一刀両断ミニコラム
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《2007.03.30》
強制力
 教科書検定で第二次大戦の沖縄戦について、地元住民が大勢自決に追いこまれた背景には、軍による強制は無かったという指摘が出たそうである。無かったというか、正確には強制があったとは言えないのだそうだ。どこかで聞いたような理屈だと思ったら、例の従軍慰安婦と同じ論法である。従軍慰安婦も政府が強制した訳ではない、というアレだ。アメリカ議会で非難決議が採択されたのに続き、今度は沖縄の県民からも非難の声が上がりそうである。
 具体的に強制したかどうかなど議論の本質とは関係ないのであって、拒否できる状況かどうかだったという簡単な理屈が、政府の役人や首相には分からないらしい。NOと言えない状況に追いこんでおいて、「自由意志で同意したのだ」というこの論法、暴力金融が顧客にハンコを押させる手口と全く同じである。最近ではこうした裏金融ももっと賢く客を「カタにはめる」らしいから、彼らにも馬鹿にされそうな位に幼稚な論法という事になろう。

《2007.03.26》
イラク警察の実態
 ヨルダンなど隣国へ脱出したイラク国民による、国連への難民申請が激増しているそうである。その裏を解説する。
 まず、イラク国民が何故イラクを脱出しなくてはならないかと言えば、それはイラク国内が危険だからである。危険なのは戦闘が続いているからではない。彼らは警察によって迫害されているのである。イラク警察が何故自国民を迫害するかというと、警察の実態が民兵だからだ。民兵というと聞こえはいいが、実態は武装をした暴走自警団だと思っていい。
 フセイン政権下ではイラクでは少数派のスンニー派が主導権を握り、多数派のシーア派は冷遇されてきた。米国の侵略によってフセイン政権が崩壊すると、一部のシーア派が報復に出たのである。報復される方も黙っている訳がないので、スンニー派でもそういう自警団が存在する。問題は米国の対応だ。イラク国内の収拾がつかなくなると、米国は「イラクの治安組織を一刻も早く立ち上げ、イラク人によってイラクの安定化をはかる」として、イラク警察とイラク軍の再編にかかった。
 ところが、実際には急遽体裁を整える為に(数さえ揃えればいい)、そうした警察組織へこのシーア派自警団を大量に編入したのである。つまり、どういう事かというと、シーア派の武装自警団が今や国家権力のお墨付きを得て、制服と銃器を持ったという事なのだ。捜査の名目でスンニー派の市民をいきなり逮捕したり、家を明け渡せと言ったり、尋問の名目で虐待、或いは殺害まで行っているのが現実である。これではスンニー派の人達はたまったものではない。必死にヨルダンなどへ脱出する人が後を絶たないわけであろう。
 ところが人口僅か150万ほどのヨルダンに50万人ものイラク人が流れこんでくるとなると、ヨルダンの方も物価高騰などその影響を免れない。ヨルダン政府も不法滞在のイラク人に対して、帰国させるような政策を取り始めた。しかし、迫害されるイラク人にとって帰国は身の危険を意味する。最後の希望として、彼らは国連に対して難民認定を得ようとしたのである。
 もはやイラク情勢は無政府状態と言っても過言ではない。政府関係者ですら、別の庁舎に向かう時に前後を警備兵の乗った車に護衛されて移動するという有様だ。これが米国の行った結末である。大量破壊兵器の難癖をつけ、一国を崩壊させても反省の色など皆無だし、忠犬ポチのどこかの政権は今だに大量破壊兵器の査察をイラクは拒否したなどと平気で言う。実際には200回を越える国連の査察を受けているし、専門家も同行していたのだ。ソマリアでは平定された筈の首都で戦闘が再開し、米国が後押ししたエチオピア軍は劣勢である。アフガニスタンではタリバンが全土の半分近くを実質支配したという報告もある。
 米国が落ち目だからイランも足下をちゃんと見て、核開発は中止しないと堂々と述べることができる。北朝鮮には六カ国協議再開に当たって「これで貴国と同じく我が国も核保有国ですな」と握手を求められて、米国は何も言えずに振り回され、結局は北朝鮮の思惑通りにコトは進んでいる。この北朝鮮の戦略を見ていれば、イランも百人力である。核を持たなかったからイラクが侵略されたと言う論法には今や強力な説得力があり、インド、パキスタンに続いて北朝鮮が「やった者の勝ち」を立証した今、密かに核装備を考えている国は激増しているに違いない。どこかの国が何とかの一つ覚えのように、拉致ばかり唱えている間にも、世界情勢は激変している。日本版NSCだって? 組織の問題なのか?

