一刀両断ミニコラム
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《2007.10.30》
Leopardは画期的か?
 かつてWindows95が発売された時、秋葉原で深夜に打ち上げ花火付きの記念イベントが開催され、無知蒙昧なマスコミがこぞって画期的なOSだとテレビなどで流しまくった事はまだ記憶に古くない向きも多いと思うが、何だかアップルのLeopardに対するメディア報道にも相変わらず似たような無知ぶりを見てとれる今日このごろである。それが画期的ねえ?
 WIndowsの時には「全く新しいコンピュータの画面です」とか言いながらマックのDesktopを堂々と流していたマスコミだが、今度のLeopardでも似たようなものである。Dockの端にフォルダを置けばそこに物を入れておいて、Dock上から選べる機能は前からあった。それをフィンという形で取り出して見えるように出来たのは新しいが、お陰でフォルダ内の階層的アクセスが出来なくなった。Finder上でフォルダの中身をパラパラとプレビューでめくれるのは、iTunesで既にあった仕掛けの延長である。便利な一面はあるが、画期的かというとそうでもあるまい。
 他にも例えば外部サーバをシームレスにあたかも自分の所のハードディスクと同じように扱えるという機能も、Desktopにサーバアイコンがデフォルトでは現れなくなった一方、勝手にFinder上でフォルダとして開いた上にそのままではアンマウントが出来ないなど、ユーザがコントロール出来ない所で場合によってはセキュリティホールとなりかねないような仕掛けが組み込まれた点も疑問である。
 まあこうした細かい事をいちいち列挙しても仕方がないが、そうした自称便利機能の一方で、フォルダ個々の表示モードが全く固定されないというような(あるフォルダを例えばアイコン表示にしておいて閉じ、別フォルダの表示をリストにしてから先程のフォルダを開くとそっちもリスト表示になってしまう)お粗末なバグもあったりして、リリーススケジュール優先の結果、相当土壇場でチェックが洩れたような印象を受ける。地上波メディアは仕方ないとも言えるが、他にIT専門を唄っているようなオンラインメディアでも、こうしたバグについて報じている所は殆どない。
 この傾向、既に既存のものとして存在するものをひとからげにして「全く新しい」と吹聴しているWeb2.0などと全く同じであって、要するに中身を見るのではなく上っ面だけを撫でているに過ぎないから、こうした末端枝葉の話をデカデカと書く羽目になっているのだ。左右をキョロキョロしながら飛び出し過ぎないように同じ事を書く事しか出来ないメディアなど、さっさとプロの看板を下ろすべきだろう。まあMacOSの場合は新機能と言える物も無い訳ではないから、デコレーションだらけのVistaのようにひどい訳ではないが、どことなくかつてのマイクロソフトのような「画期的」宣伝ばかりが目立ってくると、古参ユーザにとっては「アップルよ、お前もか」と言う気分にもなる。
 実はLeopardだけではないが、アップルのMacOSで本当に画期的と言えるのはRosetta環境である。これは従来からあったPPCアプリをIntel上で走らせる仕掛けであって、ユーザの目からは明確には見えないのだが、アプリケーション本体を変えずに異なるアーキテクチャのCPUで動かすという神業を全くユーザには意識させずに実行しているという驚くべきものなのだ。その性能は色々なアプリを試してみるとまさに驚異であって、殆どのPPCアプリが殆ど速度低下を感じさせずにただダブルクリックするだけで、今までのマシンと同じように走るのである。これが無ければユーザは従来からあった全てのアプリを買い換えなくてはならないという事を考えれば、その意味は途方もなく大きい。
 アップルはこうしたアーキテクチャの違いを乗り越える事の出来る、世界でただ一つのメーカであって、かつては68KからPPCに移行した時のFatBinary、OS9からOSXへとOSを大転換させた時のClassic環境、そして今回のPPCからIntelベースへというプロセッサの大転換(68KとPPCは類似アーキテクチャだが、PPCとIntelとは全く異なる)を実現させたRosetta環境とUniversal Binaryという具合にその能力を如何なく見せつけ成功させてきた。マイクロソフトがIntel系ではない別CPUで走るWindowsをリリースするなど、太陽が西から昇っても有り得ない事であるが、アップルはそうした事をさりげなくやり遂げて来たのだ。今回の新機能騒動には辟易するが、実はLeopardはこのPPCからIntelへ乗り換える最終段階として、大幅に内部が書き換えられたOSであり、それこそが本来注目すべき目玉なのである。だからこそ、バグもまだ結構残っているのであろうが、無知マスコミの馬鹿騒ぎを傍目にそうした真の機能革新に思いを馳せるユーザを忘れなければアップルは発展し続けるだろう。

