一刀両断ミニコラム
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《2007.04.27》
憲法改正論の本末転倒ぶり
 安倍総理が憲法改正検討会を立ち上げると発表してから、またメディアでは憲法改正論が多く見られるようになってきた。この問題で比較的改正賛成派なのは読売系の新聞だが、他にも憲法改正を叫ぶ新聞は少なくないのであって、その代表格としては産経新聞があげられよう。27日付け、見開きで掲載されている特集記事など読んでいると、なかなか興味深い論調が見られる。
 最初に気がつくのは、NHKがこの2月に「焼け跡から生まれた日本憲法」というドキュメンタリーを放送し、今の憲法が占領軍の押しつけではなく、日本人憲法学者が自ら作成した草案をベースにGHQが新憲法を日本の国会に提出した事実を明らかにして以来、「我々自ら作る憲法を」という論調が見られなくなっている点であろう。ではそれに代えてどういう理屈を持ち出しているかというと、一番メインになっているのは当然ながら9条の特に第二項と自衛隊との関係である。
 この条項は「軍を持たず、国の交戦権を認めない」というもので、この解釈を巡ってこれまでも多くの議論がされてきた。改正論者の言う改正の必要性で真っ先に上がるのがこれだが、そもそもその前の条文で「国際紛争を解決する手段としては」武力を用いない、と述べているのであるから、自衛権を放棄したと考えなくてはならない理由はない。裏を返せば、これを改正しろと言っている奴らは、「攻撃したい」と言っているのである。
 安倍総理は集団的自衛権に関しても検討するように言い続けているが、例えばこれが無いから国際舞台に自衛隊を派遣出来ない訳ではない。案外勘違いされているが、集団的自衛権というのは、例えば日本とアメリカが同盟国である場合、「アメリカが攻撃された時に、アメリカに助けに行ける」権利である。アメリカの敵であるからイラクに行ける、のではない。同盟国の敵を一緒に叩きに行けるのというのなら、そもそも大義名分さえ立てればどこの国にだって軍を送れるのであって、最初っから集団的自衛権など唱える必要すらないのである。
 これに関して問題になるのは、例えば日本近海で紛争が起き、米軍が戦闘に巻き込まれて被弾して動けなくなっている場合、日本の領海を越えて救助に行けるかどうかというケースだ。領海内なら問題はない。領海外、特に他国の水域のような所に米兵が負傷して漂流しているような時に、それを救助に行けないという問題が生じるというのである。しかし、これは上記のように集団的自衛権の問題ではない。同盟関係には無い第三国が絡む問題だからだ。
 常識的に考えれば、これは助けに行けないのが当たり前ではなかろうか。理由の如何を問わず、他国の領海に勝手に入っていいなどというケースはある訳がない。助けに行けなかったら米軍に恨まれるとか、米軍が安心して日本を守ってくれない、などという理屈をこうした改憲論者は持ち出すのだが、そうした論法を持ち出す事自体がおかしいのだ。例えば、日本の船が遭難して日本人が漂流、どこかの国の領海に流れて行ってしまった場合、勝手に助けに行けないのは当たり前であろう。何故米軍兵士なら助けに行っていいのか。米軍兵士を助けるために他国を侵略していいなどと、そんな事を法律で定めている国などあるのか。
 つまり、そういうケースが起こるとすればそれは非常時であって、起きるとすればその国と日本とが紛争状態なのだから堂々と助けに行けばいいのである。米軍が米軍がと二言目にはアメリカを出す輩には、米軍が国連の承認も得ずにイラクを侵略した事実をどう説明するのか聞きたいものだ。日本領海に勝手に入って来た外国船に攻撃出来ないというのもおかしな話で、憲法9条では国際紛争の解決手段としては武力を用いないと言っているのだから、正々堂々と「追い返すために」用いればいいのである。要するに今の憲法で何も問題はないのだ。ちゃんと条文を読んだらどうかと言いたくもなる。
 この日の産經新聞のこの特集など読んでいると殆ど呆れてしまう部分もあって、例えば日本の憲法は40年にも渡って全く改正されておらず、この回数は世界各国と比べると異常に少ない、などというものすらある。ドイツなどは戦後、30回近くも変わっているのだそうだ。しかし、それと改憲の必要性との間には何も関係はない。そのような回数を並べて競う意味などどこにあるというのだ。回数が多いほど偉いというのか。更には日本のように改正に議員の2/3などという高いハードルを設けている国など無い、などという事も書かれていた。つまり、本当に必要だと国民が納得しない改正でも出来るのが当たり前だと言いたいらしい。こういう論法を持ち出す事自体、憲法改正論者の本音が正々堂々と述べられない後ろめたいものであるという動かしがたい証拠であろう。