《2007.03.21》
自己保身委員会
 予想された事ではあったが、プロ野球実行委員会は「とりあえず」「ドラフト制を元に戻す」事で合意を得た。細かな詰めは色々とまだ必要らしいが、問題の根源は逆指名方式にあるという点では最初に結論ありきだったようだ。しかしながら考えるまでもなく、そもそもドラフト制度というものが職業選択の自由という観点から見れば論外であることなど、誰から見ても当然ではなかろうか。大学の技術関連学部を出た学生にクジで「お前は三菱」「お前は日立」などと就職先が決められたら問題になるだろうに、何故野球だけは例外なのか。それをこの面々は何も考えていない。
 この連中の頭にある事は、次の3点だけである。

  • 業界の現在の秩序は守らなくてはならない
  • その中で自分の所が少しでも得になるようにしなくてはならない
  • 自分が退職金をもらうまでは、今の秩序を無くしてはならない
 こうしたメンタリティの辞書には、およそ長い目で見た球界のあるべき姿や将来の展望、若者の生活などというものはない。あるのはおのれの保身と既得権益の抱え込みだけである。
 そもそも、ドラフト制とは新人選手に対する契約金が高騰しすぎて社会問題になった事に端を発する。それを率先して行ったのは某在京球団だった訳だが、社会現象になった事で生まれた対策がくじ引きだったのである。しかし、例のプロアマ交流問題=プロがアマを指導してはいけないというもので古くに起きた黒い霧事件に端を発する=にしろ、このドラフトにしろ、制度が生まれてから40年も50年も経っているのだ。その間、この委員会やプロ野球機構はそのあり方について全く再検討すらして来なかった。プロアマ交流に関しては、昨年頃からやや緩和の流れが出始めたが、遅々たる物であって例えば西武にいた松坂が母校を訪れて後輩に指導をするのは、今でも自由には出来ない。
 かような具合に学習能力も情勢把握能力も無い事を証明してきたプロ野球機構だが、流石にドラフト制度は幾ら何でも問題ではないかという声に押され、ようやく一歩踏み出したのが逆指名というシステムだった。しかし、これもドラフト制を止められては困るという高野連などの圧力に押され、結局妥協案として出来上がったのが高校生だけドラフト制という今のシステムだったのだ。明らかに問題はドラフト制であって、逆指名ではあるまい。今回の裏金騒動でその一歩前進は元に戻り、再びプロ野球の新人を待ち受けているのは、自分の預かり知らぬところで誰かが引いたクジで人生が決まるという暗黒世界になった訳である。
 職業選択の自由という点で問題だから、FAまでの期間を3年程度に短くしろという選手からの要求は、球団側から「経営が成り立たなくなる」という理由で拒否されていて、こちらの実現見通しは暗い。これもおかしな話で、魅力ある球団作りの努力をせずに選手に出て行かれては困るなどというのは、およそ経営者としての資質を問われる考え方であろう。このままでは大リーグに流出する戦力がますます増えるという危機感では一致しているので、この連中は次には大リーグ行きを何とかして禁止するような理屈を考えるに違いない。そうなったら、野球界というプロスポーツはますます魅力を失い、良い人材は来なくなり、観客は遠のき、産業そのものの存在価値が問われるようになりかねないだろう。今やプロスポーツは野球だけではないのだ。が、そうした大局的見地からの危機感が関係者に全くないのは、上述したとおりの3つの法則でしか頭が働かないからである。
 そもそも、今や選手に契約金を出すとしても、その金額はそれ程莫大な物にはならない筈だ。かつて巨人がそうした行為に走ったのは、選手をせっせとメディアを通して英雄扱いし、それに群がる野次馬的ファンを煽る事でそのモトを充分に取れたからだ。しかし今や巨人の栄光など地に落ちているし、代わって潤沢な資金を自在に使うような球団もない。それでも駄目なら契約金の公開でも義務づければいいだけだ。
 スポーツ選手と金の問題は、野球だけの話ではなく、例えばサッカーでも移籍金ビジネスというのは常に話題になる。だが、サッカー界に新人選手をくじ引きで獲得しようなどという考えはないし、選手の移籍も野球などよりずっと自由だ。Jリーグには既に8回も9回もチームを代わっている選手など珍しくない。自分に合ったカラーのチームを求めてチームを移って行くのも選手の自主的判断で行うべき事だろうし、移籍金ビジネスにしても弱小チームにとっては隠れた資質の無名選手を育て上げてそれの移籍金でチーム運営を支えるという一面があり、決して悪い話ばかりではない。どれだけの金額が動くにしろ、結局はそれはビジネスであって、無限に金が出る訳がないのである。