《2007.10.26》
謝罪会見
 とにかく日本のメディアというのは、落ち目にある人間を叩くのが面白くてしょうがないらしい。ボクシングの亀田興毅の謝罪会見とやらをまた飽きもせずに地上波各局は流し続けた。TBSだけは殆ど扱わなかったのが滑稽であったが、どこの局だろうと問題の原点になど全く触れないという点では共通している。これが、「TBSの謝罪会見」だとしたら確かに画期的だっただろう。だがそうした事など間違っても有り得ないだろうし、こうした報道姿勢を見る限り、日本の地上波メディアは何一つ反省もしていなければ、その気もない事は明白である。
 世界のニュースをネットで見ていると、米国西海岸では関東地方に匹敵するようなスケールで山火事が起きているし、イラクでは米国の軍(例のボディガードらしい)がテロリストだと銃弾の雨を降らせたら、死体の半数が7歳から12歳くらいの子供だった事なども報じられているが、日本のメディアの扱いは小さい。生活必需品の値上げが相次ぐ裏には米のサブプライム破綻があるが、給油問題に遠慮してかそうした因果関係を伝えるような事はしない一方で、どこの店には特盛り定食があるなどという話だけは延々と放送しているのが日本の地上波テレビである。

《2007.10.22》
誰が金を稼ぐのか
 世界からは安くて美味な米が日本市場を虎視眈々と狙い、日本国内では農家を絶滅させようとするかのような政策が進められている、という話を21日と22日の2回に渡り放送したのはNHKである。今や日本のブランド米は中国でも米国でも大規模に栽培されている。日本の輸入関税が撤廃されたら、その値段は日本産の5分の1だと言われる。既に輸入枠内での使用は外食産業を中心に始まっているのである。
 当然ながら日本式の米栽培ではコスト的になど太刀打ち出来ない。政府は大規模化によってそれを何とかしようと農家に栽培田の統合をしろと、それ用の補助金を増額している。しかしながら、田はジグソーパズルではない。形は複雑に入り組むし、田によって水田のランクもある。何とかそれをクリアしたとしても、今度はそれで果たして本当に輸入米と太刀打ち出来るのかという問題もある。何しろ5分の1なのだ。少々のコストダウンでは話にならない。
 番組では大規模化が成功する訳ではない事を、秋田県の旧八郎潟で数十年に渡り行われてきた大規模米作の実態を報告すると共に、日本の水田の約4割を占めると言われる山間部の狭い水田が逆に存亡の危機にある事を警告していた。大規模化に補助金を充てる一方で、こうした大規模化をしない水田は補助金が切られているのだ。しかも今年の政府による米買い上げ価格が何と昨年の2/3程度にまでいきなり減額された。これでは小規模どころか大規模化をはかった農家にとってすら、導入した機材のローンすら払えないという。どうやら政府は米の国内生産を「死刑」にするつもりらしい。民主党が農家に対する戸別補償を提言しただけで選挙に大勝した事を見ても、農家の危機意識は相当なものと見るべきだろう。
 番組中では、政府審議会系の学者(いわゆる御用学者だ)が、日本は米を輸入すればいいという論法を展開していたが、当然ながらその金をどうするのだという話は抜けていた。一体誰がその金を稼ぐのか。今でも日本の外貨を稼いでいるのは輸出産業だが、それも僅か数十社程度だという。それが何時までも稼いでくれる保証はないし、将来的にそうした世界に通じる大規模産業を育成しているかといえば、そういう話もない。
 実は日本の食料自給率は、世界で見ても飛び抜けて低い。無論、内戦状態の国は別だが、欧米の国が軒並み100%を越え、悪くても80%台であるのに比べ、日本は今ですら39%なのだ。ここに米が自由化されたら、これは12%に下がるとも言われている。では何故、他の国はそんなに自給率が高いのだろうか。アメリカやオーストラリアのような、土地の広い国では人口以上の食料生産が可能である事は分かる。だが、フランスやドイツのような国も高いのだ。そこには輸出に逆関税をかけるというテクニックが使われている。つまり、輸入は自由化しているが、自国農産物の輸出には逆関税を与え、国外での値段を大幅に下げているのだ。これによって、安い農産物が途上国に流れ、そこの農業を圧迫しているという批判はあるのだが、実際に自国の自給率は高められている。
 そもそも食料自給は国家としては使命の筈だ。いざという時に自国民を養う事が出来ないなどというのでは、政府としての存在価値はなく、第一、快適な生活を保証している憲法にすら反する政策であろう。にも関わらず、日本にはこうした逆関税という発想は無いらしい。御用学者が述べないどころか、そうした事実は番組中ですら報告されなかった。どうも日本政府はインフラという物に対する認識がゼロらしい。郵便事業は切り捨てるし、農業もこのざまだ。
 ここで日本の今の景気を輸出産業が支えているという事実をもう少し掘り下げてみよう。日本の輸出が何とかなっているのは、円安が続いているからだ。では何故、円安なのか。そこには日銀の低金利政策がある。日本に円を置いておいても殆ど利子は付かない。それなら海外で誰もが運用するだろう。当然ながら海外市場では円が溢れる。沢山あれば価値は下がるから円安になるのである。この低金利政策によって、我々庶民は預貯金に殆ど利子が付かないという生活をもう長く続けさせられている。つまり、日本の外貨は我々が本来受け取るべき利子を集めて成り立っているのだ。
 この仕掛けをまっとうに報じているメディアは殆どない。米のサブプライムローン破綻に関連して、日銀が金利見直しをするかどうか、などという記事が新聞には出ているが、今より下げる余地などある訳がないのだから、そんな見直しが出来る筈もないのである。この先、例えば米が輸入自由化となったとしよう。その米を買う金はどこから出すのか。既に預貯金の金利は吸い尽くした。当然ながら社会保障費、インフラ整備費、教育費、各種税金の形で我々庶民へとその負担はかかってくるだろう。表向きそうでないような仕掛けは考えるだろうが、実際にそうなるのに間違いはない。他に金が無いからだ。なお、社会保障費と言えば、公務員年金は国民年金や厚生年金と違い、データベースは完璧で台帳も全部保管されているのだそうである。