 そもそも国際貢献に軍を出さなくてはならない、という論拠がおかしいのである。イラク派兵にしたって、イラクに軍を出している国と出していない国のどっちが多いか数えてみろ、と言いたい。この論調、特に安倍総理の憲法改正論を聞いていると、その裏には「何とかしてアメリカにくっついて行きたい」という単純思考しか透けて見えない。慰安婦問題であっさりと主張を翻したように何でもアメリカへいこらであって、アメリカがイラクを不法に侵略しても、それにくっついて日本も軍を出さないといけない、としか考えないのだ。その為には今の憲法では流石にどう解釈しても無理だし、だからと言ってそれを表で唱えたら流石に反発を招く。だから上記のような色々な理屈を持ち出すのである。当然ながら、検討する委員会にはお抱え学者が顔を並べる訳だし、何とか食品は健康に良いというのと同じように、これを機会に権力に媚びを売ろうとしてせっせとエールを送る学者とやらもぞろぞろと出て来るのである。
 話は少し変わるが、先日、米シティグループが東興の株価を過半数取得したと日経が報じていた。この件については以前にも本欄(2007.03.19)で触れたが、これで不良債権処理に続いて今度は日本の中産階級資産を米ファンドが堂々とかき集める事が可能となった。憲法改正が成って今の自民党案などが成立したら、日本は資産を食い潰されたあと、今度は軍事費も負担させられる事になるだろう。それでもアメリカにせっせと尻尾を振り続ける事が日本の行く道だというのが、安倍総理以下の主張のようだ。そしてそれに乗じて私腹を肥やせると算盤を弾いているのが、大勢くっついて続いているのである。

《2007.04.25》
誰のためのデジタル放送か
 表題と同じタイトルのインタビュー記事が、日経ビジネスオンラインで掲載されている。答えているのはNHK出身、現上武大学大学院教授の池田信夫氏である。話の要点は本欄を含め、ネットでも色々と指摘されている通りだが日本経済新聞社というメジャーな媒体で、これだけのスペースを割いて掲載されたことがまず画期的であり、次にその内容も誠に正鵠を射ているという点でも拍手モノである。
 話の内容は単純明解だ。著作権保護などというのは大義名分であって、その実態は自分らの権益を守り、惰眠と飽食を満たす事しか考えない無能人の群れが、役所と結託して消費者を踏み台にしているに過ぎないというもの。辛口子の見解と大体同じだが、業界内部の事情に詳しい人が語るとその説得力はひとあじ違う。本欄で指摘してきたように、コピーワンスだのB-CASカードだのの怪しげなシステムを、消費者の知らぬ間に作り上げて押しつける国など、共産圏を含めたって日本くらいなものである。その背景には、田中角栄時代に作られた役所と業界との癒着があると言う。
 どんなに無能でも40歳で年収2000万と言われる放送業界(以下、一応民放地上波というつもりで書く)だが、その実態はまさに搾取の世界だ。記事によると先に世間を騒がせた「あるある大辞典」問題。放送局が番組用に3200万円確保している予算のうち、実際に制作しているプロダクションには僅か860万しか渡っていなかったという。つまり、2340万、即ち73%が局によってピンハネされていたという事だ。この一点だけ見ても、先に関西テレビが発表した再発防止策など絵に描いた餅以下のものだと分かるだろう。こんなシステムにあぐらをかき、ぬれ手に粟で悦に入る連中の懐を満たすために、視聴者は延々とCMを見させられているのである。
 「録画器でCMスキップをするのは著作権法に触れる」などと馬鹿丸出しの発言をしたのは、昨年の民法連会長だったが、まさにこうした連中の著作権についての意識レベルが完璧に分かる発言だった。自分らの都合で映画をブツ切りにして放送する事は棚に上げ、かような発言を平然としてのけるというこの一点だけでも、この業界の良識レベルというものが良く分かる。著作権の意味も分かっていないから、丸一つ満足に書けもしないようなのが、偉そうに著作権を錦の御旗とばかりに振り回す事が出来るのであろう。
 そもそも何でコピーワンスをかける必要があるのだろう。コピーワンスをかけたって、不法コピーをする奴はする。一般消費者に幅広く迷惑をかけて、一体何を守れるというのだろうか。デジタル放送に無条件でかけられているコピーワンスという制限のお陰で、社会全体としてどれだけの損失を被っているかなど計り知れないものがある。デジタル録画器の売れ行きがさっぱりだが、そんな物がなければもっと市場は大きく膨らんだに違いない。考えられるのはただ一つ。放送業界が自ら主導権を握りたいが為だ。彼らはとにもかくにも映像情報というものを、何が何でも自分らで全て抱え込まなくては気が済まない。その結果、消費者がどれだけ迷惑しようが、社会全体にどれだけ損失が出ようが知った事ではないのである。B-CAS管理団体は天下りの巣であるばかりでなく、カード登録時の個人情報を集積する為のデータセンタを作っているという。まさにパブリック・エネミー(社会の敵)と言うにふさわしいのではなかろうか。