 米大リーグは、そうしたあたりをきちっと考え、新人選手は前年の下位チームから指名する方式を採用しているし、資金が潤沢な球団から金を集め、それを資金の乏しい球団に環流するシステムも使われている。各球団も、球界関係者もそれで納得しているのは、そうする事が野球というビジネスの発展の為には必要だと了解しているからに他ならない。日本でそういう議論が出ないのは、ただ一つ、そうした議論の場にいるのが上記3条件しか頭に無い、脳梗塞ばかりだからなのである。犠牲になるのは選手であり、本当のプロ野球ファンなのだ。

《2007.03.19》
日興の上場廃止ならずの意味
 パックイン・ジャーナルは流石である。新聞記事を読んでいただけでは何の事だかさっぱり分からなかった、この事件の裏を明確に解説してくれた。コトの経緯は新聞にも出ている。すっぱ抜いたのは日経だった。簡単に言うと日興は架空利益を計上し、株価を操作した上に役員はそれを根拠に自分らの給料を大幅アップしていた、というものである。バレたあとには役員もそれを認めている。コトの悪質性から見て上場廃止は当然であって、それを日経も報じた訳だ。そのいきさつは公式に日経も解説記事を出している
 ところがそうはならなかった。東証は「組織的に行ったとまでは確証が持てない」と上場維持を発表したのである。証拠は明らかでトップも認めているというのに、確証が持てないというのだ。これはどういう事か。他の会社なら間違いなく即刻処分のはずであろう。表向きの理由に納得が行かない時は、裏があるのは常識だ。答は別の記事にあった。米シティグループが日興を買い占めようとしているというものである。シティグループにとって、上場廃止になった日興には何も美味しいものはない。パックイン・ジャーナルによると、米ファンドは日本の不良債権処理で莫大な金を稼ぎ、金持ち相手の優遇策でそこからも大量の資金を調達する事に成功した。で、これらがほぼ刈り取り終わった今、新たな消費者層をターゲットにしたというのである。それはいわゆる社会の中間層である。別荘を持つ程に豊かではないが、小遣い稼ぎに株式でもやってみようか、と考える層だという。これが日興の顧客層と重なるのである。
 なるほど〜 確かにそう考えるとシナリオが見えてくる。この件では日本の金融関係トップが色々な表現で日興擁護の発言を繰り返してきた。裏工作もなされたに違いない。だから東証が上場廃止を翻したのである。これで分かるのは米ファンドの事だけではない。日本社会のトップ層が軒並みアメリカの言いなりになるポチばかりになってしまったという点である。総理は言うまでもなく、政府関係組織のトップがあらかた「犬」になっているということだ。例えば、不正経理などどこ吹く風、一向に責任を認めず退陣する気配もない松岡農相。総理も擁護発言をしているが、この松岡とは米国で牛肉処理会社を視察して「輸入問題なし」と太鼓判を押した調査団の団長である。米畜産業界はブッシュ陣営の支持層の一つなのだ。
 こういうトップの着任理由を見てみると、いわゆる推薦によるものが多いという。すると推薦した奴がいる訳だ。それが「犬」であるなら、当然、飼い慣らし易い別の犬を推薦するであろう。翻って考えるなら、既に長期計画でそういう人材登用がじわじわと行われてきているということでもあろう。事実上、日本は米政府の一部門となりつつあると見ても、考えすぎではあるまい。でないなら、こうもあからさまに異常な上場維持理由が通る筈がない。
 更に考えていくと米国にとって憲法改正をさせ、日本に正式軍を持たせる事の意味も想像できる。恐らくは日本に東アジアの米軍事戦略を肩代わりさせようとしているのではなかろうか。無論、経費は日本持ちである。日本が再び軍国主義化する心配はない。なにしろ、社会のトップは全て飼い犬にしてあるのだ。ホリエモンは犬になるのを拒否したのではあるまいか。ちやほやされて自分を賢いと勘違いしたのが敗因だったのであろう。

《2007.03.18》
表面化した派遣制度の問題
