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強行採決 支持率急落に浮き足立った安倍総理、数の論理にモノを言わせて強行採決を乱用し始めた。年金受給漏れに関する時効撤廃の法案などは、1日の審議で強行採決された。法案を僅か1日というのは余程即席に作った安易なものなのか、或いは以前から存在していたものを、バレないのをいい事に何十年も隠していたかのどちらかだろう。社会保険庁改革関連法案、公務員制度改革法案なども強行採決する構えを政府は見せており、自民公明連立の独裁体制が今さらながらに明らかになりつつある。これは明らかな議会制民主主義への冒涜だろう。 そして何よりもこうした対応を見るにつけ、やはり安倍総理、資質から行けば小学校の級長がせいぜいだと感じた向きも少なくないのではなかろうか。支持率低下に拍車がかかるのは間違いなさそうだし、公明党も何時まで付き合ってられるのか考え始めたのでは。 |
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5000万件の真実 社会保険庁の特大不祥事、年金受給者5000万人分のデータが不明とはどういうことか。パックイン・ジャーナルでも詳しくやっていたが、こういう事らしい。
大体、年金を「給付する」という言い方からして論外であろう。我々が払った金が返って来るに過ぎないのだ。預金を下ろすのと同じ事で、「お返しする」と言うべきである。しかも厚生年金などは強制徴収なのである。スウェーデンでは、毎年、政府から「あなたの年金はこれだけ払われていて、今のままだと何年後から毎年幾らの払い戻しになる」という通知が送られて来るそうだ。日本では年金受給資格が出来ても、窓口で申請しないと「給付」すら始まらない。システムの考え方が180度反対なのである。 この年金問題にケリを付ける方法は一つしかない。これまで国民が払った分について、一旦全額を国民に返還する事だ。保険庁の退職金でも国債でも何でも使って払うしかないのだ。それから改めてそれを国民に「おさめ直してもらう」のである。おさめてもらう為には、民間の貯蓄型年金保険などより透明で優れたシステムを作らなくてはならない。それ以外の方法を提案して来るなら、要するに国民が払った金は全部自分らの物だと思っていて、手放す気が無いという事である。あとは、騙されても騙されてもおとなしく従うかどうかの国民性の問題となるだろう。 |
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懲役10年 盗撮防止法という法律が成立したそうである。覗きやスカート撮影ではない。映画館での映画画面撮影を禁じる法律だ。これを見て凄いと思うのは罰の重さであろう。最高懲役10年または罰金1000万円だという。交通事故でのひき逃げが(悪質でなければ)最大5年だし、道交法での罰金はよほどの事が無い限り50万円程度だ。この50万というのは割と普遍的に見られる額で、消防法違反や廃棄物不法投棄、行政処分などでよく出る数字でもある。これと比べると非常にこの罪を大きくとらえている事が分かる。 コンテンツを保護する為というのが表向きの理由だろうが、それにしてもこの大きさは飛び抜けている。ちなみに、違法コンテンツを販売したら最大で罰金500万円(懲役は5年)だそうなので、盗撮する当人の罪の方が倍も重いと言う訳だ。このあたりの数字の根拠が良く分からない。調べてみたがどういう経緯なのか、単に重くしてやれという程度で決めたような気配である。初めに罰金額があったという話もある。 最近の政府が乱発する法案(政策)には、底の浅い場当たり的近視眼的なものが目立つと思うが、この法律なども主旨はともかく、こうした罰金額の飛び抜けた値を設定する事が法律全体としてのバランス感覚の欠如を感じさせる。その一方で、大臣が嘘をつこうが、立候補の時に経歴に嘘を書こうが、その罪などは子供の落書き以下である。