 この構図で考えると様々な事象に説明がつくように思えてくる。例えば選挙活動のネット化に一番抵抗しているのがこの連中ではないかということだ。役所と結託して公平性などという屁理屈を持ち出し、YouTubeに掲載された政見放送に噛みついたが、それなら全候補者の放送をネットで公開すればいい筈だ。そうしないという事は、有権者の権利など知った事ではなく、選挙も自分らの影響下に置かなくてはならないと考えているからに他ならない。新聞社は放送業界の資本下に置かれているから、自分らの無視したい候補の扱いは幾らでも小さく出来る。だが、ネットには影響力が無いからそれが出来ない。それじゃまずいのであろう。憲法改正でも影で後押ししているとして不思議はない。自民党案にあるように、基本的人権を公的な秩序を名目に制限しようとしているなど、彼らのメンタリティと共通する物があるからだ。
 しかしながら、かようにプロテクトを厳しくしたところで、世界は着実にネット化へ向かっている。例えば、ネットでのみ公開されるアニメ作品が次第に増えて来たという現実がある。幕末機関説やFLAGなど、非常に通好みの固いコンテンツが多い。利益はオンライン販売の他、DVD販売で上げるという。まだビジネスとしてはよちよち歩きらしいが、音楽コンテンツでは既にネットオンリーは珍しくなくなりつつある。英EMIがノンプロテクトでのオンライン販売に乗り出したのはまだ記憶に新しい。本来ならこうした世の中の流れに対応して、放送という業界も変わらなくてはならない筈だ。諸外国ではそうなっている。が、NTT民営化など通信業界再編の時にも無傷で生き残った放送業界では役所と業界が癒着し、消費者が蚊帳の外に置かれたままそうした市場原理が働かない。こんな市場に世界からメーカが参入して来る訳もなく、消費者は不便で高価な装置の買い替えを強制され、世界から日本そのものが取り残されて行く。即ち、それは放送業界ばかりか日本全体の首を絞めて行く事になるのだが、既得権益にしがみつくだけの連中にそんな先の事まで考える能力などないのであろう。何だか、太平洋戦争末期、国民を楯にして長野県の山中に第二大本営を作り、そこに立てこもろうとした連中と良く似ているではないか。

《2007.04.24》
ゴーン神話の終焉
 崩壊ではなく「終焉」である。日産は、遂に新たな大量退職者を募集するはめになった。1万2千人というから相当な規模である。理由は言うまでもなく販売の極度な不振。ゴーン流の経営立て直しはかつて華やかにマスコミを賑わせた時から、疑問の声があげられていた。財政を立て直すために大量の退職者を募ったが、その結果、優秀な技術者なども大量に流出してしまい、新車開発能力も無くなってしまったからだ。既に日産崩壊の話が昨年11月号のFACTAにも出ている。
 本社に技術者がいなくなれば、下請けの会社も見放していく。ゴーンはヨーロッパで設計した車を日本に持ち込むという苦肉の策をしたりしたが、既に末期症状でカンフルにすらならない。日産社内では「設計図を引ける人間がいない」という声が上がるさまだという。結局、救世主と思えたゴーンは高額の給料だけを持って行き、あとには累々たる屍が残るという事になりそうだ。
 この日産崩壊は、小泉ー竹中路線による「自由競争社会」を象徴する現象であろう。日産の経営に問題があったのも事実だが、結局は「弱い奴は滅びろ」という単純な論理の犠牲になった訳だからだ。以前の日本であれば、主要取引銀行などが取締役を送り込んだり、新規融資をしたりしてもう少し別の救済策を講じていたであろう。そのやり方が完全にクリーンという訳ではないが、それでも食い散らかしてから放り出すというような終り方はさせなかった。今回、日産は経営者から技術者、系列会社に至るまでを失った。再建は容易な事ではあるまい。
 小泉ー竹中路線は、いわゆるグローバル経済を信奉するものである。今、このグローバル経済というものが、実は米国による世界支配の構図であったという事が次第に明らかになってきている。市場開放や自由競争と言えば聞こえはいいが、裏の見方をすれば弱肉強食そのものであり、強大な米国資本が各国の市場を支配し、食いつくす構図に他ならないからだ。イランやベネズエラのように反米を明確にする国は、その本質に気づいているばかりでなく、それを題目にして反米の結束をはかっているのだ。
 翻って、日本は既に米国に支配されて喜びを感じる国になっているらしい。東証が日興の上場廃止を撤回しても、誰一人として咎める者はいなかったし、メディアもそれに疑問を呈しなかった。日興は米シティグループによって株を買い占められており、シティグループの目的が日興の持つ中産階級層の資産にある事は明白だ。具体的には、いわゆる団塊の世代の大量退職に焦点を当てた戦略で、東京では一泊200万円というホテルが出現したが、これもそうした層の退職金を狙った外資系資本の経営するホテルである。まだまだ日本には美味しい部位が残っているらしい。

《2007.04.16》
ホームレスは減ったのか?
 厚生労働省は、ホームレスが2003年の調査に比べ27%も減っていると発表した。が、その発表を良く読んでみると、河川敷や公園で生活している人を調べたものらしい。景気回復で雇用が増えたとか、ホームレス自立支援法のお陰だと鼻高々だが本当にそうか?