 最近は情報漏洩に誰もが慣れっこになってしまったのだろうか、大日本印刷から863万件という膨大な個人情報が流出したというのにあまりこれを非難する声が聞こえない。新聞からも関連記事が消えているようだ。863万というと殆ど東京都(都市部)の人口である。コトの重大さを鑑みれば、西武スカウトの接触などモノの数ではないはずなのだが。今のところ悪用された形跡はない、などと脳天気な事を言う関係者には空いた口が塞がらない。即座に悪用されるとは限らないからだ。未来永劫、見張ってくれるとでも言うのだろうか。
 さて、この事件を起こしたのは派遣社員である。DM印刷用に預かったデータディスクをコピーして持ち帰ったものらしい。元々、派遣社員というのは正社員ではないから、会社に対する忠誠心などはない。派遣社員に顧客データを丸ごと預けるというこの会社の神経も問題だが、そもそも派遣という業務の範囲が大きく拡張された時、指摘された問題の一つがこれであった。竹中と小泉が行った構造改革の目玉の一つであった派遣業務の範囲拡大。その結果がこうした社会問題を引き起こしている。
 「人材の流動化を促進する」というのが大義名分だったが、実態はどうか。忠誠心の無い社員の激増と共に、いわゆる偽装請負問題が起こり、殆どホームレスのような生活を強いられる若者やリストラ社員が増加した。これで得をしたのは人件費を削って利益を上げ、自分らの給料を倍増させた企業経営者だけであろう。
 政府は派遣社員やアルバイトの正社員化を促進するなどと慌てて表明しているが、「体力をつけないといかん」と言いながらシャツ一枚で寒空の下へ放り出し、肺炎になったからと今度は抗生物質を投与しようとしているようなもの。この政策が日本経済に力を付けた訳ではない事は、株価の低迷を見れば明らか。だがしかし、こうした制度を作った竹中を始めとする連中は全くの知らん顔である。間違いを認めるどころか、こういう理由で長い目で見れば正しいのだという釈明すらしない。このあたり、ドラフト制度でもめている連中と、全く同じメンタリティが見てとれる。これを美しいと言うらしい。

《2007.03.17》
恒例の生贄決着
 なんだかニュースを見ていると、西武スカウト現金事件、受け取った側の選手が退部となり、このままだとプロ野球選手になる道が閉ざされそうな情勢である。事件の経緯を見ていれば、当人にそれ程の非があるとは思えない。鉄面皮で光熱費3000万などとぬけぬけと言って平気な顔してる大臣に比べたら、可愛いもんである。そもそも西武のスカウトが前金を払ってまで手に入れたいと思ったのだから、この選手は逸材に違いない。つまり、彼をこのまま埋もれさせてしまったら、球界全体の損失なのである。
 ところが、誰もそのようには考えないらしい。当人の立場が弱いとなると、我も我もと一斉に石を投げ、本当の責任者がうまく逃げ隠れしてしまうという、最近おなじみの構図がまたも展開している。今回の事件は、ドラフト制と逆指名権という複雑に絡んだ仕組みを作った事がそもそもの原因だ。複雑になった理由の一つは、ドラフト制にこだわる高野連のような連中がごり押しをしたからで、高野連はドラフト制が無くなると自分らが目立てなくなるからそうしたに過ぎない。生徒の方には連帯責任をとらせる一方で、辛口子の知っているだけでも高野連は経理などで不祥事を二度は起こしているのに、連帯どころか責任というものを何一つ取らなかったという腐りきった組織である。50年経ってもプロアマ交流を解禁しない位に学習能力もなく、今や高野連など球界にとってトイレットペーパーの芯よりも価値がない存在だが、それがのさばっているのが現実だ。
 こういう連中が妥協の産物として作ったこの制度、それなら手付け金を払って逆指名権が出るまで確保しておこうと考えるのが出るのは当然で、そうした制度を作った連中こそが真の責任者の筈である。機械の設計にミスがあったら、動かした上の責任は使った人間が取るものであろうか。また、そういう可能性を考えなかったというなら、それだけで無能の証明であろう。しかるに連中は将来性ある若者を貶める事で世間の目をそらし、自分らの保身と安泰を図ると同時に、高野連などはここぞとばかりにドラフト制を元に戻せと臆面もなく言い出している。
 ハンカチで顔を拭ったというだけで持てはやす一方、ささいな過ちで一斉に叩き落とす。これは野球界に限った事ではない今の日本だが、野球界に限定してもこういう事をしていては野球に対する信頼がますます薄れ、球界の将来に発展が望めなくなっていくだろう。しかし、自分らが作った制度によって起きたトラブルの責任すら取れない連中である。そういう将来の事などどうでもよく、自分らが退職金を手にするまで何とか火の粉を避ければそれでいいのであろう。