企業の不祥事だと経営者は少なくとも頭を下げるが、事務所経費がズサンであろうと大臣が頭など下げた事がない。その松岡農水相、癒着オンパレードの緑資源の理事長については処分を考えないそうな(仲間だからだろう)。 重罪を重く処すというのなら、終身刑でも作ればいいと思うのだが、そういう方向へは動かないのだ。精神異常なら罪を問えないから無罪だという訳分からん理屈も一向に見直される気配はない。一方で憲法だけはさっさと改正して軍事国家を目指したいというのだから、どうもやっている事が小学校の級長レベルだと思うのは辛口子だけだろうか。 さて、罪と言えば社会保険庁の持つ年金納付記録が、何と5000万人(これも凄い数字だ)以上で不確定であったという。大日本印刷から漏洩した個人データが800万人以上というニュースで驚いてまだ間が無いのに(ちなみに大日本印刷も事実上お咎めなし)、それを遙かに超える数字が出た訳だ。無論、これで社会保険庁が罪を被る訳ではない。そして、参院選を控え、さっそく安倍総理は「これに関しては特別に時効5年の対象外としたい」と点数稼ぎに走った。 |
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コストとリスク 長距離バスの事故は相次ぎ、遊園地ではコースターの車軸が折れ、はしかで全面休講に追い込まれる大学が幾つも出て、時代の花形と持てはやされたIP電話はトラブル続きである。IP電話もだが、先日はインターネットを含むNTT東日本の光回線がほぼ全面的にダウンした(首都4県を除く長野以北というから要するにサービスエリアほぼ全域である)。このうち、ネット通信のダウンは原因が明らかだ。トラフィックの増加に装置がオーバーフローしたのである。高速を売りにして顧客を集めた結果、基幹ネットやサーバ類が耐えきれなくなったもので、理屈は小学生にでも分かるようなものなのだが、このままでは社会的影響が無視出来ないと総務省はデータ伝送速度を落とす事も認める方向で検討を始めたという。晴れて国家お墨付きで前言撤回(見方によっては詐欺だろう)が可能となる訳だ。 はしかの流行は防疫体制の虚を突かれたのではないだろうか。抗生物質やワクチンの発達で人類は病原菌を抑える事に成功した、と思ったのも束の間、MRSAやVREの出現、結核の流行、SARSの出現、天然痘の復活など、細菌からの逆襲はまるで人類の浅はかな智恵をあざ笑うが如きである。はしかもその一環であろう。ワクチンの備蓄も少ない上に、こういう物は簡単に量産する訳にはいかない。インフルエンザも、何時、強力な殺傷力を持つ変種が出現してもおかしくないと言われている。人の移動がかつてない程に世界規模になっている現代、感染症や病気の流行は一つ間違えればあっという間に世界規模になる恐れがある。グローバル化が進んでいるのは、情報産業や企業活動ばかりではない。 さて、残る長距離バスや遊園地の事故は、その問題の根底にコスト優先主義がある。長距離バスについては問題は明らかで、規制緩和によって客を集める旅行会社が強力な支配力を持った結果、バス会社への皺寄せが一気に起きたという事だ。それは最終的に運転手に行く。家に帰れるのは月に2〜3回であとは会社かバスで寝るだけ、興奮剤を片手にバスを運転している実態は、先日のNHKドキュメンタリーでも放送された。東京・名古屋間で新幹線の1/3という価格破壊は一見消費者にとって良い事のようだが、そうした運転手に命を預けているのだという事を知らなくてはならない。 遊園地のコースターも、車軸の劣化をちゃんとチェックしてなどいなかったのが殆どのケースであろう。加えてそこにコスト削減となれば、検査など真っ先に削られる項目に違いない。無論、法的には検査義務があるのだろうが、検査そのものへのチェックもされていたとは思えない報道が並んでいる。検査などしていないと答えた遊園地が非常に多かったからだ。上記長距離バスの異常料金も、法的には法定料金以下で運行してはいけない事になっているが、強力な旅行会社からのコスト削減要求を拒否したら仕事そのものがこなくなるから、バス会社はそれを守る事が出来ない。