《2007.10.18》
パのクライマックスに思う
 熱戦の末、日ハムが今年も優勝をした。本拠地札幌ドームは5日全部42000名の超満員で、その観客が酔いしれる見事なシリーズが展開された。地上波でも変な演出の無い至極まっとうな中継がされた。特に最終第5戦はセリーグのクライマックスとも重なり、ゴールデンアワーに2本の野球中継がされるという、ここしばらく覚えのない番組表も見られた。パリーグの中継は、地上波のテレ朝系とは別にも、NHKのBS放送やCSのGAORAで行われ、特にGAORAは試合終了、記者会見、ビールかけまでを実況、何と11時近くまで生放送をしていた。
 試合展開そのものは新聞などでも多く紹介されると思うが、試合を見ていて特に感銘を受けたのは両チームの選手、関係者並びにサポーターのスポーツマンシップである。試合後、日ハムファンはロッテのナインに、ロッテのファンも日ハムのナインに拍手を送り続けたし、優勝インタビューの後、日ハムとロッテの選手たちが歩み寄って、互いに健闘を称え合うという光景もあり、これは幾らヒルマン監督とバレンタイン監督が友人であるとは言え、それだけでは説明の出来ないものだろう。また、ヒルマン監督は全てのセレモニーが終わり球場を引き揚げる時に、グラウンド整備をしているスタッフや、球場関係者1人1人に声をかけ、深く頭を下げてその労をねぎらっていたが、こういう監督を辛口子も初めて見るように思う。
 日ハムは選手だけではなく、球団フロントから球場関係者まで一丸となって活動しており、それがチームの強さではないだろうか。交流戦優勝の賞金は選手だけではなくアルバイトまで含めた裏方にもちゃんと分けたと言われるし、選手は暇を見ては数人ずつ北海道内の小学校などを周り、野球教室をしたりもしているそうだ。楽天もこうした地道な活動に力を入れていると言われるが、セリーグにはここまでやっている球団は無いと思う。かつては人気のセ、実力のパと言われた時代があったが、今では人気、実力ともにパとなりつつある。辛口子はコアな日ハムファンではないが、こうしたチームの優勝には心から拍手を送りたいし、サッカーも面白いがやはり日本の国民的スポーツは野球だな、と実感する次第である。
 さて、最後についつい比較して言いたくなる事がある。勿論、相撲界やボクシング界の話である。ボクシングの亀田問題はTBSを始めとする地上波メディアの問題に帰結するが、JBCの態度を見ているとそうしたメディアに隷属するだけで頭をロクに使えないボクシング界そのものの問題も透けて見える。相撲界も同様だが、要するにトップに立つ人間のスキルに依存する話なのであろう。スポーツ界から目を放せば、派遣労働者から搾取する事ばかりを考える経営者、もらうものはもらいながら払う時には色々な障壁を設ける損保業界と社会保険庁、無実の人間に全て罪を押しつけて自分の点数稼ぎにする警察関係者、国民生活を犠牲にしてアメリカにへいこらするだけの中央政府。今、日本に蔓延する様々な社会問題には、全て共通するものがあるようだ。何故か日本は、保身と下心だけの人間が出世する傾向が強いのだ。構造改革とは竹中や小泉のような売国奴の言う事ではなく、こうした風潮を改めるフィードバックを入れる事でなくてはなるまい。日ハムらのパリーグはそれにかなり成功した。この手法こそ、社会格差、社会保障問題、食糧自給率から天下りに至るまでに適用出来るものではないだろうか。