 実は、一見すると普通の人に見えるホームレスが激増しているという報告がある。良い例が今年の1月29日にNTV系が放送した「ネットカフェ難民、漂流する貧困者たち」というドキュメンタリーである。
 番組に出て来た典型的な人は、夜をネットカフェや漫画喫茶で椅子の上で身体を丸めて眠る。夕食はコンビニで買ったノリ弁当。半分だけ食べ、残りは朝食用に残す。端末で日雇いの仕事を探し、携帯メールで連絡を取る。仕事があれば指定された場所に出向き、そこにワゴン車が迎えに来る。仕事に当たっては、最低限の着替えなどを詰めた手荷物をコインロッカーに入れ、そのロッカー脇のスペースで着替える。そういう彼らは一見普通の生活者に見えるし、仕事への集合場所もかつての上野のような手配師が集まる場所ではない普通の街角が使われるから全く目立たない。こうした彼らは、家が無いのであり紛れもないホームレスだ。
 家が無ければまともなアルバイトも出来ない。勢い、怪しげか誰もしたがらないような仕事を日雇いで受けるしかない。交通費などの名目で支払金は減らされるし、安定収入など望むべくもないから生活は全く向上しない。番組に出て来た人には20代の女性もいたし、50代の男性もいた。彼らがそうした生活に落ち込んだ理由の一つが派遣だった。ハローワーク(職安だ)に紹介された求人票には正社員契約で家賃補助有りと書かれていた(ある大手電気メーカの工場だったそうだ)が、実際には給料明細から家賃がしっかりと天引きされ、しかも間もなく「試用期間だった」という名目で突然クビになったのだという。表向き正社員のような雇用だったが実態は派遣そのものだったという事だ。即日、社員寮を出るように言われ、荷物も満足に持ち帰れなかったのだとも言っていた。他にも会社がいきなり倒産したという物もあった。
 厚生労働省の出した報告に、こういう人たちが含まれていないのは間違いない。景気回復どころか、小泉内閣の「格差倍増計画」によって、中小企業の倒産、シャッター商店街などが激増した事は報じられているが、そこで働いていた人たちがちゃんと再就職出来たかどうかまでは殆ど報じられていないだろう。その何割かがこうしたネットカフェ難民へとなっているのだ。こうした新ホームレスの問題は、その実態が非常に掴みにくい点にある。路上生活者ならば、ダンボ−ルの量を調べる等である程度の把握は可能だが、新ホームレスは一見すると普通の人だし、上に書いたように手配師がどこかでまとめて仕事を斡旋する訳でもないからそれも見えない。定住していない以上、住民票も無ければ選挙権も無いに等しい。組合どころの話ではない。つまり、現代社会の幽霊のような存在なのだ。
 かくして統計上の数字だけはホームレスが減少し、政府は「国民生活は向上している」と発表する事になる。アメリカにへいこらして自分らの私腹を肥やす事しか考えない今の政府にとっては、気にもならないことなのであろう。ちなみに何が何でも改正しようとしている自民党の新憲法草案では、現憲法が基本的人権に関して「公共の福祉に反しない限り」最大限の尊重をすると規定している部分を、さりげなく「公益および公の秩序に反しない限り」と書き換えている。つまり政府にとって都合の悪いような基本的人権など尊重しない、という180度の転換である。その実践が既に始まっているとも言えるのだ。

《2007.04.12》
国民投票法案
 予想通り、衆院で与党の強行採決が行われた。もっとも民主党案も政府案とさして変わらず、憲法改正(改変)への道筋をつけるという点では何も違いはない。そろそろマスコミも民主党を野党と言うのは止め、第二与党と言うようにしてはどうであろうか。
 ところで、この法案。見る限りにおいて極めて危険であると言えよう。何よりも「過半数」の判定基準だ。法案によると「有効投票数の過半数」となっているからだ。つまり、投票率が40%であったら、国民の20%が賛成するだけで憲法改正は実現する事になってしまう。5人に1人だ。海外では最低投票率というのを設けるのが普通だが、それは日本の法案には見当たらない。これに加えて、18歳以上という有権者条件も明記された。若いほど洗脳し易い事を考慮した結果である。洗脳という言葉に違和感があるというなら、つい数年前の「ゆかりたん」「ホリエモン」騒ぎの時に若い世代がいかに踊らされたかを思い起こしてもらいたい。(もっとも大の大人もあまり大きな事は言えないが)
 こうした問題が大きな声にならないように、政府は国民投票法案成立から憲法改正案までに3年という「ほとぼりを冷ます期間」を設け、同時に35年近くも前に起きた事件を取り上げて北朝鮮による拉致だと騒ぎ立てて、マスコミをそちらに誘導している。わざわざ朝鮮籍の子供が行方不明になったという事件を掘り出したのである。今さら捜査本部設置だの逮捕状請求だのをしてどういう意味があるというのか。世田谷の一家殺害だって何も進展がない。如何にも拉致で首相になった人間の考えそうなことではないか。