運転手にしわ寄せが行く一方、バスの整備にも当然影響するだろうからそのうちバスの方でも車軸が折れた、というような大事故が起こらないとも限るまい。 ここに共通して見られるのは、「表向き見えない所などどうでもいい」という考え方だ。確かに技術が高度化し、ブラックボックス化が進んでその全体像を捉えにくくなってきているという問題は常に指摘されてきている事だが、ここに並べて来た話はそういう次元ではない。わかりきった事から敢えて目をそむけるという姿勢の問題なのである。思い起こせば、雪印の乳製品の話あたりから、そういう傾向が社会で顕著に見られるようになってきていた。このあたりの原因は何かと考察をするに、それは一つや二つではないようで、強いて言うなら社会の成熟、即ち老化なのだとでも考えるしか無くなる。 問題は、それに対する新陳代謝の活性化のような話が出て来ない点である。何せ、国のトップが国際貢献とは軍を派遣する事だと信じて疑わないのだから、ピンボケも甚だしいのだ。そもそも湾岸戦争の時に「ショー・ザ・フラッグ」と言われたからと自衛隊派遣を決めるに当たり、国会の予算委員会で「そのフレーズは誰がどこで言ったのか」と質問されて小泉政権下の政府の誰もが何も答えられなかったのだが、今だにそれを振り返ろうとしないのである。トップがこれだから、教育再生会議など一体出席者に幾ら金を払っているのか知らないが、出てくる答申が「妊娠中はテレビを控えよ」などという噴飯モノばかりで、答申を頼んだ当人(首相)も採用出来なかったというていたらくに終わった。その首相、肝いりで集団的自衛権の研究会などというのも立ち上げたが、出席者の顔ぶれを見れば日本も軍事貢献をという単純思考しか出来ないのが並んでいる。初めに結論ありきで、しかも的はずれが確定という代物だ。 こうして見て来ると、要するに智恵(知識ではない)が社会の中をきちっと循環していないのではないかという考えに至る。目先の利益にこだわるとつぶれるぞ、というのは老舗商売の家訓には必ず出てくるフレーズだ。古き賢人は人間とは得てしてそうなりがちなのだと、きちっと理解していたのである。人間というのはアホな生きものだから、とかく昔の人間は現代人よりアホなのだ、と思いがちだが、絶対にそういう事はない。むしろ現代人より時間がある分、じっくりと考えを煮詰める事が出来た。現代は量だけはある知識に振り回され、智恵を失っている。社会が複雑化するのを避けられないのなら、そこにはむしろ人生熟達者の智恵こそが必要な筈だ。いたずらに若返りと叫んだ結果、社会の上層部や政界に思慮の浅いのばかりが集まってしまったとすれば、今のこうした問題の多くが説明出来るのではなかろうか。 |
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減らぬ自殺者の向こうに 厚生労働省が発表したところによると、精神的ストレスで労災認定となる人が急増、その中から自殺者も前年度比で1.6倍に増えているそうである。これは労災認定を受けた人だ、という事を頭に置いて理解しなくてはならない。当然ながら労災請求も増えている。認定されるのはその一部に過ぎない。また、この発表では述べられていないが、自殺者そのものも減っていないのは間違いなかろう。もし減少傾向が出ようものなら、鬼の首でも取ったかのような勢いで政府はいの一番に発表するであろうからである。 日本で明らかに経済苦の自殺と見なされる自殺者は、いわゆる構造改革(別名:格差倍増政策)が始まって以来、その前に比べて激増していると常に言われており、そこにリストラや過剰労働で追い込まれる中堅サラリーマンの姿が透けて見えている事も明白だった。厚生労働省のこの発表は何を今更の感はあるが、その実態を政府の側の統計として明らかにしたという意味はある。 問題は対策である。かつて厚生労働省が唱えたのが「うつ病対策」という噴飯物の的はずれで、この統計はそれが全く効果を上げなかった事も意味している。