一刀両断ミニコラム
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《2007.06.30》
原爆投下の理由
 久間防衛相が第二次大戦での広島、長崎への原爆投下を容認するかのような発言をした、と物議を醸しているようだ。防衛相、以前はイラク戦争に大義は無かった旨の発言もしているが、辛口子はこのどちらの発言も支持したい。イラク戦争については言うまでもない。国連決議も無いまま、ちゃんと査察を受入れていたイラクに対していきなり軍を進めたアメリカの行為は、誰がどう見ても侵略行為だからだ。イラクの油田は埋蔵量としては世界のトップクラスで、今後100年に渡って石油採掘が可能だと言われる。アメリカの真の狙いがこれだというのは、今や誰の目にも疑いの余地はない。何しろアメリカはバグダッドに入った時、何よりも最初に資源省を占拠したのだ。アメリカは常に自国の油田を温存して世界の石油を浪費してきた。ベネズエラでチャベス大統領が誕生し、そこの石油利権を失いつつあるアメリカにとって、イラク油田は何が何でも欲しいものだったに相違ない。
 さて、話は原爆である。第二次大戦末期、米軍の勝利は確定的だった。しかし日本軍の無謀とも言える執拗な肉弾戦反撃で米軍も膨大な数の戦死者や負傷者を出していた。日本軍の死者は数十万のオーダーだったが、米軍も一万を超える死者を出している。戦局は明らかなのに、一向にそれを認めずに特攻を繰り返してくる相手によって、味方に甚大な損害が出ているとあれば、何とかしてさっさと終わらせたいと思うのは誰でも同じであろう。だから米軍はまず大都市への爆撃を開始した。これによって、日本国内で反戦機運が高まるのを狙ったのである。ちなみに、米軍は爆撃以外にも降伏勧告を外交ルートを通じて何度も日本政府に打診しているし、爆撃だけではなく戦争を止めよというビラも大量に蒔いている。
 ところが、政府は一向に戦争を止めないし、幾らひどい目にあっても日本の国民は何故か政府に反旗を翻さない。仕方なく米軍の絨毯爆撃はあちこちの都市に展開される事となった。それでも日本は一向に降伏勧告を受入れず、自決し損ねて逮捕された日本軍士官も「我が国には1億からの国民がいるのだ。それがとことん抵抗するぞ」と言うに至り、遂に米政府は原爆投下を決めたというあたりが真相であろう。無論、副次的な理由は幾つも考えられる。ソ連が満州から朝鮮近くにまで迫っていたのは紛れもない事実だし、人種的偏見もあったかもしれない。冷戦時代は既にその予兆を見せていたから、ソ連に対するアピールの意味もあったであろう。しかしながら、日本がさっさと降伏していたら、原爆が落ちなかった事だけは間違いないのである。
 また原爆が落ちた事で遂に頑迷な軍部もコトの重大さを悟ったという意味では、日本全体として見た時の一般国民への被害が最悪にならないで済んだのも考えるべきであろう。軍部と政府は長野県に地下大本営を築き、国民を盾にして自分らだけは最後まで生き延びようとしたのだし、国民は上陸して来るであろう米軍に対して、竹槍で立ち向かうように言われていたのだ。今、80歳か90歳くらいのお年寄りが身近にいたら、聞いてみてもらいたい。学生時代、そういう訓練を受けたはずだ。これは冗談や悪夢ではない。これがそのまま実行され、米軍の日本上陸作戦が展開されていたら、国民の死者は何百万人になったか想像すら出来ないのである。沖縄で一般民が日本軍と米軍の板挟みになって、どれだけ大勢死んで行ったか。それが本土でも起きていたはずなのである。
 無論、だからと言って原爆の被災者をおろそかにするものではない。しかしながら、悲惨だ悲惨だと言っているだけでは問題の本質を理解し損なう。何故、そのような悲惨な体験をしなくてはならなかったのかを考えなければ、また同じ過ちを犯してしまうだろう。久間大臣の発言を詳しく読んだ限りでは、その真意は決して原爆被災者の軽視でもないし、原爆投下の容認でもないと思う。最後に被災者が感情的になるのは理解できないでもないが、野党のヒステリックな反応には幻滅だ。そんな程度の頭だから、いつまで経っても政権をとれないのである。

《2007.06.28》
年金記録確認委員会?