《2007.10.15》
くたばれTBS
 ボクシングの亀田問題は、ジム、トレーナー、選手などへ様々な処罰が行われる情勢だが、コトを起こした張本人への追求は殆どない。地上波、特にTBSのことである。そもそも、豚もおだてりゃ木に登ると言われるくらいであって、バカをせっせと持ち上げればとことん増長してこうなる事は明らかであった。今回の問題は、精神年齢が未発達な親子に問題があったのは無論だが、それをせっせと煽った地上波メディアにこそ問題の本質があるのは間違いない。
 TBSが反省など全くしていないのは、今だに遺族に謝罪もしない時津風親方も霞むほどに明白である。K−1で秋山選手がクリームを体に塗っているシーンを持っていながら、全くそれを報道も放送もしなかった実績があるTBSだが、今回もリングでの反則行為やセコンドが反則行為を指示する発言をしている映像を全く再放送も報道もしていない。しかも、YouTubeにアップロードされたそうした映像に対して、片端から削除要求をせっせと出しているという。まさに上から下までが厚顔無恥に染まっているのである。
 地上波メディアの問題は本欄でも常に指摘してきており、視聴率依存の単純思考から始まり、CMをやたらと流しながらその金は社員の給料にばかり流れ制作現場には半分も行かない事とか、ピョンヤン放送もびっくりの政府べったりの報道姿勢(テロ特措法に関してなどウソばかり放送している)とか、真面目な問題を茶化す馬鹿笑いばかりが流れるバラエティの氾濫など、その堕落体質は枚挙にいとまがない程だが、その中でも今回のTBSのひどさは頭一つ抜きんでている。これまでも民放がスポーツというものを冒涜して茶化して人気凋落を招いた例は、アメリカズ・カップやバリ・ダカ、そして当然ながらプロ野球など少なからずあった訳だが、このTBSの亀田兄弟をダシにしたボクシングに対する茶番放送行為は、茶番という言葉を通り越して極めて悪質と言うしかない。真面目にボクシングに取り組んでいる全ての若者や関係者の努力を帳消しにするような物だからだ。
 悪質な茶化し番組を流す一方で、かつては報道のTBSと言われたのも今は昔、他の地上波、日テレ系もフジ系も朝日系もテレ東系もそれなりにドキュメンタリーなどを放送しているのと対照的に、今のTBSには殆どそうした放送がない。その僅かな例外は恐らく月曜深夜に放送している「ドキュメント・ナウ」くらいだろうが、社会問題の告発という観点から見ると、他の局と比べても目に見えて内容が薄い。
 こうして見てくると、放送法の精神にある事実を公平に正しく伝えているメディアとは到底思えない訳で、それなら何故罰則が適用されないのかという話になる。それこそ1年間の免許凍結とか、無期限のスポーツ放送禁止とかいう処分くらい行わないと、こうしたアホな頭は反省などしないに違いない。ところが地上波メディアは上層部を政府旧郵政省の天下りが占めているので、そうした処分がされるなど可能性はゼロであろう。やはり、デジタル化切り換えを良い機会として、一旦地上波放送なんてやめたらどうなのであろうか。どんなに無能でも40歳で年収1600万などという職場が崩壊したって、困る国民など何処にもおるまい。地上波テレビがないとつまらないと思われる向きは、一度違うメディアに切り換えてみる事を薦める。CSでもBSでもいいし、ネットでも読書でも音楽でもいい。物の考え方から変わり世の中の見え方も違ってくる。辛口子がそうだったのだから、間違いはない。

《2007.10.11》
舛添政策は実効があるか?