《2007.03.11》
現金と透明性
 西武のスカウトが現金を渡していたというニュース、まあ協定違反は確かに良くない事だが、金額や家が貧しいなどの条件を考えると、どこぞの大臣や業界の方々のやってる事に比べたら、なんだか大した事じゃないみたいに見えて来てしまう。受け取った子の方も、奨学金みたいな感覚だったらしいし、責めるのは酷という気がする。そもそもはメディアも書いているように、ドラフトという制度が破綻しているという事ではなかろうか。今どき、誰もが巨人を目指すとも思えないし、高校生だけドラフトというのも根拠が良く分からない。
 で、その政府の方では松岡農相の不透明な光熱水費が話題の最中だが、この種の問題は月に一回くらいは出て来ているのであって、殆ど犬も歩けば状態である。何時までも繰り返されるこのパターン、結局のところ問題なのはあらゆる分野に共通する非公開性という一点に尽きると思う。好例を挙げるなら、議員に対する個人献金は禁止という事になり、それが政党助成金になり、結局議員が個人で何か活動しようとしても、よほどの資産が無い限り非常に難しくなっているという現実があるが、これで金の流れが綺麗になったなどとは誰も思っていない。そもそも議員に対する個人献金が何故いけないのか。民主主義の原点は政党政治ではあるまい。議員それぞれが国民から政策を委託されたものなのだから、支持者から献金を受けてはいけないというのがおかしいのである。
 問題なのは闇でこそこそやる事であって、誰から幾ら献金をもらい、それをどう使ったという詳細が公表されるのなら何も問題はない筈。つまり、このシステムは実は金の流れを一層不透明するのと同時に、議員活動を党が縛るという一石二鳥のものなのだ。名目的に経費の使い道について規制を厳しくしたところで、実際にはその内容は公開されていないのだから何も意味はない。この問題は日本の全公的資金の流れに言える事で、介護保険だの年金だのから税金全体に至るまで隠すばかりだから信用がない。ゆえに不払い問題というのが起きるのである。こういう闇金体質が上からはびこっているからこそ、スカウトの方にまでそれが波及するのであろう。スポーツだからこそ綺麗であるべきだ、などという理屈はおかしい。スポーツをしようがしまいが、人間である事に何も違いはない。

《2007.03.10》
慰安婦問題の墓穴
 「第二次大戦での従軍慰安婦は国が強制などした事はない」と余計な事を言ったお陰で、安倍総理はまたも国際的な嘲笑のタネとなった。確かに従軍慰安婦に「赤紙(召集令状)」は出てないだろうが、実際問題として拒絶出来たかと言えばそうではあるまい。民間機関がやったのだと総理は言うが、その論法が成立するなら官製談合などあり得る筈もなくなろう。しかも間が悪く、世界の情勢を全く考えずにこういう発言をしたという、外交音痴ぶりも付け加わった。それを端的に表しているのが、この総理発言に対する非難は中国よりも米国で大きいという事実であろう。そもそもこんな事を言うから突かれるのであって、それなら何も言わずにシラを切り続けている方が遙かに賢い戦略である。
 北朝鮮との六カ国協議では、既に米朝が事実上の合意に達し、米国は北朝鮮に対するテロ支援国家という呼称を止め、北朝鮮は原子炉を止めてもいいと発言、米朝が国交樹立するのも時間の問題となりつつある。そうした中、日本は拉致問題ばかり主張するから北朝鮮との間で何も進展していない。安倍総理は、元々曽我さんらの時に「一度日本に来た以上、絶対に北朝鮮になど戻さない」と発言して、日朝国交樹立のチャンスを潰し、それを持ち上げたバカワイドショーによって総理にまでなってしまった訳であるが、従軍慰安婦や北朝鮮外交の事例を挙げただけでも世間知らずのボンボンという評価が更に固まる事になる。
 総理の資質と共に改めて問わなくてはならないのが、ワイドショー型メディアのバカさ加減であろう。その愚かさは科学番組を装った次元の低いバラエティと双璧である。横田めぐみ遺骨問題にしても、消却して灰になった遺骨からDNAなど検出出来る訳もないのであって、日本政府の言う「あの遺骨が偽物だ」という根拠は全く不明なのである。だから北朝鮮から逆に「それなら国際機関によってその遺骨を鑑定してもらおうではないか」と返されて何も言えないのだが(だから偽物の筈の遺骨を北朝鮮に送り返せない)、マスコミはそういう事は殆どと言って良いほど報じてはいない(辛口子の知る限りテレビではパックイン・ジャーナルだけだ)。北朝鮮と米国が接近したのは今年になって開かれたベルリンでの会議からだが、その理由の一つとして、これまで米国が北朝鮮製だと主張してきた偽ドル札が、実は米国自身がバラまいていたという動かぬ証拠が出された為だという。