 あのズサン極まりない年金記録について、証拠が無い申し立てについて判断する委員会で、正式名称を「年金記録確認中央第三者委員会」と言う。これに先立ち、「年金記録問題検証委員会」というのが発足していて、この両輪で年金記録を修正しようという体制であり、社会保険庁関連からは独立させる為に総務省に設けられた。
 さて、ここまではニュースなどで良く出ているとおり。問題は、厚生労働省に昔から「社会保険審査会」というのがあった事だ。これも実は年金記録について申し立てを審理する場として設けられていたものである。が、実際にはまず窓口で殆どが門前払いをされ、それでも納得しなかった元気の良い国民だけがこの審査会に持ち込む事が出来ただけで、しかも実際に記録ミスと判断されたものは極めて稀であった。要するに、形だけで殆ど活動していない審査会だった訳だ。今回、この審査会とは別に上記委員会が立ち上げられた訳だが、ここで殆ど報じられていないのがこの審査会委員の報酬である。
 上記したように、殆ど審査などしない審査会であるから、会合は週に一回かそこら。で、委員は6人いるのだが、委員長の報酬がなんと年額1800万円。委員の報酬も1300万円くらいだという。いずれも公式に発表されている訳ではないが、この数字を元に考えれば週一回だとして委員長はただ来るだけで(審査なんかしてない)35万円もらっている事になる。しかもどうせ送り迎えの黒リムジン付きである。8日の本欄に書いた「御用学者」という手合いが、こういう美味しいおこぼれに預かる訳であろう。
 さて、ここまで来れば話は明確だ。一番最初に上げた二つの委員会、出席者にどれだけ税金が使われるのか、ということである。どうせ横並び大好きで、税金なんて俺の金じゃないから好きに使えというモラルの役所がやる事だから、これに「準じた」報酬となっているに違いない。

《2007.06.27》
コピーワンスはどうなったのか?
 総務省の諮問機関「デジタルコンテンツの流通の促進等に関する検討委員会」という、試験に出そうな長い単語の会議、これが今、消費者の間で顰蹙モノのいわゆるデジタル放送コピーワンスについて議論していた(既に過去形だ)場である。「流通の促進」と言っているところが如何にも皮肉であるが、その結論が一応出た事は殆どメディアでは紹介されなかった。ハッカー・ジャパンの最新号(7月号)がそのレポートを出しているのだが、それによると要するに放送局側の勢いが勝ったという事のようだ。
 消費者側と家電メーカ側が現行のコピーワンスは厳しすぎるし不便極まりないと主張していたのがEPN方式。これに対して放送局側は現行のコピーワンスを断固維持の立場だったそうだ。で、結論はどうなったか。主査を務めていたのがあの慶応大の村井純教授だったが、その提案した「HDから複数枚のDVDにコピーは出来るが、孫は作れない。またコピー枚数も制限する」という案で一応の結論という事になったらしい。
 あの村井教授にしてこの最悪な妥協案しか出せなかったという事から、如何に不毛な議論がダラダラと続いたかが想像に難くないと言うしかないが、それにしても文句なしに最悪の妥協案である。何故かというと、そもそもこの提案が仮に実現したとしても、消費者にとっては現在の不便が解消される訳ではないからだ。それに何よりも、この方式を実現させる為には、【またも全装置の買い換えが必要となる】のである。現行装置がファームの書き換えをした程度でこれに対処出来る筈もなく(そもそも記録メディア上でのフォーマットも新たに決める必要があるだろう)、結局は消費者に全ての皺を寄せただけの話になっているのだ。
 大体からして、上記、消費者側が主張しているとされているEPNにしても、とんでもない仕組みだ。要するにこれは機器同士が互いに通信してメディアの正当性を確認する仕掛けで、例えば自分の家で作成したDVDかどうかを録画機に確認、OKなら再生装置が再生を許可するという仕組みであって、これこそディスプレイからチューナまでの全装置を買い換えなくてはならないのを意味するからだ。こんな仕掛けを主張した消費者代表とは一体どこのウルトラバカなのだろう。
 つまり、上記妥協案というのは、現行のコピー制限は実質変わらず、しかも消費者には新たな出費を強いるという事だから、金だけとられて不便なままという最悪な結論なのである。こんな事は子供でも分かる事なので、おおっぴらに発表しなかったのであろう。しかも、役人はこの案を数年間眠らせておくつもりらしい。つまり、アナログ地上波の終了時期に合わせ、「もっと便利になった新しいデジタル録画機」と言うのが華々しく登場するという訳だ。まったく、消費者も馬鹿にされたものである。