 厚生労働相に着任以来、舛添大臣、なかなか頑張っているじゃないか、と思っておられる向きも多いと思う。確かに国民の不満に真正面から答えているような行動が目立つ。だが、良く見るとそれらは表面だけのパフォーマンスであって、問題の根本を改善するものではないのではないかと思えてこないであろうか。
 例えば、市町村窓口での年金着服者の追跡に見せる執念である。確かに業務上横領は問題であり、それを職場のなあなあで見逃して来た事は許し難い。だが、例えばグリーンピアに何兆円も無駄遣いしたり、時代遅れのコンピュータシステムを1兆円以上で導入し、今だにメンテ費用だけで毎年何百億円も使っている事、事務費を年金から捻出するついでに公用車からその事故賠償金まで年金から支出している問題、ましてや年金資格者DBのいい加減な運用などのことが、そうした「たかだか100万円程度の末端への責任転嫁」によってぼやけている点を見逃す訳にはいくまい。一見、国民の怒りの代弁者のように見えるが、実は官僚に操られて本質的問題から国民の目をそらせる為に利用されているのに過ぎないのではないかという解釈も出来よう。
 11日も連合の定期大会で演説、人生85年時代のビジョン策定を提唱しているが、現在問題となっている社会保障の形骸化を何とかするのが先ではないのか。11日放送のNHKクローズアップ現代によると、日本では餓死者が急増している。それも路頭に迷って死ぬのではない。自宅で食べるものもなくて死ぬのである。高齢者ばかりではなく40代や50代も珍しくない。人生85年どころではないのである。この自殺者、1995年頃から急増、現在でも平均して年間60〜90人が餓死をしている。一応ついでに加えておくと、自殺者数は30000人で推移しているままだ。餓死の原因を辿っていくと、そこにあるのが生活保護の打ち切り。なんだかんだと理由をつけて、自治体(北九州市が有名になったが、他の自治体も同調しつつある)が生活保護を「節約する」のだ。水際作戦などというふざけた名前を付けているらしい。このベースには厚生労働省が出した「不正受給を根絶せよ」という通達がある。それを解釈した、自治体が「赤字削減の格好のターゲットに社会保障費削減を始めた」のが真相であろう。
 7日にフジテレビ系が放送した「派遣エレジー2007」によると、2002年には15万人だった年収2000万以上の層が2006年には25万人に増えている一方で、年収200万に満たない層が850万人から1050万人近くにまで増えているのである。年収200万というのは生活保護とどっこいの生活だ。それが10人に1人にまで増えているのである。生活保護費は受給者の状態によって違うのでいちがいには言えないが、支給例によれば31歳の単身世帯で月額13万ほどという。年間にして156万円だが、例えば4人世帯であればこの倍以上は支給される。
 確かに暴力団などが絡み、生活保護費を不正受給する例があるのは事実である。生活保護制度を悪用し、ベンツに乗って生活保護などという話が伝えられた事もあった。だが、不正受給を許さないという事と、生活困窮者を突き放して「予算目標を達成する」のとは問題の本質が違う。そもそも社会保障制度というのが何故あるかといえば、こうした生活困窮者を放置して置く事が社会そのものを荒廃させ、不安定にさせ、最終的には社会保障費の節約などより遙かに高いコストを強いられるという事を、長い年月をかけて人類が学んで来たからなのだ。そして、舛添大臣の発言を聞いていると、どうもそうした思考のバックグラウンドがあるようには思えないのである。