 今回、日本が一人だけ拉致拉致と騒いでいる間に、六カ国協議は事実上米朝会談としてすいすい進み、米国は北朝鮮を取り込んで北朝鮮は援助を得て、今ある核兵器は既得権益として認め、北朝鮮は「今後」開発はしないから原子炉を止めてもよい、と発言するに至った。この構図を世界というスケールで見れば、孤立しているのは北朝鮮ではなく日本に見えて来よう。それに気がつきもしないからこそ、冒頭のような慰安婦発言などしてしまうのであろう。となれば、周囲が不祥事満載の大臣ばかりなのもうなずけてくる。結局、端的に言えば首相の頭の中身は単細胞的に「憲法改正」しか無く、類は友を呼んでいるのが現実なのではないかという方向に推理が及ぶのだが、今の憲法は占領軍の押しつけだと頑迷に主張する似たり寄ったりの頭の構造をした若手議員がこれまた党派を問わずに大勢いるというのだから、どうも日本が巨大な墓穴に飲み込まれつつある懸念を拭いきれない。

《2007.03.08》
美しい国の福祉行政
 生活保護というのは、自力で生きて行けない人に最低限の生活を保証する為に政府が補助する金の事である。俗に「最後のセーフティネット」とも呼ばれる。言うまでもなく、社会が高齢化するに連れこれが膨らみ続けており、財政難の折、自治体はあの手この手で「削減」をはかっている。表向き、名目は不正支出を無くすというような物になるのだが、実態は必ずしもそうではないらしい。
 さる2月26日、NTV系で放送していた「その先は孤独死・行き詰まる生活保護」というドキュメンタリーが取上げていたのは、北九州市の生活保護行政であった。昨年の9月、一人暮しの男性が餓死した事で明らかになったのは、北九州市が生活保護を支給しないように画策していた姑息な手段だ。番組中で出て来た、事件をきっかけに弁護士らがボランティアで立上がり、市役所と交渉している風景が非常に印象的だったのだが、それは対応した課長が弁護士に何を言われても「それは市の方針ですから」としか答えないというものだった。弁護士が「どういう法律なり条令なりを根拠にしているのか」と問うているのに、返って来るのがこの返事なのである。これでは、オウムか九官鳥でも受付に置いておいた方が、無駄な人件費の削減にもなるというものであろう。
 北九州市が行った手というのは、生活保護を求めて来る人に対してまず「相談室」で相談するというものだ。ここで「説得」をして諦めさせるのがその真の目的である。本来、こういう人は困窮しきってくる訳だから、その場で申請用紙を渡し、当該項目に記載をさせ、虚偽でもなく、支給条件を満たしているなら支給するのが制度の主旨だ。だが、申請書を受け取ってしまうと払わなくてはならなくなるので、申請書を出させないようにと画策したのが、この相談室というステップだった訳だ。
 北九州市では、かつて暴力団が不正に生活保護を受けていたというスキャンダルがあり、その時に申請に当たっては不正が無いようにチェックを厳密にするという仕組みが整えられたらしい。その仕掛けを今回は、別の目的に利用しているのである。北九州市の生活保護予算は毎年増える事もなく決められており、その予算内に抑えた保護担当課長は出世でき、それを越えて支給させたら成績が悪いと査定されるのだと番組では指摘していた。言うまでもなく、市の職員らは給料だろうがボーナスだろうが目一杯もらって当たり前だという顔をしている。ここにも、貧民が餓死しようと知った事ではない、という腐れ役人のエリート根性が現れているのだ。
 生活保護は憲法で保証している最低限の生活を実現する為のシステムである。つまり、北九州市は明確な憲法違反をせっせと推進している事になるが、そうした意識は出てくる役人連中の顔には皆無である。生活保護ばかりではなく、老人への年金など様々な支給金があの手この手の名目で削られている。番組最後にインタビューされていたある老婦人が語った「死ぬまでに一度くらい肉を食べたい」という一言を、艶々した顔色で平然と「市の方針です」と繰り返していた九官鳥課長は知っているのだろうか。この問題、北九州市が特にひどい例らしいが、他の自治体でもこれに習えをしないとは限らない。国会でも問題になっているものの、どこぞの総理は憲法改正の為に国民投票法案を通す事しか頭にないようだ。改正の暁には25条(健康で文化的な最低限度の生活保証)や、15条(公務員は全体への奉仕者)という辺りもさっさと変えようとするのだろうか。