 欧米では日本のような厳しいコピー制限がされてはいない。公聴会などで消費者から批判を浴び、放送局側が身を引いた結果である。日本では全て密室で決められるだけで公聴会などという物はなく、あったとしてもタウンミーティングのようにあらかじめ脚本の作られている茶番劇であるから、こうした形で消費者の声が上がる事はない。元々、著作権というのは力の論理で決められてきた経緯があり、映画に頒布権というのが認められているのもかつて映画という産業が隆盛を誇った時代の名残りである。しかしながら、今や軽薄極まりない馬鹿騒ぎと嘘八百の報道しか出来ないような落ち目の産業がこれだけゴリ押しを通したというのは例があるまい。
 何度も本欄では指摘している事だが、そもそもコピー制限を厳しくして発展した産業など無いのである。アップルがオンライン音楽販売で成功したのは、制限を極めて緩くしたからだ。最近ではプロテクト無しの販売がシェアを大きく拡げている。それは何故かというと、「一部にコピーする不敬な輩もいるだろうが、大部分はそんな事はしないだろうし、それによって市場が拡大した方が遙かに実入りが大きい」という至極論理的で分かりやすい戦略を採ったからに他ならない。
 つまり、日本のコピー制限論者というのは、たとえて言うなら壷の中の豆を掴んだまま、それを意地でも手放さずに壷から抜けないと騒いでいるサルと同レベルの知能程度だという事である。手で掴んだものを一度放せば壷の中の全てを自分の物に出来るチャンスがあるというのに、それには気がつかずに断固として掴んだ豆を放そうとしないのだ。いやまったく、出てくる番組の質も説明できようというものではないか。

《2007.06.20》
ミスコン再考
 朝日新聞が、先日、ミス・ユニバースで日本人が優勝した裏には、フランス人のディレクターがいたという記事を出している。このフランス人の事は優勝の時にもニッカンスポーツなどは書いていたので別に目新しい話ではなかったのだが、朝日の記事はもう少し具体的にミスコン優勝者をいかに作ったかにも触れていた点が違う。そもそも、このフランス人。米国のミス・ユニバース主催組織が日本に派遣した人だそうだ。日本代表を選出する事から、代表を鍛え上げる事まで総合的に担当したというから、殆ど日本の組織はその指導の下で動いただけ、という事らしい。記事によると、日本代表として求めたのは、可愛くなどなくていいから「健康的な美しさ」「知性」「コミュニケーション能力」の3つだったそうだ。これが今の世界規模のミスコンが求める基準なのであろう。
 世界的規模のミスコンとして有名なのは、ミス・インターナショナル、ミス・ユニバース、ミス・ワールドの3つがある。あまり地上波では放送されないが、スカパーのFOX-TVなどでは結構放送されている。それを時々見ていて感じるのは、確かに出てくる候補たちは紛れもなく綺麗だし、健康的だし、スタイルは抜群だし、踊りのセンスもいいし、質疑応答もテキパキしているのだが、逆にどの候補を見ていてもまるで金太郎飴の切り口みたいに個性がない点だ。特にボディラインなどはまるで機械でプレスしたのではないかと思うくらいに、どれも良く似ている。恐らくは、既にシェイプアップの手法が確立していて、どの候補も同じテクニックで磨き上げているからに相違あるまい。
 この度、48年ぶりに日本代表が優勝したというのに、あまり国内では盛り上がりがない。今回、わざわざこういう形で朝日新聞などが記事を掲載した背景には、折角優勝したのに反応がさっぱりである事に焦ったミスコン組織側の思惑が透けて見える。盛り上がらない原因ははっきりしていると思う。「これが世界一なの、へえ〜」というあたりが平均的感想だからであろう。辛口子も全く同感である。昨年2位で話題になった知花くららさんの方が、遙かに魅力的に思える。今年、優勝した森理世さんを見ていると、細い吊り目でやや面長。この顔立ちは西洋人がイメージするアジア人の顔なのである。アメリカンコミックに出てくる東洋人美女の顔だ。だから日本ではいまいち受けが悪いのだと思う。この手の顔立ちは日本のアニメにも雑誌グラビアにもまず出て来ない。それどころか、アジア各国のアイドルにも、雑誌にも殆ど見られないと言ってもいい。つまり、西洋人に受けるだけで東洋ではインパクトの薄いタイプだ、という事なのだ。幾ら敏腕ディレクターでも西洋人には思いも出来なかったようだ。