《2007.10.07》
大嘘だらけの環境対策
 地球に優しいという詭弁の下、環境を守ろう、温暖化ガスを減らそうというキャンペーンが最近特に多い。まあその方向性は正しいのだが、その実態はウソ八百のオンパレードである。ここで改めておかしな環境対策を並べてみよう。

  • 電気をこまめに消そう
     これで二酸化炭素の排出量を減らせるような広告が盛んに流れている。嘘である。日本の発電システムでは、まず基幹部分を原子力発電が担っている。これは原発というものがこまめに出力を調整出来ない為だ。そして大きな変動部分を水力発電が補い、更に突発的なピークなどを火力発電が埋めるという具合になっている。このうちで二酸化炭素を出すのは火力だけだ。従って、平均電力消費を減らしたところで、温暖化ガスの排出には何も影響しない。むしろ本気で火力発電を減らそうとするのであれば、ピークを抑えなくてはならない。具体的には夏や冬のエアコン使用禁止である。そんな事が出来よう筈もないから、こんな言い回しでお茶を濁しているのである。もっとも、こまめに電気を消す事は、その家での電気代の節約には繋がる。

  • 買い物袋を持参しよう
     そもそも、スーパーなどでは何故、ポリ袋を無料で使えたのか。それは値段が安いからに他ならない。高いものだったら、あんなにバラまける訳がない。では何故安いのか。それはポリエチレンという材料が安いからである。では何故そのポリエチレンは安いのか。それは他に使い道が無いからに他ならない。大きな需要が別にあれば値段は必ず上がる。従って買い物袋を持参し、ポリエチレンの消費を減らしたところで、余ったポリエチレンが何かに有効利用される見込みは実は殆ど無いのである。捨てられるか燃やされるのが関の山であろう。それ位なら買い物袋として有効に使い、焼却炉で燃やした方がまだ資源の利用効率は上がるのだ。ただ、節約するという意識を植えるには意味はあるが。

  • ティッシュの紙はユーカリで作られる
     ユーカリの木は数年で成長するから、順に植え替えて行く事で熱帯雨林などの伐採が行われずに済む、という話。実態はそう甘いものではない。実は大手資本が熱帯雨林を大規模に伐採し、そこをユーカリ森としているからだ。ユーカリ単一森は生命を育まない。熱帯雨林であれば様々な動植物が繁栄し、豊かな生態系を作り上げるのだが、ユーカリ森は死の森である。そして、そこに住んでいた先住民は動物も魚も捕る事が出来なくなり、生活手段を破壊されていく。環境を旗印にこのユーカリ森は拡大の一途をたどっており、これが現実だ。お世辞にも地球に優しくなど無いのである。