 一方で、来日した温家宝中国首相には好きなように遊ばれている。国会演説では拉致に触れて欲しいという日本政府の要求は完璧に無視され、東シナ海のガス田開発などで思い通りの進展があったのだろう、温家宝の顔には満面の笑みである。幾ら政治家であるとは言え、作り笑いとそうでない笑いは見れば違いはあるものだ。日本の外交(国内政治もだが)はまさに子供並みであって、アメリカを思う存分振り回している北朝鮮の爪の垢でももらったらどうかと思う事しきりである。これに憲法を改正させて軍事力を行使する権限など与えたら、まさに子供に拳銃を持たすような愚とでも言うしかなくなるだろう。
 ところで、この強行政治は衆院で与党が圧倒的な議席を占めている事と、派閥が崩壊し事実上首相官邸が独裁に近い政治を行っている事から生まれている。何故与党の議席が圧倒的になったかといえば、先の郵政民営化選挙で与党が大勝したからだ。ところが、その選挙では得票数を見ると野党の方が多かったのである。にも関わらず議席数で与党が圧勝したのは、一つには小選挙区制という選挙制度のお陰だが、何よりも大きく効いたのが「比例区」という物の存在である(これが無ければ料亭政治とコンパの区別もつかないようなアホが議員になる事もなかった)。さらに刺客候補を送る事で派閥の領袖となっていた老練議員を追放する事にも成功したのだ。
 海外で小選挙区制度と言う場合通常比例区も存在するが、日本の場合は比例代表並立制というシステムで、しかも小選挙区の得票数が比例代表に大きく作用する仕掛けになっている。それがそのような大差を作った。日本でこの制度が生まれたのは、小選挙区制度を導入する時に様々な政治的駆け引きが行われた結果である。まあ要するに票田を失いたくないという与党側の論理だ。その小選挙区制導入のきっかけとなったのが、田中角栄の作り上げた金権政治の解消という大義名分であった。金権政治を無くすという機運を利用して、小選挙区制度へ話をすりかえた奴らがいたのである。小選挙区だから政治と金が切り離される訳ではない事は、毎日の新聞を見たって分かる。その制度が作られたのは1993年。つまり15年も前に憲法改正への道筋が作られていたという事なのだ。

《2007.04.11》
ハッカー・ジャパン
 題名とは少し異なり中身はハッキングというよりも、セキュリティの雑誌である。辛口子の愛読書の一つである。毎号興味深い記事が満載だが、最新号も中身が濃い。
 まず、RFID(いわゆるICタグ)のセキュリティが出ている。良くコンマ3ミリのチップが出来たなどと新聞に記事の出るアレである。あれは検出器とペアになって無線で情報をやりとりするものだが、その間のやりとりが殆どノープロテクトで情報筒抜けという話だ。つまり、検出器を自前で作れば中身の情報など簡単に取り出せる事を意味する。取り出せると複製が簡単に作れるという。あるセキュリティ・カンファレンスでその発表をしようとした所、そのICタグのメーカから「中身の公開は著作権法違反だ」とクレームがつき、土壇場で発表が中止になったという記事である。後ろめたい所がないならそんなクレームはつかないだろうし、第一発表はタグ内部情報を見せるものではなく、複製の作り方だったというのだから、著作権違反かどうかすら怪しい。
 ICタグには一応セキュリティの仕様はあるのだそうだが、どう使うかは明確に定められておらず、そういう事をすればコスト高と速度低下に直結するわけで、実際に採用している製品は稀らしい。日本でも今後普及が見込まれるなどとマスコミは報じているが、こういう指摘をしている例はほとんど見た覚えがない。そういえば、あのPASMOが好評だそうだ。製造が追いつかないから申込受付を制限しているという。だが、これに使われているFelica技術のセキュリティは極めてもろく、暗号キーが1種類だけだという指摘は本欄もしてきた。既に2000万枚が普及しているというこのFelicaを使ったカード。ある日、不正がバレた時には社会的パニックになりかねない。
 二つ目はいわゆるデジタル放送のコピーワンス問題の記事だ。本欄を読んでいる読者なら今さら改めて書くまでもない、あのネガティブ技術のことだ。これのお陰でHD-DVD録画器は売れ行きさっぱりだし(最近、売れ行きの新聞記事が皆無であるのに気がついただろうか)、こんな事をしているのが日本だけだから世界市場から日本そのものがそっぽを向かれるという記事である。言うまでもなく、推進関係者は例によってあの手この手の言い訳に終始している。その本質が著作権者の権利保護ではなく(著作者がノープロテクトを希望しても認めない)、役人の天下り確保にある事は既に書いて来た。が、こういう事をしっかりと掘り下げる記事を書いている雑誌は稀である。
 三番目は、連載記事の「プロジェクト・バッテン」である。今回はCDであった。レコードの誕生からCDが何故生まれたかという歴史を解説している。最後は無論、高音質をうたっているDVDオーディオやSACDの不振に至る。消費者に受け入れられているのは、情報量を極限まで削減したmp3などの手軽な音源なのだ。技術論だけで走る机上の空論が既に限界に来ている事は、PS3の惨敗でも明らかであるが、そうした兆しは既にオーディオで出ていたのだ。