 このフランス人ディレクターをわざわざミスコン主催本部が日本に派遣したのは、日本のミスコン熱が冷め切っているからだったという。原因ははっきりしている。いわゆるミスコンは差別だというアホが蔓延した事と、それにバブル崩壊が追い打ちをかけてミスコン大会そのものが殆ど無くなった事だろう。かつては、ミス○○村、なんてのもあったが、今や水着キャンペーンギャルですらほんの数社が行っているだけで、廃止した水着メーカも珍しくない。だが、それは表の理由であって、その裏には日本という市場をミスコンを通じて席巻したいというミスコン関連産業(スポーツから水着まで色々ありそうだ)の思惑があるに違いあるまい。でないなら、わざわざ大物ディレクターなど派遣してくる訳がないからだ。米国のミスコン本部にしたってボランティアでやっている訳ではない。スポンサーを集めてミスコンを実施しているのだから、当然、スポンサーの意向は強く作用する。要するに、敢えて辛辣な見方をするなら、ハゲタカファンドと同じ目的だという事だ。
 ところで、ミスコンである。折角、世界一になったのに今いち盛り上がらないというズレは、ミスコンの実体が美人コンテストではなくなっているからだと言えよう。上述したように、「健康的な美しさ」「知性」「コミュニケーション能力」で審査するというのなら、何故わざわざそんな事をするのかという疑問にぶつかるからだ。知性と言いながら特に試験をする訳でもなく、ほんの二言三言の質疑応答だけで、これならコミュニケーションを含め英語圏が圧倒的に有利だろう。健康的な美しさというが、踏み台昇降でもやらせて脈拍数を測る訳でもなく、やっているのは1分にも満たないダンスだけだ。
 かつてはミスコンと言えば出場者の身長やスリーサイズが出るのは当り前だった。それが出なくなったのは、美人ばかり差別していると騒ぐアホの存在である。だから知性だの健康的だのという虚構を表に上げるしかなくなった。だったらこんな茶番コンテストなど止めればいいものを、大金が裏で動くからそれも不可能なのだろう。日本だけではなく、世界的にミスコンが盛り上がっていない。かつてはミスコンの優勝者はモデルなどへの登竜門だったが、出てくるのが美人ではないとなったらそんなルートは誰も使わなくなる。実際、モデルエージェンシーは別の審査会を行うのが普通となった。映画界もそうだ。落ち目に焦りの色を濃くしたミスコン組織が、かつての栄光よ今一度、と思ってまず日本をてこ入れしようとでも考えたと思ってあながち外れではあるまい。
 そもそも、美人コンテストなら美人であるかどうかを真面目に審査すればいいのである。別に美人でない物は女ではない、などと誰も言ってはいないのだ。知性なんか引き合いに出す必要もなく、端的に言えば「入れ物さえ良ければ中身などどうでもいい」ですら良いのである。これを差別だというアホに対しては、では自分の結婚相手は3高でないと嫌だ、などと言うなとやり返せばいい。男の選択基準に背の高さだの年収だの学歴だのを言う一方で、美人を評価するのは面白くないというのだから、こういう手合いこそまさに知性ゼロのどうしようもないアホなのである。

《2007.06.18》
アップルたたき
 アップルが公開したWindows版のSafariに不具合、という報道がやたらと目に付く。やれ日本語表示に問題があるだの、セキュリティホールが見つかっただのと、一体何を騒いでいるのか知らないが、公開されたものは英語版のしかもベータ・バージョンである。ベータ版というのは、開発途中のものをユーザにチェックしてもらう為に公開するもので、不具合が見つかるのが当り前のものだと知らないらしい。書いている奴の低いスキルが見え透く話である。こんな事を騒ぐのなら、正式版と言いながらセキュリティホール満載のどこかのOSを少しは責めたらどうなのか。

《2007.06.13》
アメリカ幻想
 「ニューヨークに住んでます」と言うと、日本からは大抵「それは素晴らしい」と言われるのだが、そんなのは幻想である、と書いているのはライターの生田倫哉氏。月刊PLAYBOYの最新号(7月号)の142頁である。高層アパートメントに住めるのは、ごくごく一部の裕福な層だけで、大抵は4階建てくらいの古いビルの一室だという。それですらまだマシな方で、一つの部屋を複数で共用しているのが珍しくないのだそうだ。
 こうした現実は実際に現地で生活すると否が応でも味わうのだが、日本にいるとアメリカがそういう国であるとは殆ど知る事は出来ない(それが僅かにかいま見えたのが、あのハリケーンによるミシシッピ河の氾濫報道だろう)。それはメディアがアメリカ薔薇色の話ばかり流すからで、こうした現実の話はテレビどころか雑誌や書籍にも殆ど登場しないのだ。実際、米国の貧富の差はすさまじいものがあり、かつて経済破綻で大騒ぎになった南米、特にブラジルなどの比ではない。ほぼ国民の5%が富の70%を占有していると言われる。ある調査によると、企業の従業員と取締役レベルの賃金比は日本が11なのに対し、米国は何と475だという。ちなみにイギリスが22、フランスが15。