  • ゴミのリサイクル向け分別収集
     最近はどの自治体でも、ゴミ収集に細かな分類を課すようになってきた。再生可能なプラスティックや紙資源を選り分けて出す方も大変で、特にお年寄りや坂の多い所では大きな負担となっている。それでも有効に再利用されているならまだいいのだが、では再利用されたという商品を皆さんはどこかで見た事があるだろうか。例えばペットボトル。かつてテレビなどでは、Tシャツやロープなどの再生品が紹介されていたが、今、そのような物がどこで売られているだろうか。実は、これらは結局燃やされているという指摘がある。自治体はこれらの物をリサイクル業者に払い下げるのだが、その業者が本当にリサイクルをしているという保証は無いのだ。自治体にしてみれば手間が省けて金になる上に、責任問題から逃れられるのである。それにリサイクルと簡単に言うが、実際にはもし可能だったとしても様々なエネルギーや薬品を使う大変な処理が行われる。それらに費やされるコストをまともに計算したら、焼却炉で燃やしてその熱で発電でもした方が遙かに環境には優しいという指摘があるのである。

  • ハイブリッド車
     以前、本欄でもハイブリッド車が環境に優しいなんて怪しいという指摘をした事があるが、どうやら事実のようだ。最近では何やら家庭で充電出来る電気自動車の話ばかりがメディアに流れ、ハイブリッド車の話は殆ど見られなくなった。実際に高い金を出して買ってみたら、さして燃費も良くないではないかと実感するオーナーが増えて来たのだろう。これに関連してバイオ燃料というのも非常に怪しい。ブラジルで成功したのは、サトウキビの茎など従来は消却していた部分を活用したり、砂糖精製の後に余った低品質糖を有効利用した結果である。ところが、バイオ燃料用にわざわざトウモロコシを栽培するなどと言う話は全く馬鹿げた茶番であって、実際に栽培するとなれば肥料も農薬もコンバインの燃料も使う訳である。トータルで考えたら、わざわざ環境を守る為にそれ以上の環境汚染を起こしているからだ。

  • 核融合はクリーン
     これが究極の環境問題への対策らしい。冗談ではあるまい。重水素核融合発電が仮に実用化され(現時点で可能と言われる炉はトリチウムを使うので放射能を避けられない)、液体ナトリウムも安全に扱う技術が確立し、高速中性子もうまく閉じこめられるようになったとしても(どれもまだ見込みは無いが)、エネルギーを使えば最終的に熱になるという事実は変わらないからだ。地球温暖化というと、二言目には温暖化ガスのせいにされるが、ヒートアイランド現象を見ても人間の排出する熱量そのものが膨大であるという事実に目をつぶる訳にはいかない。オゾンホールの話は何時の間にか聞かれなくなったと思ったら、今度は北極の氷が溶けていると大騒ぎであるが、本当に北極の気温がどれだけ上がったのかという話はあまり出て来ない。これは気温が上がったというより、人間の出す熱で北極海に流れ込む川の水温が上がったのではないかと考えた方がスジが通る。例えば、南極基地で観測されている気温のデータを見ると、実は南極の気温は低下傾向にあるという話がある。本当に極地まで気温が上がっているのかについては、はっきりとしていないのである。尚、北極海の氷が溶けて海水面が上昇しているというのはとんでもない嘘である。北極海の氷は海に浮かんでいるので、それが溶けても水面は上昇しない。アルキメデスの原理として小学校の理科で誰でも習う事であって、コップに氷を浮かべて溶かしてみればすぐに実験出来る。ところで実際に海水面は上昇しているのだが、こういう理由で海ではなく陸地の氷が溶けているからとしか考えられない。それこそ人類の出す熱の影響ではないのだろうか。