 こうした話に共通しているのは、後ろを振り返る事をせず、ただ最初に走り出した方向に猛進するだけのアホの群れであろう。プロテクトをかけさえすれば、で始まり遂に収拾がつかなくなっても更にプロテクトを上がけする事しか考えない日本式デジタル放送。理想のオーディオだ、などと虚言を弄し、いざ需要が頭打ちになると「より高音質」をうたって失敗するオーディオ業界。ゲームの本質を見抜けずにただ技術スペックだけを追求してこけたPS3。
 技術の進歩というものは、人間を中心に考えなくては意味は無い。使うのは人間だからだ。メディアをプロテクトでガチガチに固めたら迷惑するのは善良な一般消費者だし、一方で民生品のプロテクトなど不正にハックしようとする人間の前には無力である。先日も、Blu-Rayのプロテクトが簡単に解読されてしまったというニュースがネットを駆け巡った。関係者は究極のアホだから、今度は放送電波などに乗せたアップデート情報で再生機のプロテクトもアップデートすると言っているらしい。ところが、そうすると今度は今まで読めていたディスクが読めなくなる可能性が出て来るのだが、そんな事はお構いなしであって、自分らのメンツさえ立てばそれでいいという考えのようだ。つまり、誤りを認める事は彼らのプライドが許さないのである。こういうのは、はっきりバカと言っていいと思う。一般消費者に受け入れられてこそ彼らの顔も立つのだが、それに気がつかないのだから。

《2007.04.08》
年功序列再考
 最近、あまりに下らない組織的不祥事が非常に目につくようになった。警察の自白偏重主義による違法(人権侵害だろ)な取り調べによる冤罪事件、テレビ局のヤラセ問題と首脳陣の認識ゼロ、企業管理のズサンさ(デンソーばかりか自衛隊からも情報漏洩)など、「次に何が起きるのか」を考えていないとしか思えない事件が続発している。
 これらの背景を考えると、一つの共通したファクターが見えて来ないだろうか。それはトップの無能ぶりである。鹿児島の選挙違反冤罪(12人に無罪判決が出たアレ)では、どうやら事件の真相は点数稼ぎに走った警察署長の強引なまでの捜査指揮にあったようだ。当該署長はこの冤罪事件を起こしたあと、間もなく定年退職している事から見て、考えられるもっともありそうな理由が点数稼ぎなのだ。恐らく、逮捕件数に応じて点数が加算され、それが退職金にも反映される仕組みがあったのではなかろうか。そう考えると、例の毒ブドウ酒事件を始め、何が何でも犯人を仕立て上げろと言わんばかりの捜査に説明がつく。一時、首都圏で流行した痴漢冤罪も同様の説明が可能だ。
 テレビ局では高視聴率を稼いだ人間が出世していく。高視聴率はバラエティが大抵は稼ぐから、そういうレベルの発想しか出来ないのが出世する事になる。あるあるヤラセ問題で最初に記者会見した関西テレビ社長は、「一体何が悪いんだ」と言わんばかりの顔つきだったが、そうした人材がトップにいる事の説明がこれで可能だ。他企業の不祥事も大体同じ傾向がある。デンソーの設計データ流出、大日本印刷の800万人近い個人情報流出も、いずれも外部の人間に仕事をさせていた訳で、トップの人間の機密という物に対する認識が著しく低いと言わざるをえない。つまりかような無能な人間が出世しているのである。
 ここに見られる共通項は人事考課だ。警察の場合、逮捕人数で評価されるとするから、ああいう事件が起きると考えて説明がつく。テレビ局の視聴率偏重も同様だ。企業問題では恐らくコストを削減した金額が出世にモノを言うのではなかろうか。だから安いアウトソーシング優先で顧客情報や設計データが洩れる事など二の次になるのである。先日聞いた話では、裁判官の成績も出した有罪判決の件数によると言う。日本では起訴された事件の有罪確定率が、他の先進諸国と比べて著しく高く、冤罪の一要因になっていると言われるが、その背景にこの裁判官考課があるのではなかろうか。
 ここで頭に浮かんで来るのが、いわゆる脱年功序列、実力主義の単純思考だ。年功より実力主義と言うのは一見聞こえは良い。だが、問題は実力をどう判定するかである。判定しているのが年功だけで出世した無能な上司だったら、結果がどうなるかという点は以前より指摘されていた。しかしだからといって主観を排する方法だけに突き進むと、勢い、何らかの客観的な指標によらざるを得なくなるだろう。その指標が的確ならば良いのだが、単純に高視聴率を上げているとか、大勢逮捕したとか、有罪判決を沢山出したとか、予算を節約したなどというだけだったら、それが結果として昨今の社会問題の多くを生んでいるかもしれないのである。
 昨年、北九州市で生活保護を受けられずに50代の男性が餓死して社会問題となった。北九州市は生活保護予算を制限する方針を立て、申請しに来た人を「相談室」に入れ、うまく言いくるめて生活保護申請をさせないように誘導していた事が判明している。書類を受理してしまったら、必要条件を満たしていると生活保護を支給しなくてはいけないからだ。担当課長は予算を残すほど成績が良く査定されたという。