 こうした環境は、言うなれば実力主義であり、弱肉強食であり、自由競争社会とも言われるが、実際には他人を踏み台にし、搾取する一部の奴だけがのし上がっている社会である。従って、勝ち組の中にいればそれは大変心地が良く、まるで天国を満喫する事が出来る。何だかどこかの国が今向かっている方向であるが、それは竹中や小泉などがその勝ち組の話ばかり頭に入っている単純極まりない連中だからだ。日本はせっせと毎年何十兆円もの米国債を購入し、在日米軍の光熱費まで負担し、グアム移転費用どころか現地の建設費まで負担、しかも今度は郵政を民営化して国民が貯めた数百兆円の金を米ハゲタカファンドの手の届く所に持って行こうとしている。この様子を現わす格好の表現がこの記事に出ているが、それは、

「東洋の成金の醜女(しこめ)お局(つぼね)が、アメリカというカッコ良くて若い男の気をひこうと、お金でも高価なプレゼントでも何でもドンドン投げるように差しだし、自分も好かれていると勝手に思いこんでいる」(原文)

 である。しかもメディアはそれを、まるで対等な関係であるかの如く報じているのが現実なのだ。どこぞのホストクラブで見られる光景のようだが、それを対等な関係だと書く週刊誌はあるまい。ちなみに、カッコ良いのではなく、良く「見える」だけであろう。
 最後にこの記事では、別の幻想についても注意を呼びかけている。それはアメリカに数年住んだ位では英語をマスターなど出来ません、ということ。カタコトならともかく、日常会話ならちゃんと専門学校で特訓しないと無理。従って、短期留学で英語をマスターしよう、なんてな広告は嘘八百ですよ、というものである。はっきり言って良い外語学校を探して日本で練習した方が良い。無論、NOVAは止めた方がいい。外国人と論を交わすのなら、その国の文化、歴史ばかりでなく自分の国の事も詳しくなくては馬鹿にされる。戦国時代から明治維新、大正、昭和初期にかけて外国人に「日本語で」質問されて、ちゃんと答えられるのがまず第一歩であろう。


《2007.06.11》
QWERTYの謎
 QWERTYとはクワーティと読み、一般に使われているキーボードのキー配列の事である。この配列、タイプライター時代から広く使われ、DVORAKを始め様々な「より効率の良い配列」が提唱されながらも変わらずに使われ続けている。決して非常に優れた配列ではないと言われながら、一体どういう経緯でこの配列がデファクト・スタンダードになったのかについては、これまではっきりとした解説がされた事はなかった。この配列を考案したのは米国人クリストファー・ジョールズであるのは間違いないのだが、彼がこの配列にたどり着いた経緯も不明なら、当時決してメジャーではなかったこの配列が何故他のライバルを押しのけてスタンダードになったかも不明であった。
 この問題にかなりはっきりと光を当てた記事が、ハッカー・ジャパン最新号の「プロジェクトX(バッテン)」に掲載されている。細かい話は当該記事を読んでもらうとして、要するにこの配列が広く普及するきっかけになったのは、タイプライタ普及期にある投資家がトップランクのタイプライタ企業をまとめて買収、グループとしてQWERTYを標準化した事であるらしい。この時期に一斉に市場をQWERTYが席巻してしまったのが理由だという。良く分かる話である。
 現在のキーボードを使っていると、昔の機械式タイプライターを想像する事は難しい。この記事はそういう時代の要求も分析、可能な限りのデータと推論から成っているのでこの方面に興味のある向きは読んでみて損はないと思う。この記事に触れられている事だが、あるテレビのクイズ番組では、この配列の由来について根拠の無い俗説をもっともらしく紹介、果ては発明者のジョールズが強引に押しつけたかのような扱いをしていたらしい。あるある問題を取上げるまでもなく、今の地上波バラエティのやっている事が小学生の夏休み自由研究レベルだという一つの実証だろう。

《2007.06.09》
今更、メディアのモラル
 御難続きの西武ライオンズ、今度は命名権を売ったグッドウィルが評判ガタ落ちでまたもイメージダウンに。チームも連敗を重ね、関係者には同情を禁じ得ない、というところである。これについては別に西武が悪い訳ではないし。