  • そもそも地球に優しいとは何か
     これこそが究極の詭弁であろう。地球が誕生して以来、地球が体験してきた環境の激変は気温が数度上がったなどというものではない。地球表面が2000度の炎で包まれたり、ほぼ全表面が厚い氷で覆われた事すらあるのである。それから考えれば、温暖化など地球にとっては蚊に刺された程の事でもない。極論すれば、明日人類が核戦争で絶滅したところで、地球そのものは何事も無かったかのように、太陽の周りを巡っているであろう。では何故こんなフレーズが唱えられるのだろうか。それは人類という種が持つ傲慢さに他ならない。自分らは神に選ばれた特別な存在だと勝手に思いこんでいるからこそ、このようなフレーズが出てくるのである。温暖化などの環境破壊で【困るのは実は人類そのもの】であり、断じて地球ではないのだ。ところが、それを認めると自分らは矮小な存在だと否が応でも認識しない訳にはいかなくなる。それでは面白くないから、地球に優しいとか、絶滅危惧種を守ろうなどと言い出すのである。絶滅危惧種と指定されるのは人類にとって少なくとも無害な生きものに限られる。ハエや蚊を幾ら大量虐殺しても、それは環境破壊とは考えない。これこそが人類の持つ傲慢さを疑いようのないまでに証明している事実である。本気で環境問題を考えるのであれば、人類がこの傲慢な思い上がりを捨てなくてはならないだろうが、それが成されるほどに人類が進化する時間があるかどうかが最終的な問題であろう。

 ところで最近になって特にこうした地球環境保全に何の役にも立たない宣伝が、これでもかという具合に出てくるのは何故か。そこには京都議定書を守れそうにないという政府並びに関係者の焦りがある。元々、京都議定書の目標は1980年代中頃の水準に温暖化ガスの排出を減らそうというものであった。80年代の中頃といえば、まだ街中に冷房は多く無かった。電車もバスも夏は窓を開け放ち、車内には熱い空気が渦を巻いていたし、オフィスでも扇風機だけで仕事をしてる所は普通で、学校の教室などは扇風機すら稀だった。冷房が入っていたのは、大型コンピュータが鎮座している大部屋だけだったのだ。そんな状況に戻せるかどうかなど、子供でも分かることである。
 が、京都議定書には温暖化ガスの排出を権利とし、それを売買出来るような抜け穴があり、例えば途上国に日本は金を渡して、その国の余った分(途上国はまだ温暖化ガス排出量が少ない)を日本に振り向ける事が可能となっている。ところが、それを入れても目標達成はとても無理である事が明白になってきたのだ。特に新潟地震で柏崎原発が当面使用不可能となり、その分を火力発電で補わなくてはならないなど、マイナス要因が多発してきた事が一層危機感を煽っており、その結果としてかような詭弁まがいの「地球に優しい運動」がやたらと言われはじめているのである。

《2007.10.04》
生活必需品の急騰
 小麦粉の値上がりを理由とした、ラーメンをはじめとする色々な食料品の値上げが相次いでいる。新聞などは、世界的な消費量の増大などを原因に挙げているが、それだけでは「この時期に何故」は説明できない。答はサブプライムにある。米国のサブプライムローンの破綻が見えた事により、世界的に金融不安の流れが生まれているが、その事からこうした怪しげな物への投資の流れが変わり、絶対確実な生活必需品への投資が加速した為、ここの所の急激な値上がりに繋がったのである。
 同じ理由でガソリンの値上がりも説明される。サブプライムローンは日本市場では欧州に比べてあまり取引されなかった為、日本では直接的な影響は少なくて済んだのだが、こういう形で余波を被っているのだ。結局、アメリカが悪いのである。
 話は変わるが、例のテロ特措法での給油問題。新聞などのメディアでは、日本が給油した油がイラク戦争にも使われているのではないか、という問題が報じられているが、実はその給油している油をどこから持ってきているかも問題である。実はアメリカから日本が買っているのだ。それをアメリカの艦船に補給してるとなると、事実上のアメリカへの献金に他ならない。しかもどの会社から石油を買っているかが明らかになっていないが、どうせチェイニーの会社あたりが有りそうなシナリオだろう。日本の報道では殆ど伝えられてなくても、関係者には周知の事実に違いない。日本の給油活動が国際的に高く評価などされていない事が、この一点だけでもよっく分かるのである。

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