労働者の保護策を何も強化しないまま、一方的にリストラや吸収合併、或いは倒産を増やせばどうなるかは明らかで、小泉政権以来の政府が如何に国民軽視の政策を取って来たかが分かるのだが、厚生労働省の「うつ病対策」も同じように根本的原因からかけ離れたものであった訳だ。言わば、シャツ一枚で労働者を吹雪きの中に放り出しておいて、風邪を引いたり肺炎で死ぬのが出たから抗生物質を配ろうとしているようなものであろう。 しかも問題なのは、政府の側からこの構造改革について、何らかの見直しをしようという話が全くと言っていい程伝わって来ない点だ。5月からは三角合併が解禁となり外国企業が事実上株式によるM&Aを国内会社に仕掛ける事を可能にしたし、何やら秋に連休を作ろうなどと言いだす一方で、規制緩和はともかくとして消費者や労働者に対する保護政策が何か出て来ただろうか。恐らく阿部政権は「これもみんな今の憲法が悪いのだ」とでも言いたいのであろう。憲法改正推進論者の中には、学生が勉強をしないのも自由などを認める憲法が悪い、と平然と主張するのがいるそうだ。まさに類は友を呼ぶ、である。 これで不思議なのが阿部政権に対する支持率が上がっていると報じられている事である。アンケート技術というものが実はあり、設問の設定如何で回答をある程度誘導出来る事や、支持率と言われている物の中には「支持する」と「どちらかと言えば支持する」を一緒にしているなど、この数字の怪しさも多々あるが、もう一つの要因として不支持者の声が出にくいという点も上げておかなくてはなるまい。例えば、一家の主人がリストラされて自殺したら、その家庭の経済は困窮する。恐らく妻は働きに出るだろうし、コスト削減で電話も外す家が少なくないだろう。このアンケートは電話による自動回答システムを使っていて、しかも昼間に電話をするらしいから、こうした家の声はほとんど反映されまい。それより何より、自殺した人の声などは全く出て来る訳がないのだ。ところが支持率という数字だけは一人歩きをする。一種の世論誘導である。 かつて日本が中国侵略から太平洋戦争へと突き進んだ一つの背景に、一部の財閥や華族の富裕層と対照的な農村の極めて貧しい生活があった。娘の身売りなどは日常茶飯事で、それを見かねた若手将校らが起こしたクーデターが2.26事件である。ただ、これは権力者に完璧に利用され、以後、日本は一気に軍国主義へと突っ走っていく。このように、国内に不満の種を蒔き、そのはけ口を海外に向けさせて軍事強化と侵略を正当化するというのは、古くから洋の東西を問わずに権力が行って来た常套手段であった。阿部総理は国民投票法案が通った事で「憲法9条ほど時代にマッチしない条文はない」とおおっぴらに言うようになってきたそうだ。格差社会を作り、憲法改正手続きだけは性急に整えている政府の行動をこうして並べてみると、一つの事だけで頭が一杯で他の事など考えられない異常人間の行動に酷似している。無論、それに迎合した世論誘導をするだけのマスコミの責任は大きい訳だが、日本が軍事国家になりまたも敗北して廃墟になったとしても、その時には責任などとるのは不可能だしその意味もないのだと読んでいるのかもしれない。 |
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安直連休増産案 休日が自動的に月曜に移動して連休を作るというのは、元々、日本人は働き過ぎだ、なーんてな声が世界で起きた事から生まれたアイデアだった(と思う)。休日そのものは増えた訳ではないし、月曜が休日だとその1週間のリズムがどうも狂う(火曜を月曜だと思ってしまう)ので、個人的にはあまり有りがたいと思わない仕組みである。実際に、好評なのかどうかも良く分からないのだが、政府は11月に更に連休を増やそうと検討しているのだそうだ。 その仕組みとは、11月3日の前に10月10日の体育の日を、後には11月23日の勤労感謝の日を動かして連休にし易くするというものだとか。要するに春のゴールデンウィークと似たものを秋にも作るという事である。 