 ところで、このグッドウィル。介護ビジネスで不正行為と叩かれているが、このグッドウィル会長という折口なる人物、かつてジュリアナ東京の仕掛け人として、時代の寵児と騒がれた人である。大体、マスコミが時代の寵児と囃し立てる人間にはどうもロクなのがいないようだ。ホリエモンもこの例に洩れない。ジュリアナ東京が実証したのは、古くから言われる「ブタもおだてりゃ木に登る」であって、それ以上の何物でもないのだが、金さえ集めればマスコミは時代の寵児とおだてるのである。
 そのマスコミ、今度は人気急上昇のアマチュアゴルファーに過剰取材とこちらも叩かれている。取材側にモラルが無いという指摘は何時もの事だが、こういう例を並べてみれば分かるように、元々そんなものはないような職種であるとも言えるのだ(全部がそうではないのだが)。個人的には何を今更騒いでいるのか、という気になる。モラルをとやかく言うなら、責任者をしっかり罰するのが先だろう。番組を発注したテレビ局側が相変わらず他人事のような顔をしているのが最大の問題である。あるある事件から全く体質が変わっていないのが見え見えだからだ。
 グッドウィルが別会社を使って業務を引き継ごうとしたり、行政処分が出る前に営業所に廃業届けを出させたりしている件にしたところで、トップに立つ人間が時代の寵児とチヤホヤされた、ただのモラルなき金の亡者だと思えば当然のやり口であろう。これで一番喜んでいるのは、社会保険庁問題から批判の目をそらさせる格好の材料と期待する政府与党であろうし、踊らされずに年金問題を継続して追求してこそのメディアであろう。

《2007.06.08》
御用学者
 7日付読売新聞朝刊なぞをめくっていたら、面白いコラムが出ていた。この年金データベース騒動に関する寄稿である。執筆者は高山憲之という一橋大教授。実に面白いのはその内容であって、
  • この騒動は社会保険庁に対する魔女狩りのようだ
  • 5000万件という数字だけ一人歩きしているが、これは五千万人という事ではない。実際に関わるのは数百万人というところである
  • このミスはミスとして捉えるべきで、いかにしてそれを修正するかに議論を集中すべきである
 などというものだった。かように逆風の吹きすさぶ中、社会保険庁に対する弁護発言をするそのくそ度胸は買わないでもないが、言ってる内容が余りにヨイショなので苦笑を禁じ得ないのである。
 まず興味深いのが、「たかが数百万人」というその発想であろう。この問題に絡む国民の数はおよそ1億人。その人生のかかるデータに5000万件ものミスがあったという話である。銀行が顧客1万人あたり通帳中に5000件もウソを書いていました、などと言ったら大騒動になると思う。実際に影響を受けるのは数百人程度です、などというのが言い訳にもならないのも子供にも分かる理屈だ。
 更にこの問題を「職員のミス」と言ってのけるその厚顔無恥ぶりである。ミスというのは、稀に発生するからミスと言うのだ。2件の入力あたり一回の割合で起きるというのがミスである筈などなく、故意に起こされた確信犯以外の何物でもあるまい。二度運転すると一回は事故を起こす運転手でも、単なるミスであります、と言えば許されるのか。
 さらに、マスコミの論調や国民の怒りが社会保険庁の職員に向けられている訳ではないのは言うまでもない。魔女狩りとはよくぞぬけぬけと言ったもので、無実の人間をよってたかってイジメている訳ではないのは当然のこと、そもそも他人の金を盗んでおいて、糾弾されたから魔女狩りだとは恐るべき鉄面皮の開き直りと言うべきである。
 さよう、これこそお抱え学者の典型なのだ。せっせと尻尾を振っておこぼれをもらうチンケなポチである。この教授、調べて見ると政府税調などにも顔を出しているらしい。恐らく、財務省のみならず社会保険庁や厚生労働省などからも色々と美味しいエサのおこぼれをもらっているのであろう。無論、そういう手合いがこの教授一人である訳ではなく、そういう奴が社会のあちこちでハバを効かしているという良い例であったので、ここで紹介した次第である。

《2007.06.07》
根本的におかしいのは
 受付電話回線を増やしたとか、時間帯を24時間対応にしたと社会保険庁はPRするが、それはコトの本質とは何も関係ない話である。単に尻を拭っているだけだからだ。汚物の一端を撒き散らした腐ったはらわたには何も変化が無いのである。そもそも考えてみれば日本の年金制度はおかしな事ばかりである。
  • 何故25年も払わないともらえないのか(国民個人の金だぞ)