 こうした事例を見るにつけ、頭が痛くなるのは「これなら年功序列の方がまだマシなのではないか」という考えが浮かんで来るからだ。単純に年功だけで出世していくのであれば、確かに無能な人間も出世するだろうが、同時に有能な人間も出世するだろう。ところが、かようにおかしな判定基準だけで「実力主義」が行われたら、出世するのは無能な人材ばかりになってしまう。それなら年功序列の方がまだマシだからだ。現代人は何かと言えば、今のシステムが優れていると思いがちだ。だが、厳しい身分制度があった事で、江戸時代は260年にも渡って曲がりなりにも平和な社会を実現した。そこには先を見越した知性があった。何かと言えば新しい物を持ち出して問題を複雑化するだけの現代人には、それを踏まえて現代自身を見直す事こそ求められているのではないだろうか。

《2007.04.06》
情報保護しない法
 デンソーから大量の設計データが盗まれた(らしい)事件で、容疑者の中国籍技術者は結局起訴見送りとなるようである。そもそも、起訴出来たとしても立件可能なのは会社の備品盗難(パソコンとCD-R媒体)くらいであろうという指摘は、事件当時から言われていた。日本では窃盗に情報が含まれないためである。警察の得意技、密室での取調べも相手が中国人では言葉の壁もある上に、彼らは日本人みたいにヤワではないから通じないのであろう。
 かつて、情報セキュリティが問題になった時、小泉内閣は情報保護法を成立させた。その当時から言われていた事だが、この法律は情報漏洩が起きないように情報を持つ側が努力するように求めているのであって、洩れてしまった情報については何も言及していないから実効性には疑問があった。その懸念が見事に今回現実化した訳である。
 日本の組織内からの情報など、構成員として入っていれば取得など幾らでも出来る。持ち帰る方法も幾らでもある。今回の事件は媒体がCD−Rだったようだが、親指くらいの大きさしかないICカードに数ギガバイトが入る時代である。カードリーダもわざわざ繋ぐ必要はなく、無線LANやBluetooth経由で情報転送が出来る。組織内の情報網のどこかに無線I/Fを搭載しているパソコンがあれば(最近のノート型には多い)、どんなに管理を厳重にしても漏洩阻止など不可能である。それを下着の中にでも隠して持ち出されたら、どうやって防ぐというのか。自衛隊からの情報漏洩では、洩れた情報の中には当該隊員にはアクセス出来ないレベルの情報があったそうだ。こういう物はいずれも洩れてからの発見であって、洩れた情報は回収どころか追跡すら難しい。
 従って、情報セキュリティとしては情報を不正に持ち出してどこかに流した事そのものを罰しないと、漏洩など防げないだろうというのが情報保護法当初からの指摘であった。まさにその通りになった訳だが、離婚後300日での胎児認知がどうのこうのは盛り上がる一方で、この問題への危機感が政府には全く無いことを世界に晒け出した訳でもある。人材派遣法の改正で企業への潜入も容易になったし、捕まっても無罪であることも明らかになった。今後、日本の企業を狙った情報スパイはますます活発化するだろう。
 これというのも、日本の政府内には技術音痴ばかりが闊歩しているからだ。中国では国家の中枢を占める人材には文科系より技術系出身者が多い。対して日本では政府中枢に技術系出身者を探そうにも見当たらないのが実際だろう。官僚には詳しい者も少なくないだろうが、彼らはそれを自らの利権目的にしか使わないので、民生向けデジタルメディアのプロテクトばかりが堅固になる一方、組織からの情報漏洩はザルのままという訳である。今、日本の資産は米国系ファンドに食い荒らされつつある。不良債権処理で味をしめたファンドは、続いて退職する団塊世代をターゲットにした手を着々と打ってきている。情報資産もこれから食い荒らされる時代を迎える事になるのであろう。

《2007.04.05》
27年
 西武で発覚したプロ野球選手勧誘の裏金問題。調査委員会が出した中間報告によると、西武は球団創設以来、ざっと27年の間に延べ170人に対して裏金を渡していたという。まあ誰でも思う事は、どこかの球団が27年もやっていたのだから、他の球団が知らなかった筈はなく、やっていたのではあるまいかという事であろう。そもそも西武は新選手獲得の為には可能な手段を選ばずとってきた事で有名である。関連会社の社員として採用してから球団に回す、都市対抗野球の選手にしてからプロに移籍させるなど、プロ野球ファンなら誰もが知っていた事だ。だから今回の中間発表にしても、何となく「やはりそうか」というムードがある。
 さて、問題はこの西武の裏金問題、不正行為と報じられているが一体どの程度のコトなのかである。一応、違反としてはアマチュアの「日本学生野球憲章」やプロの「倫理行動宣言」などが上げられるようだ。辛口子は別に西武の肩を持つ訳ではないが、これらは言わば業界内部の「申し合わせ」であろう。例えば民法の何条に違反したというものではない。大学の監督に金を渡したとしても、監督に選手の人事権がある訳ではないから贈収賄にも該当しにくい。言い換えると、西武のした事は横並び業界での異端児的行為という一面があるという事になる。