なんかねえ、いい加減にしろと思わないでもない。格差倍増政策を推進し、貧乏人は食うにも困る状況を作っておきながら、連休だけは増やすというのだ。現在、我々が使っている暦はグレゴリオ暦と言われるが、何故2月が28日しかないかというと、かのアレキサンダー大王が「俺が8月生まれだというのに、8月が30日しかないとはけしからん」と言って、2月から1日を8月に動かしたからだと言われている。与党は圧倒的過半数の議席を確保して、大王にでもなったつもりなのだろうか。アメリカにへいこらするだけの、およそチンケなヘボ王にしか思えないのだが。 そもそも、連休を増やした頃とは社会情勢が全く違う。国民は働き過ぎどころかリストラで自殺に追い込まれ、残った労働者は賃金が上がる訳でもないのにリストラされた仲間の分の労働も強いられている。競争力強化の名のもとに何を勘違いしているのか、利益さえ上がれば競争力だと信じて疑わない単細胞経営者は自分らの給料だけは倍増しながら労働者の賃上げは牽制し続けている。これで連休を増やす事にどういう意味があるというのか。休日無賃労働などの不当行為が更に蔓延しても不思議ではない。与党の議論を聞いていると、明確な根拠がある訳ではなく、ただ「秋にもゴールデンウィークを作ったら」というだけらしい。小学校のホームルームか、これは。 休日というのは決められた過程に意味がある。建国記念日は神武天皇が即位した日(らしい)し、体育の日は東京五輪に由来する。これを勝手に動かしたのでは、その意味が全く不明になってしまう。今でも祭日はただ休める日だとしか思っていない人が多いと聞くが、国会のセンセイ方も常識が抜けている向きが少なくないようだ。そもそも思い起こすに、日本人を働きすぎだと非難したのは、アリとキリギリスで例えるならキリギリスをやっていたアメリカである。日本政府はそのキリギリスに憧れているので、せっせと尻尾を振っているうちに、その思考までも先取りするようになってきたのであろうか。まあ若返りというフレーズだけが一人歩きし、若い以外何も取り柄のないとしか思えないような面々が国会議員として闊歩しているのが現状だ。 その筆頭が、今でも米国がイラクに侵攻したのは間違って無かったと言ってはばからない安倍総理。国会で再び野党に追及され、「情報は間違っていたが、イラク侵攻そのものは間違って無かった」とまたも妙竹林な答弁。侵攻の根拠が間違っていたと言いながら、侵攻そのものは間違って無かったというのはどういう論法なのだろうか。小学校の作文でもこんなのはバツもらうんではなかろうか。 |
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最低限の倫理 村上ファンドの論告求刑公判で、検察側は「およそ証券取引に携わる者としての最低限の倫理観すら欠如していた」と厳しく糾弾したそうである(朝日新聞による)。村上ファンド(やライブドア)の栄枯盛衰にはもっと裏がありそうだが、それについて言及するのは今日の目的ではない。検察側の言う、最低限の倫理観という言葉が引っかかったからである。 さよう、一連の冤罪誘発自白偏重主義の事だ。痴漢犯人にされた男の苦悩を描いた映画の話「それでもボクはやってない」や、鹿児島県議員に対する言われのない選挙違反追求の他、再審が一旦認められながら検察側の異議で却下された毒ブドウ酒事件などを本欄では取上げてきたが、他にも数え上げればきりがないこれらの事件に共通するのが密室に適当な容疑者を閉じこめ、何百日にも渡って尋問を行って自白をさせ、それを証拠に起訴して有罪(場合によっては死刑)を求刑するという手口である。一例を上げるなら、鹿児島県議の話などはまさにひどいものであって、得られた証拠が全て容疑を否定しているのに、強引に書かせた自白調書を信頼できる唯一の証拠として鹿児島県警が書類送検し、検察が無条件で受理して起訴したのだ。あまりの起訴内容のひどさに裁判所が「問題外、無罪」を言い渡し、検察は控訴を断念したが、この件については「今後は気をつけるように通達を出す」というようなコメントを発表しただけだ。 職業に携わる者としての最低限の倫理観。それを検察官が声高に叫んだというこの記事、かようないきさつを理解した上で読むと、何やら意味深に思えてくるのではなかろうか。 |