  • 何故25年以上払った後、申請しないともらえないのか(自動が当り前だろ)
  • 何故保険庁のミスの時効が5年なのか(無限責任が当り前だぞ)
  • 何故厚生労働省が毎年3000億円もピンハネ出来るのか(根拠を言え)
  • 何故事務諸経費に流用できるのか(運用して増えた分とかいうならともかく)
 今回、社会保険庁はコンピュータのデータを調べ、おかしな点が見つかったら当該者に知らせると言っているが、その前にまずコンピュータに入っている全員に「あなたの現状はこうである」と知らせるべきであろう。そうしないのは、「おかしな点が無かった」と言い逃れる余地を作っているからに他ならない。
 5年の時効についてはまさにふざけるな、の一言であろう。政府はさも凄い事のように、今回の件については時効を撤廃などというが、そんなのは無限責任が当り前である。
 そして、今回の事件は一組織の不祥事などと捉えるべきではない。国家的規模の巨大詐欺事件と見るべきなのだ。恐らく、年金の原資などあちこち食い荒らされていて、どれだけ残っているかなど分かったものではないからである。いっそのこと、年金事業に破産宣告を出し、管財人を動員して現状を洗いざらい調べ上げ、計上出来た資産は現受取資格保持者に優先的に配分、残りが出たらそれをまだ受取資格の無い人にこれまでの支払い額に応じて配分するような事でもして、一旦年金事業を清算すべきではないか。そして改めて透明なシステムを構築すべきなのである。

《2007.06.06》
論点の本質を見逃すな
 安倍総理は来たる参院選の争点を、この年金不正問題に切り替えるらしい。いわゆる格差問題など生活関連(消費税アップを含む)もリストアップするそうだ。なんだか、つい先日まで憲法改正ばかりを何とかの一つ覚えで言っていた同じ人間の発言とは思えない変貌ぶりだが、騙されてはならない。憲法改正をリストから外した訳ではないからだ。これで聞こえのいい項目ばかり並べ、参院選で勝利したら「憲法改正は民意である」などと言い出すに違いあるまい。
 ところで、日経のIT+PLUSが「事務システムの視点が欠落した年金記録漏れ問題の与野党議論」という記事を書いている。要するに多少なりとも事務やコンピュータシステムに通じている人間なら、社会保険庁と厚生労働省の発表したようないい加減な数字を並べる事など出来る筈がないし、追求する方も少しは勉強しろ、という当たり前の指摘である。この記事は100%ごもっともである。だがしかし、仮に総理とその周辺や社会保険庁がこうした指摘にあるような理路整然とした主張をしたとしたら、その方が驚きであろう。こうした連中の頭にあるのは、保身と裏金作り、既得権益の絶対保持、その場限りでの誤魔化し、鉄面皮というあたりであって、これで理路整然とした議論を交わしたりしたら、あたかもチンパンジーが完璧なテーブルマナーで食事を取ってみせたような驚きとなるに違いない。
 日刊スポーツの社会欄が、この入力ミスが起きていた当時の社会保険庁長官であった正木氏が、その後の天下りと渡り鳥で、少なくとも3億円の報酬と退職金を得ていたであろうと書いていた。これは民主党の細野議員が指摘したものだが、安倍総理は個人情報保護を持ち出して、知らぬ存ぜぬで押し通したという。かつての政治家は、古ダヌキだの何だのと言われながらも、もっと巧みな言い逃れをしたものだが、ここまで行くと誤魔化す能力も疑わしくなってくる。
 さて、怪しいと言えば年金に続いて松岡大臣の自殺くらい怪しいものはない。推理小説顔負けの展開である。なにせ現職の大臣が自殺したばかりでなく、地元後援会元幹部、緑資源機構の前組織理事がこの大臣自殺の前後に相次いで「自殺」しているからだ。立花隆氏も氏のブログでこのあたりを解明しているが、そもそも松岡農水相の疑惑は何もミネラルウォーターなどというチンケな次元ではなく、バレているだけでも熊本県や島根県の大規模林道の工事に関係し、その裏で暗躍したという疑惑(というより見え見えな工作)なのであって、数百億円の話なのである。しかも特捜部にあった、この工事に関連した押収資料がどこへともなく消え失せているというのだから、コトは関係者の自殺どころではない。そもそも自殺かどうかが怪しくなってくるのである。