《2007.03.05》
美しい特高の国
 4日深夜、NTV系のテレビで鹿児島県議会選挙違反のねつ造逮捕事件(最近、被告12人が全員無罪という判決の出たアレである)のドキュメンタリーを放送していた。県議会選挙で当選した議員が金を配っていたというタレコミを元に、議員どころかそれに関係したと決めつけられた何人もの人が逮捕、尋問、裁判へと引きずり込まれた話で、「続・嘘ひいごろ」という題名で分かるように、昨年9月16日放送「嘘ひいごろ」の続編である。嘘ひいごろとは鹿児島の方言で「嘘つき」の意味だという。番組はその判決の出る日の前後を取材している。
 この事件のひどさについては何度も書いて来たが、フテブテしいのは警察の対応であろう。多くの人の人生を自分らの都合で滅茶滅茶にしておきながら謝罪もしないどころか、捜査を行った警部補らはインタビューを無視しているし、事件(選挙違反そのものがねつ造だから、警察が無実の人を逮捕した事件のこと)発生の時、鹿児島県警の稲葉本部長(当時)が記者会見で「法と証拠に基づいて粛々と行ったと判断する」などと述べた内容も訂正すらしない。実際には、金を配っていたという議員当人がその時刻には数十キロ離れた場所にアリバイがあったし、囲んでいた筈の仕出し弁当を配達した業者は遂に見つからなかった。唯一の証拠が自白だというのだから、子供の書いた推理小説以下のシナリオである。それを鹿児島県警本部から来た刑事らが強引に犯人を挙げろと押し切ったのである。志布志町の黒署長とやらが陣頭指揮で怒鳴りながら煽りたてたらしい。異論を唱える刑事は飛ばされたという。
 この黒署長は番組のインタビューから必死に逃げまくり(しかも丁度定年を迎えて退職金をもらった所だそうだ)、鹿児島県警は捜査の違法性を全く認めようとしていないが、本当に自信があるなら人間というものは正々堂々と持論を述べるものだ。逃げ回って時間を稼ぐ姑息な手段しか取れない理由は明らかであろう。こんな明々白々な裁判でも審理は50回以上に及び、判決までに2年以上もかかっている。その間、被告にされた人たちは想像を越える精神的苦痛に耐えて来たのだ。中には病気を悪化させて死んだ人もいるのである。
 ところで、似た話は枚挙にいとまもないが、5日の朝日新聞に出ていた記事もまた同類であろう。強姦容疑で逮捕され、実刑判決を受けていた富山県男性(2年1ヶ月服役してから真犯人が明らかになって釈放された)が語った話が記事になっていた。これも物的証拠無しの自白強要の捜査だった。取り調べをした刑事は「俺の言う事にハイとだけ言え」と怒鳴ったそうだ。警察はこの男性に謝罪はしたが、これも真犯人が明らかになったからであって、そうでなければこの男性はずっと服役していただろう。そして、警察はこの取り調べをした捜査関係者については、「違法性はない」「故意または過失ではない」として一切お咎め無しとしている。
 物的証拠が無いから自白を証拠として提出するなど、およそ近代刑法の考え方ではなく、60年以上も前の特高(特別高等警察)から日本の警察関係者は全く頭が進歩していないらしい。これが一部警察だけの暴走ではない事は、上記のように警察機構が関係者を全く処分しない事からも明らかである。だから、必要なら容疑者を何年でも拘留しておける代用監獄などを平然と使えるのだし、自白だけを元に行われた書類送検を検事局が疑いもせずに受け付けるのだろう。まるで漫画のようだが、足を使って証拠を集めるよりは、密室で適当に連れてきた容疑者を怒鳴りつける方が楽だとでも思っているのかもしれない。これからも密室尋問、でっち上げ、冤罪、バレても知らん顔のサイクルが繰り返されて行く事であろう。
 今回、鹿児島県議会選挙違反容疑の裁判では、あまりに反証が明らかだったから裁判所も無罪を言い渡したが、裁判官の成績は有罪を何回下したかで決まるとも言われる。刑法の原則には「疑わしきは被告人の利益に」というのがあり、日本国憲法15条には「公務員は全体の奉仕者である(一部の奉仕者ではないし、国民には首にする権利がある)」と書かれているが、どうも日本の公務員というのは字が読めないのか、法律は自分に都合の良い所だけ守ればいいとでも思っているようだ。これが司法関係者の話なのだから、談合や汚職などより遙かに始末が悪く、国家の存続に関わる問題である。だが美しい国とかいうのは、こういう事らしい。安倍政権の憲法草案には、軍事法廷の設置まで明記されている。