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民主主義の成熟度考 どこぞの知事や議員に芸能人が当選するのは日本だけのお家芸ではないが、フィリピンではその流れが逆流し始めたという話が朝日新聞に出ていた。最近では知名度が決め手の芸能界出身候補が軒並み苦戦しているのだそうだ。当然ながら、その裏には有権者の意識が変わって来たという分析がある訳で、政策論を重視する流れが強くなっているとも書かれていた。 問題は日本であろう。芸能人候補や二世候補ばかりが当選する事を嘆く意見もあるが、今もって候補者が政策論を自前サイトに掲載する事すら出来ない。選管は表向き、公平ではなくなるなどと適当な事を言ってシラを切っているが、新聞にチラシを入れ、郵便局と出張所に選挙公報を置いただけで公平でござい、などと言うつもりなのだろうか。選挙公報が茶番なのは見てみればわかる。候補者の公約など何一つ分からないと言っていいからだ。言うまでもなく、こういう話では表向きに出てくるのが正しい理由ではない訳で、高野連が保身の為に「高校生の健全な」というフレーズを繰り返すのと同じ理屈だ。 最もありそうなのは、インターネットでそれをやられると、コントロール出来ないから、奴らにとっては都合が悪いという事であろう。東京都の知事選でYouTubeに選挙放送がアップされた時の選管の慌てぶりがそれを象徴していた。「公平ではない」という何時もの理屈を付けてしまったからだ。なら、全候補者のムービーをアップすれば問題ないではないか。だが、本当は情報など与えたくないからそんな事は逆立ちしても出来ないのだ。情報が絞られれば知名度や二世で当選するのも当然であろう。 芸能人が当選するのは知名度もあるが、テレビの影響も少なくない。テレビに対しては、今、政府は着々と手足を縛る法制化を進めている。放送内容に捏造がないかチェックするという話は、裏を返せば検閲に限りなく近い。政府の方針に反する内容は「事実無根だ」と警告する事が出来るからだ。放送のデジタル化が完了すると、今のB-CASカードのIDを使って誰がどの番組を見ているかの把握も可能となる。B-CASカードを管轄している天下り用法人は、大型コンピュータセンタを建築中と言われる。これで国民投票法案が成立すれば、テレビを通じて都合の良い情報をせっせと流し、染まりやすいように有権者の年齢を18歳からとして憲法改正に持って行く事が可能となり、改正できればあとは自民党案にあるように「基本的人権は公の秩序に反しないように行使しなくてはならない」事になるから、治安維持法へ一直線となる。 民主主義というものは、国民が投票すれば民主主義なのではない。それなら旧共産圏諸国だって、北朝鮮にだって選挙制度はある。国民に知る権利が広く与えられ、その情報をもとに国民が判断して投票するから民主主義なのだ。日本では「知らしむべからず、よらしむべし」(余計な事を考えずに言うとおりにしろ)と言ってはばからない輩が、太平洋戦争に敗北して60年たってもまだ続々と出て来ているのである。憲法がどうこうより、そもそも民主主義のイロハすらまだ学習していないのが現状なのだ。 なお、この「知らしむべからず、よらしむべし」というのは本来、「為政者は国民から信頼されて導いていかなければならない。しかし、国民に正しい教えを完全に理解させるのはとても難しい」という意味の孔子の教えなのだそうだ。これがこうした意味で広く使われてしまっている事そのものが、今日本のあり方に根本的な問題を投げかけているのではなかろうか。 |