 確かに検察の追求が身近に迫っていたようだが、普通、それだけで自殺までするとは信じがたい。しかも揃いも揃って殆ど同じ日の前後である。もっと裏に闇があって、それがしゃべりそうな口を塞いだと見る方が遙かに自然であろう。松岡大臣は議員会館で自殺した。これが仮に何らかの工作だとするなら、先の話と合わせて検察庁特捜部の中や議員会館にまで闇の手が伸びている事になり、今、我々が見ている首相、大臣、社会保険庁長官なども紐で操られているマペットに過ぎないという話になっていく。一体操っているのは誰か。戦後60余年、社会が成熟してその裏側では何やら、網の目のように絡まった利権と権力の闇組織構造が出来上がっているのかもしれない。それはマフィアなどの比ではないということになる。

《2007.06.05》
隙間ビズ
 安倍政権の行き当たりばったり式人気取りは今に始まった事ではないが、流石にこうもアラばかり見えてくるとこっけいになってくる。年金不正で人気急落と慌てた政権側は(何だかつい先日、政府公報は支持率なんて気にしませんとコメントしていたのだが)、自民党のホームページで「年金は消えていません」などとPR。だが、事態をちゃんと認識している諸氏なら既によくご承知のとおり、年金が消えたという騒ぎになっているのではない。年金がきちっと払い戻されていないから大騒ぎになっているのである。年金そのものは消えた訳ではないのだ。従って、この標語はこれに続き、「年金はしっかりと私どもが頂き、好きなように使わせて頂いています」と続くと見るべきであろう。この手のPR文句、案外本音が透けて見えるものだという格好の例である。
 ところで、ようやくカメラの前に姿を現わした村瀬社会保険庁長官と柳沢厚労相は頭を下げる訳でもなく、ふんぞり返ったままの態度で「データベースの内容を突き合わせ、間違いがあったら該当者に連絡して確認する」などと答弁しているが、そもそもデータベースそのものがデタラメに近いのだからこんな対策が成り立つ訳がない。本気で信頼回復に努めるというなら、まず現状のデータがどうなっているかを「全ての」当該者に対して送付すべきである。なにせ、データのデタラメぶりは半端な代物ではなく、全国で1万人しかいない筈の100歳以上を条件にサーチをかけると数十万人がリストアップされるというのだ。逆の言い方をするなら、国民には掛け金の数十分の1しか還元せず、残りは自分らで着服していたと言うことに等しい。つまり国家的規模の巨大詐欺事件だということだ。
 与党は社会保険庁を解体し、国民年金機構だか何だかに再編成する法案を強行採決したが、相変わらず事務費などの名目で年金を流用する事はしっかりとその法案に織り込まれているし、厚生労働省が毎年3000億円をピンハネするのも間違いなく入っているであろう。従って、上記対策など絵に描いた餅もいいところで、恐らく1年も経てば皆忘れているさ、と国民を馬鹿にした見通しでやっているに相違ない(100年安心と大見栄を切ったのは何時のことだったか)。だから平然として汗一つかかずにかような会見を開けるのである。
 同時に与党は年金問題から国民の目をそらさせるのに躍起であり、首相官邸スタッフを続々と立候補させて話題作りに邁進し、国民投票法案の成立を受けて選挙権を18歳以上に引き下げようなどと若年層にゴマをする提言をせっせとさせている。この最近やたらと出てくる年齢引き下げ、その本心には「適当に操れば好きに踊らせる事の出来る年齢層」だと見なしているのは明らか(それは小泉政権の郵政民営化選挙でのチルドレン議員の大量当選が証明している)。選挙権は20歳以上だが、例えば地方自治体の知事に立候補出来るのは30歳以上である。これは世の中の仕組みというものをきちっと理解出来るようになるには、30歳くらいからであるという古くからの経験則(孔子の言葉である「30にして立つ」が有名)や大脳生理学が根拠となっている。この意味から考えるなら、国民投票法案などは30歳以上を対象にするのが当然なのだ。
 元々、今の安倍総理が一躍名を馳せたのは、例の曽我ひとみさんらの一時帰国に関連して、「絶対に二度と戻しません」と宣言した時である。これが如何に先を見ない近視眼的な愚策であったかは後の歴史が証明しているが、それにせっせと迎合したメディアのお陰で世界に恥を晒すような政権が誕生してしまった。小泉元総理は米国ではそれなりに評価があったと言われるが、今度の安倍総理はまるで相手にされていないという指摘もある。しかしながら、「その国の政権のレベルは、その国の国民の平均レベルを越える事はない」とも言われるのが現実である。だとするなら、どこぞの国の国民レベルは年々低下の一途を辿っているという事になってしまう。まあ地上波メディアのゴールデンアワーなどを見るにつけ、あながち否定出来ないところが現状なのだが。

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