 かような例が後を絶たないとなると、警察というものへの信頼はますます薄れ、本当の意味で警察を志す者は警察から去り、一般市民も捜査に協力しなくなるから逮捕率は更に下がり続けるだろう。結局は自分らの首をじわじわと絞めていくのだが、恐らくはそうしたらどんどん容疑者をでっち挙げていけば大丈夫だとでも思っているに違いない。日本のような民主国家ですら、警察は様々な個人情報を握っているから、いざとなれば無敵だと言われる。2月の24日放送のパックイン・ジャーナルで、この鹿児島県警の不祥事を厳しく取上げ、警察署長(当時)の名前と顔くらい出してもいいはずだと力説した二木解説員と田岡解説員が、翌週3月3日の放送には出演していなかった。所用の場合、番組中で断りがあるものだが、何故かそれもなかった。単なる偶然だと思いたいが・・・・

《2007.03.03》
狂育委員会
 3日放送のパックイン・ジャーナルなぞ見ていたら、国の方針を先走って国旗国歌にひた走る東京都の教育委員会の実態が語られていた。社会に出てからは学校になぞ殆ど顔を出さないから、教育現場で何が起きているかをあまり知る機会が無いがそれにしても凄い。卒業式に教師に起立と国家斉唱を命じるだけかと思っていたら、ちゃんと声を出しているか、唇を指二本くらい開けているか、一人一人近くまで足を運んでチェックしているのだそうである。誰がチェックしているのかというと、教育委員会の委員、またはそこから派遣された調査員だそうだ。
 園遊会で天皇陛下に「国歌斉唱など強制するべきではありません」とたしなめられた事などどこ吹く風、この教育委員会の連中は職権を傘に威張り散らして職員らを押さえつけるのが楽しくてしょうがないらしい。これが愛国心を唱えるような連中の実態で、こんな奴らに税金を使って何が得られるのかなど考えるだけでも馬鹿らしいが、これで「イジメをなくそう」などとキャンペーン張ってるんだから、こやつらの厚顔無恥も極まれりというものだ。教育問題の荒廃が叫ばれて久しいが、まずはこういう連中を小学校から履修させなおしては如何なものであろう。しかしどうせ死ぬまで直らないだろうから、それも税金の無駄というものか。いっそ学校裏庭の草むしりでもさせておいた方がいいかもしれない。
 こういう奴らがのさばる理由としては、一つに恍惚都知事の圧政、二つに坊ちゃん総理の「美しい日本キャンペーン」があるあたり、衆目の一致するところであろうが、この偏執的教育委員会の出している通達というのが実に細部にまでこだわっているそうで、国旗や東京都旗の置き方、式次第の書き方、生徒の並び方、そして上述のような歌の歌い方まで定めているのだという。今や、都立学校の卒業式はまるで戦時中に、特高の顔色をうかがっているかのような様相を呈しているらしい。更に東京都はこの4月から高校生にボランティアを必須とするのだそうだ。強制しておいてボランティアもへったくれもないと思うが、良い機会である。言い出しっぺの教育委員会がその見本を率先して見せる事こそ義務付けてはどうであろう。草むしりなど格好のテーマではないか。
 ところで、この「イジメはいけない」キャンペーン。良く考えてみると、これはこの教育委員会連中が既得権益の拡大を狙う絶好の機会と捉えているような気がしてきた。これを名目に教育現場に口をはさむ口実が増えるからだ。今のキャンペーンを見ている限り、これでイジメが無くなるとはとても思えないものばかりである。これを権益拡大の一環と見ると筋が通るのだ。こういう手合いはこういう事に関してだと人一倍智恵が回る。似た問題は放送にも起きている。例の「あるある大辞典」に絡み、政府が放送内容に口をはさめるような法整備が検討されているからである。一度、そういう仕組みが出来てしまえば、次にはそれがメディア統制の為の道具として使われる。いい加減な番組ばかり作る事が、こういう政府統制への格好の足がかりを作っていく訳で、こちらは放送メディアトップのスキルの低さが伺い知れよう。

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