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主催者側の言論弾圧論 久間防衛庁長官宛にカミソリの刃入り封筒が届いたそうだ。弱腰であるという一文が入っていたそうだが、世の中にアホは幾らでもいるのだから適当に捨ておけばいいものを、小心者の集まりと言われるどこかの政府はまたも余計なコメントをして物笑いのタネになりそうだ。 その筆頭、安倍総理は「言論に対する弾圧は断固として許す訳にはいかない」とコメント。カミソリを弾圧とは恐れ入ったが、今、自民党の出している新憲法草案では、基本的人権を「公の秩序に反しない」ように使わなくてはならない(事実上の治安維持法)、という一文が入っている事などケロリと忘れているのか、或いは権力側が弾圧をするのは構わないと思っているのか、さてさて。 弾圧をとやかく言うなら、東京都教育委員会の国歌強制をまずは咎めたらどうであろうか。自国の事だと拉致拉致と大騒ぎする癖に、少数民族を弾圧しているミャンマー政権を支援しているし、国連安保理の承認も無しにイラクを侵略した米国を今だに正当化している世界でほぼ唯一の政府だというのはどう説明するというのだろうか。(ちなみにイギリスどころか米国政府、大統領も正当とは言えなかったと発言している) 上にへいこらする一方、下に向かっては威張り散らすどこにでもいる下等中間管理職と良く似たものを感じる向きも少なくないのでは。 |
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構造改革どこ吹く風 高野連が発表したところによると、いわゆる特待生制度を野球選手に適用している高校は全国で382校に上るらしい。全国の高野連加盟高校はおよそ4800だそうだから、1割弱がそうした制度を持っていた事になる。ただ、この数字は私立だけだそうだから、最終的に特待生制度を使っている高校はもっと増えるであろう。それにしても、釈然としない話ではなかろうか。他のスポーツ選手なら特待生は何のお咎めもないのに、野球選手だけが「差別」されるのである。しかもその根拠とされる日本学生野球憲章たる代物は何と60年も前に作られたというのだ。東北の高校(多数)から憲章見直しの要求も出たそうだが、高野連はけんもほろろに却下している。プロ・アマ交流禁止を多少なりとも緩和させるのに50年を要した高野連だが、何が何でもこのカビだらけの旧態然たる憲章は死守するつもりらしい。 何で野球選手だけがこうなのかについて、高野連は「プロに直結するから金銭感覚を狂わせない為」だと言うが、サッカーは直結しないとでも言うのだろうか。バスケット、バレエ、スケート、卓球、柔道などプロに直結するスポーツは現代では幾らでもある。その全ての選手が金銭感覚を狂わせているなどと言うような詭弁を弄する事が、そうした憲章の不必要さを端的に証明しているではないか。大体、発想の順序が逆である。プロになるのであればなおのこと、金銭感覚を養わなくてはいけない筈だ。金から遠ざけられたまま、高校を出てプロになり、いきなり年俸や契約金で数千万円を前にする方がよほど危ないと思うのが普通であろう。 小泉政権以来、規制緩和と構造改革の風が日本を吹き荒れている。郵政などの民営化を始め様々な業種で新規参入や自由化が進み、一部では現場への皺寄せによる過労問題すら起きているが、高野連は悠然たるものだ。時代から遅れた盲腸より不要なのは、憲章ではなく高野連そのものだろう。米国に高野連などない。生徒には連帯責任を負わせる一方で、高野連が不祥事で連帯責任など取った試しはない。結局、既得権益にあぐらをかき、高校生を頭ごなしに抑えつけるのを楽しむ老骨が集まっただけの腐り切った組織である。そんな代物などさっさと廃した方が野球界全体の発展にどれだけプラスになるか、測り知れない。この際である。全国の高校がどこも「ウチは特待生制度をしております」と報告してはいかがだろうか。全高校にペナルティを課せられるかどうか、高野連のお手並み拝見となるからだ。 |
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