやれ」という声が出かねないので、一番てっとり早く判決が出そうな国内罪状のみを起訴、あとの問題は棚上げにしてさっさと死刑を執行した。一国の指導者を裁くというのは、いわゆる戦犯裁判を含め難しい問題があるが、それにしても不条理さを拭いきれない。まあ、日本の司法制度にしたところで不条理だらけなのだから、国際問題ともなれば複雑怪奇さにも輪がかかるのであろう。 なお、イラク情勢だが一層混迷を深めるに違いない。ルーマニアのチャウシェスクとは事情が違う。フセイン派が弔い合戦に出るのは必然であろう。火を点けたアメリカはイラクの統制を棚に上げ、さっさと他の所に食指を動かしたようだ。映画「ブラックホークダウンの真実」でも描かれたように、イラクの前、アメリカはソマリアに上陸、ものの見事に反撃を食らって這々の体(ほうほうのてい)で逃げ出している。今、それが気になりだしたのかエチオピア軍の後押しをし、自らの手を汚さず汗も流さずにソマリアの平定をはかり始めた。主催者側発表では国内をほぼ押えたという事になっているが、そうは問屋がおろすまい。アフガニスタンも旧タリバン派の反攻が激しいと伝えられる。世界の平和を本気で求めるなら、まずはブッシュを死刑にするのが一番効果的なのではあるまいか。 |
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謹賀新年 年末も年始も血なまぐさい事件ばかりが報道される。今年も世界は一層混乱し、日本はアメリカにくっついてますます孤立化するのではなかろうか。そのうっぷんを晴らすかのように、政府は残業代を無くす話や憲法改正、法人税減免などと消費者を締め付ける話ばかりを言う。まったく明るい挨拶も出来ないが、本年もよろしく。 |
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