 こうなってくると問題となるのは、この「業界申し合わせ事項」の正当性である。これが何の為の申し合わせかということだ。業界の安泰の為なのか、それとも球界の発展の為なのか、ファンの為なのかである。かつて、巨人が江川を獲得した時に大問題となったのが、空白の1日であった。野球協約の規則に定められていない1日があるのを利用し、その日に契約したというものだ。これをルール違反と言う事は出来ない。そこで業界は「紳士的行為ではない」という論調で巨人を糾弾した。言い換えれば、これは「業界の和を乱す」というものだった訳だが、その流れが現在変わっているであろうか。
 今回の西武問題に関連し、内部ルールへの不正行為ととがめる報道は多いが、こうした「内部ルール」はどうあるべきかを論じている記事は少ない。そもそも、ドラフト制そのものが職業選択の自由を阻害する憲法違反に近いものだ。それでもそうしたルールを使わなくてはならないのであれば、それが単に業界の安泰をはかる為のものであってはなるまい。西武を叩くだけなら簡単だが、それだけでは問題の先送りに過ぎない。今回の発覚で、どの球団も結局「ドラフト制を元に戻す」点で意見の一致を見た。つまりは「これ以上騒ぎを大きくしない」という意思統一であって、はからずも全員が同じ穴のムジナであると匂わせる対応だった。そこに野球界の将来への展望もなければ、ファンへの配慮も皆無であったことなど、今更念を押すまでもないであろう。

《2007.04.02》
EMIの英断
 報道によると、英EMIは米アップルのiTunesストア向けに音楽データをノープロテクトで提供するという。デジタル情報の配信にはプロテクトがつきもので、各社それぞれ如何にしてユーザを困らせるかという嫌がらせに知恵を絞って来たが、遂に大きな影響力を持つ大手に例外が現れたのだ。
 デジタルデータは無劣化で複製出来るため、それを防止して著作者の権利を守るというのが、これまでのDRM(デジタル情報プロテクト)の大義名分であった。だが、この主張にはこれまでも本欄で指摘してきたようにおかしな点が沢山ある。
  • アナログシステムでもある程度優れた装置なら高品質の複製は出来る。
  • 不法に流通するコピーをもって被害額を算定しているのは、コピーされなければ売れた筈だという前提がベースにあり、これはおかしい。
  • 例えばハッカー・ジャパン誌が行ったアンケートによると、自分の好きなコンテンツは例えコピーが手元にあっても購入するという傾向がはっきり出ている。つまり、今までが消費者が欲しくもない物を売りつけていたのだ。
  • そんなにデジタルが嫌なら最初っからアナログで販売すればいい。誰かがデジタイズすれば同じ事だという反論があるが、デジタイズされたデータは毎回微妙にビット列が異なるのだから、むしろ複製元の追跡が容易になる。
  • 著作者が自分の作品をノンプロテクトで販売、あるいは流通させようと望んでもそれを認めない。日本のデジタル放送は全てプロテクトをかけるように、役人が命じている。つまり守っているのは著作者ではなく、流通を牛耳る連中の権益に他ならない。
  • 前項が最もはっきり現れるのが、DVDのリージョンコードであろう。例えば我々が米アマゾンからDVDを購入してもそれは何ら違法ではない。著作者にはちゃんと金が行くからだ。それで困る連中は誰かを考えれば答は明らかだろう。
 こうした事例の列挙を見るだけでもこのプロテクト主義の愚かさは分かるのだが、今の所、このEMIは殆ど唯一の例外であって、特に映像関係ではもっとひどく、デジタル放送のプロテクトは消費者を馬鹿にしたような嫌らしさだし(日本は特にそうだ)、最近、ようやくソースが販売され始めたBlu-Rayディスクなどに至っては、DRMの他にもパソコンで再生するに当たり、ドライブからビデオカードへ直接映像ラインを引き、パソコン上のメモリを経由してはならないと規定するなど、殆ど病的な仕様を並べている。これにはあのビル・ゲイツも呆れて「極めて反消費者的だ」とコメントしているほどで、むしろ従来のDVDレベルのプロテクトを規定しているHD-DVDの方を高く評価しているほど。
 最近、このBlu-Rayのコピーガードが簡単に破られたという報告がネットにも流れ始め、また恒例の矛と盾のいたちごっこが始まる気配もあるが、結局のところ根本にある流通業界の既得権益こそが諸悪の根源であって、オンラインショップが普通になって海外からもソースを購入出来る時代に、こうした連中こそが無駄な存在となってきているのである。日本の場合は、これに加えて業界天下りという権益が絡む。更にそこに便乗して、せっせとプロテクトに精を出す偏執狂的技術者集団がゲーム感覚でプロテクトを考えているようなもので、その結果生じるコストは全て消費者が被っている。そろそろこの実態について真剣な議論がされても良い時期に来ているのではあるまいか。

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